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2005.12.18

古池に飛び込んだカエル

tsuchigaeru
2005年9月6日の日記、「セミが鳴いた日」では、松尾芭蕉の名句、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」のセミがどんな種類のセミだったかってことについて書いたけど、今日の日記では、もっと有名な名句、「古池や蛙(かわず)飛びこむ水の音」について、焼酎のお湯割りに梅干しを入れたのを飲みつつ、ウンチクを傾けつつ、「この古池ってどんな池だったのか?」「このカエルってどんな種類のカエルだったのか?」なんてことについて、のんびりと書いて行こうと思う。とは言っても、これはあたしが某所で連載してる「俳句エッセイ」の原稿を書き直したものなので、モトのエッセイを読んだ人にとっては、あんまり面白くないかも知れない。でも、随所に加筆があったり、あたしの十八番の冷凍オヤジギャグを折り込んだりして行くので、良かったら読んでみてちゃぶだい‥‥って、冷凍オヤジギャグを出す前に、すでに、この「ちゃぶだい」の部分で寒さを感じた人も多いと思うけど、「それはきっと冬のせい」ってことにしといて欲しい。

‥‥なんてことを書いてると、今日も今日とて長くなりそうだから、さっそくココから本題に入るけど、前回の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」は、芭蕉が「おくのほそ道」の旅の途中で、今の山形県にある立石寺(りっしゃくじ)に立ち寄った時に、その場で詠んだもので、いわゆる「即吟(そくぎん)」ってヤツだった。だけど、今回の「古池や蛙飛びこむ水の音」って句は、その場でパッと詠んだものじゃないのだ。実は、この句は、最初に「蛙飛びこむ水の音」って言うフレーズだけが浮かんで、芭蕉は、ずっとそのフレーズを温めてた‥‥って言えば聞こえがいいんだけど、実際のところは、頭の5音が思いつかなくて、ずっとそのままにしてたのだ。ようするに、芭蕉は、最初はもちろんカエルが池に飛び込んだ音を自分の耳で聞いて、それで詠んだワケだけど、その時点では、まだ未完成の俳句だった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしゲロゲ〜ロ?(笑)


‥‥そんなワケで、カエルの話をしてると、どうしても青空球児好児を思い出しちゃうのは、昭和生まれのサガなんだろうか?‥‥って、ショッパナからダッフンしつつも、時は貞亨(じょうきょう)3年、西暦で言えば1686年、芭蕉は43才、「おくのほそ道」へと旅立つ3年ほど前のこと、マトモな仕事もせずに毎日フラフラと遊んでた芭蕉は、今で言うニートだったワケで、この日も深川の芭蕉庵で、みんながセッセと働いてる昼間っから、寝ころがってボケーッとしてた。で、そんな時に、庭先の池にカエルが飛び込んだ音を聞いて、「蛙飛びこむ水の音」ってフレーズが浮かんだのだ。それで、芭蕉は何も仕事をしてないのに、何で生活できてたのかって言うと、色んな人からメンドウを見てもらってたからだ。

この深川の芭蕉庵て言うのは、名前だけ聞くと芭蕉の家みたいだけど、ホントはそうじゃなくて、芭蕉の俳句仲間の杉山杉風(さんぷう)の別荘だった。それで、普段はあんまり使ってなかったので、住むとこが無くて困ってた芭蕉に、タダで貸してあげてたのだ。あたしも、誰かがタダでお部屋を貸してくれたら、芭蕉以上の俳句を詠んじゃうんだけどなぁ〜ってワケで、ココは別荘って言っても、高原とか海とかにある別荘じゃなくて、杉風の仕事上の別宅だった。杉風は、江戸幕府御用達の魚問屋を営んでて、ココは、目の前の隅田川で獲って来たお魚を生かしておいたり、養殖したりするための別宅だった。つまり、芭蕉庵の庭先にあった「カエルが飛びこんだ池」ってのは、ホントは池なんて言う風流なものじゃなくて、魚のイケスだったのだ。

それで、その古池ならぬイケスは、いったいどのくらいの大きさだったのかって言うと、ケッコー深くて大きかったみたいだ。「火事と祭りは江戸の華」なんて言うけど、この句が生まれる4年ほど前、駒込のお寺から出火した大火事があって、その時、この芭蕉庵も類焼しちゃった。だけど、燃えさかる庵から命からがら逃げ出した芭蕉は、このイケスに頭から飛び込んで、何とか命だけは助かったのだ。だから、深さが50cmくらいしかない池とかじゃなくて、それなりの深さと大きさのイケスだったってことが推測される。ついでにもうひとつ推測しちゃうと、もしかするとこの時、芭蕉は、「古イケス芭蕉飛びこむ水の音」な〜んて一句詠んでたかも?(笑)

