恐怖のノーテン君
ちょっと前のことだけど、今月の18日に、北海道の札幌で、「おかずが多い」って言う理由で、80才のおじいさんが、73才の奥さんを殺した事件があった。豊平署に逮捕されたおじいさんの名前は、青鬼(あおき)良文、殺された奥さんは、節子さんだ。別に、大騒ぎするような事件じゃないけど、犯人が高齢だったことと、何よりも、「おかずが少ない」って言うならともかく、「おかずが多い」って言う理由がクローズアップされて、新聞やテレビで取り上げられた。特に、テレビのワイドショーでは、例によって、面白おかしく脚色して、1の話を10ぐらいに膨らませていた。他の事件と同じく、執拗にご近所をかぎまわり、何とか視聴者の興味を引くコメントを取ろうと、レポーターやスタッフは必死だった。
場数を踏んでるレポーターは、何でもペラペラとしゃべりたがる人と、テレビなんかには関わりたくないって思ってる人とを見分ける目が肥えている。玄関のインターホン越しにヒトコト話しただけで、相手が前者か後者かを判断することができる。そして、たったひとりでも、前者の、何でもペラペラとしゃべりたがるおばさんを見つければ、それだけで1本撮ることができる。こう言ったおばさんの多くは、スタッフが頼まなくても、自分から話を誇張して、面白おかしく大ゲサに話してくれるから、ワイドショーとしては持って来いの人材なのだ。そして、ほっとけば、30分でも1時間でも、あることないことペラペラとしゃべってくれるから、ずっとカメラを回しておいて、あとから、番組にとって都合のいい部分だけを編集すればOKなのだ。
今回の事件も、そう言った、ワイドショーには持って来いのおばさんが見つかった。そのおばさんは、「以前から夫婦仲が悪かった」「ご主人にもワガママなところがあった」ってコメントした。たぶん、長い話の中では、ダンナさんのいいところも、奥さんの悪かったところも、色んなことを話したんだと思う。だけど、テレビで放送したのは、「以前から夫婦仲が悪かった」と「ご主人にもワガママなところがあった」って部分だけなのだ。こんなふうに作られて行くため、ワイドショーのニュースは、報道と言うよりも、極めてバラエティー色が強くなる。
そして、その局の朝と午後のワイドショーの中で、そのコメントの部分だけを何度も何度も繰り返して放送した。これで、その日の夕方には、「殺された奥さんには何ひとつ非がなくて、悪いのはワガママ放題だったダンナさん」て言うイメージが、全国のワイドショー好きのおばさんたちの頭に刷り込まれたのだ。そのおばさんたちは、自分が作り上げた犯人像に、さらに尾ひれをつけて、近所のおばさんたちにペラペラとしゃべりまくり、あっと言う間に、全国規模の洗脳が行なわれる。これぞ、テレビと言う媒体と視聴率至上主義と言う精神とのシナジー効果、恐怖の「洗脳ねずみ講システム」だ。
だから、古舘伊知郎の日和見主義的な主観と、テレビ朝日の長い物には巻かれろ主義がコラボレートしまくってる「報道ステーション」も、今や、報道とは名ばかりで、極めて情報操作性の高いバラエティー番組と化してしまった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、とにかく、話を膨らませるだけ膨らませるワイドショーなどのテレビよりは、たとえ三流であっても、新聞のほうが、いくらか事実に基づいた報道をしてる。そして、その新聞を見ると、今回の事件について、こう書いてあった。
「夕食のおかずが多いと妻に激怒、口論の末に殺害した。」
「カッとなった同容疑者はタオルで首を絞めて殺害した。」
これらの文章表現は、警察からの発表に基づいて書かれているので、「激怒」や「カッとなった」って部分も、その通りなんだと思う。つまり、おじいさんは、簡単に言えば、「キレた」ってワケだ。
