のび太にヤキモチ
昨日は‥‥って言うか、今日は‥‥って言うか、14日と15日が忙し過ぎて、16日の朝から3日ぶんの日記を書き始めたから、何て書いたらいいのか、メダパニをかけられちゃったみたいに混乱してるんだけど、とにかく、今日は、遅くまでお仕事が終わらなくて、見ようと思ってた「タイガー&ドラゴン」が見られなかった。見たかった番組は、「ドラえもんスペシャル」と「タイガー&ドラゴン」だったんだけど、デッキに入ってたビデオテープが、ちょうど半分だけ使ったやつだったので、標準で1時間しか録画できない。それで、「タイガー&ドラゴン」が始まる22時までには帰って来れると思ってたので、「ドラえもんスペシャル」だけしか録画予約しとかなかったのだ。こんなことなら、3倍速にして、両方とも予約しとけば良かった‥‥。
14日と15日は、品川のスタジオで通販カタログの秋冬物の撮影をやってて、15日は、ホントは18時か19時には終わるはずだったんだけど、ちょっとしたアクシデントで、長い待ち時間が発生しちゃって、お家に着いたのが夜中だった。それで、お風呂に入って、色々と用事を済ませたら、もう3時半。それから、もらって来た差し入れのカツサンドを食べながら、「ドラえもんスペシャル」を見たんだけど、見終わったら、もう明け方の4時過ぎで、14日ぶんの日記を書き上げてアップしたら、すでに朝の5時半近くになっていた。でも、今日のお仕事は、午後に短いのが1本入ってるだけだったので、朝からお昼くらいまで寝ることができた。
ちなみに、「ニュードラえもん」を観てビックルを飲んじゃったんだけど、オープニングの歌が、ナナナナナント! インストゥルメンタルになってて、それなのに、画面の下には歌詞が出て来るから、ようするに、カラオケみたいに歌えってことなんだろうか? あとからロールのクレジットを見たら、女子十二楽坊の演奏だってことが分かったんだけど、アレンジャーが悪いのか、女子十二楽坊にしちゃあ何だかショボくて、パッとしない演奏だった。こんなことなら、バニラムードに演奏してもらったほうが、何百倍もステキだったと思う今日この頃、皆さん、「ニュードラえもん」は見ましたか?
‥‥そんなワケで、「ニュードラえもん」の第1話は、「お座敷釣り堀」って言う道具を使って、お部屋の中で魚釣りをするお話だったんだけど、実は、このお話は、26年前、ドラえもんのテレビアニメを制作することになった時に、まだ声優も決まってない状態で作られたパイロット版のお話のリメイクなのだ。雑誌の「ぼくドラえもん」の第1巻のフロクに、お宝DVDがついてて、その中に、「劇場版ドラえもんの予告編集」と一緒に、「未放送パイロット版」も入ってたので、あたしは、バッチリと見てた。ドラえもんものび太も変な顔なんだけど、ストーリーはほとんど同じだった。
で、新しいドラえもんを観た感想なんだけど、一番の問題点だと思ってた新しい声には、たぶん、そのうち慣れそうな気がした。だけど、それよりも何よりも、ドラえもんとのび太のワザとらしい仲良しぶりが鼻についた。最初、お座敷釣り堀を使って川で魚釣りをしてるんだけど、そのあと、のび太が、「今度は海で釣りをしよう!」ってアイデアを出す。そのとたん、2人は、目がキラキラと輝き出して、鼻と鼻がくっつくくらいに顔を近づけて、ラブラブで大喜びする。
これが、一度くらいならガマンできるんだけど、のび太が新しいアイデアを出すたびに、このラブラブシーンが二度、三度と繰り返され、そのたびに、あたしは、何とも言えない不愉快な気持ちになった。これが、同じ映像でも、声が大山のぶ代と小原乃梨子だったら、ドラえもんは、喜びながらも、そんなにはハシャギ過ぎずに、どこか落ち着いた感じだっただろうし、のび太は、ちょっと遠慮がちにドラえもんに甘えるって感じで、お互いに大好き同士の中にも、そこには、「ダメな息子と、そんな息子を愛するやさしいお母さん」みたいな関係性があったから、安心して観てられたと思う。そして、のび太を自分に置き替えて、あたしがドラえもんと一緒にいるような、いつもの楽しい感覚になれたと思う。
だけど、ニュードラえもんの水田わさびと、ニューのび太の大原めぐみは、大抜擢されて嬉しい気持ちは分からないでもないんだけど、何か、やたらとハリキッちゃってて、とにかく大ハシャギしてて、見てるあたしのことを無視して、自分たちだけで勝手に盛り上がってるみたいな感じがした。