‥‥そんなワケで、軽い「ギャ句゛」もはさんだことだし、ここでちょっと、今回の主役である「カエル」が、芭蕉以前の歌の世界ではどのように扱われてたのかってことについてルーツを探ってみると、面白い事実が分かった。和歌の世界では、カエルは「カエルって言う生き物」としてじゃなく、ウグイスなどと同じように、その美しい「鳴き声」として詠まれてたのだ。紀貫之は、「古今和歌集」の序文で、「花になくうぐひす、みずにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。」って言ってる。つまり、「梅の花に鳴くウグイスや、清流に棲むカジカガエルの鳴き声を聞けば、その美しさに感動して、どんなに無粋なヤツだって和歌のひとつも詠むだろう」ってことだ。だから、和歌の世界で「カエル」って言えば、青空球児好児みたいに「ゲロゲ〜ロ」って鳴くカエルじゃなくて、美しい声で「フィーフィーフィフィフィフィ‥‥」とか「コロコロコロコロ‥‥」とかって鳴くカジカガエルのことであり、そしてその声を指していたのだ。

ちなみに、江戸時代の俳人、百井塘雨(ももいとうう)の随筆の中に、カジカガエルについての記載があるんだけど、「冬の間は箱に入れて冬眠させておき、春になったら箱から出して、水を入れた容器に移して飼って、その鳴き声を楽しむ」って書いてある。だから、昔の人たちは、春のウグイスや秋のスズムシと同じように、春から夏にかけてのカジカガエルの声も、同じように楽しんでいたのだ。「風流」とか「風情」って感覚、今はずいぶん薄れちゃったけど、当時はテレビも電話もパソコンも無かった時代だから、自分の周りの自然から、リアルな季節の移ろいを感じてたんだね。こう言う生活って、すごくうらやましいと思う。

で、またまた平安時代に戻るけど、カジカガエルは、ヤマブキの咲く場所に多く見られたそうで、「和歌でカエルを詠む時にはヤマブキを取り合わせる」って言うひとつのスタイルが出来上がった。ようするに、「梅とウグイス」みたいなベストマッチとして、「ヤマブキとカジカカエル」って言う組み合わせがあったってワケで、この時代の和歌を調べてみたら、「山吹」と「蛙」とを取り合わせてる歌は、200首近くもあった。もちろん、これらの歌に登場する「カエル」は、「カジカガエルそのもの」じゃなくて、すべて「カジカガエルの美しい鳴き声」として詠まれてる。そして、この、「カエル=鳴き声」って言う解釈は、和歌から俳句へと引き継がれて行ったのだ。たとえば、芭蕉以前の俳諧では、室町時代の後期に次のような句がある。


 手をついて歌申しあぐる蛙かな  宗鑑


この山崎宗鑑(そうかん)の句は、和歌のようにカエルの歌声自体を詠んだものじゃないけど、「手をついたカエルの姿が、まるで歌を歌っているようだ」と詠んでるので、そこに和歌の流れがあるってワケだ。


‥‥そんなワケで、ここで一度、上島竜兵に帽子をクルリンパと回してもらって、貞亨3年の芭蕉庵に話を戻すけど、芭蕉庵には、杉風の他にも、其角(きかく)とか路通(ろつう)など、数人の俳句仲間が集まってて、恒例の句会が行なわれていた。その座の中で、芭蕉は、「蛙飛びこむ水の音」って言うフレーズを詠んだんだけど、なかなか頭の部分が決まらない、どうしたものか、と、句会のメンバーにアイデアを募ったのだ。そこで其角は、「古今集にも、『蛙なく井出の山吹ちりにけり花のさかりにあはましものを』と言う有名な歌があるように、昔から、きっこさんと言えばジミーチュウのピンヒール、蛙と言えば山吹です。ですから頭の部分は、『山吹や』としたらいかがでしょうか?」と提案した。