渋谷のセンター街あたりをフラフラしてる若者たちから始まった、この「キレる」って言う精神状態は、短絡的に他人に暴力を振るったり、場合によっては、何でもないような理由で、簡単に人を刺し殺したりして、凶悪犯罪の低年齢化の始まりにつながった。中には、ナイフをちらつかせてオヤジ狩りをする時に、「オレたちは15才だから、人を殺しても少年法で守られてるんだよね~」なんてセリフを脅し文句に使う中学生も出て来たほどだった。
それが、今や、渋谷や池袋の中学生どころか、北海道の80才のおじいさんまでもが、キレて自分の奥さんを殺しちゃうようになったんだから、この「キレる」って言う精神状態は、ニポン全国のすべての年齢層に広がってしまったんだろうか?‥‥なんて思ってたら、それどころの話じゃなかった。ニポンどころか、今や、この「キレる」ってのは、人種の壁までを越えて、全世界に広がってしまったのだ。
2003年4月24日の朝、アメリカのイリノイ州、シカゴにあるダンキンドーナツに、ひとりの男が入って来た。そして、その男は、コーヒーを注文した。このお店のコーヒーは、初めからお砂糖が入ったものが用意されていて、それをカップに注いで出すだけなんだけど、そのコーヒーをひと口飲んだその男は、「甘すぎる!」ってキレちゃって、持っていたピストルで、その場で店員を射殺した。
2003年6月24日の夜、フィリピンで、この日、25才を迎えたラグガドさんは、友人や隣人を招いて、自分のバースデーパーティーを開いていた。そして、パーティーはカラオケで盛り上がり、ラグガドさんは、「マイウェイ」を熱唱した。しかし、その歌があまりにも音痴でひどかったため、それにキレちゃった隣人のチェガスさんは、突然、席から立ち上がると、ナイフを手に取り、歌っているラグガドさんに襲い掛かり、その場で刺し殺した。
2003年6月26日の深夜、韓国のソウルの飲み屋さんで、38才の会社員のホンさんは、ネットのチャットで知り合った女性たちと合コンをしていた。ハゲてるホンさんは、カツラをつけて参加してたんだけど、一緒に参加してた友人のチョンさんが、女性たちを笑わせるために、ホンさんのカツラを取ってしまった。それにキレちゃったホンさんは、表に飛び出して、近くの屋台から包丁を奪って飲み屋さんに戻り、その場でチョンさんを刺し殺した。
2004年3月18日、アメリカのミシシッピー州、パールにあるラリー・ハーパーさんの家には、甥っ子のアントニオ・スタプレトンさんも一緒に住んでいた。それで、スタプレトンさんは、いつもお世話になっているハーパーさん一家とバーベキューをやろうと思って、肉を買っておいた。しかし、スタプレトンさんが帰宅したら、ハーパーさん一家は、その肉を使って勝手にバーベキューを始めていて、それも、ちょうどすべての肉を食べ終わったところだった。それでキレちゃったスタプレトンさんは、38口径のピストルをハーパーさんに向けて発射した。それにキレちゃったハーバーさんは、負けじとショットガンで応戦して、部屋の中で銃撃戦となり、ハーパーさんは死亡、スタプレトンさんは重体。
2004年7月26日、南アフリカのケープタウンで、アマチュアのサッカーの試合中のこと、片方のチームの選手に対して、審判がイエローカードを出した。それに対して、そのチームのコーチや選手が、抗議のために審判に詰め寄った。それにキレちゃった審判は、ポケットから取り出した小型のピストルで、その場でコーチの胸を撃って射殺した。さらに、他の選手たちにも発砲して、2人が重傷を負ったけど、駆けつけた救急隊によって一命は取りとめた。南アフリカでは、この事件の数年前にも、審判のジャッジに抗議した選手が、その審判によって、その場で射殺されている。恐るべし、南アフリカの殺人審判たち!
