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2005.08.06

こぎつねキッコの盗作事件簿

18840174 あたしは、宮沢賢治の童話や小説が好きなんだけど、「銀河鉄道の夜」とか「どんぐりと山猫」とか「よだかの星」とか「注文の多い料理店」とか「猫の事務所」とか「貝の火」とか「セロ弾きのゴーシュ」とか「クスコーブドリの伝記」とか、誰でもひとつかふたつは読んだことがあると思う。そんな中で、特別な思いがあるのが、「風の又三郎」だ。

 

 

 どっどどどどうど どどうど どどう、

 

 青いくるみも吹きとばせ

 

 すっぱいかりんもふきとばせ

 

 どっどどどどうど どどうど どどう

 

 

あたしは、小学校の高学年の時、「風の又三郎」を読んで、どうしてもうまく言葉で説明できない、不思議な感覚を覚えた。今なら、それが、誰の心の中にも眠ってる郷愁のようなものだってことが分かるんだけど、子供の時には、その感覚を上手に言葉で説明することができなかった。エタイの知れない恐怖と、恐いものみたさの好奇心と、初めて来た場所なのに、ずっと前に来たことがあるようなデジャブー感覚と、そんな感じの感覚が入り混じって生まれる郷愁が、行間から感じられたのだ。そして、何よりも、あたしの気持ちを惹きつけたのが、夏休みが終わって、みんなが小学校にやって来て、転校して来た又三郎と出会う、冒頭の9月1日の次のシーンだ。

 

 

 「わあ、おらの机代ってるぞ。」

 

 「わあ、おらの机さ石かけ入ってるぞ。」

 

 「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れて来たぢゃあ。」

 

 「わあい、さの、木ぺん借せ、木ぺん借せったら。」

 

 「わぁがない。ひとの雑記帳とってって。」

 

 

「キッコ」は、男の子だ。あとのほうで、「喜っこぅ」って言う表記も出て来るので、たぶん「喜蔵」のことだと思う。だけど、「風の又三郎」では、キッコはちょこっとしか出て来ない。そんなキッコが、主役をやってる物語が、「みじかい木ペン」だ。宮沢賢治の作品の中では、ワリとマイナーな部類だけど、この物語は、「風の又三郎」とつながってるのだ。「木ペン」ってのは鉛筆のことなんだけど、自動的に正しい答えを書いちゃう魔法の鉛筆を手に入れたキッコの物語で、この「風の又三郎」の子供たちの会話のシーンは、「みじかい木ペン」を読んだ人にだけ分かるように書かれてる今日この頃、皆さん、サスガに「みじかい木ペン」までは読んでないですか?(笑)

 

 

‥‥そんなワケで、天下の宮沢賢治作品をはじめとして、「キッコ」は、色んな物語に登場する。これも、小学校の高学年の時に読んだんだけど、「びんの中のこどもたち」って言う物語があって、作者は覚えてないので、今、調べてみたら、「大海 赫」って人だった。この物語では、キッコは、ちゃんと女の子だ。それで、ある日、お姉ちゃんたちが何者かに誘拐されちゃって、末っ子のキッコが、ひとりで探しに行く。そして、怪しいと睨んだ男のマンションに忍び込むんだけど、実は、この男が悪魔で、キッコは見つかっちゃって、薬で眠らされて、気がつくと小さくされてて、ビンの中に入れられちゃうのだ。

 

ここから、あたしの中にいる「小さいきっこたち」って概念が生まれたんだけど、このお話のキッコは、ビンの中でノミに勉強を教わったりするくらいだから、ものすごく小さい。だけど、あたしの「小さいきっこ」は、あたしの12分の1のスケールって設定なので、身長は、13.4cmだ。あたしの耳とか口からゾロゾロと出て来る時には、もっと小さくて、外に出た時点で13.4cmになるって言う、都合のいいキャラだ。小さいきっこは、ぜんぶで約50人いて、その下に、見習いの「小さいきっこセピア」のメンバーが20人くらいいる。

 

‥‥そんなワケで、他には、2004年の7月21日の日記で紹介した、絵本の「きつねのきっこ」のシリーズがある。これは大好きなので、ぜんぶ持ってるんだけど、このシリーズとは別の絵本で、「こぎつねキッコ」ってのもある。「きつねのきっこ」は、こいでやすこの絵本だけど、「こぎつねキッコ」のほうは、お話が松野正子、絵が梶山俊夫で、「こぎつねキッコ」「こぎつねキッコ あめふりのまき」「こぎつねキッコ うんどうかいのまき」「こぎつねキッコ えんそくのまき」「こぎつねキッコ おとまり会のまき」などがあって、「きつねのきっこ」とは、ぜんぜん別のシリーズだ。やっぱり、「キツネ」に名前をつけようとすると、「キッコ」って思いつく人が多いのかな?

