2015.07.21

例えになっていない安倍首相の例え話

安倍晋三首相は、もとから国会の答弁などでも意味の分かりにくい変な例え話を多用するクセがあったけど、ここに来て、もはや自分自身でも何を言ってるのか理解してないんじゃないかと思われるほどの支離滅裂な例え話を連発するようになった。この異常な様子が顕著になったのは、7月7日の夜に生出演した自民党のインターネット番組からのようだ。この番組の中で、安倍首相は、集団的自衛権について説明するために、次のような例え話をドヤ顔で炸裂させたのだ。


安倍首相 「友人の菅(すが)さんが『我が家に強盗が入ったから助けてくれ』と電話して来ても、私は菅さんの家まで行って助けることはできない。この場合は(日本の)存立危機の事態とは見られないからだ。しかし、『安倍は生意気だから殴ってやる』と言っている不良がいたとする。私が友人の麻生さんと一緒に歩いていると、その不良が3人ぐらい、突然現われて麻生さんに殴りかかったとする。このような場合、私は麻生さんを助けることができる。これが集団的自衛権だ。今回の法制でこれが可能になる」


あまりにも酷い例え話なので、たぶん専門のライターじゃなくて安倍首相が自分で考えたんだと思うけど、なんですかこれ?自衛隊が武力を行使して戦争することになるかもしれないという国家の最重要案件について、こともあろうに「近所の不良のケンカ」に例えて説明するなんて、とても正常な感覚を持ち合わせているとは思えない。

つーか、何で「安倍は生意気だから殴ってやる」と言ってた不良たちは、ムカついてる安倍君じゃなくて無関係な麻生君に殴りかかるの?すでに前提の部分からして矛盾してると思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、この例え話は、内容は不適切だけど、かろうじて意味は理解できなくもない。でも、昨日20日に生出演したフジテレビ『みんなのニュース』では、出演者たちだけでなく、全国の視聴者がテレビの前でひっくり返るほどのトンチンカンな例え話を、安倍首相は連発させてくれた。

まず最初に、安倍首相は、アメリカの国旗をあしらった大きな家と、同じ敷地内にある「離れ」、そして、道路を挟んで建っている日の丸をあしらった家の模型を使って、集団的自衛権の説明を始めた。まず、アメリカの家が火事になって大きな炎が上がる。その炎が「離れ」に燃え移り、そこから日本の家にも燃え移りそうになる。そこで、日の丸のマークをつけた日本の消防士が、日本の家を守るためにアメリカの「離れ」の消火を手伝う‥‥という説明だ。

だけど、これはあたしが分かりやすく解説したから誰にでも理解してもらえるワケで、テレビでの安倍首相の説明では、いったい何を言いたいのか分からない。滑舌が悪いのはともかくとして、自分自身がダンドリを把握してなくて、先に登場させなきゃならない「アメリカの消防士」を出すのを忘れ、「日本の消防士」よりあとに慌てて登場させたりと、もう完全にグダグダだった。

あたし的には、「戦争」を「火事」に例える意味が分からないし、火事で燃えてる家を「消火」することがどうして「武力行使」に当たるのかも分からなかった。ようするに、アメリカの家がどこかの国から発射されたミサイルで破壊されて、その被害が「離れ」や日本の家にまで波及する恐れがあると判断された場合、日本の自衛隊は米軍と一体になって敵国に武力行使できるようにする‥‥ってことが言いたいんだろうけど、そのまま表現すると「戦争」そのものになっちゃうので、強引に「戦争」を「火事」に、「武力行使」を「消火」に置き換えたんだろう。

わざわざ分かりにくい例え話なんかにしないで、実際に想定してる状況のままを説明すれば、すごく分かりやすくなる。アメリカの母屋を「米軍の空母」、アメリカの離れを「米軍の駆逐艦」、アメリカの母屋に放火した相手を「敵国」、アメリカの母屋の前のバスを「多国籍軍」、日本の家を「自衛隊の護衛艦」、日本の消防士を「武装した自衛隊員」、消防士の消火活動を「敵国への武力攻撃」と説明すれば、一発で分かるだろう。

だけど、こういうふうに説明しちゃうと、「おいおい!それって戦争じゃないかよ!」ってツッコミを入れられちゃう。だから、わざわざ分かりにくい「火事」なんかに例えて、「敵に向かって銃撃する武装した自衛隊員」を「火事を消火する消防士」に置き換えたってワケだ。

その証拠に、安倍首相が「火事」の模型を使って「この火がギューッとこちらに燃え移りそうになった時にですね」と説明した時、安倍首相の分かりにくい説明をフォローするためにフジテレビの伊藤利尋アナが「すなわち『日本が攻撃を受けた』という主旨ですね?」と念を押したら、安倍首相は「攻撃」という言葉に敏感に反応して、「え、ええ、ええ、そ、そ、そうですね!」と焦りまくった。わざわざ「戦争」のイメージを消して国民の目をごまかすための例え話をしてるのに、伊藤アナが余計な言葉をはさんだから焦りまくったのだ。

普通、こういう例え話というものは、そのままだと分かりにくい話を少しでも分かりやすくするために使うものなのに、安倍首相の場合は、「戦争」という血なまぐさいものから国民の目をそらすために例え話を使う。あくまでも「平和のため」だと言い張るために例え話を使う。マクラに書いた「近所の不良のケンカ」にしても、実際には武装した敵兵と殺し合いをするのに、それを「殴った」「殴られた」の不良のケンカでごまかそうとしている。


‥‥そんなワケで、バカバカしい模型まで作ってトンチンカンな説明をした安倍首相は、このあとも意味不明な例え話を炸裂させた。続いての名作は、「安保法制は戸締りと同じ」という、これまた理解不能のものだった。


安倍首相 「安保法制は『戸締まりをしっかりしよう』ということなんです。かつては雨戸だけ閉めておけば泥棒を防いで自分の家の財産を守ることができました。でも今は、振り込め詐欺の電話が掛かって来て、自分の財産を電子的に盗られてしまうということもあります。そういう事態にも備えておかなければいけません。今は何も起こっていなくても、まさにそうした事態に備えて『戸締まり』をしておく。そうすれば何かよこしまな考えを持っている人は『日本を侵略するのをやめておこう』となるんです」


おいおいおいおいおーーーーい!何言ってんの?この人!何で武装した自衛隊を地球の裏側の紛争国まで派遣することが日本の「戸締り」になるの?逆に日本の防衛は手薄になっちゃうじゃん!それとも、武装した自衛隊を振り込め詐欺のアジトに送り込んで一網打尽にするつもり?どうして「振り込め詐欺」と「集団的自衛権」がつながるの?‥‥って、何を聞いたところで答えは返って来ないだろう。だって、これ、言ってる本人もチンプンカンプンで自分が何を言ってるのか分かってなさそうだもん(笑)