‥‥そんなワケで、南アフリカのサッカーの審判は、いくらなんでも全員がピストルを持ってるとは思わないけど、サポーターの暴動が起こったりした時の護身用として、小型のピストルを携帯してる人も何人かはいるらしい。だけど、この2件の殺人事件は、両方とも、アマチュアチームの親善試合で、観客だって、地元の人たちが集まってる程度の、何でもない試合だったそうだ。それなのに、イエローカードに抗議しただけで、その場で射殺されちゃうなんて、ある意味、北朝鮮よりもヘビーな国だ。
それにしても、コーヒーが甘かったから射殺、カラオケがヘタだったから刺殺って、北海道の「おかずが多いから絞殺」って言うのと、同じレベルのことだと思う。それに比べれば、カツラを取られて恥をかかされたとか、買っておいた肉を食べられたとかって言うのは、多少なりとも理解はできる。もちろん、だからって、相手を殺すってのはマトモじゃないけど、一応は、相手に対して怒る理由としては、筋が通ってる。
だけど、これらは、どれも殺人事件だから報道されてるけど、報道されない程度の、キレちゃってぶん殴った、キレちゃって半殺しにしたって例なら、それこそ、数え切れないほどあるんだと思う。でも、殺してなくても、報道されるケースがある。それは、子供たちを守る立場にあるはずの教育者が、その子供たちにキレちゃって、暴行、傷害に及んだケースだ。
2003年10月7日、モロッコの小学校で、授業中に、注意しても私語をやめなかった9才と10才の少年2人にキレちゃった女性教師は、2階の窓から2人を投げ捨てた。幸い、10才の少年はかすり傷で済んだけど、9才の少年のほうは、肩を骨折した上に、頭を顔に大ケガを負い、入院することになった。
2003年12月11日、インドのマディヤプラデシュの小学校に通う9才のアジャイ君は、この日、宿題を忘れた。それにキレちゃった担任の女性教師、スークさんは、アジャイ君をぶん殴った上に、手に持っていた黒板を指すための棒をアジャイ君の右目に突き刺し、失明させた。
もちろん、こんな傷害だけじゃなくて、キレちゃった教師が、こともあろうに、生徒を殺してしまったケースもたくさんある。ニポンでも、教師による生徒殺害の事件は何例もあるけど、そのほとんどは、「キレた」ことによって理性を失い、マトモな判断や手加減ができなくなり、死に至らしめてしまっている。
1995年7月17日、福岡県飯塚市の近畿大学付属女子高等学校で、高校2年生の陣内知美(じんのうち・ともみ)さんは、スカートを折って短くしていた。それを見つけたのが、ふだんから誰彼かまわずに体罰を繰り返していた暴力教師、宮本煌(当時40才)だ。宮本は、陣内さんを後ろから羽交い絞めにして、すぐにスカートの丈が戻すように怒鳴りつけた。それに対して、陣内さんは、「分かったけど、先生が(私の腕を)持ってるから戻せない」と言った。その言い方にキレちゃった宮本は、陣内さんを自分のほうに向かせ、いきなり顔面を数発ぶん殴った。それから、廊下へと引きずり出し、今度は何発もビンタをした上に、思い切り突き飛ばした。陣内さんは、コンクリートの壁に後頭部を強打し、泡を吹いて意識不明になり、翌日、意識が戻らないまま、死亡した。
これは、誰がどう見たって殺人だ。そして、この事件の裁判でも、福岡高等裁判所の見解は、「教育の名に値しない感情に走った私的な暴行」「動機は、被害者の態度に誘発された私的で短絡的な怒りの感情。われを忘れ、手加減を加えなかった。」としている。「感情に走った」「私的で短絡的な怒りの感情」「われを忘れ」などなど、これこそ、「キレる」ってことだろう。
それなのに、判決は、傷害致死罪で、たったの「懲役2年」と言う、遺族にしてみたら、まったく納得の行かないものだった。16才まで育てて来た自分たちの可愛い娘が、何か悪いことをしたのならまだ分かるけど、ただ、スカートの丈を短くしてたってだけで、キレた教師に殴り殺されたのだ。体力的にも、関係的にも、明らかに自分よりも立場の弱い無抵抗の女生徒に対して、一方的に暴力を振るい、殺しておきながら、その罰が「懲役2年」って、あまれにも軽すぎる。だけど、これが現実なのだ。ようするに、ニポンの法律では、キレた教師が、「教育の名に値しない感情に走った私的な暴行」で生徒を殴り殺しても、たったの「懲役2年」で済むってことだ。だから、ニポンの教育現場では、教師によるセクハラや暴力から、果ては殺人まで、何でもやりたい放題なんだろう。
でも、法律が甘いから犯罪を犯す、法律が厳しければ犯罪を犯さない‥‥ってことじゃなくて、もともと、すぐにキレて理性を失うような人間でも簡単に教師になれちゃうシステム自体に問題があるんだと思う。教師になる試験って、どんなことをするのか知らないけど、ペーパーテストや面接だけじゃなくて、脳波とかも調べたほうがいいんじゃないの?
