遊びをせんとや生まれけむ
某ファッション誌とのコラボレーションで行なわれる銀座の某デパートのクリスマスイベントの打ち合わせと、それに伴ったグラビアと広告の打ち合わせと、別件の某フリーペーパーの集中企画の打ち合わせと、某大手広告代理店の某企画担当者とのプチ打ち合わせが、同じ日にあった。「某」ばっかりで「ボボボーボ・ボーボボ」みたいだけど、ボーッとしてる時間なんかないくらい忙しくて、場所がぜんぶ銀座エリアに集中してたから何とかなったけど、銀座と新橋を早足で歩いて往復したので、歩きすぎて脚が棒になった(笑)
それに、最後の広告代理店の人とのプチ打ち合わせって言うのは、ホントは打ち合わせじゃなくて、あんまり胸を張って言えることじゃないんだけど、実は、あたしは、不倫をしてるのだ‥‥って言っても、佐藤ゆかりの十八番の「不倫」じゃなくて、あたしの場合は、もっと広い意味での「倫理に反すること」ってワケで、ようするに、「広告代理店の該当部署の余った予算を使い切るために、仕事と称したプライベートの飲み食いで経費を使って領収書を集める作業」のお手伝いだ。政治家ほどツラの皮がブ厚ければ、こんなことは日常チャンプルーだろうけど、あたしの場合は、お化粧は厚くても皮膚は薄いから、業界じゃ当たり前のこんなことでも、リトル後ろ髪を引かれちゃう‥‥なんてのは大嘘で、お声が掛かれば「ラッキー!」って感じだ。
だって、テレビ局にしても出版社にしても広告代理店にしても、多くの人たちは、ホントにお仕事の打ち合わせで食事をした場合でも、領収書を白紙でもらって、2倍とか3倍とかの金額を書き込んで経理に請求したり、もっとヒドイ場合には、食事なんかしてないのに、「きっこ家の食卓」の裏ワザで手に入れた白紙の領収書にデタラメな金額を記入して、そのお金を丸々もらったりしてるからだ。そんなのに比べたら、あたしの「不倫」は、ちゃんと食べたぶんの金額の領収書をもらってるし、食事しながらお仕事の話もしてるし、カスピ海くらいの広い心で見れば、ちゃんとした「打ち合わせ」なのだ!‥‥なんて思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あのNHKでさえ、数々の不正が明らかになった去年の11月に、上層部からの命令で各部署の「大掃除」をしたら、色んな人のデスクから白紙の領収書のタバが出て来たんだから、経理がユルユルの民放なんか、やりたい放題の自民党って感じだ。コイズミも、事務所の電話代や切手代などの名目で、毎月100万円前後の経費を二重請求し続けて来て、この20年間で2億円以上もの業務上横領をしてることは国会でも指摘されてるから誰でも知ってると思うけど、それでも、こんな大悪人を支持する国民が50%以上もいるってことは、民主主義の法則に従えば、「ニポンでは二重請求や水増し請求は悪いことじゃない」ってことになる。少なくとも、コイズミ大将軍様の足元にひれふしている多くの自民党支持者たちは、そう判断してるってワケだ。だから、自民党の専属放送局であるNHKも、尊敬するコイズミのマネをして不正三昧なんだろう。
すごく小さなことだけど、たとえば、タクシーの運転手さんが、首都高の割引高速券を金券ショップでマトメ買いしておいて、お客さんが「高速を使ってくれ」って言った時には、その高速券を使って高速に乗るけど、お客さんには正規の高速料金を請求してる。そして、その差額をポケットに入れてる。わずか200円弱のことだけど、これだって会社の経理を通さずにやってることだから、不正と言えば不正だし、あたし的に言えば「不倫」てことになる。だけど、多くの国民に支持されてるコイズミ大先生の素晴らしい政治手腕によって、たった4年で、失業者は50万人も増え、企業倒産は15万件も増え、生活苦による自殺者は10万人を突破して、国の借金は300兆円も増え、ニポンは世界一の借金国になっちゃったんだから、こう言うセコイことでもしなきゃ生活して行けない人たちがいるのは仕方がない。
それに、タクシーの運転手さんが、割引高速券を使って浮かした僅かなお金を生活費の足しにしてるのも、コイズミが、多くの癒着企業から受け取ってるヤミ献金や業務上横領で得た億単位の裏金を政治的な根回しに使ってるのも、金額は雲泥の差だけど、「不正に得たお金を自分のために使う」ってのは同じことだ‥‥なんて書き出すとキリがなくなるし、もうコイズミの話題は飽きて来ちゃったので、グルッと1周してモトに戻すけど、今日のあたしは銀座を歩き回ってた。正確には、「回ってた」ワケじゃなくて、直線的に移動してたんだけど、距離にして5km以上は歩いたと思う。自宅から駅までとか、ビルの中の移動とか、そう言う細かいのもぜんぶ足したら、もしかしたら、7〜8kmくらい歩いたかも知れない。
