京大俳句事件
昭和12年(1937年)の7月7日の夜、中国、北京の郊外にある蘆溝橋(ろこうきょう)で、ニポンの駐屯軍第1部隊と、中国第29師団とが衝突した。いわゆる、「蘆溝橋事件」ってヤツだ。それで、一度は現地協定が成立して、事件は解決したかに見えたんだけど、その後のニポン軍のあまりにもヒドイ態度が原因で、全面戦争へと発展しちゃった。そして、日華事変、北支事変、支那事変って名前を変えながら、戦争はどんどんエスカレートして行き、ついに、昭和16年(1941年)の12月、太平洋戦争へと突入しちゃった。
「イチキューヨンイチ」って言えば、ブルースブラザーズのカタワレで、コカインのやりすぎで死んじゃったジョン・ベルーシが出てた映画、「1941」もあるし、プレステのソフトでも「大戦略1941」とかもあるし、MAXファンのあたし的には「TORA TORA TORA」ってワケで、どうしても「真珠湾攻撃」のイメージが強くて、ニポン対アメリカって感じが先行しちゃう。もうちょっと詳しく言うと、ニポン、ドイツ、イタリアの資本主義の洗脳チームと、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国の連合国チームとの戦争なんだけど、ニポンとしては、1941年よりもずっと前から、中国と戦争してたワケだ。
‥‥なんて書いたところで、戦争に関するあたしの知識なんて、中学の教科書で習った程度なので、戦争マニア、軍事マニア、自衛隊マニアの人たちの専門的な知識には、かなうワケがない。それに、最近の「反中ブーム」で、過去の戦争に興味を持って色々と勉強してる人も多いだろうから、平和主義者のあたしとしては、出るマクは無い。だから、戦争に関する難しいことは、ネット上にウヨウヨと氾濫してる無責任なニワカ専門家たちに任せとくとして、あたしは、あたしの視点から、戦時下のニポンについて書いてみようと思う今日この頃、皆さん、戦争はお好きですか?
‥‥そんなワケで、昭和初期のニポンは、完全な軍事国家で、天皇陛下は神様だし、国民の思想や言論は弾圧されてるし、ヘタなことを言ったらそれだけで逮捕されちゃうような、北朝鮮みたいなファッキンな国だった。オマケに、警察も、今みたいにワイロでどうにでもなるようなユルユルの警察じゃなくて、特別高等警察、略して「トッコー」って呼ばれた洗脳軍人みたいなのがいて、何も悪いことをしてなくても、「目つきが悪い」とか「態度が怪しい」って言うだけで一般市民を逮捕して、恐ろしい拷問を繰り返してた。ホントに、北朝鮮と同じだね。
もちろん、俳句の世界にも、今じゃ考えられないような言論弾圧が日常チャーハンで、ギャグかと思われるようなことが当たり前に行なわれてた。たとえば、俳句には季語が必要だけど、国が、使っていい季語と悪い季語を決めてて、使っちゃダメな季語で俳句を詠むと、それだけで逮捕されて拷問されたのだ。一例をあげると、冬の季語で「枯菊(かれぎく)」ってのがあるんだけど、これは、戦争中は使っちゃいけない季語だったのだ。その理由が、「菊」は天皇陛下を表わすから、その菊が枯れているとはケシカラン!ってことなんだって。アホか?
今から何年か前に、イスラム諸国に輸出してた三菱パジェロのタイヤのミゾのデザインが、偶然、アラビア文字の「アラー」って文字に似てたからって、イスラム教の人たちが、「神様の名前で地面を走るとはナニゴトだ!」って騒ぎ出して、結局、すべてのタイヤをタダで交換させられたって言うオレオレ詐欺みたいな出来事があったけど、アホらしさのレベルとしては、この「枯菊」も同じだろう。
咲いている花しか「美しい」と感じない鈍感なアングロサクソンと違って、ニポン人には、散りゆく花や枯れた花にも「美しさ」を見出す感性があるワケで、この、はかなさや切なさと表裏一体になった「美しさ」こそが、ニポン独特のワビやサビの心なのだ。だから、枯れた菊には、きれいに咲いている菊とは違った美しさがあるワケで、この感性こそが、ニポン人のニポン人たるユエンなのだ。それなのに、天皇陛下がどうのなんて言うくだらない理由で、ニポン固有の美意識を否定するなんて、こう言うデタラメを強要する国家こそが、ニポンを冒涜してる愚か者なのだ。「枯菊」の美しさも分かんないようなニブイ野郎が、ニポンや天皇陛下を語るな!
