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2005.07.25

魚ごっこ

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今日、あたしのお仕事は夕方に終わったんだけど、仲間からのSOSで、それから品川のスタジオに駆けつけて、夜9時過ぎまでお手伝いをしてた。それで、帰って来たのは10時過ぎだったんだけど、玄関のドアを開けたとたん、あたしの目に飛び込んで来たのは、散乱した靴の箱だった。積み上げてあった靴の箱が、昼間の地震で崩れたみたいで、ドミノ倒しのあとみたいに散乱してた。他にも、リビングのテレビの横に高く積み上げてあったVも、崩れて散乱してるし、それどころか、テレビの上のビデオデッキやDVDデッキが、ナナメになって、あとちょっとで落っこちそうになってた。何かが壊れたワケじゃないし、これと言った実害はなかったけど、散乱した靴の箱やVを元通りに積み上げるのだって、寝不足でクタクタに疲れてるあたしとっては、そうとうヘビーな重労働だ。恐るべし! アースシェイカー!

疲れた体に女王様のムチを打って、散乱してたものを片付けたあたしは、駐車場の猫たちの様子を見に行って、お魚たちの様子も見て、それから、やっとシャワーを浴びてホッとしたら、もう夜中になってた。だけど、今夜は、徹夜でやる作業があるので、寝ることができない。それで、濃いコーヒーをいれて、パソコンの前に座った。それからも明け方まで3時間半、あたしは、アニマル浜口並みの気合いで、何とか作業を終えた。そして、朝6時に目覚ましをセットして、2時間だけ仮眠した。何でかって言うと、MAXの「ニライカナイ」のPVの配信が日曜日のお昼までなので、1回でも多く観ておくためだ。それで、朝の6時に起きて、お昼まで、繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し「ニライカナイ」を観続けた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、自由が丘に、あたしがタマに行くロック系の飲み屋さんがある。あたしにとっては、大切な隠れ家だし、有名なミュージシャンが色々と来るお店なので、残念ながら名前は紹介できないんだけど、もう、10年くらい通ってるので、ひとりでも飲みに行くことができる。だから、自由が丘にお買い物に行って、ちょっと遅い時間になってたら、カフェでお茶を飲むよりは、このお店に寄ってビールを飲んだりする。

すごく思い出に残ってるのは、今から5年ほど前のことだ。ヨーコと自由が丘でパチンコをしてて、2人とも勝ったので、それからお買い物をして、夕方からカラオケに行った。それで、カラオケでケッコー飲んだんだけど、ヨーコがまだ飲み足りないって言うので、このお店に行った。あたしもヨーコもテンションが上がり切ってて、ジンのロックを飲みながら盛り上がってた。それで、あたしは、お店のマスターに、ボ・ガンボスの「魚ごっこ」をリクエストした。この歌は、ユルユル感が大好きで、カラオケでも良く歌う。それで、マスターは、すぐに「魚ごっこ」をかけてくれて、盛り上がってたあたしとヨーコは、他のお客さんのことなんかお構いなしに、CDと一緒になって、「魚になって〜お水に住んで〜いい〜気持ち〜♪」って歌ってた。そしたら、マスターがあたしのとこに来て、ボソッとこう言った。


 「知ってます? どんとさん、亡くなったんですよ。」


あたしは、マスターが何を言ってるのか、すぐには理解できなかった。冗談を言うような人じゃないし、冗談だとしたら、どこに笑いのツボがあるのか分からない冗談だし。そして、口をポカンと開けてた(と思う)あたしに向かって、マスターは続けた。


 「3日くらい前に、旅行先のハワイで亡くなったそうです。」


ここで、あたしは、冗談じゃないってことが分かった。知らない人のために、リトル説明しとくと、「どんと」ってのは、ボ・ガンボスのボーカルで、これまた、あたしの大好きだったバンド、「ZELDA」のリーダーでベーシストだった小嶋さちほのダンナさんだ。あたしは、ボ・ガンボスも大好きだし、ZELDAも大好きだったので、どんとと小嶋さちほが結婚したって聞いた時には、すごく嬉しかった。それで、バンドを解散してからは、沖縄に移住したので、ホントにステキなカップルだって思ってた。

それで、この時点では、「ハワイで亡くなった」ってこと以外、詳しいことは何も分からなかったんだけど、あとからチョロっと分かったのは、2000年の1月の名古屋ライブを終えたあと、奥さんの小嶋さちほと、2人の子供、そして、お友達の桑名晴子(桑名正博の妹)たちと一緒に、ハワイに旅行に行って、現地のカフェで、突然、脳内出血で倒れたってことが分かった。それで、すぐに病院に運ばれたんだけど、6日後の1月28日に、亡くなったそうだ。享年37才、あまりにも若過ぎる。

小嶋さちほの腕の中で、どんとの魂は肉体を離れ、遥かニライカナイ(極楽浄土)へと旅立って行った。その見事な様子に、小嶋さちほは、「お見事!」と言って、手を合わせたそうだ。どんとは、現地のハワイで火葬され、お墓が無いので、違灰は、ハワイを始め、沖縄、江ノ島、和歌山、伊豆下田など、どんとにユカリのあった海に還された。肉体が無くなったどんとは、肩にワシを乗せて、ニライカナイとこっちの世界とを行ったり来たりしてるって、沖縄のユタさんは言っている。まあ、この辺のことは、あたしには良く分かんないけど、ホントに死んだあとの世界があるんなら、生きてるうちからアレコレと想像したり心配したりしてたって無意味だから、死んでからのお楽しみってことにしといて、今は、生きることに専念しようと思う。

‥‥そんなワケで、ZELDAと言えば、ニポンで一番のレディースバンドだったから、あたしみたいにバンドをやってた女子にとっては、憧れ&神様的な存在だった。あたしの場合は、何よりもプリプリが好きだったけど、それは子供だったからで、もうちょっと大人になってからは、ZELDAはもちろん、小嶋さちほと、ZELDAのボーカルの高橋佐代子の別ユニット、「招き猫カゲキ団」も大好きだった。高校の時に、先輩が、「招き猫カゲキ団」のレコードをくれたので、あたしは、そのレコードを聴くために、テントウムシの形のレコードプレイヤーまで買ったくらいだ(笑) ちなみに、そのレコードは、なんかプレミアがついてて、高く売れるみたいなんだけど、大好きなレコードだから手放すことができなくて、今でも大切に持ってる今日この頃なのだ。

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