 

ちなみに、この「こぎつねキッコ」のシリーズは、今は発売してないんだけど、人気のあるシリーズだから、そのうち、また再版すると思う。あたしは、図書館で読んだんだけど、淋しくて悪いことをしちゃうキッコと、そのキッコをあたたかく包む母さんの姿に、ジーンとしちゃう絵本だ。

 

さて、ここまでは、ワリとほのぼのと進んで来た今日の日記だけど、ここから先は、ガラッと変わって、恥も外聞も無い犯罪集団、「立正佼成会」を叩くことにする。あたしは、頭のイカレタ新興宗教なんかに騙されるほどオメデタクないし、自分ことは、ちゃんと自分で決めて生きてるから、インチキ宗教なんかに依存してる他力本願なバカどもには、まったく興味も無い。だけど、創価学会や立正佼成会みたいに、金儲けのために平然と犯罪を犯してる反社会的な集団に対しては、これ以上、被害者を増やさないために、厳しく取り上げて行く。

 

‥‥そんなワケで、立正佼成会の専属の「佼成出版社」が発売してる「創作仏教絵本シリーズ」って言う、子供たちを洗脳するための恐ろしい絵本の中に、呆れたことに、「こぎつねキッコ」がある。だけど、この「こぎつねキッコ」って、ちょっと変なのだ。お話も、絵も、普通の「こぎつねキッコ」とは違うのだ。それで、調べてみたら、お話を書いてるのが、本間正樹、絵を描いてるのが、みやもとただおって人だった。ようするに、昔からある「こぎつねキッコ」とは、文も絵も別の人なのだ。たとえば、お話は同じ作者で、絵だけを別の人が描いた新しい絵本てのなら分かるけど、これはいったい、どう言うことだろう?

 

それで、どんなお話かって言うと、山で母さんとふたりで暮らしてるキッコは、ある日、ふもとの村へ遊びに行く。それで、キツネのぬいぐるみで遊んでる村の子供たちを見つけた。その様子を見ていたキッコは、そのぬいぐるみが欲しくなる。そしたら、子供たちは、そのぬいぐるみを落として行ってしまった。キッコは、黙ってそのぬいぐるみを拾って、山に帰って行く。母さんに、そのぬいぐるみはどうしたのかと聞かれたキッコは、別の場所で拾ったとウソをついた。だけど、何日かするうちに、自分のウソにつらくなったキッコは、ホントのことを母さんに打ち明ける。母さんはキッコを抱きしめ、そして、一緒にぬいぐるみを村に返しに行く‥‥ってお話だ。

 

そして、今度は、松野正子と梶山俊夫のほうだけど、2作目の「こぎつねキッコ あめふりのまき」ってのは、どんなお話かって言うと、山で母さんとふたりで暮らしてるキッコは、ある雨の日、幼稚園の子供たちが傘をさしてるのを見て、自分も傘を欲しくなる。だけど、母さんに、「きつねはかさはいらないの」と言われてしまう。それでも、傘が欲しかったキッコは、幼稚園の運動場に赤い傘が忘れてあるのを見つけて、黙ってその傘を拾って、山に帰って行く。母さんに、その赤い傘はどうしたのかと聞かれたキッコは、別の場所で拾ったとウソをついた。だけど、何日かするうちに、自分のウソにつらくなったキッコは、ホントのことを母さんに打ち明ける。母さんはキッコを抱きしめ、そして、一緒に傘を幼稚園に返しに行く‥‥って、おいおいおいおーーーーーーい! 「傘」と「ぬいぐるみ」が違うだけで、あとはソックリじゃん!

 

ちなみに、松野正子の「こぎつねキッコ あめふりのまき」は、1993年6月の発行、本間正樹の「こぎつねキッコ」は、2002年4月の発行だ。それで、あたしは、知り合いの大手出版社の人に、この事実を知らせて、裏をとってもらった。そしたら、その人が言うには、「こぎつねキッコ あめふりのまき」を出版してた「童心社」の著作権関連のデスクに問い合わせたところ、「立正佼成会がそのような行為をしていたとは、今までまったく知りませんでした。タイトルも同じ、内容もそっくりでは、完全に盗作です。すぐに法的措置を取りたいと思います。知らせていただき、ありがとうございました。」とのことだった。

 

‥‥そんなワケで、立正佼成会の「創作仏教絵本シリーズ」は、絵は色んな人が描いてるけど、お話はぜんぶ本間正樹って人が書いている。だけど、それにしちゃあ、あまりにもバラエティーに富んでて、とても同じ作家が書いたとは思えないラインナップなのだ。普通は、同じ作家が書いてれば、その作家のカラーってもんが出るはずだけど、この洗脳シリーズには、そんなカラーなど無い。つまり、「こぎつねキッコ」が盗作である以上、他の絵本だって、色んな作家の作品を盗作してる可能性が高いってことだ。もちろん、盗作が、「こぎつねキッコ」だけだとしたって大変な問題だけど、何作もの盗作が発覚したとなれば、あたしは、本間正樹のことを「絵本界の安倍なつみ」として、これから徹底的に糾弾してやろうと思う今日この頃なのだ(笑)

 

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