そこにあるのは、ダメな息子とお母さんの愛じゃなくて、タダのラブラブなバカップルの姿だから、観てるあたしは、アニメの世界に入って行けずに、疎外感に包まれた。ようするに、大好きなドラえもんをのび太に取られちゃったみたいな感じがして、ヤキモチを焼いたんだと思う。
ドラえもんって、のび太ひとりのものじゃなくて、ドラえもんを大好きなみんなのものだから、のび太って言うのは、観てるみんなの分身って言うか、代表って言うか、そんな立場のキャラだと思う。だから、ドラえもんとのび太が仲良くすれば、観てるあたしも嬉しくなるし、困ってるのび太を助けるために、必死になってるドラえもんを観れば、あたしは自分のためにドラえもんががんばってくれてるような気持ちになって胸が熱くなるし、未来に帰っちゃったはずのドラえもんが戻って来てくれた時には、抱き合って泣くドラえもんとのび太と一緒に、あたしも大泣きする。ちなみに、ドラえもんを観て、あたしがどれほど大泣きするかは、2003年12月31日の日記、「泣かせて!ドラえもん」に書いてあるので、興味のある人は読んでみてちゃぶだい。
ドラえもんを観て、面白いところで笑うのは当たり前だけど、感動するところでちゃんと感動し、泣きどころでちゃんと泣けるのは、やっぱり、大山のぶ代と小原乃梨子の絶妙のセリフまわしや表現力があってこそだ。それは、同じセリフの中にも、「押す演技」ばかりじゃなく、「引く演技」もあったからだ。たとえば、ずっと離れてて、やっとのことで、のび太と会うことができたドラえもんは、もちろん、大喜びする。だけど、劇場版の場合には、恥も外聞もかなぐり捨てて、全身で喜びを表現するのに対して、テレビ版の場合には、ストーリーも短いし、のび太と離れてた理由も大したことはないから、どこかテレながら引き気味に喜ぶ。でも、そう言った、抑えたセリフまわしだからこそ、その言葉の奥に底流する心からの喜びが、ジンワリと伝わって来るのだ。そして、そう言った演技はリアリティーを生み出すから、あたしは感情移入できるワケだし、のび太にヤキモチを焼くどころか、自分ものび太の立場になって、一緒に喜ぶことも泣くこともできるのだ。
だけど、「押す演技」ばかりで、「引く演技」のまったくできない水田わさびと大原めぐみのやり取りは、キャリアがないんだから仕方ないとは思うけど、微妙な心の動きや精神状態などを表現する能力はゼロなので、のび太はともかくとして、何よりも、ドラえもんの精神年齢が極端に下がったように感じた。だから、のび太とドラえもんの関係が、ダメな息子とお母さんのほほえましい愛じゃなくて、そこらのバカップルがイチャイチャしてるようにしか見えなくて、こっちは、感情移入するどころか、のび太にヤキモチを焼き、ドラえもんには裏切られたような気持ちになり、今までの25年間のドラえもんを全否定されたような思いがして、ミョ~な疎外感に包まれ、大好きなはずのドラえもんを好きになれない自分に戸惑い、自己嫌悪に陥り、過去のドラえもんの幻影にさいなまれる日々が続いて行く。
だから、最初に、「一番の問題点だと思ってた新しい声には、たぶん、そのうち慣れそうな気がした。だけど、それよりも何よりも、ドラえもんとのび太のワザとらしい仲良しぶりが鼻についた。」って書いたけど、この鼻につく「ワザとらしい仲良しぶり」は、新しい声に対する拒絶感が引き起こしているんじゃなくて、その演技力の稚拙さによるものだと言うことが分かった。だけど、水田わさびや大原めぐみを始め、今回の新しい声優陣は、たぶん、よほどのことがない限り、これからずっと、あたしが死ぬまで、ドラえもんたちの声をやって行くんだろうから、あたしは、できる限り温かく見守りたい。そして、1日でも早く、セリフ上には書かれていない微妙な心の動きを表現できるようになって欲しい。
‥‥そんなワケで、新しい声優陣、特に、ドラえもん役の水田わさびが、いつまで経っても進歩がなく、ずっと今のままの演技力だったとしたら、心からドラえもんを愛するあたしたちは、どんどん離れて行くと思うし、テレビはともかくとして、劇場版は台無しになっちゃうと思う。だから、水田わさびは、背中にデカいドラえもんのタトゥーを入れて、一生をドラえもんに捧げるくらいの気持ちになって、今後は精進して行って欲しい。そのくらいの覚悟がなかったら、そのうちにドラえもんは、ニャホニャホタマクローよりも人気がなくなっちゃうんじゃないかって、余計な心配をしてる今日この頃なのだ(笑)
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