マニクールに乾杯
あたしのお腹の手術の痕、ずいぶん目立たなくなって来たんだけど、それでも、まだビキニは着れないから、1着だけ持ってるワンピの水着を出してみた。何年も前に流行ったハイレグの白の水着で、とても今は着れないけど、他には持ってないから、イザとなったら、これを着るしかないかな‥‥なんて思ってたら、取り外しできるバストのカップのストラップが、1ヶ所、ヨレヨレで切れそうになってて、もう限界みたいだった。カップがなければシャラポアになっちゃうけど、ヌーブラをつけてから水着を着るから問題ないかな? だけど、ヌーブラの上にカップ無しの水着を直接着たら、絶対にヌーブラをつけてるってことが世界まる見えテレビ特捜部になっちゃうから、やっぱ、水着のカップは必要だな‥‥なんて思いつつ、そう言えば、ずっと使ってないレオタードがあったけど、そのレオタードのカップも、確か同じようなタイプだったから、水着に使えるかも知れない‥‥ってことになって、あたしは、レオタードを探した。
そして、やっとのことでレオタードを見つけたんだけど、カンジンのカップが、四隅にフック付きのストラップがついた同じようなタイプなのに、微妙にストラップの位置とか長さとかが違くて、そのままじゃ流用はできなかった。だけど、あたしの苦手な裁縫をすれば、何とかなりそうな感じだった。別に、どこかに泳ぎに行く予定があるワケじゃないし、ただ、夏だから水着をチェキしてただけなので、ソーキューにどうこうってワケじゃないから、どうでもいいって言えばどうでもいいことなんだけど、とりあえずは、必要に迫られたら何とかしようってことで落ち着いた。
それで、せっかくレオタードが見つかったので、ナニゲに着てみたら、これがヤタラとラクチンで、寝るまでずっとレオタードで過ごすことになった。せっかくだから、腰にスカーフを巻いてみたりして、ストレッチをしてみたり、お魚にエサをあげてみたり、ヨーガをしてみたり、マルちゃんの沖縄そばを食べてみたり、覚えたてのMAXの「ニライカナイ」を踊ってみたり、ガリガリ君のコーラ味を食べてみたり、俳句を詠んでみたり、ソファーに寝転がって、つげ義春の「貧困旅行記」を読んでみたりしてるうちに、F1の第10戦、フランスGPの放送時間が迫って来た今日この頃、皆さん、相変わらずモータースポーツには興味が無いですか?(笑)
‥‥そんなワケで、ゆうべは、F1の第10戦のフランスGPと、そのあとに、Fポンの第5戦の鈴鹿もあるので、あたし的にも、小さいきっこたち的にも、ワクワクドキドキのワクドキナイトだったのだ。その上、ハッと気づけば、あたしはレオタードを着てるし、あと、お酒とオツマミを用意すれば、完全に観戦モードじゃん(笑)‥‥てなワケで、あたしは、モヤシをサッと湯通ししてから冷水にあけて、ラー油とお醤油で和えたのを作った。ホントは、ハムを細く切ったのを入れると美味しいんだけど、残念ながら、家にはそんな高級食材はないので、1袋19円のモヤシを半分使っただけだ。それから、冷蔵庫からチクワの煮物を出して、キュウリのキューちゃんを出して、焼酎のロックを用意して、準備完了!
