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2005.08.21

線香花火

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今日は、地元の花火大会だった。「二子玉川の花火大会」って言えば、何年か前までは、とっても大きなイベントで、地元だけじゃなく、色んなとこからたくさんの人が見に来て、帰りの時間には、駅が大パニックになった。地元の商店街は、とにかく大モリアガリで、酒屋さんの前には、氷を浮かべた大きなケースに缶ビールが山のように冷やしてあり、焼き鳥屋さんの前には、焼いたそばからパックに入れた焼き鳥が積まれ、他の色んなお店も、お弁当やお菓子や色んなものをお店の前に並べて売っていた。

居酒屋さんの前では、中に入り切れない人達が、ビールケースや板を並べてテーブルやイスを作り、花火が始まる1時間も2時間も前から、みんなガンガン飲んでた。女の子2人で、浴衣で商店街を歩くと、魚屋のおじさん、八百屋さんのお兄さん、薬局の若社長、色んな人たちが「飲んでけよ!」って声を掛けてくれて、あっちで1杯、こっちで1杯なんて感じで、すごく楽しかった。中には、花火が始まるころには、ベロベロに酔っぱらって道端で寝ちゃう人もいて、とにかくすごいイベントだった。

だけど、コイズミが総理大臣になって、お金持ちや大企業だけを優遇し、中小企業や個人商店にばかり負担を押しつける弱者イジメの政策を始めてからは、高島屋がどんどん大きくなる反面、地元の商店街のケーキ屋さんが潰れ、衣料品店が潰れ、居酒屋さんが潰れ、うなぎ屋さんが潰れ、何とか生き残った商店も、花火大会などのレクリエーションにはお金を出せなくなって来た。そして、2万発だった花火は、半分の1万発になり、6000発になり、ついに今年は中止になった。

二子玉川の花火大会は、多摩川をはさんで、東京都側の世田谷区の花火大会と、神奈川県側の川崎市の花火大会が、別々の日にあった。だけど、何年か前からは、それぞれの規模が小さくなって来たために、合同でやるようになった。それなのに、今日の花火大会は、ついに世田谷区のほうが中止になっちゃったので、川崎市のほうだけで6000発揚げただけだった。だから、すごく寂しかったし、アッと言う間に終わっちゃった今日この頃、皆さん、この夏は花火を楽しみましたか?


‥‥そんなワケで、今日は、あたしのマンションの屋上で、母さんと一緒に花火を見た。花火大会は、一応、夜の7時から8時までの1時間てことになってるんだけど、実質的には、普通の花火大会みたいにバンバン打ち揚げてたら、30分もしないで終わっちゃう数の花火で、それを1時間掛けてやるワケだから、ドンと打ち揚げてパンとひらいたら、しばらくシーンとしてて、それから次のが、ドン、パン、シーン‥‥ドン、パン、シーン‥‥って感じだ。だから、すごく退屈だし、ウッカリしてると見逃しちゃう。最後だけは、他の花火大会と同じように、何発も連続でパンパンパンパンパンパーンってやったんだけど、それもイマイチ小規模で、「え?もう終わり?」って感じだった。母さんも、「ずいぶん寂しい花火大会になっちゃったね〜」って言ってた。

でも、あたしには、ちょっとした作戦があった。それは、花火大会が終わったら、母さんと線香花火をやろうと思って、コッソリと用意してたのだ。母さんは、線香花火が大好きで、あたしも大好きなんだけど、もう何年も、一緒にやったことはなかった。それで、一緒にやろうと思って、買っておいたのだ。あたしが、「母さん、これ、一緒にやろう!」って言って線香花火を出すと、母さんは、「あら、まあ!」って言って、喜んでくれた。そして、マンションの屋上の隅っこのほうの風が来ないとこで、2人でしゃがんで、線香花火に火をつけた。子供のころの線香花火は、すごく細かくてきれいな日本製だったけど、今のはザツな中国製で、あんまり情緒がない。だけど、母さんと2人で向かい合ってやってると、子供のころに戻ったような気持ちになって来る。

あたしが小学校5年生の時に、任天堂のファミコンが発売された。もちろん、子供には買えるような値段じゃなかったし、たとえ、お金を持ってたとしても、品不足で何ヶ月待ちとか、やっと入荷しても、欲しくないソフトとの抱き合わせ商法とかで、なかなか手に入らない状態だった。だけど、クラスでは何人かが買ってもらってて、ファミコンを持ってる子は、それだけで人気者だった。それで、6年生になったころには、クラスの3分の1くらいの子がファミコンを持ってるような状態になって、あたしの仲良しグループの中にも、持ってる子が2人もいた。

