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2005.01.19

謎の大三角

おとといの日記に、フィギアスケートの安藤美姫と、タレントの眞鍋かをりと、元AV女優の黒木香の関連性について書いた。簡単にまとめると、安藤美姫と眞鍋かをりは「顔が似てるつながり」、安藤美姫と黒木香は「ワキ毛つながり」、そして、黒木香と眞鍋かをりは「名前が似てるつながり」ってことだった。でも、正直な話、「顔が似てるつながり」と「ワキ毛つながり」はホントのことだけど、黒木香と眞鍋かをりの「名前が似てるつながり」は、なんとか三角形を完成させようとして、あたしが無理やりコジツケたようなものなのだ。だって、眞鍋かをりは本名だけど、黒木香は芸名だから、「顔が似てるつながり」や「ワキ毛つながり」のような強い絆じゃないからだ。たとえば、黒木香の本名が黒木かをりだったとか、そう言うのならスゴイんだけど、所詮、芸名は嘘の名前だから、それほど説得力はないのだ。

‥‥なんて思ってたら、遅ればせながら、あとからスゴイ事実を知った。それは、黒木香と眞鍋かをりは、同じ大学の同じ学部の先輩と後輩だったってことが分かったのだ。2人とも、横浜国立大学の教育人間科学部ってとこの卒業生だった。あたしは、眞鍋かをりが大学まで出てるのに、何でグラビアアイドルとかになったのかが、前から不思議だったんだけど、まさか、ワキ毛を売り物にしたAV女優までもが大学、それも、国立大学を出てるとは知らなかった。

でも、これは、あたしが黒木香のことを知らなかっただけで、AV女優としてデビューした当時は、「国立大学出身のお嬢様」って肩書きを売り物にしてて、そんなお嬢様が、ワキ毛を生やして変態的な演技をするって言うギャップで、彼女を見出した村西とおる監督とともに、一躍、AV業界のトップに踊り出たそうだ。だから、当時、黒木香のことを知ってた人たちは、みんな、彼女が横浜国立大学の卒業生だってことを知っていたのだ。

ともあれ、これで、眞鍋かをりと黒木香とのつながりが確固たるものになった今、タイ、ラオス、ミャンマーが結ぶ世界一の麻薬生産地、ゴールデントライアングル(黄金の三角地帯)に対抗して、安藤美姫、眞鍋かをり、黒木香が結ぶ不可思議な関連性は、安藤美姫のワキの色から、ブラックトライアングルと呼びたいと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?(笑)


‥‥そんなワケで、ゴールデントライアングルみたいな、意味上での三角じゃなくて、実際の地理上での三角と言えば、川が、海や湖に流れ込んでいる場所にできた「三角洲」があげられる。世界四大文明のひとつ、エジブト文明は、ナイル川が地中海に注ぎ込む地域の三角洲から発生したと言われてるけど、このナイル川の三角洲、ナイルデルタや、メコン川のメコンデルタ、中国の黄河三角洲など、世界有数の大河の河口には、それにともなった大きさの三角洲が出来ていて、水、土壌、舟による交通の便などの理由によって、古代には文明が発生しやすかったんだろう。

ちなみに、世界最大の三角洲は、インドのアッサム州、ブラマプトラ川の河口のマジュリ島で、面積は約880平方キロもある。880平方キロって言われてもピンと来ないと思うけど、東京23区の総面積が約620平方キロなので、この三角洲の中に東京23区がスッポリと収まっても、まだまだ余裕があるほどなのだ。だから、マジュリ島は、三角洲や島と言うよりは、大陸って感じで、ちゃんとした町があって、多くの人たちが住んでいて、バスも走っている。

ニポンは小さな島国だけど、たくさんの川があるので、当然、たくさんの三角洲もある。規模としては、世界的な大河の三角洲とは比べ物にならないけど、それでも、その土地の人々の生活とともに、様々な歴史を歩んで来たんだと思う。でも、あたしが生まれた時には、もう、東京や隣接する千葉県、神奈川県の川の河口は、ほとんどが埋立地になっていて、三角洲があったころの生活は、実体験としては、まったく知らない。だけど、あたしみたいに、開発の進んだ都市部で生活してても、色んなことに興味を持って暮らしていると、思わぬところで、昔の生活の名残りに出会うことがある。

あたしは、イベントのお仕事で、千葉県浦安市の舞浜地区へ行くことがある。舞浜地区って言っても、地方の人には馴染みがないかも知れないけど、ようするに、ディズニーランドとか、ディズニーシーとか、色んなホテルとかがある一帯のことだ。そして、あたしが良く使うのが、浦安市の真ん中を南北に走っている幹線道路なんだけど、この道路の名前が、「大三角線」って言うのだ。