‥‥そんなワケで、この「キレる」って言うのは、いったい何が「キレる」のかって言うと、「堪忍袋の緒」のはずだ。だけど、堪忍袋の緒ってもんは、ガマンして、ガマンして、ガマンして、いったん爆発しそうになった気持をまたガマンして、さらにガマンして、もう一度ガマンして、ここでついにテンパって、それでも相手が理不尽なことをやめない場合に、初めてブチッと「キレる」ものだ。つまり、「キレる」前には、必ず「テンパる」って言う段階がある。これは、マージャン用語の「聴牌(てんぱい)」から来た言葉で、あと一手で上がれる状態になったことを指す言葉だ。
だけど、マージャンの場合は、このテンパイをした状態で、リーチをかけるか、リーチをかけずに闇テンで待つか、それとも、一度、テンパイを崩して、別の手に作り変えるか‥‥って感じに、自分の手を見直す。それは、自分の持ち点とか、状況とか、ゲームのすべての流れを読みながら、冷静に判断する。そして、この一瞬の判断が、勝敗を分けることにつながる。
でも、おかずが多いことにキレたり、コーヒーが甘いことにキレたり、カラオケがヘタなことにキレたり、女生徒のスカートが短いことにキレたりするヤツラは、この「テンパイ」の段階がなくて、まるで、パブロフの犬の条件反射みたいに、カッとしたと同時に、もう相手を殺している。マージャンでは、テンパイしないことを「ノーテン」って言うから、あたしは、こう言う異常なヤツラのことを「ノーテン君」て呼ぶことにした。ちなみに、植田まさしのマンガ、「フリテン君」は、テンパイはしてるのに、自分のミスで上がれないオッチョコチョイのことだから、カッとしても人を殺したりはしない。
マトモな人なら、必ずテンパイの段階で、こんなことで怒るのはおかしい、こんなことで相手を傷つけるのはおかしいって、気づくに決まってるし、たとえ、テンパイの状態で怒りが収まらなくても、人を殺したら自分も大変なことになるから、ガマンしようとするだろう。そして、それでもガマンできないほど、相手の行動や言動がひどかった場合に限り、堪忍袋の緒がブチッとキレて、相手の顔面にロケットパンチが炸裂するワケだ。そして、そんな時でも、ギリギリの理性のブレーキが掛かってるから、殺すまではやらないはずだ。
‥‥そんなワケで、世界中の老若男女がキレ始めたワケだけど、何よりも恐いのは、一般人の中に潜んでいるアリエナイザー、ノーテン君たちなのだ。駅前のファーストフード店の中にも、カラオケボックスにも、学校の職員室にも、電車の中にも、どこにでもノーテン君は潜んでいる。そして、何十年も連れ添って来た自分のダンナまでもが、実はノーテン君だったりして、おかずの数が原因で殺されたりする今日この頃、たった一度の人生なんだから、できる限り、ノーテン君たちとは接触を持たないように、静かに暮らして生きたいもんだ。
★今日も最後まで読んでくれてありがとう!
★ついでにコレをクリックしてくれると嬉しいです♪→人気blogランキング
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント