クチボソ撩乱
今朝、いつものように、お魚たちにエサをあげて、食べるとこを見てたら、一番小さいクチボソが見当たらない。大きいクチボソは元気にエサを食べてるし、メダカたちも水面に集まってパクパクと食べてるんだけど、一番小さいクチボソがどこにもいない。大きな石の後ろにも、ブクブクの後ろにも、藻のカゲにも、どこにもいなかった。水槽は、数日前にお掃除したばかりで、ガラスはピカピカだし、お水も透明だし、藻もイキイキとしてる。そして、他のお魚たちはみんな元気に泳いでるのに、一番小さいクチボソだけがどこにもいない。あたしは、キツネにつままれたみたいな気持ちになって、それから、ハッとして、水槽の周りを見た。
そしたら、水槽を置いてる棚の横の隙間で、小さいクチボソが死んでいた。体が乾いてて、飛び出してからずいぶん時間が経ってるみたいだった。あたしが最後に水槽を見たのは、前の日の晩の10時くらいで、その時には小さいクチボソもいたから、あたしが寝てる間に飛び出したのだ。水槽の上は、3分の1は濾過器が塞いでて、残りの部分には透明のプラスティックのフタをしてるんだけど、その隙間が1cmくらいある。だから、そこから飛び出したとしか考えられない。
もともとは、水槽にフタなんかしてなかったんだけど、今年の5月にオスのクチボソの顔に追星(おいぼし)が現われて、メスを追いかけ回したり、オス同士でケンカをするようになって、時々、パシャッてジャンプしたりするようになったので、あたしは、念のためにフタをすることにした。だけど、ちゃんとしたフタじゃなくて、透明のプラスティックの板を乗せてるだけだった。隙間ができないように、ちゃんとしたフタを作っておくべきだった‥‥なんて思っても、もう遅い今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、小さいクチボソって言っても、3年近くも飼ってたので、あたしはすごく落ち込んだ。でも、悲しかったけど、不思議と涙は出なかった。そして、ティッシュに包んで、駐車場の脇の植え込みに埋めて、ガリガリ君の棒を立てた。それで、あたしは、そのままお仕事に行ったんだけど、帰って来て、夜、お魚たちにエサをあげる時になって、初めてちょっぴり涙が出た。
あたしは、子供のころ、お祭りの夜店の金魚掬いでとって来た金魚を飼ってて、何度も死なせたことがある。エサのあげ過ぎだったのか、お水をきちんと換えなかったのか、どんな原因で死んだのかは分からないけど、何匹かいたうちの1匹が、ある日、お腹を上にして浮かんでいるのだ。それで、泣きながらお墓を作って埋めるんだけど、また、しばらくすると、1匹浮かんで死んでいる。結局、5〜6匹くらいいたうちの半分くらいは、その年のうちに死んでしまう。そして、次の年の夏に、また金魚掬いをして何匹か足すんだけど、そのうちの何匹かは、また同じように死んでしまう。
今みたいな、ブクブクや濾過器やヒーターまで装備してる大きな水槽じゃなくて、普通の金魚鉢だから、2日おきに汲み置きしておいたお水を半分くらい入れ換えるんだけど、どんなに一生懸命に世話をしても、どうしても何匹かは死んでしまう。だけど、世話って言っても、金魚鉢の中にビー玉やオハジキを入れてきれいにしてあげることも金魚のためだなんて思ってた時期だから、ちゃんと金魚のことを理解して世話してたとは言えないだろう。母さんは、「金魚掬いの金魚は最初から弱ってるからね‥‥」なんて言ってなぐさめてくれたけど、きっと、あたしが罪悪感を持たないように、気づかってくれたんだと思う。
あたしは、子供のころ、好きな金魚と嫌いな金魚がいた。好きな金魚がエサを食べると嬉しくて、嫌いな金魚が好きな金魚のエサを横取りして食べたりすると、金魚鉢に向かって、「こら!」なんて言ってたような記憶がある。金魚の好き嫌いのほとんどは、金魚の色や模様で決めてて、それは、金魚掬いの段階から決まってた。ようするに、好きな模様の金魚を狙って掬うワケだ。だけど、そんなにうまく掬うことはできない。それどころか、1匹も掬えないほうが多い。だから、たいていは、1匹も掬えなかった時におじさんが残念賞みたいな感じで1匹だけくれるので、その時に、「あの、隅っこにいる小さいやつ!」とか、「違う、違う、その隣りの!」とか言いながら、欲しい金魚をとってもらう。
今、考えると、あたしは小さい金魚が好きで、小さい金魚ばかりもらってたから、それで、体が弱くて長生きしなかったのかも知れない。金魚掬いの金魚は、小さいのや中くらいのがたくさん泳いでて、その中に必ず、ヌシみたいな感じのヤタラとデカイのが何匹かいる。たいていは、黒いデメキンだったり、赤と白のマダラのコイみたいなヤツだったりするけど、1匹も掬えなかった時に、「お嬢ちゃん、どれが欲しい?」って聞かれて、「あの大きいデメキン!」って言っても、絶対に「あれはダメだよ。」って言われる。
