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2005.09.08

セミが鳴いた日

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白黒ブチのマックスは、あたしにお土産を持って来てくれる‥‥って話は前に書いた。その時は、シッポのちぎれたヤモリを持って来たって話だったと思うけど、先月は、アブラゼミが多かった。ぜんぶで、5回か6回くらい、朝、ドアを開けると、足元にアブラゼミが置いてあった。それが、完全に死んでるんならいいんだけど、まだちょっと生きてて、「ジジ‥‥ジジ‥‥」って鳴いてたりする。もっと困るのは、オスかメスか知らないけど、セミって、どっちかが鳴かないらしいんだけど、その鳴かないほうのヤツで、ちょっと生きてるヤツを置かれてた時だ。裏返しになって、シーンとしてるから、てっきり死んでるんだと思って、拾おうとした瞬間に、ビビビビッ!って動き出して、あたしは、その場にシリモチをつくほどビックルを飲みまくっちゃう。これは、マジで心臓に悪い。

とにかく、完全に死んでるんなら、すぐに植え込みに埋めることができるんだけど、まだ生きてると、埋めるワケにも行かない。でも、これからお仕事に行くとこなのに、セミが死ぬまで待ってる時間も無い。だからって、殺すことはできない。それで、結局、コワゴワとセミを拾って、何かの空き箱とかに入れて玄関に置いといて、帰って来てから死んでるのを確認して、それから埋めるしかない。だから、マックスがあたしに何かをプレゼントしたいって思ってくれてる気持ちは嬉しいし、わざわざ2階まで階段を上がって来てくれるのも嬉しいんだけど、実際には、すごく困る。できることなら、セミとかヤモリとかじゃなくて、お金とかビール券とかを拾って来てくれるとアリガタイんだけど‥‥なんて思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?(笑)


‥‥そんなワケで、なんでこんなことを書いたのかって言うと、今朝、久しぶりにドアの前にセミが置いてあったんだけど、それが、アブラゼミじゃなくて、ツクツクボウシだったのだ。俳句では、アブラゼミをはじめ、ほとんどのセミは夏の季語なんだけど、ツクツクボウシとヒグラシだけは、秋の季語に分類されてる。それで、あたしは、「秋になったんだなぁ〜」ってシミジミと感じた。

暦の上では、8月8日の立秋から秋になるけど、暦の立春や立秋は旧暦のままだから、実際の季節とは1ヶ月以上の誤差がある。だから、真夏の一番暑い時季に立秋があるなんて言うおかしなことになってるワケで、ホントなら、今ごろが立秋なのだ。正確に言うと、今年の場合は、9月11日の選挙の投票日が、ホントの立秋にあたる。そして、マトモな国民たちがコイズミを引きずりおろさなければ、秋どころか、この国は完全に冬の時代に入ってしまうのだ‥‥なんてことも言ってみつつ、セミって言えば、松尾芭蕉の有名な句を思い出す。


  閑さや岩にしみ入る蝉の声  芭蕉


ホントは、「しみ入る」じゃなくて「しみ入」って書いてあるし、「声」も難しい漢字を使ってるんだけど、現代人には読みにくいから、一応、送り仮名を振ったり、今の漢字にしてみた。それで、この句なんだけど、芭蕉がこの句を詠んだのは、46才の時の有名な旅、「おくのほそ道」で、ちょうど折り返し地点の辺りだ。尾花沢で紅花畑を見て、そのあと地元の人たちと句会をひらいたりして、それから大石田までの山道の途中、立石寺(りっしゃくじ)って言う山寺で詠んだ句だ。今で言えば、宮城県から山形県へ向かう山越えルートで、やっと山形に入った辺りにあるお寺だ。それで、日付けはと言うと、元禄2年(1689年)5月27日、新暦に直すと、7月13日ってことになる。

でも、サスガの芭蕉だって、そんなに簡単に名句をポンポンと詠めるワケはなく、この時に詠んだのは、ホントは、「山寺や石にしみつく蝉の声」って言う、たいしたことない句だった。それから、「さびしさや岩にしみ込む蝉の声」って言う句に直して、最終的に、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」になったってワケだ。一番のポイントとしては、真ん中の部分の表現が、「しみつく」「しみ込む」「しみ入る」って変化して来てる点だ。「しみつく」よりも「しみ込む」のほうが味わいがあるし、「しみ込む」よりも「しみ入る」のほうが、もっと深みが出る。この流れを見ると、芭蕉の言語センスの良さが良く分かる。