とは言っても、また、いつものように、スターティンググリッドを流して、レースの展開を書いて行っても、F1に興味の無い人にはつまんないだろうし、F1に興味のある人なら、すでにレースを見て知ってることだから、今回は、ちょっと切り口を変えて、裏話的な感じのことを書いて行こうと思う。
‥‥そんなワケで、今回のF1、フランスGPは、ワインでオナジミのブルゴーニュ地方にある、マニクールサーキットで行われたんだけど、ここは、すごい田舎で、周りに何も無いことで有名なサーキットだ。今回、初めてここにやって来たレッドブル・レーシングチームのメカニックたちは、「噂には聞いてたけど、ホントに何も無いとこだな! レストランも何も無いどころか、オレたちの宿舎は、ホテルじゃなくて湖畔のログハウスだぜ! 周りにはまったく人家が無くて、住んでるのは蚊だけだよ! こんなド田舎のコースを皇帝シューマッハ様がホントに走るのかね?」って呆れ返ってたそうだ。だけど、あたしから見ると、ブルゴーニュ地方の湖畔のログハウスなんて、すごくステキって思うんだけど、やっぱ、避暑に来てるワケじゃないから、何も無いと困るんだろうね。
レッドブル・レーシングチームのスポンサーの「レッドブル」って言うのは、赤い闘牛のマークの栄養ドリンクなんだけど、カフェインとかの含有量の問題で、フランスでは販売できないことになってる。それで、F1ニュースによると、メカニックたちが、「レッドブル」を販売できないフランスの悪口を言うのは、スポンサーに対するオベンチャラだって書かれていた(笑)
それから、今回のフランスGPは、40年ぶりに、1人もフランス人ドライバーがいないレースになった。ニポンGPで、すべて外国人ドライバーなのと、佐藤琢磨が走るのとでは、ミーハーたちの騒ぎっぷりが違うと思うけど、自国ドライバーの有無は、そんな感じなんだろう。フランス人ドライバーって言うと、セナのライバルでもあった、あたしの大好きなアラン・プロストや、後藤久美子と結婚したジャン・アレジなどを思い起こすけど、一番最近まで、老体にムチ打って走ってたのは、トヨタのオリビエ・パニスだ。
パニスは、去年のニポンGPを最後に引退して、今はトヨタのテストドライバーをしてるけど、1人もフランス人ドライバーが出場しない今回のGPに対するチームの計らいで、サードドライバーのリカルド・ゾンタに代わって、特別にパニスが金曜日のフリー走行のステアリングを握ることになった。このイキな計らいに、詰めかけた地元のファンたちは大喜びで、パニス本人も、「去年まで一緒に走ってた仲間たちと、こうして走ることができて、ホントに幸せだったよ。この機会を与えたくれたチームに感謝して、今後は、また、テストドライバーとして、チームに貢献して行きたいと思う。」ってコメントした。うう〜ん、いい話だねぇ〜。
オリビエ・パニスは、1966年生まれの38才、今年の誕生日で39才になる。あまりにも過酷なF1の世界では、第一線では活躍できない年令だ。パニスは、93年にF3000で優勝して、翌年に、リジェからF1デビューした。94年と言えば、シューマッハがベネトンに乗ってて、バリチェロはジョーダンに乗ってて、あたしの大好きだったF1界のスーパーマリオ、マンセルも、ウィリアムズに乗ってたし、ニポン人ドライバーは、片山右京がティレルに乗ってた。あと、フェラーリは、アレジとラリーニだった。この辺の名前を聞けば、「ああ〜」って感じで思い出す人もいると思う。ちなみに、マンセルは、この年にチームとイザコザを起こしちゃって、シーズンの途中で引退しちゃった。
パニスがデビューした翌年、95年には、鈴木亜久里がリジェに入り、パニスのチームメイトになる。だから、サードドライバーまで含めると、ティレルの右京、リジェの亜久里、フットワークアロウズの井上隆智穂と、なんと、ニポン人ドライバーが3人もいると言う、100年先まで二度と無いであろう奇跡が起こった。亜久里はすぐに辞めちゃったし、井上隆智穂も出番の無いまま消えてったけど、このあと、中野信治や高木虎之介など、ニポン人がチョロチョロと出て来るようになった。
話は戻って、この「リジェ」って言うチームは、爆竜戦隊アバレンジャーに出て来る、いつも寝てる女の子のことじゃなくて、「ギ・リジェ」って言う大昔のF1ドライバーが作ったチームなんだけど、パニスがデビューしてから3年後の96年に、財政難からチームを手放すことになる。そして、このチームを買い取ったのが、アラン・プロストなのだ。