だけど、こんな当たり前の理屈も、戦時下って言う異常な状況だと、まったく通用しない。さらに、警察官や軍人になるようなヤツラなんか、もともと偏った思想に洗脳されてる単細胞生物ばかりだから、文学の「ブ」の字も分からない。そして、こう言ったヤツラってのは、自分の理解を超えたものに対しては、とてつもない恐怖を感じる。で、自分の理解を超えたものに対しては、とにかく何でもカタッパシから逮捕して、拷問して、反体制の危険分子に仕立て上げなきゃ安心できない小心者ばかりなのだ。
‥‥そんなワケで、昭和初期は、それまでの、五七五の定型に季語を入れた「伝統俳句」に対して、疑問を持つ俳人たちが出て来て、あえて季語を使わなかったり、抽象的な表現をする「新興俳句」が盛んになって来た時期だ。そして、意味の分かりやすい伝統俳句と比べると、新しい言い回しや実験的な表現を多用する新興俳句は、意味の分かりずらいものがたくさんあった。たとえれば、伝統俳句が写生画で、新興俳句が抽象画ってワケだ。実際に、例句をひいたほうが分かりやすいと思うので、伝統俳句の高濱虚子(きょし)の句と、新興俳句の富澤赤黄男(かきお)の句を並べてみる。
遠山に日の当りたる枯野かな 虚子
蝶墜ちて大音響の結氷期 赤黄男
虚子の句は、誰にでも意味が通じると思うけど、赤黄男の句は、良く分からないと思う。ようするに、見たものを見たままに写生した虚子の句は、誰にでも同じような景色が見えて来るけど、抽象的な表現を取り入れた赤黄男の句は、漠然としたイメージしか伝わって来ないし、読み手ひとりひとりの感覚によって、見えて来る景色が様々なのだ。
だから、高濱虚子を中心にして、分かりやすい伝統俳句を実践してた俳句結社、「ホトトギス」は良かったんだけど、難解な新興俳句を実践してた「京大俳句」は、警察に目をつけられちゃったのだ。別に、反体制的なことなんかぜんぜん書いてないし、ただ純粋に文芸としての俳句を熱心に勉強してただけなのに、難解な新興俳句の数々は、頭の悪い軍国主義者たちには、何か恐ろしい呪文のように感じられたのだろう。つまりは、オツムの足りないトッコーどもは、自分たちに理解できないものは、ナンでもカンでもカタッパシから、とりあえずビール‥‥じゃなくて、とりあえず弾圧ってノリになっちゃったのだ。
そして、昭和15年の2月15日に、トッコーのアホどもは、「京大俳句」の幹部の8人、京都の井上白文地、中村三山、宮崎戎人、中村春雄、辻祐三、神戸の平畑静塔、波止影夫、東京の仁智栄坊をいっせいに不当逮捕したのだ。これが、俳句史上、最大で最悪の言論弾圧事件、「京大俳句事件」の始まりだった。そして、第2次の検挙で、東京の石橋辰之助、杉村聖林子、三谷昭、渡辺白泉、大阪の和田辺水楼、淡路の堀内薫が不当逮捕され、第3次の検挙で、西東三鬼が不当逮捕され、第4次の検挙で、島田青峰、東京三(秋元不死男)、古家榧夫、藤田初巳、中台春嶺、小西兼尾、細谷源二、林三郎、平沢英一郎、栗林一石路、橋本夢道、横山林二、神代藤平が不当逮捕された。
この、洗脳警察によるデタラメな逮捕は、どんどんエスカレートして行き、第4次の検挙になるころには、もはや「京大俳句」のみならず、どこの俳句結社に所属していようとも、ちょっとでもおかしな俳句を詠んでいる俳人がいれば、すぐに「赤い俳人」と言うレッテルを貼り、カタッパシから逮捕したのだ。ここで、「洗脳警察」って言う言葉を見て、すぐに「頭脳警察」を思い浮かべちゃった人たちは、もしも今が昭和15年だったら、それだけの理由で逮捕されちゃっただろう(笑)
