野沢直子の夏
沖縄は大雨で大変だったみたいだけど、東京は梅雨入りしてから、ほとんど雨らしい雨が降らない。午前中だけ降ったりってのはあったけど、それよりも、ただ湿度と気温だけが高くて、蒸し蒸ししてる日が多い。梅雨なのに雨が降らないのって、まるで、クシャミが出そうなのに、なかなか出なくて、フガフガしてる時みたいで、すごくイヤな気分になる。こんな、あたしの気分はともかく、農業関係の人たちは、ホントに困ってると思う。
暖冬とかは、地球温暖化が原因で、人間の責任だって言ってる人もいるけど、梅雨なのに雨が降らない「空梅雨」は、昔からあったことだから、自然なことなんだろう。だけど、中途半端なことが嫌いなあたしとしては、「降るなら降る!」ってしてくれないと、どうにも気分が良くない。やっぱり、生暖かい黒南風(くろはえ)が吹き、梅雨に入り、長い雨がしとしとと降り続き、やっと梅雨が明けて、カラッと晴れ渡り、気持ちのいい白南風(しらはえ)が吹き抜けて、初めて、「イ〜チ!ニ〜イ!サ〜ン!夏だぁ〜!」って気分になる。
もちろん、暦の上では、梅雨に入る前から夏だし、気温も十分に夏だし、お洋服も夏物を着てるし、夏のメークをしてるし、街はすで夏のヨソオイなんだけど、やっぱり、気分的に夏って感じるのは、梅雨が明けてからだと思う。だから、あたしが、本格的な夏の到来を感じるのは、「梅雨明け」であって、そのためには、梅雨にちゃんと雨が降ってくれないと、イマイチ、夏の気分に切り替わらない。
だけど、「梅雨明け」以外にも、あたしが、本格的な夏の到来を感じるものがある。それが、中華屋さんに掛かる「冷し中華始めました」の札や貼り紙と、「野沢直子」だ。前にも書いたことがあるけど、毎年、夏になると、生活費を稼ぐために、アメリカからニポンにやって来る野沢直子が、あちこちの番組に顔を出し始めると、「ああ、夏だなぁ〜」って気分になる。そして、野沢直子の顔を見なくなると、「ああ、もう秋なんだなぁ〜」って気分になる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?(笑)
‥‥そんなワケで、去年、「野沢直子」を夏のプライベート季語、「野沢の名残り」を初秋のプライベート季語にしたんだけど、去年の日記を読んでない人のために簡単に説明しておくと、「野沢の名残り」って言うのは、夏が過ぎて、野沢直子がアメリカに帰ったあとに放送される録画番組で、野沢直子の顔を見た時に感じる、倦怠感や脱力感から哀感までを表す季語だ。
俳句の季語の役目は、第一に季感を表すことだから、歳時記に掲載されていない言葉でも、その言葉を聞いた人の多くが、春とか、夏とか、同じ季節を思い浮かべることができたら、その言葉は、季語になりうる資質を備えてるってことになる。もちろん、そう言う言葉は、ちゃんとした俳句の会では通用しないけど、仲間うちで遊んでる時には、いくらでも使える。実際、「サザンオールスターズ」や「チューブ」を夏の新季語、「ユーミン」や「山下達郎」を冬の新季語にしてる俳句のグループもあるくらいで、ようするに、「サザンオールスターズ」と言われた時に、多くの人が「夏」って思えば、季語として成り立つってことなのだ。
だけど、あたしの感覚だと、チューブは間違いなく夏だと思うけど、サザンオールスターズには、夏だけじゃなくて、夏が過ぎたあとの寂しさを歌った曲も多いと思うし、ユーミンは、冬って言うよりも、春とか夏のイメージがあるし、山下達郎は、「クリスマスイヴ」だけで冬って決められちゃったみたいだけど、それ以外の曲って、夏の曲が多いと思う。
結局、ポップスを歌ってれば、チューブみたいな特殊なグループは別として、決まった季節の曲ばかりをリリースするワケにも行かないだろうし、長年、活動していれば、春の曲、夏の曲、秋の曲、冬の曲って、ひと通りは作るもんだと思う。だから、結局は、山下達郎みたいに、その中の一番有名な曲のイメージだけで季節を決められちゃうんだと思うけど、そしたら、今後、山下達郎が、たとえば、春の曲をリリースして、それが、「クリスマスイヴ」を超える大ヒットになっちゃったら、どうするんだろう? 今度は、「山下達郎」を春の季語に変更するんだろうか?だけど、そうすると、それまでに、「山下達郎」を冬の季語として詠まれた俳句と、混乱しちゃう。だから、こう言った固有名詞って、実際の季語になって、歳時記に掲載されることは、まず無い。あくまでも、仲間うちだけで、面白がって遊ぶための「季語モドキ」なのだ。
これらの新季語と比べると、あたしの考え出した「野沢直子」は、毎年、今の時季にニポンにやって来て、夏の終わりにアメリカへと帰って行くと言う、まさしく、渡り鳥のような生活をしている。そして、テレビやラジオに野沢直子が出始めると、「夏だなぁ〜」って感じる。これこそが、季語の本意なのだ。
サザンオールスターズは、別に夏じゃなくても、いつでも聴こえて来る。だから、「夏だからサザンオールスターズを聴こう」って人はいるかも知れないけど、「サザンオールスターズが聴こえて来たから夏だ」って感じる人は少ないと思う。だけど、野沢直子の場合は、「夏だから野沢直子を見よう」なんて思う人はいないだろう。そうじゃなくて、「野沢直子を見かけるようになって来たから夏だ」って感じるのがスジミチだ。これは、セミの声に夏を感じるのと同じで、「夏だからセミの声を聞こう」じゃなくて、「セミの声が聞こえて来たから夏だ」ってことで、ジージージージーうるさいセミも、ギャーギャーギャーギャーうるさい野沢直子も、同じように、夏の風物詩なのだ。
‥‥そんなワケで、梅雨なのに雨が少なくて、何だかスッキリしない毎日だけど、今日、某テレビ局の通路で、野沢直子と第1次接近遭遇をしちゃったあたしとしては、グッと夏の到来を感じることができた。これから、色んな番組で、野沢直子の、地面に落ちたアブラゼミの断末魔の鳴き声のようなを騒ぎっぷりを見るたびに、どんどん夏の気分が高まって行くことだろう‥‥なんて思ってる今日この頃なのだ(笑)
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