パニスは、リジェの最後の年、96年には、雨のモナコで生涯たった一度の優勝をしてるし、97年に、チーム・プロストのドライバーとして再出発してからも、初戦のオーストラリアで5位、2戦目のブラジルで3位、次のアルゼンチンはリタイアしたけれど、続くサンマリノで8位、モナコでは4位、スペインでは2位と、完走すればすべてポイント圏内の素晴らしい走りを見せた。だけど、第7戦のカナダで、大クラッシュして、両足を骨折すると言う不幸に見舞われ、このあとの7レースの欠場を余儀なくされた。でも、15戦目のルクセンブルグで復帰すると、すぐに6位入賞。次のニポンはリタイアしたけど、最終戦のヨーロッパでは、7位に入賞した。つまり、出場できた10レースのうち、7レースも入賞しているのだ。だから、事故さえなくて、全レース出場できていたら、素晴らしい成績を残していただろう。
だけど、コイズミのセリフじゃないけど、人生いろいろで、このパニスの事故のオカゲで、チャンスを掴んだ男もいる。それが、現在、トヨタで大活躍中のヤルノ・トゥルーリだ。今回のフランスGPでは、予選で2位、決勝で5位に入り、ドライバーズポイントでも、皇帝シューマッハに続いての堂々の4位、今をときめくトゥルーリは、今から8年前、両足を骨折したパニスの代わりに走るチャンスを得て、そこで好成績を叩き出したことが、現在の成功のキッカケになったのだ。そして、その、トゥルーリが活躍するトヨタで、現役を引退したパニスがテストドライバーを務め、トゥルーリのためにマシンのテストを繰り返してるって言うのも、不思議な巡り合わせって言えるだろう。
さて、骨折と言うアクシデントで、7レースを欠場したパニスだけど、出場できたレースの成績が良かったために、この97年は、何とかシリーズ9位に食い込むことができた。だけど、チームの力不足から、98年、99年と、2年連続で1ポイントも獲得できず、ついに、パニスは、チームを去る決意をする。やっぱり、どんなにがんばっても、いいマシンに乗れなきゃ、勝つことはできないからだ。
そして、2000年には、1年間、浪人をして、マクラーレンのテストドライバーを務め、2001年に、ようやく、BARホンダのシートを獲得した。だけど、どんなにがんばっても、マシントラブルに見舞われたりすることが多くて、パッとした成績があげられなかった。そして、2003年に、現在のトヨタへと移籍して、最年長ドライバーとしてがんばったんだけど、このころは、フェラーリやマクラーレンとのマシンの差が歴然としてたので、良くても5位入賞どまりで、成績は低迷した。気の毒なのは、パニスがトヨタに移籍したとたんに、それまでトラブル続きだったBARホンダのマシンが嘘みたいに良くなって、コンスタントに上位入賞を果たすようになったってことだ。だから、もしも、移籍しないで、そのままBARホンダに乗ってたら、もっといい成績を残せたかも知れない。
そして、パニスは、去年の鈴鹿で現役を引退し、チームのテストドライバーとなったワケだ。鮮烈なデビューのワリには、後半はパッとしなかった現役人生だけど、それでも、中嶋悟をはじめ、一度も優勝できずに去って行った多くのニポン人ドライバーたちと比べたら、14番グリッドからのスタートから優勝をもぎ取った96年のモナコを筆頭に、数々の思い出に残る名勝負を繰り広げて来てくれたパニスは、素晴らしいドライバーだった。
‥‥そんなワケで、今回は、フランスGPのことは何も書いてないけど、結果だけチョロっと触れると、優勝はポール・トゥ・ウィンのアロンソ(ルノー)、2位はライコネン(マクラーレン)、3位はシューマッハ兄(フェラーリ)で、以下、バトン(BARホンダ)、トゥルーリ(トヨタ)、フィジケラ(ルノー)、シューマッハ弟(トヨタ)、ヴィルヌーブ(ザウバー)までがポイント獲得。あたしの応援してるバリチェロは、あと一歩の9位だった。そして、最後の表彰台で、ちょっと楽しいハプニングが起こった。プレゼンターとして登場したアラン・プロストに向かって、3位のシューマッハ兄が、シャンパンをかけるマネをしてドッキリさせたのだ。あのお堅いドイツ人のシューマッハ兄が、フランスに対しての感謝を そして、かつての王者に対するリスペクトを ジョークを交えて表した瞬間だった。この時ばかりは、あんまり好きじゃないシューマッハ兄のことを あたしは、ちょっぴり好きになった今日この頃なのだ。
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