それで、学校が終わると、そのどっちかの子の家に遊びに行って、やらせてもらったりしてた。まだ、「スーパーマリオ」が出る前で、最初の「マリオブラザーズ」とかの時代で、あたしは、「ドンキーコングJR」と「テニス」が好きだった。それから、「スーパーマリオ」が発売になって、ものすごい大ブームになって、ファミコンを持ってる子の数もどんどん増えて来た。休み時間には、ファミコンを持ってる子たちは、「どこそこの階段でカメを踏んで無限アップする」とか、そんな話しをしてて、あたしは、すごくうらやましかった。

そして、6年生の2学期の半ばを過ぎたころ、母さんが、「きみこ、今年のお誕生日は、何か欲しいものはあるの?」って聞いて来た。あたしのお誕生日は11月なので、毎年、クリスマスと合体させて、母さんは、ちょっと値段の高いものを買ってくれてた。あたしにとっては、「お誕生日+クリスマス」ってのは、1年で1度だけ、自分のほうからリクエストしたものを買ってもらえる時だった。だけど、それまでは、リカちゃんとか、ネコのぬいぐるみとかを買ってもらってたので、子供ながらに、ソフトと合わせたら2万円以上もするファミコンなんか、とても欲しいなんて言い出せなかった。

それで、欲しいものがあるのに、言い出せないあたしの気持ちを見透かしたのか、母さんは、「何でも言っていいんだよ」って言ってくれた。それで、あたしは、「すごく高いんだけど、ファミコンとスーパーマリオが欲しいの。クラスの子はみんな持ってるの。」って言ってしまった。ホントは、クラスで持ってる子は半分以下なのに、あたしは、高いものをリクエストする心苦しさから、つい、変な嘘をついてしまった。でも、母さんは、「ファミコンとスーパーマリオだね?分かったよ。」って言ってくれた。あたしは、天にも昇るほど嬉しくて、お誕生日までは、まだ1ヶ月以上もあるのに、次の日には学校で、仲良しみんなに、「ファミコンを買ってもらえる」ってことをしゃべりまくった。次の日も、次の日も‥‥。

だから、お誕生日が近づいて来ると、お友達のほうから、「きーちゃん、もうじきだね!」なんて言ってくれて、あたしも、「うん!」なんて答えてた。だけど、あたしのお誕生日が近づいて来ると、母さんの様子がおかしくなって来て、何だか元気がない。「母さん、どうしたの?」って聞いても、「何でもないよ。」って言うんだけど、いつもより会話が少なくて、元気がない。

お誕生日の前の晩、あたしは、この家のどこかに、あたしのファミコンとスーパーマリオが隠してあって、あたしが寝てる間に、母さんがマクラモトに置いてくれるんだ‥‥明日の朝、目が覚めると、ファミコンとスーパーマリオが置いてあるんだ‥‥って思うと、コーフンしてなかなか眠れなかった。母さんが元気ないのは心配だったけど、嬉しい気持ちのほうが大きくて、遠足の前の晩よりもコーフンしてた。

‥‥だけど、次の朝、目が覚めたあたしが見たものは、フクロ状のラッピングにリボンが結んであるプレゼントで、手で持ってみたら軽くて、明らかにファミコンじゃないことは開けなくても分かった。あたしは、キツネにつままれたみたいな気分でリボンを解き、中を見た。中には、30cmくらいのスヌーピーのぬいぐるみと、手作りのカードが入ってた。カードを開くと、「きみこ、お誕生日おめでとう! 約束のものじゃなくて、ごめんね。来年は必ずプレゼントするから、本当にごめんね。」って書いてあった。

ふと気がつくと、台所からトントンと包丁の音が聞こえてたので、あたしは、そのプレゼントのフクロを持って台所へ行き、母さんに、すごくヒドイことを言ってしまった。そして、そのプレゼントを投げつけてしまった。この時の気持ちは、今でもうまく説明できないんだけど、あたしの頭の中は、ファミコンを買ってもらえなかった悲しみよりも、「クラスのお友達に何て言おう」ってことでいっぱいで、あたしはお布団にもぐって、大泣きした。

すぐに母さんが飛んで来て、お布団の上からあたしを抱きしめて、「ごめんね‥‥ごめんね‥‥」って謝るんだけど、あたしはおさまらなかった。自分で言うのもナンだけど、あたしは、何よりも母さんが好きで、母さんが大切で、この時まで、こんなワガママを言ったことはなかった。欲しいものがあっても、自分からは言わなかったし、クラスで流行ってて、みんなが持ってるものでも、欲しがったりしなかった。だけど、自分では分かってやってたつもりだったんだけど、ホントは、すごくガマンしてて、それがずっと溜まってて、今までのガマンがぜんぶまとめて爆発しちゃったみたいで、あたしは、ずっと泣き続けた。