‥‥そんなワケで、今回のあまりにも強引な「安保法制」は、もちろん、「日本のため」じゃなくて「アメリカのため」だ。多くの人は、安倍首相が今年4月26日から8日間の日程で行なった訪米の中で、集団的自衛権の行使容認を盛り込んだ安保法制の今夏の成立を勝手に宣言して来ちゃったと思ってる。ま、首相が正式に宣言したって点で言えば、その通りなんだけど、これには、ちゃんとした前フリがあった。

それは、ちょうど1カ月前の今年3月26日、自民党の高村正彦副総裁の訪米だ。この時、高村副総裁は、3月20日までに自民党と公明党だけで水面下でまとめた安保法制の草案を携えていた。もちろん、アメリカのための「集団的自衛権の行使容認」が盛り込んであり、米国防総省で高村副総裁と会談したカーター米国防長官は、この草案の内容を「歴史的な素晴らしい取り組みだ」と高く評価した。そして、この時点で、1カ月後の4月末の安倍首相の訪米時に米議会で正式に発表するという密約も交わされた。

そして、4月26日から訪米した安倍首相は、シナリオ通りに「集団的自衛権の行使容認」を目玉にした安保法制の今夏の成立を明言し、拍手喝采を浴びたってワケだ。一方、日本の自衛隊という「無料の軍隊」を手に入れる算段のついたカーター米国防長官は、約1カ月半後の6月17日、イラクで「ISIL」と戦う治安部隊の兵士が大幅に不足していると公表した。これは米下院軍事委員会の公聴会での発言で、米軍はイラクで「ISIL」と戦うために、今年の秋までに2万4000人の新兵を訓練することになっているのだが、6月の時点までに約7000人しか集まっておらず、計画は大幅に遅れている、とのこと。

このニュースは、日本ではほとんど報じられなかったけど、このニュースと時を前後して、安倍首相は、どうしても今国会で安保法制を成立させたいがために、国会を90日間も延長すると発表した。どうしても秋までにあと1万7000人の兵士が必要なアメリカ政府と、どうしても秋までに安保法制を成立させて「集団的自衛権」という名の「戦争参加権」を自衛隊に配布したい安倍首相、両者のオモワクは、まるでパズルのピースのようにピッタリと一致する。


‥‥そんなワケで、自民党と公明党による安保法制の衆議院での強行採決を受けて、内閣支持率は軒並み下落し、支持と不支持が逆転しちゃった。「毎日新聞」は支持35% 不支持51%、「朝日新聞」は支持37%、不支持46%、「東京新聞」は支持37% 不支持51%‥‥って、この辺の媒体は当然だろうけど、安倍政権の広報紙とも言える「産経新聞」と「FNN」の合同調査でさえも支持39.3%、不支持52.6%と大逆転しちゃった。ま、安倍首相本人は、未だに「国民の理解が進んでいないので丁寧に説明を続けて行く」などと壊れたテープレコーダーのように同じセリフを繰り返すばかりで、いっこうに国民の声を聴こうとせず、アメリカのほうばかり見て政治をやっているので、このままずっと意味不明な例え話を続けてもらって、どこまで支持率が落ちるのか身を持って実験してみてほしいと思う今日この頃なのだ。


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2015.07.08

吉田照美画伯の絵画展

母さんもあたしも、今も現住所は東京の世田谷区なので、母さんの医療関係の手続きで、どうしても8月末までに東京に行かなきゃならない用事があった。その他にも、ポツポツと本職に復帰しつつあるあたしの仕事道具の補充もあったし、あたしが東京に行かないと片付かない用事が何本か溜まってたので、2泊3日の予定で東京に行った。

お金に余裕があるなら、往復とも新幹線を使いたかったけど、今はけっこう金銭的にピンチなので、1カ月前に買っておいた早割の航空券で久しぶりの上京!‥‥って感じで、せっかくの東京なので、今回は用事を済ませるだけじゃなくて、会いたかった親友に会ったり、懐かしい場所に行ってみたりと、あたしの個人的な楽しみも散りばめた3日間だった。

そんな3日間の中で、あたしがどうしても行ってみたかったのが、成城学園の「さくらさくギャラリー」で絶賛開催中の吉田照美画伯の個展だった。文化放送で月曜から金曜まで、午後3時半から5時50分まで生放送してる吉田照美さんの「飛べ!サルバドール」という番組名を見れば分かるように、吉田照美さんはサルバドール・ダリをリスペクトする「ロバ」‥‥じゃなくて、「バカ」‥‥じゃなくて、「画家」として、あの三軌展や海外のスペイン美術賞展でも入選してるマルチ・アーティストとしての一面も持ってた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、吉田照美さんの絵を、ネット上や印刷物などでは何度も観てるけど、実物は一度も観たことがなかったので、今回の東京行きの日程が「さくらさくギャラリー」での個展と偶然に重なったことを、ナニゲに運命的に感じてた。それで、カツカツのスケジュールだったけど、何とか時間を作って、観に行こうと思ってた。

久しぶりの東京は、あいにくの雨。いくら電車やバスがたくさんある東京とは言っても、あたしが今回、ベースにしたニコタマの隣りの隣りの神奈川県川崎市の溝ノ口の格安ビジネスホテルから、田園都市線でサンチャまで行って、そこから世田谷線で松陰神社まで行って、世田谷区役所で用事を済ませて、また世田谷線で山下へ行き、豪徳寺から小田急線で成城学園まで行って「さくらさくギャラリー」へ行く‥‥ってのは、あまりにもヘビーすぎる。

その上、あたしには「仕事で使うメイク用品を買い集める」という仕事もある。それで、あたしは、かつて同じ事務所で同じように苦労をして、今でも連絡を取り合ってる親友のM美に連絡をしてみたら、車を貸してくれるという。で、車を借りることにしたんだけど、M美はあたしに言った。「先月、納車されたばかりだから、絶対にぶつけないでよね」って。車の運転に関しては、そこらの男よりも自信のあるあたしは「誰に言ってんのよ」なんて思ったのもトコノマ、その車がベンツのCクラスの新車だと聞かされて、若干ビビッた(笑)

ま、そんなこんなもありつつ、M美のオカゲで、あたしは雨の東京をスイスイと移動できて、母さんの医療関係の手続きも、自分の仕事の買い物も、すべてサクサクと済ませることができた。そして、車を返す時間まで、まだまだ余裕があったので、懐かしい玉堤通りを走って、成城学園の「さくらさくギャラリー」へと向かった。