‥‥そんなワケで、ようやく秋らしい陽気になって来て、オシャレにも気合いが入りまくるアニマル浜口なので、今日はあんまり履く機会のない赤のエナメルのパンプスを履いてた。それが、ヒールは10cmくらいのピンヒールで他のパンプスと同じなんだけど、久しぶりに履いたら何か変な感じで、足がむくんでたのか、靴が硬くなってたのか、どうもシックリ来ない。だけど、シックリ来ないって分かったのは銀座に着いてからだし、別に痛いワケじゃないので、別に問題は無かった。
ただ、どんなにピッタリの靴でも、ほんのちょっとの「遊び」があって、それが歩く時の‥‥何て言うか‥‥何て言うか‥‥何て言うか‥‥うまく説明できないけど、とにかく、あまりにも足と靴がピッタリで、ぜんぜん「遊び」がなくて、その上、早足で歩いてたから、すごく疲れた。だけど、1日履いてたら、パンプスのほうが馴染んで来て、ちょっと「遊び」が出来たので、明日はもう大丈夫だと思う。でも、明日は別の靴を履くと思うけど。
で、この「遊び」ってのは、車の場合だと、「ハンドルの遊び」とか「アクセルの遊び」とか「ブレーキの遊び」とかがあるし、世の中のもので人間に関わるものなら、そのほとんどに「遊び」の要素が含まれてる。たとえば、食べ物の場合なら、ただ単に、人間が生きて行く上でのエネルギー源としてだけの観点から見れば、味も形もどうでもいいことになる。野生の動物みたいに、肉や魚や野菜をそのまま食べてれば生きて行ける。だから、料理して味付けするのは、味覚に対する「遊び」だし、きれいなお皿に美味しそうに盛りつけるのは、視覚に対する「遊び」ってことになる。お洋服だって、ただ単に、防寒て言うだけの観点から見れば、色やデザインなんかどうだっていいワケで、寒くなければ何だってOKってことになる。だから、数え切れないほどのファッションは、すべて「遊び」ってことになる。本を読むのも、テレビを見るのも、音楽を聴くのも、すべて「遊び」ってことになる。
だから、「遊び」って言葉からして何か軽い感じがするし、意味合いからすれば「無くても生きて行けるもの」ってことになるけど、栄養は満点でも美味しくない食べ物を食べて、寒くはないけど北朝鮮の人民服みたいなのを着て、本も読めず、テレビも見れず、音楽も聴けず、それで一生過ごせって言われたら、すごくつまらない人生になっちゃう。つまり、現代では、生きて行くためには必要じゃないのに、生きて行くために必要なものよりも重要視されてるのが、この「遊び」の感覚なのだ。だから、人間が生きて行くために絶対に必要な空気や水を人間自身が「遊び」のために汚染し続けてるのかも知れない。
‥‥そんなワケで、「遊び」って言えば、こんな歌がある。
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけむ
遊ぶ子どもの声きけば
わが身さへこそ揺るがるれ
遊ぶために生まれて来たのか、戯れるために生まれて来たのか、むじゃきに遊ぶ子供たちの声を聞いていると、大人である自分の体までが自然に動き出すような気持ちがして来る‥‥って意味の歌だ。これは、「今様歌(いまよううた)」って言う平安時代末期に誕生した歌謡曲で、「7音+5音」の短句が4つで構成されてる。細かいことを言えば、「遊びをせんとや生まれけむ」と「戯れせんとや生まれけむ」の部分は「8音+5音」だけど、これは、俳句で言うところの「字余り」みたいなもんで、リズムさえ崩れてなければ、1音くらいはオーバーしてもOKだったのだ。他にも、「5・7・5・7・7」の短歌と同じ形式の歌もあったんだけど、この「7・5・7・5・7・5・7・5」のほうが、今様歌としては一般的で代表的なものだった。
テレビやCDはもちろん、電気自体が無かった時代だから、当時は、音楽を聴くにしろ演劇を観るにしろ、クラシックからコンテンポラリーに至るまで、すべてのエンターテインメントはライブだった。そして、それらの中で、庶民から貴族まで幅広くウケていたのは、この今様歌なのだ。ようするに、現代みたいに、世代やライフスタイルや趣味によって、聴く音楽のジャンルが細分化されてたんじゃなくて、何かひとつのものが流行すれば、みんながその流行を受け入れて、楽しんだってワケだ。だから、音楽を提供するミュージシャン側も、アイドル歌手はアイドル歌謡曲を歌う、演歌歌手は演歌を歌う、オペラ歌手はオペラを歌うって言う現代みたいな形じゃなくて、アイドル歌手も演歌歌手もオペラ歌手も、みんな今様歌を歌っていたのだ。
たとえば、琵琶(びわ)などの演奏に合わせて今様歌を歌う歌手もいたし、「傀儡回し(くぐつまわし)」って言う人形劇でも今様歌が歌われてたし、女性が男装して歌ったり踊ったりする「白拍子(しらびょうし)」って言う当時のタカラヅカみたいなミュージカルでも今様歌が歌われてた。ちなみに、すごく有名なところでは、源義経の奥さんの静御前も、元は白拍子で男装をして今様歌を歌ってた当時のアイドル歌手だったのだ。さらに、ちなみに、「ドラえもん」のしずかちゃんの名字が「源」って言うのは、この静御前から来てるんじゃないかって思う。