あたしは、最初に「大三角線」って名前を知った時には、すぐに星の「大三角」が頭に浮かんだ。あたしは、星を見るのが好きなので、牛飼座のアークトゥルス、乙女座のスピカ、獅子座のデネボラを結んだ「春の大三角」、白鳥座のデネブ、琴座のベガ、鷲座のアルタイルを結んだ「夏の大三角」、オリオン座のベテルギウス、小犬座のプロキオン、大犬座のシリウスを結んだ「冬の大三角」などが、パッと頭に浮かんだのだ。

この「大三角線」って道路は、地下鉄の浦安駅からディズニーランドまでをまっすぐに結んでいて、ディズニーランドへ行く人たちのために作られた道路みたいな感じがした。それで、夢の遊園地へ向かう道路だから、夢のある星座の名前をつけようとして、だけど、決まった星座の名前をつけちゃうと、その星座が見られない季節もあるので、一年を通して、色んな星座を見つけるためのモノサシになる「大三角」を道路の名前にしたんだろうって、勝手に思い込んでた。だけど、しばらくして、道路の名前は「おおさんかくせん」って読むって知って、あたしは「あれ?」ってことになった。星の大三角は、「だいさんかく」って読むからだ。

‥‥そんなワケで、この「大三角の謎」はそのままに、日々を暮らしていたある日、山本周五郎の小説、「青べか物語」を読んでたら、この中に「大三角」って場所が出て来たのだ。この小説は、海苔を採るための小舟、「べか舟」を買わされた小説家の物語なんだけど、千葉県の浦安あたりが舞台になっている。小説なので、「江戸川」のことを「根戸川(ねこがわ)」、「行徳」のことを「徳行」って言うように、川の名前や地名などをちょこっと変えてあるんだけど、誰にでも元の地名が分かるような変え方だし、その地理的な位置関係や状況、背景などは、実際の姿に基づいて書かれているようで、当時のこの地域の人たちの暮らしぶりが良く分かる。そして、この「青べか物語」の中では、「大三角」のことを次のように説明している。

「大三角とは、根戸川の下流にある三角洲で、デルタというものがいかにして形成されるかということを、絵解きにして見せているような存在であった。」

そして、この根戸川を旧江戸川(当時の江戸川)に置き換えてみると、この「大三角」は、現在の舞浜地区のことになる。それで、小さいきっこたちにお願いして、舞浜地区の歴史を手分けして調べてもらったら、現在の舞浜地区って、「大三角」「小三角」「見明島」って言う3つの三角洲を埋め立てて作られたってことが分かったのだ。

ここで、やっと、いつも利用してる「大三角線」の名前が、昔の三角洲の名前からつけられたってことが分かり、「世界ウルルン滞在記」の、あの変なナレーションぽく言えば、「幻のぉ~~~~三角洲にぃ~~~~小さいきっこたちがぁ~~~~出会ったぁ~~~~♪」って感じで、下條アトムの「ム」って言う字が、限りなく三角形に見えて来る(笑)

‥‥そんなワケで、小さいきっこたちがせっかく調べてくれたので、ちょこっと書くけど、この「大三角」は、古くは、江戸川が運んで来る栄養豊かな水によって、海苔の養殖や、アサリやハマグリなどの養殖が盛んだったそうだ。そして、大三角に茂っていたアシを刈って、海苔を干す時のヨシズを作っていた。つまり、海苔を作るための条件がすべて揃っていたため、海苔の養殖で生計を立てていた人がたくさんいて、「べか舟」もたくさんあった。

しかし、第二次世界大戦後の経済復興時期に入ると、江戸川沿いに、いくつかの製紙工場や澱粉工場が作られ、それらの工場が垂れ流す排水によって、江戸川はどんどん汚染されて行き、海苔の養殖などにも悪影響が出始め、河口で暮らす漁民たちの生活をおびやかして行った。そして、昭和33年、新しく作られた本州製紙江戸川工場が、それまでとは比べ物にならないほどの大量の汚水を垂れ流し始め、江戸川の水は真っ黒に染まり、それどころか、浦安沿岸から葛西沖にかけての海水までもが変色した。そして、わずか1ヶ月で、川の魚がすべて死んでしまい、浦安近海の魚もいなくなってしまった。当然、河口で養殖していた海苔や、アサリ、ハマグリなども、大打撃を受けてしまった。

