秋の七草
あたしの住んでる世田谷区って、都会のワリには緑が多くて、それも、公園とか遊歩道みたいな人工的な緑だけじゃなくて、自然のままの緑もいっぱいある。もちろん、ある程度は人間の手が加えられてたり、何らかの管理がされてたりはするんだと思うけど、あたしのマンションから歩いて10分たらずのとこに、カブトムシやクワガタが採れる鎮守の森がある。ちなみに、今、「鎮守の森」って書くために、「鎮守の杜」が正しいのか「鎮守の森」が正しいのかを調べてみたら、「鎮守の杜の中にある森を鎮守の森と呼ぶ」って書いてあったので、ひとつリコウになった。これで、自民党の議員くらいにはなれるかな?(笑)
で、その鎮守の森なんだけど、ある程度のとこまでは、それなりに手入れをしてるみたいなんだけど、山肌に面した部分とかは完全にホッタラカシで、木は伸び放題で、その木にツルが巻きつき放題で、ジャングルみたいになってる。だから、下から眺めることはできるけど、近づくこともできないし、ましてや足を踏み入れるなんて、川口浩探検隊や藤岡弘探検隊でも無理そうで、唯一、入って行けるのは、あるある探検隊くらいだろう‥‥なんてことも言ってみつつ、探検隊の隊長って、なんで「ヒロシ」が多いんだろう?‥‥なんて疑問も持ってみつつ、あたしの場合は、その森どころか、森の入り口の神社までも行くことができない。それは、ものすごーーーーーーく長い石段があって、見上げただけでヒザカックンされちゃったみたいに気持ちになって、とても上る気にならないからだ。実際の話、この15年くらいの間で、3回は上ったことがあるけど、その倍以上は、途中でヘコタレて戻って来てる。だから、上ろうと思って上りきった確率は、ゴジラ松井の今シーズンの打率くらいだと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?(笑)
‥‥そんなワケで、あたしは、地元の神社なのに、ちゃんとお参りしたことはほとんど無いんだけど、その神社のある山のフモトにある民家園には、時々行く。民家園て言うのは、昔のカヤブキ屋根の民家を移築して、展示してる公園みたいなもんで、母屋や資料館の他にも、畑があったり池があったりお散歩コースが出来てたりして、とってもナゴム場所だ。ナゴムと言えば、ナゴムレコードのケラさんは元気かな?‥‥なんてマニアックなことも言ってみたりしつつ、あたしが民家園に行くのは、たいていは俳句のシメキリが近づいて来た時で、自然に囲まれてボーッとしてると、世の中のアレとかコレとかソレとかから開放されて、俳句がどんどん浮かんで来る。
だから、俳句のシメキリが近づいて来た時だけじゃなくて、ただ単にボーッとしたい時にも、タマに行くことがある。それで、今日は、ただ単にボーッとしたかったのと、お仕事が午後イチ上がりだったので、帰りにチョコっと行って来た。何にも考えないでボーッと池を見て、何にも考えないでボーッと花や木を見て、何にも考えないでボーッとブランコを漕いで、30分もしたら、モヤモヤしてた気分がスカッとした。あたしって、なんて安上がりなんだろう(笑)
それで、まだ時間はタップリとあったから、園内のお散歩コースをのんびりと回ってたら、きれいなキキョウが咲いていた。キキョウって、白いのとか淡いピンクのもあるけど、一般的なのは淡いブルーって言うか、淡いパープルのキキョウだ。俳句では「秋の季語」になってるけど、とにかく花期が長くて、早いところでは6月くらいから咲いてるとこもあるし、遅いとこでは10月の下旬まで咲いてるので、植物的に言えば「夏から秋にかけての花」ってことになると思う。ただ、「秋の七草」に含まれてるから、俳句だとどうしても「秋」ってことになる。これは、花期だけの問題じゃなくて、キキョウの見た目の涼しさが「秋」のイメージなので‥‥って言うか、今から1400年以上も前に、山上憶良(やまのうえのおくら)が決めたことだから、黙って従うしかない(笑)
‥‥そんなワケで、万葉集の第8巻、「秋の雑歌(ぞうか)」の中に、山上憶良の「秋の野の花を詠める歌ニ首」がある。
秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七草の花 憶良
萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花 また 藤袴 朝貌の花 〃
2首目の歌は、分かりやすいようにスペースを入れて書いたけど、「はぎのはな おばな くずばな なでしこのはな おみなえし また ふじばかま あさがおのはな」ってことで、山上憶良は、この7種類が、秋を代表する草花だって決めた。そして、それから1000年以上に渡って、たくさんの人たちが色んな「秋の七草」を上げて来たんだけど、結局、山上憶良の七草を超えるものは出て来なかったってワケだ。