「さくらさくギャラリー」に関しては、事前にネットで確認しておいたので、「ああ、あの交差点の角にある建物ね」って分かってたけど、到着してみたら、入り口の前にはゴージャスなお花がたくさん飾られてて、「伊東四朗」とか「おすぎ」とか「石塚英彦」とか、吉田照美さんと関係の深い人たちの名前が並んでて、改めて吉田照美さんの「偏った人間関係」を垣間見てしまった(笑)


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‥‥そんなワケで、ギャラリーに入ると、あたしの予想とはウラハラに、吉田照美さんの飼い猫だったアメショーの絵を中心とした絵が並んでた。照美さんの絵と言えば、ダリをホーフツとさせる不条理でシュールなものか、日々のニュースをテーマにした風刺的なものをイメージしてたから、美しいお花に囲まれた可愛いアメショーの絵とかに、あたしは足元を掬われたような感覚になった。

でも、どの絵も、ペンティングナイフよりも筆による「描き込み」を徹底した油彩で、サックリと描いているようでいて、ものすごく緻密で、近づいて観るよりも、一定の距離を置いて鑑賞すると、それぞれの絵の世界観が無限に広がるという不思議に感覚に陥った。ギャラリー内には、あたしの他にも何人もの人が観に来てて、ギャラリーの担当者の男性が丁寧に絵の説明をしてたので、あたしも一緒に聞いてた。

1階の奥には小部屋があって、そこには「ハチドリ」の絵がたくさん飾ってあった。あたしは油絵のことは分からないから、「何号」っていうのかは分からないけど、ハガキ2~3枚ぶんくらいの小さなカンバスに、何千分の1秒とかで撮影した写真のような「空中で制止したハチドリ」の油彩がたくさん並んでた。でも、絵の中のハチドリはどれも静止してるのに、単色の背景の四隅の1カ所だけがグラデーションで色を厚くしてるので、その効果なのか、どのハチドリも立体的で元気に飛んでるように見えた。

ハチドリの絵なのに、ハチドリ自体ではなく、背景の「ほんのちょっと」の部分でハチドリに「命」を与える吉田照美画伯、あたしはマジで感動した。今どき「画伯」ってのは、ヘタクソな絵を描く人をからかう意味で使うことが多いけど、この一連のハチドリの絵を観て、あたしは心から吉田照美さんのことを「画伯」だと思った。吉田照美さんは、絵の「技術」が素晴らしいのは当然として、それ以上に、絵を描く「感性」が素晴らしいんだと思った。

そして、ハチドリの絵に感動したあたしは、せっかくだからお土産に1枚購入しようと思って、絵の横に小さく貼られてる値段を見たら、ナナナナナント!ナナナナナント!ナナナナナント!‥‥って、3連発で叫んじゃうけど、サスガは画伯、あたしみたいな庶民には手も足も出ない値段だった(笑)


‥‥そんなワケで、「ハチドリの小部屋」を十分にタンノーしたあたしは、階段を上って2階に進んだワケだけど、そんなあたしを待ち受けてたのが、ムロリンが「びっくりして階段を転げ落ちそうになった!」と言ってた例の絵だった。文化放送「飛べ!サルバドール」の前の「ソコダイジナトコ」で、吉田照美さんのパートナーをつとめていた美女、唐橋ユミさんがマリア様で、その腕に抱かれているのが吉田照美さんの顔をした赤ちゃん‥‥っていう、いろんな意味でマニアにはたまらない作品だ。

そして、吉田照美さんの愛する数々の映画をテーマにした油彩やスクリーントーンが続き、その先にはパレットをカンバスにした作品が2つ並んでた。ゴールドシップを思わせる力強いペガサス、そして、次のパレットをカンバスにした作品の瞳の中に浮かんでるモノを見た時、あたしは、さっきの「ハチドリの小部屋」で感じたのと同じ、吉田照美さんの「感性」を感じて全身がシビレた。

2階の一番奥には、今回の個展の目玉のひとつでもある「不思議な象の夢」があった。これは吉田照美さんがリスペクトするダリの画法の作品で、多くの人たちが持ってる吉田照美さんの絵のイメージそのものだ。もちろん、不思議な魅力のある傑作だと思うけど、あたし的には、ゴジラの頭上でフラメンコを踊る真っ赤なドレスの加納有沙アナを描いた作品のほうがツボだった‥‥って、えっ?あの絵のモデルは有沙ちゃんじゃないの?(笑)


‥‥そんなワケで、吉田照美画伯の素晴らしい絵の数々をタンノーしたあたしは、2階にあったおトイレに行こうとしたら、おトイレへの通路の入り口に飾ってあったハチドリのモノクロの版画に目が止まった。1階の「ハチドリの小部屋」で観たものと同じ絵が、単色の線画で描かれてる上に、版画だから格安の8000円だった。一瞬、「これなら買える!」と思ったあたしは、次の瞬間、「これなら、がんばればあたしでも描けるかもしれない!」と思い、吉田照美画伯には本当に申し訳ないんだけど、あたしは何も買わずにギャラリーを後にした‥‥ってなワケで、こんなに素晴らしい絵の数々を無料で観られる吉田照美画伯の個展は、12日(日)まで開催してる上に、最終日の12日には吉田照美さん本人もギャラリーにいるそうだから、小田急線の「成城学園駅」から歩いて2~3分の「さくらさくギャラリー」に、皆さん、ぜひ見学に行ってほしいと思う今日この頃なのだ♪


■「吉田照美 絵画展」(成城学園「さくらさくギャラリー」)
http://sakurasaku-g.com/gallery/index.html


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2015.06.28

幕末の安倍晋三

司馬遼太郎と言えば、実在した歴史上の人物を主人公にした歴史小説家、というのが一般的な認識だろう。もちろん、違ったジャンルの著作も多いけど、代表作とされるのは、坂本龍馬を描いた『竜馬がゆく』、土方歳三を描いた『燃えよ剣』、斉藤道三、織田信長、明智光秀を描いた『国盗り物語』、豊臣秀吉を描いた『新史太閤記』、島左近、石田三成、徳川家康を描いた『関ヶ原』、小幡景憲を描いた『城塞』、秋山好古、秋山真之兄弟、正岡子規を描いた『坂の上の雲』など、多くは実在した歴史上の人物が主人公だ。

これらは「歴史書」じゃなくて、あくまでも「小説」だから、ザックリ言えば「フィクション」だ。だけど、坂本龍馬が実はタイムマシンでやってきた未来人だったり、土方歳三が実は男装の麗人だったりという、今どきのライトノベルみたいな内容じゃなくて、それなりの時代考証に基づいてホントっぽく書かれてる。だから、何も知らずに読むと、実際に起こったことだと勘違いしちゃう人もいる。