「おくのほそ道」には、「山形領に立石寺と云ふ山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。日いまだ暮ず。麓の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。岩に巌を重て山とし、松栢年旧、土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て、物の音きこえず。岸をめぐり、岩を這て、仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。」なんて書いてあるから、セミが鳴いてるのにも関わらず、シーンとした静寂をも感じるって言う芭蕉の句のイメージが伝わって来る。

‥‥そんなワケで、この芭蕉の句に出て来るセミは、いったいどんな声で鳴いてたんだろうか? ミンミンゼミの「ミーンミーン」なのか、アブラゼミの「ジージー」なのか、クマゼミの「シャーシャー」なのか‥‥。そして、ツクツクボウシの「オーシーツクツク」やヒグラシの「カナカナカナカナ」だったら、今で言えば、秋の句ってことになる。

それで、昭和初期のことなんだけど、医者で歌人の斎藤茂吉(もきち)は、この句のセミを「ジージー」と鳴くアブラゼミだと言い、それに対して、ドイツ文学者で文芸評論家の小宮豊隆(とよたか)は、「ニイニイ」と鳴くニイニイゼミだと反論した。血気盛んな2人は、お互いに一歩も譲らず、口角泡を飛ばしながら大論争を繰り広げた。「ジージーだ!」「いや、ニイニイだ!」って言う、この子供のケンカみたいな、否、ジーさんとニイちゃんのケンカみたいな言い争いは、収拾がつかなくなっちゃって、結局、芭蕉がこの句を詠んだ時季に現場まで行き、実際に調べてみることになったのだ。

そして、芭蕉がこの句を詠んだ7月13日(旧暦の5月27日)に、山形県の山奥にある立石寺まで足を運んだ斎藤茂吉は、その時季、自分の住んでた東京では当たり前のアブラゼミが、まだ涼しいその地域には全然いなかったと言う事実を知ることになる。しかも、アブラゼミが1匹もいなかっただけじゃなく、茂吉の頭上では、小宮豊隆の勝利を祝福するかのような、ニイニイニイニイと言う大合唱が‥‥。それで、芭蕉の句のセミは「ニイニイゼミ」だったってことが判明して、茂吉はイサギヨク、豊隆に頭を下げたのだった。そして、昭和中期に入ると、今度はこんな句が登場する。


  蝉の声怒る茂吉を敬はむ  波郷


この石田波郷(はきょう)の句は、もちろん、茂吉と豊隆のセミ論議について詠っているもので、最初は頭から湯気を立てて自論を展開してた茂吉が、ちゃんと現場検証をしに行って、自分のほうが間違ってたと分かったら、キチンと豊隆に謝ったって言うイサギヨサを讃えているのだ。そして、茂吉と同世代の詩人、松村蒼石(そうせき)は、茂吉の没後に、こんな句を詠んでいる。


  茂吉の墓空蝉はみな背を曲げて  蒼石


「空蝉(うつせみ)」ってのは、セミのヌケガラのことで、これは、お盆に茂吉のお墓参りにいったら、あちこちにセミのヌケガラがあったって句だ。だけど、それだけじゃなくて、この句の鑑賞のポイントは、「みな背を曲げて」って部分にある。セミのヌケガラなら、どれも背中が曲がってるのは当たり前で、それなのに、あえてその当たり前のことを言ってるってことは、この表現に、何か別の意味を持たせてるワケだ。それが、どんな意味なのかって言うと、「空蝉」は「現人(うつしおみ)」の転じた言葉で、「現人」ってのは、「死んだ人」「あの世の人」に対する「生きてる人」「この世の人」って意味の言葉だ。つまり、死んだ茂吉に対して、この世に残ってる多くの人たちが、「みな背を曲げて」いる、ようするに、「深々とお辞儀をしてる」って意味なのだ。だから、この句は、茂吉に対するリスペクトの句ってことになる。

‥‥そんなワケで、今から300年以上も前に詠まれた芭蕉の句を巡って、今から80年前に茂吉と豊隆が熱い論議を繰り広げ、今から50年前に波郷がその様子を俳句に詠み、そして現代になって、あたしが、それらの流れをこの「きっこの日記」に書いてるワケだけど、最初の芭蕉の「おくのほそ道」自体が、今から800年前の西行法師の旅を追ったものなんだから、そう考えると、時空を超えた壮大な旅路のように感じる。だけど、西行法師や芭蕉の旅の終着点が、この「きっこの日記」ってワケには行かないから、新暦の立秋、9月11日に行なわれる投票では、良識ある国民たちは一致団結して、絶対に自民党と公明党以外に投票しよう! そうしないと、コイズミ独裁による封建政治が始まり、恐怖の言論弾圧によって、セミも鳴けないようなファッキンな世の中になり、西行法師や芭蕉の流れも、ここでストップしちゃいそうな今日この頃なのだ。

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