忠犬ハチ公
忠犬ハチ公と言えば、ニポンで一番有名な犬なので、知らない人はいないだろうけど、ちょうど70年前の今日、3月8日に、ハチ公は亡くなった。だから、今日の日記は、ハチ公のことを書こうと思う、ワンワン!(笑)
あたしは、渋谷で生まれ育ったので、ちっちゃなころから悪ガキで、15で不良と呼ばれたよ‥‥じゃなくて、ちっちゃなころから、駅前のハチ公の銅像に親しんで来た。渋谷っ子だから、小学生の時は、ジャンケンで負けた人がハチ公のシッポをハンカチで磨くって言う遊びをしたし、中学生の時は、順番にハチ公にまたがって写真を撮ったし、高校生の時は、お友達と「ハチ公ダンス」って言うのを作って、踊りながらハチ公の周りを回ったりした。だから、あたしは、ハチ公には‥‥って言うか、正確には、ハチ公の銅像には、色んな思い出がある。
渋谷と言えば、「109」とか、「文化村」とか、「センター街」とか、「PARCO」とか、「モヤイ像」とか、「ファイヤーストリート」とか、パッと頭に浮かぶ場所は、人それぞれ違うだろうけど、渋谷で生まれ育った人たちは、みんな、真っ先に「ハチ公」を思い浮かべる。そして、渋谷っ子だったら、みんな、ハチ公の歴史に詳しいのだ‥‥なんて思ってる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あまり詳しく知らない人のために、簡単に説明しておくけど、ハチ公は、オスの秋田犬で、大正12年に、秋田県の大館市で生まれた。その時、東京帝国大学(今の東京大学)農学部の教授、上野英三郎博士が、血統のしっかりした日本犬を捜していて、部下の仲介で、この子犬をもらうことになった。博士は、この子犬に「ハチ」と名づけ、とても可愛がり、1年ほどで、ハチも立派な成犬になり、博士の送り迎えをするようになった。しかし、大正14年5月、いつものように、ハチに送られて出勤した博士は、大学の教授会の最中に、脳溢血に倒れて急逝してしまう。
博士が亡くなって、家族はハチとともに浅草へ引っ越したんだけど、ハチは夜になると、渋谷まで10km近い距離を走って、駅の改札の前で博士の帰りを待つようになった。それは、雨の日も、雪の日も続き、いつしか、帰るはずのない博士を待ち続けるハチの姿に、たくさんの人たちが同情を寄せるようになった。
ハチが博士に飼われていたのは、1年ちょっと、それなのに、ハチは、10年以上も渋谷駅で待ち続けた。そして、新聞やラジオで紹介され、全国から募金が集まり、昭和9年に、銅像が作られた。博士の奥さんを筆頭に、各界の名士など300人あまりが出席した除幕式は、とても盛大で、年老いていたハチは、駅長さんに連れられて、この式を見ていたそうだ。
そして、ハチは、映画にもなったり、海外にも紹介されたりして、ますます有名になって行った。しかし、銅像ができて1年後の3月8日、ハチは、フィラリアのため、13年(人間にすると90才)の生涯を閉じた。ハチの遺骨は、青山墓地の博士のお墓に、一緒に埋葬された。ハチは、10年も待ち続けた大好きな博士に、やっと会うことができたのだ。
‥‥って、ここまでは感動的なんだけど、この先がちょっと、あたし的には受け付けられない。遺骨は確かに埋葬したんだけど、それは、遺体を焼いて、残った遺骨を埋葬したんじゃなくて、有名なハチの姿を何とか残そうとした人たちは、ハチを剥製にしたのだ。つまり、皮を剥いで、その上、死因を調べるためにバラバラに解剖して、そして、残った骨を埋めたのだ。だから、今でも、上野科学博物館に行くと、ハチの剥製が飾ってある。