だけど、良く見ると、「萩の花」から「藤袴」までの6つはいいけど、カンジンの「キキョウ」が入ってない上に、最後の「朝貌の花」って何だろう?「秋の七草」ってのは、「ハギ、オバナ(ススキ)、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウ」の7種類で、アサガオなんか入ってない‥‥って言うか、それ以前の問題として、中国からニポンにアサガオが入って来たのは西暦900年ころの平安時代だって言われてるので、山上憶良の時代(西暦600年ころ)には、ニポンにアサガオは存在してなかったのだ。
つまり、山上憶良の時代には、何か別の花のことを「朝貌の花」って呼んでたってワケで、結論から先に言っちゃうと、現在の「秋の七草」を見れば分かるように、「キキョウ」のことを「アサガオ」って呼んでたのだ。正確に言うと、ホントのところは分かってなくて、万葉の時代の「アサガオ」は、「キキョウ」だったって説と、「ムクゲ」だったって説と、「ヒルガオ」だったって説があって、その中でもっとも支持されてるのが「キキョウ説」だってことだ。だから、「ムクゲ説」や「ヒルガオ説」が支持されてれば、現在の「秋の七草」は違ってたのだ。
ものすごく簡単に言うと、「ムクゲ説」って言うのは「ムクゲの花は朝咲くから」で、「ヒルガオ説」って言うのは「アサガオに花の形が似てるから」で、両方ともユルイっちゃーユルイ理由で、コレと言った決め手となる根拠は無い。それに比べて、「キキョウ説」って言うのは、万葉集におさめられてる他の「アサガオの歌」を色々と検証した結果、もっともツジツマが合うのが「キキョウ」だったってことから生まれた説で、理屈としては一番納得できるものだ。ぜんぶを書くと、もともと長い日記がさらに長くなっちゃうから、チョー簡単に1例を挙げると、たとえば、「朝から夕方まで美しいアサガオが咲いてました」って歌がある。それで、ムクゲの場合は、朝咲いた花が夕方までにしぼむのが特徴だし、ヒルガオはその名の通り昼に咲く。この歌のように、朝から夕方まで咲き続けるのは、この3種の中では、キキョウだけなのだ。
‥‥そんなワケで、こんな感じに、万葉集の中の他の色んな「アサガオの歌」を検証して行った結果、万葉の時代に「アサガオ」って呼ばれてたのは「キキョウ」だってことが通説になったってワケだけど、そしたら、西暦900年ころに中国からアサガオが入って来てからは、それまで「アサガオ」って呼ばれてた「キキョウ」は、すぐに「キキョウ」って名前に変わったのかって言うと、そうじゃなくて、最初は「キチコウ」って名前だった。これは、「古今集」におさめられてる紀友則の歌が有名だ。
あきちかうのはなりにけりしらつゆのおけるくさばもいろかはりゆく 友則
‥‥なんて平仮名で書いたら分かりにくいので、漢字を混ぜて書き直すと、「秋近う野はなりにけり白露の置ける草葉も色変わり行く」ってワケで、この「秋近う」が「あ・きちこう」ってなってるだけじゃなくて、続いての「野はなりにけり」の最初の部分が「のはな」、つまり、「の花」ってことで、ようするに「きちこうの花」って言葉が詠み込まれてるってスンポーだ。これは、平安時代に流行った「物名歌(ぶつめいか)」って言う歌遊びの一種で、そのまま読んでも和歌として成り立ってる上に、こうして何かのものを隠して詠み込む遊びだ。もちろん、秋の歌に春の花を詠み込むのはNGで、花を詠み込むのであれば、その歌の季節に合った花を使わないといけない。だから、この歌は、夏から秋にかけての野の景を詠い、そこにバッチリの季感のキキョウを詠み込んでいるため、とっても高く評価されていて、物名歌を代表する1首と言われてるのだ。
これで、中国からやって来た現在のアサガオが「アサガオ」になり、それまでアサガオだったものは「キチコウ」になって、一件落着なのかって言うと、そうは問屋が卸さない上に、村上ファンドに株を買占められて乗っ取られちゃう。実は、ここからがまたまた複雑で、ここからの何百年かは、ムクゲのことをアサガオって言ったり、アサガオのことをムクゲって言ったりする「アサガオとムクゲのゴチャゴチャ時代」が始まっちゃうのだ。このあたりを書き始めると、またまた長くなっちゃうので、ここはサクッと省略させてもらうけど、ここでひとつ気になることは、アサガオもムクゲも夏に咲く花なのに、俳句では「秋の季語」になってるって点だ。
キキョウに関しては最初に書いたけど、アサガオって言えば、どう考えたって夏の花だと思う。夏休みの自由研究で「アサガオの観察」をした思い出のある人も多いと思うし、毎年7月の初めに開かれる東京の入谷(いりや)の「朝顔市」は夏の風物詩だ‥‥って言うか、あたしが長年愛用してる歳時記を見ると、「朝顔」は秋の季語なのに、「朝顔市」は夏の季語になってる。こんな矛盾、誰からも投票されてない候補者が何人も当選しちゃうのと同じくらい摩訶不思議なことだろう。
‥‥そんなワケで、キキョウやムクゲやアサガオなど、一応は秋口までは咲いてるけど、基本的には夏場が花期だと思われる花が、どうして夏じゃなくて秋の季語になってるんだろうか? それどころか、「秋の七草」のキキョウ以外も、ナデシコとかオミナエシとかって、どっちかって言うと、秋よりも夏に咲いてるじゃん‥‥なんて疑問がわいて来るけど、これって、新暦と旧暦の違いなんだろうか? それとも、地球温暖化とかが関係してるんだろうか?