この、正気とは思えないトッコーどもの呆れ果てた魔女狩りによって、何の罪もない俳人たちが不当逮捕され、ノミやシラミだらけのブタ箱に1年も2年も留置され、連日、取調べと言う名の拷問を受け続けた。有名な秋元不死男は、当時は「東 京三」って俳号だったんだけど、たとえば、こんな句がある。
冬空をふりかぶり鉄を打つ男 京三
この句に対して、トッコーのアホは、「鉄と言うのは資本主義のことで、プロレタリアがそれを叩き潰すと言う意味なんだろう?」ってナンクセをつけて、何日も何日も京三を詰問したのだ。こんなデタラメがまかり通るんなら、すべての俳句は、ぜんぶダメじゃん。たとえば、松尾芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」だって、「民衆たちを扇動して、資本主義と言う古い池に飛びこんで引っ掻きまわそうとするクーデターの句だ!」ってことになっちゃうし、正岡子規の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」だって、「赤い柿を食べれば鐘が鳴るって言うのは、共産主義バンザイの句だ!」ってことになっちゃう。
もっとヒドイのは、平沢英一郎、栗林一石路、橋本夢道たち、「自由律俳句」をやってた俳人たちだ。自由律俳句って言うのは、五七五で17音て言う俳句の定型にこだわらずに、たった4音でもいいし、30音でもいいし、自由な音律で詠む新興俳句のひとつだ。俳句に興味の無い人でも、種田山頭火や尾崎放哉の名前くらいは知ってるだろう。で、彼らの逮捕理由なんだけど、これがビックル飲みまくりで、なんと、「自由律俳句の『自由』とは、もっとも危険な思想である!」ってんだから、開いた口からエクトプラズムが出て来て幽体離脱しちゃった上に、つのだじろうが恐怖新聞と聖教新聞と報知新聞をマトメて配達に来ちゃうよ、まったく(笑)
俳句作品の内容は何も関係なくて、ただ単に、「自由」って名前がついた文芸をやってただけで逮捕されちゃうんなら、自由が丘に住んでるだけでも逮捕されちゃうし、自由形で泳いだだけでも逮捕されちゃうよ。こんなメチャクチャな理由で、何の罪も無い人たちを逮捕して、1年も2年も不潔なブタ箱に閉じ込めた上に、純粋な文芸活動を弾圧しただけでなく、人間としての尊厳を踏みにじり、人生をメチャクチャにするなんて、北朝鮮と同じって言うか、北朝鮮以下じゃん。
‥‥そんなワケで、最近のコイズミの狂気とも思える独裁っぷりや、完全にコイズミの「喜び組」になっちゃってる小池百合子環境破壊大臣の洗脳っぷりを見てると、昭和初期のファッキンな軍国主義を再現してるようで、セスジがゾッとする。ちなみに、何で「セスジ」ってカタカナで書いたのかって言うと、漢字で「背筋」って書くと、「ハイキン」って読む人がいそうだと思ったからだ‥‥なんて細かいとこにも気配りしつつ、何でも自由に発言できる今のニポンがある限り、「きっこの日記」は続いて行くし、もしも、人権擁護とは名ばかりの「言論弾圧法案」が施行されちゃって、ホントに昭和初期の軍国主義が再来しちゃったら、「きっこの日記」は「きっこのメルマガ」に移行して、もっと過激なことをすべて実名で書いて行こうと思う今日この頃なのだ(笑)
| 固定リンク