オマケに、解剖したハチの胃の中から、焼き鳥の串が出て来たため、「ハチ公は、博士に会いたくて10年間も渋谷駅に通ってたんじゃなくて、駅前の焼き鳥屋のお客が投げてくれる焼き鳥を食べたくて、毎晩、通ってたんだろう。」なんて言い出すヤカラまで出て来る始末。ハチは、とっても大切に飼われていたから、ご飯だって十分にもらっていた。だから、食べ物が欲しくて、毎晩、10kmも走るワケがない。こんなことくらい、誰にだって分かりそうなもんなんだけど、世の中には、美談を聞けば必ずケチをつけたがる、心の貧しいヤツがいるもんだ。
まあ、一部のヒネクレ者はともかく、ハチ公のお話は、尋常小学校の修身の教科書に、「恩ヲ忘レルナ」って題で掲載されたりして、不動のものとなって行った。だけど、昭和16年に開戦した第二次世界大戦によって、人殺しの道具を作るために、国は金属回収令を公布し、ハチ公の銅像も、昭和19年に国に持って行かれ、熔かされてしまった。
これは、秋田県の大館駅前に置かれていたハチ公像も同じだった。ゼイタク品や日用品だけでなく、こう言った大切な銅像まで、熔かして武器にしなくちゃならないほど追い詰められて、セッパ詰まってて、まるで、今の北朝鮮みたいな時代が、ニポンにもあったんだ‥‥。
いや~~~戦争って、ホントに、イヤですねぇ~~~ by 水野晴郎って感じだ。
そして、終戦を迎え、ハチ公銅像再建委員会が結成され、昭和23年、全国から集まった募金によって、ハチ公の銅像が再建された。だから、今の銅像は、つまり、あたしが子供のころから親しんで来た銅像は、二代目ってことになる。ちなみに、大館駅前のハチ公像は、ずっと遅れて、昭和62年に再建されたんだけど、渋谷のものよりもずいぶん大きく、両耳がピンと立っている。渋谷のハチ公は、ご存知の通り、左の耳が少し垂れている。これは、他の犬に噛まれて、左耳が垂れちゃったから、忠実に再現しているのだ、忠犬だけに(笑)
‥‥そんなワケで、ひと昔前には、渋谷の待ち合わせ場所の代名詞だったハチ公だけど、今は、もっと目立つ建物や、有名な場所がたくさんできたことや、どこにいても連絡がとれる携帯電話が普及したことによって、その影も薄くなった。でも、それは、東京近郊から渋谷にやって来るような人たちにとっての話であって、渋谷で生まれ育った渋谷っ子には、今でも大人気のハチ公だ。
ハチ公のすぐ横、東急東横店の1Fにあるハチ公ショップ、「渋谷のしっぽ」には、メインのぬいぐるみを始め、ハチ公の顔のクッション、ポーチや手鏡、ステーショナリーグッズやステッカーなどの他に、ハチ公まんじゅうも売っている。ぬいぐるみは、座っているのと伏せてるのがあって、大きいのは、子供がまたがれるくらいの、15000円とか20000円のもあるけど、あたしのオススメは、一番小さい850円のヤツだ。この値段は、もちろん、「ハチコー」の語呂合わせだけど、ハチコーってカタカナで書くと、なんか、ハマコーみたいで不愉快になるってことに、今、気づいた(笑)
他にも、ハチ公の後姿の携帯ストラップが600円で、すごくオシャレで可愛い。それから、初めて行った人が感動するのは、ここで何か買うと、もれなく、「ハチ公待ち合わせ証明書」って言うカードをくれる。渋谷っ子のお財布には、必ず入ってるカードで、あたしのヴィトン(ここ強調、笑)のお財布にも、もちろん入ってる。ハチ公ショップの周りには、あたしが良く行くアロマのお店や化粧品店とかもあるので、いつもウロウロしてるエリアだ。
