2018.04.24

元祖・日本のファストフード

先日、釣り好きの知り合いから、お刺身用のイナダの身をいただいた。何匹か釣ったそうだけど、1匹のままじゃ大きすぎるし、捌くのも大変だろうと、わざわざ5枚おろしにした身を2本、ようするに1匹の半身ということになるけど、届けてくださった。皮も引いてある5枚おろしなので、後は好きな幅に切るだけでお刺身になる。それで、あたしは、2本のうち1本、脂の乗っている腹側の身をお刺身にした。

腹側の身は、背側の身よりも量的には少ないけど、それでも長さが40センチ近くもある立派な身だったので、1本ぜんぶをお刺身にしたら、ものすごい量になった。お刺身はとっても美味しくて、母さんと2人でパクパク食べたけど、それでも3分の2くらいしか食べられなくて、お刺身10枚くらいが残ってしまった。

そこで、あたしは、残ったお刺身をヅケにした。タッパーに、お醤油とお酒を1対2で合わせて青唐辛子を散らした漬け汁を入れて、お刺身を並べて、冷蔵庫に入れた。これで、しばらく漬けてから、酢飯を作って握り寿司にすれば、伊豆大島の名物「しましま弁当」に入っている「鼈甲(べっこう)寿司」ができる。加納有沙ちゃんが文化放送のアナウンサーだった時に、林家たい平さんのお誕生日に手作りしてプレゼントした、知る人ぞ知る「鼈甲寿司」だ。だけど、今回は、お寿司は作らず、そのまま翌朝まで漬けておいた。そして、朝ごはんで、お茶漬けにした今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、お茶碗にごはんをよそって、その上にイナダのヅケを並べて、熱いお茶を注ぐだけ、後はお好みで万能ネギや海苔や金ゴマを散らせば、とっても美味しいお茶漬けになる。ちなみに、お醤油とお酒だけの漬け汁に漬けた普通のヅケの場合は、ごはんの脇にワサビをちょこっと乗せて、お茶に溶かすと美味しくなる。でも、今回は青唐辛子を散らした漬け汁で、最初からピリッとした辛味のアクセントがあるから、ワサビは必要ない。

それから、もうひとつの注意点として、ヅケの上から熱いお茶をかけるとお刺身に火が通りすぎちゃうので、お茶はお茶碗の脇から静かに注ぐようにする。そうすると、ヅケは半生のミディアムになって、とっても美味しい。これが、ヅケのお茶漬けの重要なポイントなのだ。

でも、この「ヅケ」って、そもそもが漬け汁に漬け込む過程の「漬け」のことだから、それをお茶漬けの具にする「ヅケのお茶漬け」は、正確に言うと「漬け茶漬け」ということになる。もしも、あたしがお刺身だったとしたら、お醤油とお酒の冷たい漬け汁に一晩ずっと漬けられていた上に、やっと冷蔵庫から出られたと思ったトタン、今度は、熱々の炊き立てのごはんに乗せられて熱いお茶に漬けられるんだから、たまったもんじゃない(笑)

ま、それはそれとして、ごはんに何かの具を乗せて、お茶をかけて食べるお茶漬けは、日本のファストフードの元祖であり、ちょっと小腹が空いた時や晩酌のシメなどにピッタリの素晴らしい食べ物だ。そして、そんなお茶漬けが、現代のように庶民の簡単な食事として広まったのは、番茶や煎茶が庶民の嗜好品として定着した江戸時代の中期以降と言われている。そして、それまでは、ごはんにお漬物などを乗せて、白湯(さゆ)をかける「お湯漬け」が一般的だった。

当時は、炊いたごはんを保温しておく技術がなかったため、商家などに住み込みで働いていた奉公人たちは、冷えたごはんを食べるしかなかった。その上、食事の時間がちゃんと決められていたわけじゃなくて、数人ずつ順番にパパッと食べなきゃならなかった。そこで、奉公人たちは、お茶碗によそったごはんに白湯をかけることで、冷えたごはんが温かくなり、短時間でサラサラと食べられるお湯漬けをよく食べていた。そして、江戸時代の中期になって番茶や煎茶が庶民にも広まると、奉公人たちは白湯の代わりにお茶をかけるお茶漬けを好んで食べるようになった。ただし、奉公人たちの食べていたお茶漬けのお茶は、値段の高い煎茶ではなく、もっぱら安価な番茶だった。