司馬遼太郎の歴史小説は、その人物や事件や出来事について多くの資料を集めて、綿密に調べた上で書かれてるので、すべてがフィクションというワケじゃない。実際に起こった歴史的な事件が正確に描かれてて、その上で、そこに登場する人たちの考えや感情やセリフが創作だったりする。そして、そこに完全にオリジナルの枝葉が広がったりもしてるので、一体どこまでが史実でどこからがフィクションなのか分からなくなる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、司馬遼太郎と言えば「長編」とか「大作」とかのイメージが強いけど、短編でも面白い作品がいろいろある。あたしは、今、『アームストロング砲』(講談社文庫)という短編集を読んでるんだけど、これは、幕末の男たちを描いた短編9作が収められている。題名を順番に挙げると、「薩摩浄福寺党」「倉敷の若旦那」「五条陣屋」「壬生狂言の夜」「侠客万助珍談」「斬ってはみたが」「太夫殿坂」「理心流異聞」「アームストロング砲」の9作で、このうち何作かは土方歳三や沖田総司などの登場する新撰組に関連した作品だし、新撰組の隊員が登場しない作品でも、時代背景が同じなので、どこかで関連してたりする。

で、今回、あたしが取り上げるのは、新撰組の隊員は直接は登場しないけど、2番目の「倉敷の若旦那」という作品だ。今日のブログの変なタイトルを見て「なんだろう?」と思った皆さん、ここでようやく種明かしするけど、この短編の中に、安倍晋三にソックリの人物が登場するのだ。もちろん実在した人物で、私利私欲のために権力を悪用して平然と法律を無視する極悪人だ。

この短編は、慶応2年(1866年)に実際に起こった「倉敷浅尾騒動(くらしきあさおそうどう)」を描いた作品で、『オール読物』(昭和40年6月号)に発表されたものだ。ちなみに、この作品は、司馬遼太郎の没後に、倉敷の郷土史家が長年かけて調べてまとめた自費出版の著書からの「盗作疑惑」が報じられた「いわく付き」の短編なんだけど、この点にまで触れると収拾がつかなくなっちゃうので、今回は内容だけに絞って書いていく。

この「倉敷の若旦那」は、ほぼ史実の通りに書かれている。主人公である倉敷の大町人の養子、大橋敬之助(後の立石孫一郎)や、他の登場人物のセリフなどは、もちろん司馬遼太郎の創作だけど、人間関係や事件のあらましなどについては、特に大きく手が加えられている部分はない。実際に起こった事件を下敷きにして、実際に関わった人たちを登場させ、その人たちがどんな会話をしてどんなふうに動いたのかという部分を司馬遼太郎が想像して書いているワケだ。


‥‥そんなワケで、ぜんぶを書いたら長くなりすぎちゃうし、これから作品を読もうと思ってる人にはネタバレになっちゃうから、導入部分だけを紹介する。まず、主人公の大橋敬之助は、播州の大庄屋の生まれて、幼いころから剣術や学問を学んでいた。17歳の時に倉敷の裕福な商家、大橋家の娘のお慶と結婚して婿養子になり、二男一女の3人の子どもをもうけて、婿養子としての役割も果たして、「大橋の若旦那」と呼ばれるようになる。大橋家は大町人だったので、町人と言えども「苗字」と「帯刀」を許されていた。

当時は「天保の大飢饉」で、全国的にコメの不作が続いていたため、コメの値段は3年で8倍にまで跳ね上がり、自殺する人や行き倒れになる人が続出した。そんな中、ここ倉敷の下津井屋という大きな商人は、他の領地にまで手代を走らせて、カネにものを言わせて百姓からコメを買い集め、瀬戸内の港で船に積み込み、京都や大阪へ運んでボロ儲けをしていた。

当時、領主は、コメなどの特定物資を領内外に移送することを「津留(つどめ)」と言って禁止していた。「津」とは「港」のことで、港が運搬の起点になっていたのでそう呼ばれていた。つまり、この下津井屋は、「津留」を破って、密輸出でカネ儲けをしていたワケだ。

下津井屋がコメを買い占めるため、倉敷のコメの値段はさらに高騰し、町民たちの暮らしは限界に達していた。そこで、商家の月まわりの当番だった大橋敬之助は、持ち前の正義感で下津井屋の悪事を調べ上げ、密輸出の証拠とともに倉敷の代官所へ訴え出た。しかし、これほど大掛かりな悪事を働いていた下津井屋のことだから、当然、代官所にも手を回してある。当時の代官、大竹左馬太郎のところには、下津井屋からワイロが届けられていた。時代劇でよく見る、和菓子の折の中に大判が敷き詰められている例のアレだ。

だから、いくら大橋敬之助が訴え出ても、代官所は、そう簡単に下津井屋を呼び出して罰することはできなかった。でも、大橋敬之助も負けていなかった。自分の商家のお金をどんどんつぎ込んで調査を続けて、これでもか、これでもかと新たな証拠を持って行った。そして、とうとう代官所も下津井屋の悪事を認めざるを得なくなり、下津井屋の一味を呼び出して、当主の吉左衛門には「手錠」、息子の寿太郎には「入牢」という罰が与えられた。「手錠」というのは、牢には入らなくて良いが、決められた期間、鉄製の手錠をして生活しなくてはならないという刑罰だそうだ。

もちろん、下津井屋は激怒した。だって、これまでタップリとワイロを渡しておいたのに、「これじゃあ話が違うじゃん!」ってことだ。そして、この作品では「この事件とはなんのかかわりもない」と解説されてるけど、この事件の直後、下津井屋に刑罰を与えた代官の大竹左馬太郎は更迭されたのだ。

そして、大竹左馬太郎の代わりに倉敷の代官所にやってくる新任の代官は、旗本の桜井久之助だった。下津井屋の一味は、江戸から赴任してくる桜井久之助を途中の大阪で待ち伏せし、大阪での宿を探し出し、まんまと大金をつかませることに成功した。そのため、桜井久之助は倉敷の代官所に着任早々、この下津井屋の事件を裁き直し、下津井屋を「無罪」、訴え出た大橋敬之助を「敗訴」としたのだ。このクダリを「倉敷の若旦那」の本文から、そのまま引用する。


(引用ここから)
桜井久之助は着任早々、右の事件をさばきなおし、
「倉敷は港ではないから、津留があるわけがない」
という新解釈によって下津井屋一味を無罪とし、敬之助は敗訴となった。
(引用ここまで)

※司馬遼太郎著『アームストロング砲』(講談社文庫)の「倉敷の若旦那」より引用


そう!この悪代官、桜井久之助こそが「幕末の安倍晋三」なのだ!倉敷に港がないことは最初から分かっていたワケで、だから下津井屋は他の領地の瀬戸内の港を使って密輸出をしていたワケで、それに関する証拠はすでに大橋敬之助が山のように提出していたワケで、だからこそ先代の代官の大竹左馬太郎はワイロを受け取りながらも下津井屋を「有罪」にするしかなかったワケなのに、おいおいおいおいおーーーーい!「新解釈」って何ですかーーーー!?