だいたいからして、小さな金魚だってなかなか掬えないのに、あんなデカイのなんか掬えるワケがない。仮りに、手で捕まえて、それをそっと金魚掬いのポイの上に乗せたとしても、破けて落ちるだろう。そんなことくらい、子供のあたしにも分かってた。だから、何匹か混じってるデカイ金魚は、お店のカンバンみたいな感じの存在で、掬うことも、もらうこともできないって分かってた。だから、あたしは、わざと「あの大きいデメキン!」って言って、断わられたあとに、「じゃあ、あの小さいの」って言ってみたりしてた。どんな心理だったのかは分からないけど、何となく、そうしたほうがおじさんが喜ぶかな?って思い込んでたのかも知れない。
‥‥そんなワケで、金魚と言えば、あたしの大好きな小説のひとつに、岡本かの子の「金魚撩乱」がある。昭和初期の東京、麻布が舞台で、金魚の飼育商を営む男性と、その金魚の飼育場を見下ろす高台の豪邸に住む女性との物語だ。その2人は幼なじみで、子供のころの回想シーンから始まるんだけど、時代が時代だから、身分の違いから普通に接することができない。それで、その反動からか、その女の子に恋心を抱いていた男の子は、執拗な嫌がらせを繰り返す。それも、性的な悪口など、思春期を迎える女の子が一番嫌がるようなことを繰り返す。そして、色んな流れがあって‥‥って言うか、この「色んな流れ」こそが、この小説を芸術へと昇華させてる部分なので、それは書けない。岡本かの子の文章は、絵画のような美しさがあるから、アラスジにしちゃうと、その素晴らしさが伝わらないのだ‥‥なんてことは置いといて、この「金魚撩乱」のラストシーンの美しさ、皮肉さ、妖艶さは、小説なのに、映画のように視覚的に感じられる。サスガ、芸術を爆発させた男の母親だけのことはある(笑)
ちなみに、岡本かの子は歌人で小説家で仏教研究家で、ダンナの岡本一平は漫画家で、一平の父親の岡本竹次郎は書家だから、芸術を爆発させた岡本太郎はサラブレッドってワケだ。さらに、ちなみに、あたしのマンションのすぐそばの二子大橋を渡ると神奈川県になるんだけど、渡った先の道を右に曲がると、すぐのとこに、ちっちゃい公園があって、公園て言うか、ホントは「二子神社」って言う神社なんだけど、限りなく公園チックな神社で、そこに、岡本太郎の作った白いモニュメントがある。白鳥が酔っぱらったみたいな形をしてて、いかにも「岡本太郎」って感じで、「誇り」ってタイトルがついてるんだけど、あんまり「誇り」って感じはしない。だけど、「この誇りを亡き一平とともにかの子に捧ぐ 太郎」って書いてあって、その隣りに、かの子の歌碑もある。
「としとしにわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり」
‥‥って歌が刻んであって、これは、かの子の作品なんだけど、自分の詠んだ歌ってワケじゃなくて、かの子の小説の代表作、「老妓抄(ろうぎしょう)」の中の主人公の老妓が詠んだ歌として、この小説の最後にあげられてる歌だ。だから、作ったのはかの子なんだけど、かの子の生み出した主人公の作品って言う、ちょっと複雑な位置づけの歌ってことになる。だけど、数あるかの子の歌の中で、この歌がかの子の晩年の心境を一番良く表わしてるってことで、歌碑に刻まれることになったのだ。それで、あたしは、この公園が大好きなんだけど、前の道路を大型トラックがひっきりなしに通ってて、排気ガスがものすごくて、とてものんびりしてられない。だから、すごく残念なんだけど、タマにしか行かない。
‥‥そんなワケで、話はクチボソのことに戻るけど、世の中には不思議なことがあるもんで、クチボソが1匹死んで悲しんでたら、地元のお友達から、「飼ってるクチボソの稚魚が大きくなったから、何匹かもらってくれない?」って言う連絡があった。何日か経ってからなら分かるけど、死んだその日だったから、あたしはビックルを飲み干した。聞いてみたら、3cmくらいまで育ったんだけど、数が多過ぎるから、少しもらって欲しいって言うことだった。あたしは喜んで、2匹欲しいって言ったんだけど、もっともらってくれって言うので、3匹にした。お友達は、10匹もらってくれって言うんだけど、クチボソは6cmくらいまで育つから、あたしの水槽だと5匹が限界だ。水槽には、すでに2匹いるから、空席は3つしかないのだ。それで、お友達は、よほど稚魚の数を減らしたかったのか、まるでピザーラのように、電話を切って30分後には、もう届けてくれた。だから、寂しかった水槽はすぐに賑やかになり、まるで「金魚撩乱」のラストシーンのように、クチボソたちがキラキラと泳ぎまわった今日この頃なのだ。
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