でも、学校を休むワケには行かず、あたしは、母さんに諭されて、泣きはらした真っ赤な目で、学校に行った。下を向いたままトボトボと歩いて行くと、いつもの駐車場の角のとこに、仲良しの2人が待ってて、あたしを見つけるなり、「おはよう!きーちゃん、ファミコンは?」って聞いて来た。あたしは、何も言えずに、下を向いていた。そして、あたしの真っ赤な目を見て、2人は、「どうしたの?」って言った。

この日は、ホントに長い1日だった。あたしは、色んなお友達からファミコンのことを聞かれ、何も言えずに下を向いてるあたしに代わって、何となく状況を察してる2人のお友達が、「そのことには触れないように」って感じのことを伝えてくれてた。あたしは、ホントに、すぐにでも走って帰りたい気持ちで、「その場にいたたまれない」って言う感情を初めて経験した。

そのお友達2人は、あたしのことを心配して、いつもは駐車場の角のとこで別れるのに、この日は、あたしのお家の前までついて来てくれた。でも、あたしは、少しでも早くひとりになりたくて、せっかく送って来てくれたのに、ロクにお礼も言わずに、お家に飛び込んだ。母さんは、まだお仕事で、帰って来るのは、暗くなってからだ。あたしの勉強机の上には、スヌーピーとカードがきちんと置いてあった。そして、その横にメモがあって、「タナにカブキアゲがあるからね」って書いてあった。

ここで、あたしは初めて、母さんにヒドイことを言ってしまったこと、スヌーピーを投げつけてしまったことを後悔した。何だか、色んな感情がゴチャマゼになって、また、涙が止まらなくなった。さんざん泣いて、もう涙が出なくなるほど泣いて、泣くことに疲れ果てたら、少し気持ちが落ち着いて来た。そしたら、今度は、ムショウに母さんに会いたくなった。1分1秒でも早く母さんに会って、「ごめんなさい」って言いたかった。

でも、母さんは、いつもの時間になっても、帰って来なかった。あたしは、すごく心配になって、何度も何度も時計を見た。そして、あたしの不安が限界になりそうになった時、玄関が開く音がして、「ただいま〜!」って言う母さんの声が聞こえた。あたしは、玄関まで走って行き、母さんの胸に飛び込んで、泣きながら、何度も「ごめんなさい」って謝った。母さんは、何も言わずに抱きしめてくれて、頭を撫でてくれた。

そして、ちょっと遅い晩ご飯を食べるころには、昨日までと何も変わらない、母さんとあたしに戻ってた。ご飯を食べ終わって、あたしが食器を流しへ運び終わると、母さんが、「きみこ、これ、一緒にやろう!」って言って、バッグから線香花火を取り出した。あとから分かったんだけど、母さんは、線香花火を買うために、近くのお店に行ったんだけど、もう閉まってて、それで、遅い時間まで開いてるちょっと遠いお店まで行ったので、帰りが遅くなったそうだ。

線香花火って言っても、きれいな紙がコヨリみたいになってるヤツじゃなくて、細い竹の串みたいなのの先っぽに、マッチみたいに火薬がついてるヤツだ。でも、今の線香花火と違って、パチパチと弾ける火花がすごく細かくて、だんだんに柳みたいに変化してって、最後に丸いカタマリから、パチッ‥‥パチパチッ‥‥って余韻の火花が出る、昔の美しいヤツだ。母さんとあたしは、玄関の前にしゃがんで、季節はずれの線香花火に火をつけた。そして、いつものように、どっちが最後まで燃え続けるか、競争した。何度も、何度も、線香花火が無くなるまで‥‥。

‥‥そんなワケで、マンションの屋上の隅っこで、パチパチと燃え続けてた2つの線香花火の火は、その光の中に、懐かしくて、切なくて、鼻の奥がツンとするような思い出を浮かび上がらせてくれた。だけど、このことは、あたしが思い出しただけで、母さんには話してない。だから、母さんも思い出したのかも知れないし、忘れてるのかも知れない。ただ、線香花火が終わって、あたしのお部屋で一緒に晩ご飯を食べてた時に、母さんは、あたしのドレッサーの隣りの棚に置いてある、ずいぶんくたびれたスヌーピーのぬいぐるみをチラッと見たような気がする今日この頃なのだ‥‥。

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