この桜井久之助の「倉敷は港ではないから、津留があるわけがない」というトンチンカンな説明は、「自衛隊の行く場所は戦闘地域ではないから、リスクがあるわけがない」とまったく同じ構造の屁理屈だ。ま、これくらいの支離滅裂さがなければ、多くの憲法学者の指摘を無視することなんてできないだろうけど、それにしても、誰がどう見ても完全に法律に違反していた「有罪」の事件を、結論ありきのトンチンカンな「新解釈」で正反対の「無罪」にしちゃうなんて、まさに「幕末の安倍晋三」だろう。


‥‥そんなワケで、このデタラメなお裁きに激怒した大橋敬之助は、城下町の刀屋へ行き、百両を支払って「摂津鍛冶鬼神丸国重(せっつかじ きじんまるくにしげ)」という二尺三寸の業物の刀を手に入れる。そして、私利私欲のために悪行三昧の親子に天誅を下すため、仲間とともに覆面をして下津井屋に押し入り、当主の吉左衛門と息子の寿太郎の首を撥ねた。それから、話はどんどん進み、最終的には多くの兵を従えて倉敷の代官所と浅尾藩陣屋を襲撃する。これが「倉敷浅尾騒動」なんだけど、天誅の目的だった「幕末の安倍晋三」こと桜井久之助は広島へ出張中で助かり、代官所に詰めていた幕府側の上級武士たちも自分たちだけトットと逃げ、殺されたのは身分の低い者たちばかりだった。ま、詳しくは「倉敷の若旦那」を読んでほしいけど、いつの世も、権力者と金持ちが手を組んで一般市民を苦しめる構図は同じだと思った今日この頃なのだ。


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2015.06.18

あてなるものな生活

さすがは梅雨だけのことはあって、ここんとこ、雨が降ってなくても「湿度80%」なんていう蒸し暑い日が続いてる。こんな時は、冷たいものを食べたり飲んだりしても涼しくならないので、あたしは逆に「熱いもの」「辛いもの」「酸っぱいもの」を食べたり飲んだりしてる。こないだはタカノツメをドバッと入れた激辛の麻婆豆腐を作って食べたし、ゆうべはサッポロ一番の醤油味をベースにして、黒酢とラー油を加えて酸辣湯麺(スーラータンメン)を作って食べた。

だけど、梅雨が明けて本格的な夏が来たら、湿度が下がって気温だけが高くなるから、今度は「冷たいもの」が美味しくなる。その代表格は、もちろんキンキンに冷やしたビールだけど、食べ物で言えば「かき氷」だろう。流し素麺は涼を感じるし、冷たく冷やしたスイカやトマトを食べれば涼しくなるけど、外に立ってたら5分で倒れちゃうくらい暑い真夏日に、ひとくち食べただけでスーッと汗がひき、一気に涼しくなるような食べ物、それは「かき氷」だろう。

日本のかき氷は、ナニゲにイチゴ味が代表みたいな位置づけで、その対極にメロン味があって、少し離れたとこにレモン味があるけど、イチゴ味ってイチゴの味なんかしないし、メロン味も微妙のメロンぽい香りがする程度だし、レモン味も気持ち酸味があるような気がするくらいで、どれもそのフルーツの味なんかしない。だからあたしは、「イチゴ色」「メロン色」「レモン色」って呼び方にすべきだと思ってる。

ちなみにあたしは、子どものころは「カルピス系」のかき氷が好きだった。クマさんのかき氷器で一生懸命に氷をかいて、それにカルピスを掛けて食べてた。普通のカルピスも美味しいけど、お中元でいただいた時しか家になかったオレンジカルピスやグレープカルピスは、最高に嬉しかった。オレンジカルピスは色だけじゃなくてちゃんとオレンジの味がしたし、グレープカルピスもちゃんとブドウの味がしたから、あたしは大好きだった。

だけど、大人になってからは、あたしは「スイ」が好きになった。「氷水」と書いて「こおりすい」、略して「スイ」だ。ようするに、砂糖水を掛けただけのシンプルなかき氷なんだけど、コンビニとかのアイスのコーナーで売られてる100円のカップのやつだと「みぞれ」っていうやつだ。

ただし、あたしの場合は、これに梅干しを入れる。大きなガラスの器に氷をかいて行き、小山になったら手で軽く押して、真ん中に大きくて柔らかい梅干しを乗せる。そして、その上にまた氷をかいて行く。最後に、煮詰めて冷蔵庫で冷やしておいたシロップ状の砂糖水を掛ければ出来上がり。スプーンで梅干しを掘り出して、ちょっとだけかじってから氷を口に入れると、酸味と甘みの絶妙なハーモニーが楽しめる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、現代の日本のかき氷は、ベーシックなスイやイチゴやメロンだけでなく、小倉や抹茶に白玉が入った和風でゴージャスなものもあるし、ブルーハワイやマンゴーやキウイなどのような洋風のものもあるし、ヨーグルト味でいろんなフルーツを乗せたパフェ風のものもあるし、鹿児島県で発祥した「白くま」のようなご当地ものもあるし、様々なバリエーションが楽しめる。

ここ数年は、氷やシロップや削り方にこだわった「高級かき氷」の専門店がブームだ。どこそこの名水だかを使って、長時間かけてゆっくりと凍らせる。そうして出来た氷を削ると、雪のようにフワフワに削っても、なかなか溶けないかき氷になるそうだ。こうした専門店は、季節に関係なく1年中やってて、1杯700円くらいで提供してるらしい。

さすがにあたしは、かき氷に700円は払えないから、自分で氷をかいて作って食べるか、ガリガリ君で間に合わせてるけど、そんなかき氷は、日本では一体いつごろから食べられていたのか?‥‥ってなワケで、きっこお姉さんはモグタンと一緒に「かき氷のはじめて」を見に行ってみることにした。