でも、ハチ公ショップで扱ってるグッズは、最近になってできたお土産品のようなものばかりで、そこには歴史がない。そんなハチ公グッズと違って、あたしが子供のころから親しんで来たものが、「ハチ公ソース」だ。2004年5月7日の日記、「セレブなハチ公ソース」でも簡単に紹介したけど、ウスター、中濃、フルーツの3種類があって、メーカー市販のようなツナギなどはいっさい使わず、果物や野菜をたっぷり使って、半年から1年ほど寝かせて、しっかりと熟成させたソースだ。一般のソースよりも酸味があって、コロッケ、目玉焼き、トンカツ、白身フライ、エビフライ、お好み焼き、何にかけても、すごく美味しい。あたしは、中濃が大好きで、ずっと使ってる。
ちゃんとした材料で、昔ながらの製法で作ってるのに、値段は、1本300円なので、一般のソースとそれほど変わらない。だから、地方から渋谷に遊びに来た人は、変なものを買って帰るくらいなら、ハチ公ソースをお土産に買って行って欲しい。1本でもいいし、3種類をセットにしたって1000円以下だ。渋谷の東急ハンズにも置いてるし、駅の地下街でも扱っている。
実際に、どんな味なのか試してみたい人は、センター街を入って行ったとこにある、「恋文食堂」に行けば、中濃ソースが置いてある。昔の円筒形の郵便ポストをかたどった入り口は、ゴチャゴチャしたセンター街でも、分かりやすい。時代遅れのB-BOYSや、時代錯誤のギャングたちに絡まれるのが怖い人は、センター街を入らずに、西武のA館とB館の間を入って行き、交番のあたりから左に曲がるといい(笑)
郵便ポストみたいな入り口を入り、階段を降りて行くと、レトロな空気が広がっていて、地上の雑踏とは別世界の、落ち着いた雰囲気が味わえる。この食堂は、ロールキャベツやオムライスが有名だけど、ハチ公ソースマニアのあたし的には、コロッケやフライをオススメする。各テーブルには、ハチ公ソースの中濃が置いてあるから、好きなだけ使える‥‥って言っても、一般のソースよりも酸味が強いから、ブルドッグやキッコーマンの甘ったるいソースに慣れてる人は、最初は、あんまりかけ過ぎないほうがいいと思うけど。
さて、恋文食堂でお腹がいっぱいになったら、今度は、「ハチ公バス」に乗ってみよう。ハチ公バスは、ちょこんとボンネットがある小型のバスで、ボンネットにはハチ公の顔、後ろにはシッポが描いてあって、すごく可愛い。どんなに乗っても一律100円なので、お財布にもやさしい。ハチ公バスは、渋谷区役所をスタートして、代々木競技場、原宿、代々木公園を経て、初台、笹塚のほうを回る「春の小川ルート」と、渋谷区役所から、渋谷駅東口、恵比寿、代官山を回る「夕やけこやけルート」の2つのルートがある。だから、渋谷から原宿に行くのも、恵比寿のガーデンプレイスに行くのも、たった100円で、のんびりと行ける。
ちなみに、「春の小川ルート」って言うのは、小学校唱歌、「春の小川」のモデルになった河骨川が流れていた場所、渋谷区富ヶ谷を通るルートだからで、「夕やけこやけルート」って言うのは、童謡、「夕やけこやけ」の作曲家、草川信が、音楽の先生をしていた長谷戸小学校の前を通るルートだから、ついた名前だ。
‥‥そんなワケで、ハチ公バスに乗って、いつもとは違った目の高さから渋谷の街並みを見てみると、雑踏と喧騒の向こう側に、子供のころの懐かしい風景が見えて来る。どんなに汚くなっても、どんなに荒れ果てても、やっぱり、自分の生まれ育った街には、特別な思いがあるんだな‥‥なんて、さっきのハチ公ソースの酸っぱさが、胸の中にも広がって来る今日この頃だ‥‥。
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