‥‥そんなワケで、今で言えば、さだまさしと天海祐希とパペットマペットが、同じジャンルの歌謡曲を歌ってたって感じだったから、聴くほうも、年令や身分や職業に関係無く、幅広いの層の人たちにファンがいた。そんな中で、特にこの今様歌にイレコンデたのが、後白河法皇(1127〜1192)で、「いいフナ(1127)釣ろう釣りキチ三平」から「いい国(1192)作ろうキャバクラ幕府」までを生きたスーパー政治家だ。ちなみに、ちょっとダッフンしちゃうけど、「いい国作ろうキャバクラ幕府」って言うのは、ひと昔前までの間違った知識で、今じゃあ「いい箱(1185)作ろうキャバクラ幕府」ってのが常識になってる。
もともとは、後白河法皇が死んで、源頼朝が朝廷から征夷大将軍に命じられたのが1192年だから、この年を「キャバクラ幕府が誕生した年」ってことにしてたけど、キャバクラ幕府の誕生は、頼朝が鎌倉を拠点に南関東を支配した1180年説、頼朝が朝廷から東国支配を認められた1183年説、幕府の機能が整備された1184年説、頼朝が守護、地頭の任免権を手に入れた1185年説、頼朝が右近衛大将になった1190年説、そして、頼朝が征夷大将軍になった1192年説があって、歴史の授業では、この5番目の説を教えてた。だけど、何をもって「政権誕生」とするかって考えた場合に、それまでは東国だけの支配権しか与えられてなかった頼朝が、ニポン全国の支配権を手に入れた1185年こそが、ホントの意味での「キャバクラ幕府誕生」だって見方のほうが、今では一般的になったのだ。
‥‥なんてプチ歴史ネタも折り込みつつ話は戻るけど、後白河法皇がどれくらい今様歌にイレコンデたのかって言うと、「そのかみ十余歳の時より今に至るまで、今様を好みて怠ることなし。遅々たる春の日は、枝に開け庭に散る花を見、鶯の鳴き郭公の語らふ声にもその心を得、粛々たる秋夜、月をもてあそび、虫の声々にあはれを添へ、夏は暑く冬は寒きをかへりみず、四季につけて折りに嫌はず、昼はひねもすうたひ暮らし、夜は夜もすがらうたひ明かさぬ夜はなかりき。」ってなワケで、10才くらいの時から今までずっと、春夏秋冬、昼も夜も、今様歌に夢中だったって言ってる。
後白河法皇にとって今様歌は、ただの趣味を通り越しちゃって、人生そのものみたいになっちゃう。今様歌の女性歌手に弟子入りして、自分も歌を習い、そのうち自分でも歌を作るようになり、さらには、「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」って言う、優れた今様歌を集めたシリーズ本まで作り、ついには、今様歌の第一人者にまでなっちゃった。今日の日記は「ちなみに」が多いんだけど、またまたちなみに、この「梁塵秘抄」の「梁塵」ってのは、「梁(はり)に積もった塵(ちり)」って意味で、中国の故事からの引用だ。どんな故事かって言うと、その昔、中国に素晴らしい美声の持ち主が2人いて、そのうちの1人が、旅の途中で食べ物がなくなり、得意の歌を歌って空腹をしのいだところ、その美声が建物の梁を震わせて、積もってた塵が舞い上がり、3日間もおさまらなかったって言う寓話だ。この故事から、後白河法皇は、美しい歌声を象徴するものとして「梁塵」て言葉を引用して、自分のまとめたシリーズ本のタイトルにしたってワケだ。そして、最初に挙げた「遊びをせんとや〜」って今様歌は、この本に収められてる歌の中で、イチニを争う有名な歌なのだ。だって、あたしが知ってるくらいだから(笑)
‥‥そんなワケで、これだけ聞くと、くだらない歌謡曲にウツツを抜かしてたアホみたいに見える後白河法皇だけど、実際には、78代の二条天皇から82代の後鳥羽天皇までの5代にも渡って、常に武家勢力に抵抗し続けたスゴイ政治家だった。色んな奇策を繰り出して、平家、木曽義仲、義経、奥州藤原氏と、次々と滅ぼして行った。そんな後白河法皇の政治手腕に驚いた頼朝は、「日本国第一の大天狗」って言葉でリスペクトしたくらいだ。つまり、後白河法皇ってのは、趣味の今様歌においても後世に残る大きな仕事をしてるけど、本業の政治においても素晴らしく優れてたスーパーマンだったってワケだ。そう考えると、拉致被害者の家族たちの涙の訴えを無視して、趣味のオペラ鑑賞にウツツを抜かし、挙句の果てには、ステージに上がって「オ〜ソ〜レミ〜ヨ〜」と歌い出し、会場中の失笑を買ったどこかの恥知らずが、虫ケラ以下に思えて来る。だけど、彼の場合は、この国も、国民も、すべてが自分の「遊び」のための道具なんだから、ま、しょうがないか‥‥なんて思う今日この頃なのだ。
| 固定リンク