でも、その一方で、高価な煎茶には旨味成分であるグルタミン酸ナトリウムが含まれていて、香りも番茶より良かったため、煎茶を使ったお茶漬けは「ちょっと贅沢な庶民の食べ物」という位置づけになり、元禄のころ(1700年前後)からは、町や街道沿いに多くの「茶漬屋」が軒を並べるようになった。元禄と言えば、江戸の深川に住んでいた松尾芭蕉が、弟子の河合曾良(そら)をともなって「奥の細道」の旅に出た次期なので、もしかしたら芭蕉も「茶漬屋」でお茶漬けを食べたかもしれない。


‥‥そんなワケで、芭蕉が「奥の細道」の旅での最大の難所である出羽の峠越えの後に食べのは、地元の豪商からもてなされた「奈良茶飯」だった。これは、お茶漬けとは違い、ほうじ茶で炊いたごはんなんだけど、他にも芭蕉は、行く先々で、お粥、お湯漬け、お茶漬けなどでもてなされたと言われている。これは、江戸の著名な俳諧師である芭蕉に対して「温かい食べ物」を出すことが最大のもてなしだったからだ。

芭蕉の「奥の細道」の旅から約100年後の天保年間、江戸時代の後期に神田の町名主だった斎藤月岑(げっしん)が、祖父の代から三代にわたってまとめた『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』は、全7巻20冊からなる素晴らしい作品で、江戸の町の様子や人々の暮らしを描いた鳥瞰図の数々は、当時の風俗を知るための重要な資料としても貴重なものだ。そして、もちろん、この『江戸名所図会』の中にも、江戸で有名だった「茶漬屋」が登場していている。「茶漬屋」が描かれた図には「看板の八八茶漬は人皆の八百八町しれる江戸桝」「客こんで出す廣ぶたの鉢合せ八八茶漬もうれる江戸桝」などの解説文が添えられている。

この「八八(はつは)茶漬」というのは、当時、お茶漬けの値段が「64文」だったため、「8×8=64」ということから付けられた通称であり、江戸の「八百八町」にもカケてある。そして、「八」という漢字の「末広がり」という意味もあった。それにしても、これまた庶民のファストフードだったお蕎麦の値段が、当時、「16文」だったことから考えると、この「64文」という値段は、なかなかのものだったと思う。現在の貨幣価値に換算すると、お蕎麦の「16文」が約250円と言われているので、その4倍の「64文」は約1000円ということになる。

だけど、高級な煎茶がかけてある上に、お漬物の他にアサリやジャコなどの佃煮も添えられていたようなので、当時の状況を踏まえれば、それほどのボッタクリとは言えない。事実、『江戸名所図会』の鳥瞰図では、「八八茶漬」の店は大勢のお客で賑わっていて、解説文にも「客こんで」と書いてある。だから、当時の江戸の庶民たちは、現代のあたし達が1000円のランチを食べるような感覚で、「ちょっと贅沢な食事」という感じで「八八茶漬」を食べていたんだと思う。


‥‥そんなワケで、調べてみると意外に深いお茶漬けだけど、もともとは商家の奉公人たちの食べ物として広まったわけだから、もっと安価なお茶漬けも売られていたようだ。芭蕉より少し後の俳諧師、宝暦から文政(1870年代~1820年代)にかけて活躍した小林一茶は、名前にも「茶」の文字があるようにお茶が大好きで、茶摘みなどのお茶に関する句がたくさん残っているけど、お茶漬けも好きだったようで、こんな句が残っている。