「クルクルバビンチョ、パぺッピポ、ヒヤヒヤドキンチョのモ~グタン!」


‥‥そんなワケで、よく考えてみたら、あたしの家にはモグタンはいなかったので、タイムスリップすることはできなかった。そこで、現存する昔の文献の中で「かき氷」が登場する最も古いものを探してみたら、清少納言の『枕草子』に行きついた。今から約1000年前の平安時代中期に編まれたと言われてる『枕草子』は、春夏秋冬の様々なことが書かれた随筆集で、当時の様子を知るための貴重な文献でもある。で、その『枕草子』の第四十二段が、次の内容だ。


「あてなるもの、薄色に白襲(しらがさね)の汗衫(かざみ)。かりのこ。削り氷にあまづら入れて新しき金椀に入れたる。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪の降りかかりたる。いみじううつくしき児の、いちごなど食ひたる。」


「あてなるもの」とは「上品なもの」という意味で、この段では、清少納言が思いついた「上品なもの」を羅列してるワケだ。まず「薄色に白襲の汗衫」だけど、「薄色」とは単に「薄い色」のことじゃなくて「薄い紫色」のこと。そして「白襲」は涼しい白の上着を羽織ることで、「汗衫」は平安時代の貴族の女児用の薄手の上着のこと。当時、「紫色」は最も地位の高い貴族しか身に着けられなかったので、これは地位の高い貴族の女児が、薄紫色の打掛の上に白の上着を羽織ってる姿を「上品なもの」として1番に挙げてることになる。

続いての「かりのこ」とは「鳥の卵」のこと。そして、次に登場する「削り氷にあまづら入れて新しき金椀に入れたる」というのが「かき氷」のことだ。これはあとから説明するとして、まずは最後まで行っちゃうけど、続いての「水晶の数珠」と「藤の花」と「梅の花に雪の降りかかりたる」は説明の必要はないよね。で、最後の「いみじううつくしき児の、いちごなど食ひたる」は、「とっても可愛い子どもが苺などを食べている姿」ということ。

で、クルリンパと戻って「削り氷にあまづら入れて新しき金椀に入れたる」だけど、「削り氷」というのが「かき氷」のことで、当時は「かき氷器」なんてなかったから、これは氷の塊を小刀で削ったものだ。そして「あまづら」というのは「甘葛を煎じた汁」のことで、平安時代には高級な甘味料とされていた。これを「新しい金属の器」に入れて食べるなんて、それこそ地位の高い貴族にしかできなかった「ザ・贅沢の極み」だろう。

何しろ、当時は冷蔵庫も冷凍庫もなかったワケだし、それ以前に電気がなかったワケだから、氷を人工的に作ることなんてできなかった。だから貴族たちは、冬場に水のきれいな池などに張った天然の氷を採取させて、日の当たらない山裾に掘った「氷室(ひむろ)」と呼ばれる貯蔵庫の中に保存してた。夏でもひんやりする氷室の中に、ワラなどを敷き詰めて採取して来た氷を積み重ねて、ワラなどで覆ってた。

当時、氷はホントに貴重品だったから、誰かに盗まれないように、氷室の入り口には交代で見張り番が立ち、氷の在庫を専門の役人が管理してた。だから、現在の日本人で「氷室」という苗字の人は、こうした役人の子孫なのかもしれない‥‥ってのも織り込みつつ、いくら氷室と言えども、冬に採取した氷が夏までそのままのワケもなく、ある程度は解けてしまう。

そして、それ以上に大変だったのが、氷室から貴族の宮廷までの運搬だ。採取した氷を氷室まで運ぶのは寒い冬だったから問題なかったけど、氷室から貴族の宮廷まで運ぶのは真夏なのだ。だから、何重にもワラでくるんだ氷の塊を大八車や馬に積んで、なるべく気温の低い夜明けとともに出発してたようだ。それでも、貴族の宮廷に到着した時には、半分以上が解けてしまっていたそうだ。

こんなふうに、ものすごい手間と人件費を掛けて届けさせた氷を、これまた当時は最高級品だった金属の器に削り入れて、これまた最高級品だった「あまづら」をたっぷりと掛けていただくなんて、まさに貴族だけの贅沢だったんだろう。単価を計算することなんてできないけど、現代の金額にしたら1杯数万円から数十万円くらいは掛かってるかもしれない。少なくとも、700円のかき氷にも手が出ないあたし的には、清水の舞台からバンジージャンプしても食べることはできなかったと思う。


‥‥そんなワケで、この『枕草子』を書いた清少納言については、だいたい966年ごろに生まれて1025年ごろに亡くなったと推測されてるけど、正確なことは分からないし、名前も分かっていない。ただ、三十六歌仙の1人で、908年に生まれて990年に亡くなった清原元輔の娘だということはハッキリと分かってる。つまり、苗字が「清原」で名前が「不明」ということだ。

前にも書いたことがあるけど、「清少納言」というのは「清少・納言」という名前じゃなくて、「清・少納言」だ。「清」は「清原」のことで、「少納言」は役職だ。「大納言・中納言・少納言」は、「部長・課長・係長」みたいな感じだろう。ちなみに「大」「中」と来たのに「小」じゃなくて「少」なのは、「大佐・中佐・少佐」なんかと同じで、日本では階級などを表わす時には「小」じゃなくて「少」を使うことになってるからだ。

で、この清少納言は、父親の清原元輔が60歳くらいの時に生まれた子だったと言われてて、陸奥守(むつのかみ)だった橘則光(たちばなののりみつ)と結婚して男の子をもうけたんだけど、その後、離婚して、980年に生まれて986年から1011年まで在位した一条天皇の中宮の藤原定子(ふじわらのていし)に仕えることになる。

清少納言はとても博学で、文才もあったので、四季折々のことや宮中でのことを書き綴った『枕草子』は、宮中の人たちに愛読されるようになる。定子は清少納言をとても大切にしていて、清少納言もまた定子のことを敬愛していた。そのため、定子が亡くなると清少納言は宮廷を去り、40代で再婚して女の子をもうけるが、また離婚して、山里と1人静かに暮らし、『枕草子』を書き続けた。そして、最後は尼僧になり、60歳前後で亡くなったと推測されている。


‥‥そんなワケで、この『枕草子』の記述によれば、少なくとも今から1000年前には、すでにかき氷が食べられていたということになる。もちろん、現代のように子どものお小遣いで買える庶民のオヤツなんかじゃなくて、貴族や将軍などピラミッドの上層部にいる人たちの口にしか入らない最高級の食べ物だったワケだけど、お椀状の器に氷を削り、甘いシロップを掛けて味わい、夏の暑さをしのいでいたんだから、そのビジュアルや位置づけは、現代のかき氷に極めて近いものだったと思われる。