困り果てた漁民たちは、関係官庁へ陳情に行き、官庁は工場の操業を一時ストップするようにとの命令を下した。しかし、工場側は、この命令を無視して操業を続け、汚水をたれ流し続けた。ここで、堪忍袋の緒がブチっと切れた漁民たち800人が、本州製紙江戸川工場に殴り込みに行き、機動隊の出動も要請されたほどの大乱闘となり、100人以上の重軽傷者、8人の逮捕者を出す結果となってしまった。結局、この事件をキッカケに、政府は、「公共水域の水質の保全に関する法律」を作ったので、この法律によって、他の地域の多くの漁民や農民の生活が守られることとなった。だけど、完全に汚染されてしまった浦安の海では、もう、漁業で生活して行くことはできなくなり、ついに、この場所を埋め立ててしまうことに決めたのだ。そして、この埋め立てた土地で、漁業に代わる新しい産業を始めることになったんだけど、もう、海を汚す産業だけはコリゴリだって思った浦安の人たちは、大人も子供も楽しめる大きな遊園地を作ることにしたのだ。

昭和38年からスタートした埋め立て工事は、約2年で、浦安の浅瀬をすべて陸地に変えたんだけど、ここで政府は、浦安の人たちには何の相談も説明もなく、突然、この場所に「第二国際空港」を作るって発表した。これに驚いた浦安の人たちは、遊園地を作る計画を話したんだけど、政府は、「遊園地なんか作るよりも、空港を作ったほうが地域の経済は潤う」って言って、住民たちを納得させようとした。でも、工場の汚染で苦い経験をしてた地元の人たちは、「お金よりも環境のほうが大切だ!」「飛行機の騒音から町を守ろう!」「きれいな空を子どもたちのために残そう!」って言う大反対運動が巻き起こって、最後まで遊園地の計画を譲らなかった。

そして、この場所には遊園地が作られることになり、国際空港は、成田に作られることになった。でも、ここからが大変で、どんな遊園地にするのかって言う具体的なことが何も決まってなかったので、色んな計画が出されたり、ボツになったりしながら、長い年月が過ぎて行った。そして、埋め立てから9年後の昭和49年に、ようやく、ディズニーランドを作ることに決定して、それからは、ディズニー側との交渉や実現に向けての努力が続き、決定から、さらに9年後の昭和58年4月、ついに、浦安の人たちの長年の夢だった、ディズニーランドがオープンしたのだ。

あたしは、この時、小学5年生だったので、ディズニーランドのオープンは、クラス中の話題になった。それまでは、他のキャラクターグッズを愛用してた子たちも、急にミッキーマウスやドナルドダックの文房具とかを使い出したりして、クラス中って言うか、学校中に、ディズニーブームが巻き起こったことを覚えてる。親に、ディズニーランドに連れてってもらうことが、ひとつのステイタスになって、お金持ちの子とかは、いち早く連れてってもらい、どんなに混んでたのかってことを自慢げに話してた。

でも、あたしは、ディズニーのキャラクターって好きじゃなかったし、昼も夜も働いてた母さんに、物をねだるのは嫌だったから、それまでの文房具を普通に使ってた。ホントに自分がミッキーマウスやドナルドダックを好きで、それで、そう言うキャラクターの筆箱や下敷きを欲しがるのならいいけど、クラスで流行ってるから自分も欲しい、みんなが持ってるから自分も欲しいって言うクラスメートたちを冷めた目で見てて、このころに、あたしの今の性格が形成されたような気がする(笑)

‥‥そんなワケで、このディズニーランド計画がスタートした昭和30年代には、全国にある6400の市町村の中で、浦安はもっとも貧しい町だったけど、生まれた土地を愛する多くの人たちの努力によって、一度死んでしまった三角洲が、夢の国、ディズニーランドとして蘇り、今では、海もきれいになり、魚も戻って来て、そして、全国で5本の指に入るほどの豊かな町になったのだ。今はなくなってしまった「大三角」だけど、浦安の人たちの心の中にはいつまでも生き続けていて、その思いが、「大三角線」と言う道路の名前になったんだと思う。また、舞浜3丁目には、「大三角公園」と言う三角形をした公園があり、そこには、「大三角跡」と言う表示板もある。

世界中に数え切れないほどある三角洲には、この浦安の「大三角」のように、ひとつひとつに物語があるのかも知れない‥‥なんて思う今日この頃、安藤美姫、眞鍋かをり、黒木香のブラックトライアングルの歴史は、これから作られて行くのだろう。安藤美姫にはフィギアスケート、眞鍋かをりにはバラエティー番組、黒木香には小学館に対する裁判をがんばってもらい、1日でも早く、肥後、寺門、上島のダチョウトライアングルのようなチームワークを生み出して欲しいと願ってやまない(笑)

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