実は、これは、「秋の七草」って概念自体が、お盆に供える草花ってとこから発祥してて、ようするに、お盆の時季に野山に咲いてる花の中で、代表的なものをピックアップしたことが始まりなのだ。仏教がニポンに伝来したのは、ちょうど万葉の時代で、西暦600年ころから「お盆」が行なわれるようになった。「お盆」って言うのは、正式には「孟蘭盆会(うらぼんえ)」って言って、これは「逆さづりにされたような苦しみ」って言う意味のサンスクリット語、「ジェロム・レ・バンナ」‥‥じゃなくて、「ウラバンナ」を魔裟斗に頼んでアテ字にしてもらったものだから、そこんとこ夜露四苦!(笑)‥‥なんてことも折り込みつつ、つまりは、「風情」とか「情緒」とか「季感」とかじゃなくて、「お盆の時季に入手しやすくて供花として向いてる草花」を7種集めたものが「秋の七草」のルーツだったってワケだ。
「風情」や「情緒」や「季感」が希薄なら、俳句の季語としては不合格っぽく感じるけど、俳句が生まれたのって、つい最近の明治時代なんだし、第一、こんな1000年以上も前のニポンなんか、しゃべってる言葉だって今のニポン人が聞いたらナニ言ってんだかチンプンカンプンな時代なんだから、当時の感覚をそのままスライドして現代に持って来ても意味が無い。現代と何とか感覚が通じるのは、ギリギリ江戸時代だし、俳句のルーツの俳諧(はいかい)が生まれたのも江戸時代なんだから、温故知新、つまり、古きを訪ねて新しきを知るって場合には、江戸時代の松尾芭蕉に聞いてみよう。ちょうどいい具合に、松尾芭蕉の「野ざらし紀行」の中に、こんな句がある。
道のべの木槿(むくげ)は馬に食はれけり 芭蕉
この句は、芭蕉の中期の最高傑作と言われてて、あたしも大好きな句なんだけど、この時、芭蕉は馬に乗ってて、雨が降ってた。雨って言っても、シトシトと降り続く秋の長雨なので、ずぶ濡れになるような感じじゃなくて、笠と蓑(みの)でシノゲる程度だった。だけど、何日も降り続いてたから、大井川が増水してて、渡ることができなくて、足止めを食らってた。そんな状況で詠まれた句だ。そして、この句から分かることは、秋の長雨、つまり、現在の9月から10月にかけての時季に、芭蕉は「ムクゲ」を詠んでるってことで、これは、旧暦で言うと「初秋」ってことになる。つまり、誰よりも季節への相聞を大切にした芭蕉は、夏から咲いてた「ムクゲ」なのに、あえて初秋に詠んでいるのだ。
ちなみに、「季語」だとか「歳時記」だとかが生まれたのは、ずっとアトのことで、芭蕉の時代には、そんなものは無かった。だから、今みたいに、誰かが決めた「歳時記」に左右されるんじゃなくて、自分の感性が重要だった。そして、誰よりも研ぎ澄まされた感性を持っていた芭蕉は、馬が食べてしまったムクゲを見て、「秋」を感じたってワケだ。
‥‥そんなワケで、お盆に供える草花として、そこらに咲いてるものをチャチャッと7種類ほど集めちゃったのが山上憶良だけど、それから長い長い年月を経て、そんなナシクズシ的にジャンル分けしちゃった草花に、ホントの意味での季感を備えたのが、たった300年前の芭蕉なんじゃないかって、あたしは思った。民家園で見かけた一輪のキキョウを見て、こんなことを思った今日この頃なのだ。
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