そう考えると、いつでもコンビニに行けば100円ほどでかき氷を買うことができる現代人のあたしたちは、1000年前の人たちには想像もできないような贅沢をしてることになる。それどころか、お水を入れた製氷皿を自宅の冷蔵庫のフリーザーに入れておけば、ほんの数時間で氷ができちゃう。あたしたちは、特に感動も感激もないまま、ごく普通のこととして氷を作り、飲み物に入れたりお素麺に入れたりしてジャンジャン氷を使ってるけど、ホントはものすごくアリガタイザーなことなのだ。

そして、何も1000年前の人たちと比べなくても、今の世界を見回してみれば、冷蔵庫なんて持ってない人たちもたくさんいるし、電気のない生活をしてる人たちもたくさんいる。たとえば、昨年11月にバングラデシュ全土で大規模な停電が発生したけど、長時間の停電にも関わらず大きなパニックにならなかったのは、バングラデシュでは約1億6000万人の人口のうち4割にあたる約6500万人が、もともと電気のない生活をしてるからだ。このような国は、他にもたくさんある。


‥‥そんなワケで、あたしの場合、電気代を節約するためにエアコンは使わないようにしてるけど、電気のない生活をしてる人たちのことを考えたら、少しも苦にならない。夏は扇風機を使ってるし、冬は電気コタツを使ってるし、冷蔵庫も洗濯機も使ってるからだ。テレビは捨ててラジオにしたし、掃除機は捨ててホウキと雑巾でお掃除してるけど、パソコンや電子レンジや電気ポットやヘアドライヤーやヘアアイロンは使ってる。それでも、できる限り節約をしてるので、毎月の電機料金は1500円前後、絶対に2000円を超えることはない。だから今年の夏も、冷蔵庫の氷を最大限に有効利用して、なるべくお金を使わずに、涼しくて快適で「あてなるもの」な生活を心掛けようと思ってる今日この頃なのだ。


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2015.06.08

「中谷元・防衛相」が「中谷・元防衛相」になる日

6月4日の衆議院憲法審査会に参考人として招致された3人の憲法学者が、安倍政権が強行している安保関連法案について、全員そろって「憲法違反」であると明言した。この3人とは、自民党と公明党、次世代の党が推薦した長谷部恭男・早稲田大学法学学術院教授、民主党が推薦した小林節・慶応大名誉教授、維新の党が推薦した笹田栄司・早稲田大教授で、3人とも日本を代表する憲法学者だ。

野党が推薦した参考人が「憲法違反」だと言ったのなら当たり前のことだけど、与党である自民党が推薦した参考人までもが「憲法違反」だと明言したのだから、この言葉は重いだろう。それも、自民党が推薦した長谷部教授は、「集団的自衛権の行使容認は従来の政府見解の基本的枠組みでは説明がつかず、法的安定性を大きく揺るがす」「外国軍隊の武力行使と一体化する恐れが極めて強い」とし、安倍政権の推し進める安保法制の「違憲性」と「危険性」を重ねて指摘したのだ。

これに対して、菅義偉官房長官は、この日の午後の会見で、「(憲法学者らの)違憲であるとの指摘はあたらない。法的安定性や論理的整合性は確保されている。まったく違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と反論した。でも、それなら、何で「まったく違憲でない」という憲法学者を参考人に呼ばなかったのだろうか?自民党の二階俊博総務会長は「完全に人選ミスだ」と言ったけど、参考人の1人として国会に招致された小林節・慶應義塾大学名誉教授は、菅官房長官の発言に対して、「日本の憲法学者は何百人もいるが、(違憲ではないと言うのは)2、3人。(違憲と見るのが)学説上の常識であり歴史的常識だ」とコメントした。

文化放送の鈴木敏夫デスクも、6月6日の『親父・熱愛』の中でこの問題に触れ、「安倍政権の集団的自衛権について、きちんと科学的に検証している憲法学者は大半が『憲法違反だ』と言っています。『合憲だ』と言っているのは安倍さんの周りにいる一部の憲法学者だけです。彼らは思想的な憲法学者で発言に説得力がありませんから、国会に招致したらすぐにバケの皮が剥がれてしまいます」と、モットモな解説をしていた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、自分たちが推薦した参考人に「安倍政権の集団的自衛権は憲法違反」だと明言されてしまうという前代未聞のオウンゴールを炸裂させちゃった安倍政権だけど、このあまりにもお粗末なボヤ騒ぎに、消火器を持って駆け付けたのが中谷元・防衛相兼安全保障法制相だ。翌5日の衆議院特別委員会で、中谷元・防衛相は「集団的自衛権の行使容認は、これまでの憲法9条をめぐる議論との整合性を考慮したもので、行政府としての憲法の解釈の範囲内であって憲法違反にならない」と苦しい反論をした。

だけど、すぐに民主党の辻元清美議員に「中谷大臣もこれまでは3人の参考人と同じことを言って来たじゃないですか!」と鋭いツッコミを入れられ、タジタジとしちゃった。以下、6月5日の辻元清美議員の質疑と中谷元・防衛相の答弁だ。


辻元清美議員 「この法案(安保関連法案)に反対している人が世論調査で半数以上いらっしゃる、この事実はご存知ですね?そして、その中の中核的な意見が「憲法9条に違反しているのではないか」というもの。一方で、憲法学者や研究者の方々も200名近くが反対の声明を挙げ、今どんどんその数も増えている。そして、憲法審査会に呼ばれた日本でも権威のある参考人3人が口をそろえて自衛隊は違憲だと言っている。そんな法案にのっとって、この宣誓「日本国憲法及び法令を遵守し」とありますが、この法案の根幹がいま揺らいでいるわけですよ。違憲かもしれない、または違憲であると、そんな状況で政府だけが合憲だと言っている。そんな中で、命を懸けて戦えだとか、他国のために戦えだとか、そんなことが言えますか?私は昨日の憲法審査会や3名の憲法学者の「違憲である」との発言を受けて、政府は一度この法案を撤回すべきだと思っております。いかがでしょうか?」


中谷元・防衛相 「政府としましても様々な角度からご意見をいただいております。また現実に安保法制懇談会という非常に著名な方々に参画いただき、ご意見をいただきました。また、その後は政府としては、国民の命と平和な暮らしを守って行くために、この安全保障法制はどうあるべきか、これはこの国にとって非常に大事なことでありますので、与党でこういった観点でご議論いただき、現在の憲法、これをいかにこの法案に適用させて行けばいいのかという議論を踏まえた上で閣議決定を行ったのであります。多くの識者のご意見を聞きながら、真剣に検討して決定をしたということであります」