蓮咲くや八文茶漬け二八蕎麦 一茶


蓮の花の咲いた池を眺めながら、一茶はお茶漬けと二八蕎麦を食べたわけだけど、ここには「八文茶漬け」と書かれている。64文もする江戸の「八八茶漬」と比べたら、なんと8分の1の安さだ。当時、お蕎麦が16文だったのだから、それに8文足してお茶漬けを添えた、という感じなのだろう。だから、江戸の「八八茶漬」のように立派な鉢に入ったものでなく、普通のお茶碗のごはんにお漬物を乗せてお茶をかけただけの質素なものだったのかもしれない。

もともとは白湯をかけたお湯漬けだったのに、お茶の普及によって進化して、芭蕉にも一茶にも愛されるようになった江戸時代の庶民のファストフード、それがお茶漬けだ。そして、現代人のあたし達にとっては、庶民のファストフードとしてのお茶漬けと言えば、やっぱり永谷園の「お茶漬け海苔」だと思う。永谷園の「お茶づけ海苔」が発売されたのは1952年、あたしが生まれる20年も前のことだけど、お茶の粉末まで入っていて「お湯をかけるだけでお茶漬けになる」というアイデアで大ヒットして、世の中にお茶漬けブームが巻き起こったそうだ。そして、そのお茶漬けブームを受けてなのか、この年には、小津安二郎監督の映画『お茶漬の味』が公開されている。

我が家では、とにかく母さんが永谷園の「お茶漬け海苔」を大好きだったので、常に買い置きしてあった。母さんは、お茶漬けとして食べるだけじゃなくて、お椀に入れて多めのお湯を注いでお味噌汁の代わりに飲んだり、そこに焼いたお餅を入れてお雑煮にしたり、ソルトクラッカーを浮かべてみたりと、いろいろな食べ方を楽しんでいて、しまいには食パンのトーストに振りかけて「お茶漬け海苔トースト」まで考案して食べていた。あたしは、お雑煮は好きだったけど、さすがにトーストは一度しか食べなかった。

母さんは、永谷園の「お茶漬け海苔」に入っていた「東海道五十三次」のカードを集めていたので、すでに持っているカードとかぶると悔しそうにしていた。でも、ある時、何枚かのカードを永谷園に送ると、全種類がそろったコンプリート・セットが応募者全員にもれなくもらえるというプレゼントがあって、母さんはたくさん溜まっていた「かぶったカード」を送り、コンプリート・セットを2組もゲットした。畳の上に全種類のカードを並べ、嬉しそうに眺めている母さんを見て、あたしも嬉しくなったことを覚えている。

ちなみに、永谷園の「東海道五十三次」のカードは、歌川広重による浮世絵木版画の連作をトランプサイズのカードにしたもので、「五十三次」と言っているけど全部で「55枚」ある。そして、2年前の2016年に20年ぶりに復活して、来年2019年の1月末まで、今度は「もれなく」じゃなくて「毎月1000名様」だけど、コンプリート・セットが当たるようになった。このプレゼントは、永谷園の「お茶漬け海苔」のシリーズの袋の裏に付いている「味ひとすじ」のマークを3枚、ハガキに貼って応募するだけなので、そんなにお金は掛からない。


‥‥そんなワケで、あたしの母さんは、今も2組のコンプリート・セットとバラのカードを何十枚も大切にしていて、時々、テーブルに並べて眺めているけど、「お茶漬け海苔」はタマにしか買わなくなった。そして、我が家のお茶漬けと言えば、ごはんの上に梅干しと東京タクアンと焼き海苔や、ほぐした焼き鮭の身と芝漬けや、辛子明太子と高菜漬けや、時には今回のようにイナダのお刺身のヅケを乗せて、熱いお茶を注いで食べる「本物のお茶漬け」が主流になった。だけど、これこそが、ごはんに佃煮とお漬物を乗せて、熱い煎茶を注いで食べていた江戸の「八八茶漬」の進化形なので、たとえ庶民のファストフードと言えども、なるべく手抜きせずに食材にこだわって作るようにして、日本の食文化を守っていきたいと思う今日この頃なのだ。


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