辻元議員 「私は中谷大臣が憲法調査会から一連の場で発言しているのを覚えております。「憲法9条は改正が必要である」と、この意見をずっと述べられておりました。ですよね?こういう意見を中谷大臣は言っておられます。これは中谷大臣のご著書です。『右でも左でもない政治/リベラルの旗』という中谷さんのご著書の中で、「憲法の拡大解釈は限界に達している」という章で、こうおっしゃっています。「現在各政党で憲法改正に関する議論が行われている。憲法を改正するかどうかは、改正をしなくとも解釈の変更を行うべきだとの議論があるが、私は現在の憲法の解釈変更はすべきではないと考えている。憲法の拡大解釈は限界に達しており、これ以上に拡げてしまうとこれまでの国会での議論はなんだったのか、ということになり、憲法の信頼性が問われることになる」素晴らしい意見をおっしゃっているじゃないですか。では、当時のことをお聞きします。中谷大臣は憲法調査会をはじめとする委員会にいたわけですから、当時なぜ「憲法の拡大解釈は限界を越えている。これ以上解釈の幅を拡げてはならない。憲法の信頼性が問われることとなる」とおっしゃったのか、その根拠を教えてください」


中谷防衛相 「当時はいわゆる集団的自衛権というものに定義がありまして、国際的な集団自衛権というものに関しては憲法を改正する必要があるという認識をずっとしておりました。この件はずっと自民党内でもこういった主張をしておりました。自民党の中には、いやいや集団的自衛権は憲法で容認されるという方もおられました。ここ2、3年、自民党で真剣な議論を交わしまして、自民党でマニュフェストを作る際に、憲法と安全保障法制をどう考えていくかという中で、このような現在の論理の帰結となりました。従来の憲法の基本的論理を維持した中で、時代の変化を踏まえ、安全保障の環境が客観的に大きく変化しておりますので、従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留保した上で現在の論理を維持したまま、国民の命と幸福な暮らしを守るために、合理的な当てはめを導いた結果であります。他国を防衛するための集団的自衛権ではなく、あくまでも我が国の存立を脅かし、我が国を根底から覆される明白な危険がある事態に限定して、この集団的自衛権も容認できるという結論にいたりました。この間、2、3年、真剣に議論をしてまいりましたし、与党のなかでもこういう考えを議論しまして、私のなかではこういった部分におきましては現在の日本国憲法のなかでは容認される部分であると、理解したわけであります。ですから、私の当時の考え方は、他国を守ることも含めた集団的自衛権は、憲法の改正が必要という認識していたわけであります」


‥‥そんなワケで、辻元議員が取り上げたのは、中谷大臣が2007年に刊行した著書『右でも左でもない政治/リベラルの旗』(幻冬舎)の中に書かれている集団的自衛権に関する記述の部分だけど、「憲法の拡大解釈は限界に達している」という章まで作って書いているのだから、防衛大学から自衛隊へ進み、小泉政権では史上最年少で防衛庁長官に抜擢された中谷大臣としては、この本を書いた時点では、まだ「部下たちを憲法に違反する任務に就かせたくない」という最低限の「人の心」を持ち合せていたのだろう。

でも、安倍晋三首相や石破茂大臣のような「現場を知らない人たち」とは違って、自衛隊員としての実績を持つ中谷大臣だから、この「憲法の拡大解釈は限界に達している」という考えは一貫していた。わずか2年前にも、雑誌『ニューリーダー』の2013年8月号に掲載された「なぜいま憲法改正なのか リミットまできている集団的自衛権問題 明確なデザインとシナリオを提示できるか」という塩田潮氏との対談の中で、中谷大臣は次のように述べている。


「政治家として解釈のテクニックで騙したくない。自分が閣僚として「集団的自衛権は行使できない」と言った以上は、「本当はできる」とは言えません。そこは(きちんと改憲して)条文を変えないと‥‥」


20年も30年も前の発言なら、その間に日本の置かれている状況も変化するだろうし、考え方が変わることも理解できる。しかし、この中谷大臣の発言はわずか2年前なのだ。2年前に「集団的自衛権を行使できるようにするのなら憲法を改正して条文を変えなければならない」と明言していた人物が、自分が防衛大臣に抜擢され、安全保障法制大臣も兼務させられたトタンに、手のひらを返したように正反対のことを言い出したのだ。

これまで一貫して「これ以上の解釈変更は限界」「改憲せずに解釈変更だけで集団的自衛権を行使するのは無理」と主張し続けて来た中谷大臣なのだから、普通に考えたら、今も考えは変わっていないはずだ。つまり、本心では安倍政権の安保法制案に「無理がありすぎる」と思っているのにも関わらず、防衛大臣に抜擢された千載一遇のタナボタ・チャンスを手放したくないという私利私欲によって、多くの自衛官の命を危険に晒す「戦争法案」などに賛成のフリを演じているのだ。何という恥知らずなのだろうか?

そして、辻元議員から厳しくツッコミを入れられ、過去の自身の発言との矛盾を問われた中谷大臣は、とうとうこんな支離滅裂なことを言い出した。


「他国を防衛するための国際的な定義による集団的自衛権と、我が国の存立を脅かし国民の権利を根底から覆される明白な危険がある事態に限った集団的自衛権は違う」


支離滅裂&意味不明、もはや日本語として成立していない。だけど、中谷大臣は、これよりも前に、もっと驚くべき「トンデモ発言」を炸裂させていたのだ。それは、最初の答弁の中の次のセリフだ。


「現在の憲法、これをいかにこの法案に適用させて行けばいいのかという議論を踏まえた上で閣議決定を行ったのであります」


Ng1


おいおいおいおいおーーーーい!これ、マジで言ってんのか?「憲法」に沿って「法案」を作るのが普通なのに、まずは憲法を無視したトンチンカンな法案を作り、それをトットと閣議決定してしまい、それからそのトンチンカンな法案に「憲法のほうを適用させる」って、おいおいおいおいおーーーーい!


‥‥そんなワケで、あたしは久しぶりに、開いた口からエクトプラズムが流れ出して幽体離脱しちゃいそうになったよ、まったく!憲法を改定せずにデタラメな解釈変更だけで日本を戦争できる国に変える「戦争法案」にも開いた口が塞がらないけど、言うにことかいて「法案のほうに憲法を合わせる」って、こんな狂った話は前代未聞だ。だいたいからして、日本を代表する憲法学者が3人そろって「憲法違反」だと国会で明言したんだから、それを否定するのなら、安倍晋三首相、菅義偉官房長官、中谷元・防衛相の3人は、この3人の憲法学者と公開討論をして、その場で3人の専門家を論破してみろ!‥‥って思った。ま、どっちにして、ここまで支離滅裂で厚顔無恥な中谷元・防衛相は、ピリオドの位置が1つ前にズレて「中谷・元防衛相」になる日も近いと思った今日この頃なのだ。


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