それに対して芭蕉は、「確かに、きっこさんのようにセンスが良くて気品のある女性には、ジミーチュウのピンヒールがとても良く似合いますが、蛙に山吹と言う取合せは、ただ美しいだけで、逆にそのわざとらしい美しさがリアリティーを欠くことにつながってしまいます。それよりも、『古池や』と言うのはどうでしょう?」って言った。そして、「それじゃあ当たり前すぎて、全然面白みがないですよ!」って言った数人に向かって、芭蕉はこう言った。


「蛙は、古く和歌の時代から『鳴き声』としてしか捉えられていませんでした。しかし私は、その鳴き声ではなく、水に飛びこんだ音を聞いた時に、そこに『生』を感じたのです。その音は、まさしく『自然の声』であり、静寂の中にその音が現れ、そしてまた静寂へと戻るほんの一瞬の間、私は『自然』と一体化したのです。『山吹や』と言う5音は風流で華やかですが、『古池や』と言う5音は、質素だけれども『実』があります。」


こうして芭蕉は、ヤタラと二重カギカッコの多いセリフで、叙情よりもリアリティーを選んだのだ。和歌の時代から、生命の歓びとしてではなく、風流な鳴き声として捉えられてきたカエル。そのカエルを生き物として捉え、鳴き声ではなく、水に飛びこんだ音を詠んだ芭蕉。つまり、芭蕉は、「蛙」と言う叙情だけだった季語に命を吹き込み、平面の世界から立体の世界へと、カエルをジャンプさせたのだ。それはまるで、平面ガエルのピョン吉が、ひろしのことをグイグイと立体的に引っぱって前進して行くような力強さで、そこには、生命の歓びが感じられた。だけど、芭蕉のスゴイトコは、「生命の歓び」を表現したじゃなくて、ちゃんと「季節に対するアイサツの心」も持ってるってトコなのだ。「季節に対するアイサツの心」、これこそが俳句にとって何よりも大切なことで、それが「古池や」なのだ。

この古池‥‥とは言っても、ホントはイケスだけど(笑)‥‥は、決して、「古くひなびた池」とか「コケむした古めかしい池」って意味じゃない。これは、新米が出回ったトタンに、それまでのお米が「古米」と呼ばれちゃうのと同じ解釈で、季節が変わって新しい春を迎えたことによって、そこにある池は「古池」ってことになる。つまり、季節は春を迎えたけど、その池は、まだ冬のままだってことになる。そして、そこに春の生命であるカエルが飛びこんだことによって、その古池も、ようやく新しい春を迎えたってワケだ。だからこそ芭蕉は、「古池や」って言うふうに、「古池」を「や」と言う「切れ字」で切って、深い詠嘆を与えて、「前のシーズンの池」に対しての感慨を表し、そして一拍おいてから、新しい春の使者、カエルを飛びこませることによって、その池もようやく新しい春を迎えたってことを表現したのだ。だから、もしもこの句が、「古池に蛙飛びこむ水の音」だったとしたら、池もカエルも前のシーズンのままで、いつまで待っても新しい春はやって来なかった。


 春雨や蛙の腹はまだぬれず  与謝蕪村

 痩蛙まけるな一茶是にあり  小林一茶

 青蛙おのれもペンキぬりたてか  芥川龍之介

 甕(かめ)の水澄むや蛙の数匹の瞳  長谷川かな女

 睡蓮の葉よりも青き蛙かな  阿部みどり女

 青蛙ぱつちり金の瞼かな  川端茅舎

 水中に逃げて蛙が蛇忘る  右城暮石

 露の結界のどふくらかな青蛙  野澤節子

 あまがへる仏足石の凹みへぴよん  きっこ


これらの句は、すべて、カエルの鳴き声に風情を感じた和歌の世界観とは違い、カエルと言う生き物の姿をイキイキと詠み写してる「生命の賛歌」であり、それぞれが季節に対するアイサツなのだ。

‥‥そんなワケで、いよいよ本日のメインディッシュ、「このカエルは何ガエルだったのか?」って言う疑問の解明へと突入するんだけど、これは、前回のニイニイゼミの時と同じように、生物学的にキチンと検証しなくちゃならない。それで、芭蕉庵があった場所に、当時、分布してたカエルを調べたら、「トウキョウダルマガエル」と「ツチガエル」の2種類しかいなかったことが分かった。

トウキョウダルマガエルは、トノサマガエルに良く似た外見をしてて、平均体長は、オスが60mm、メスが67mmと、ワリと大きいカエルだ。一方、ツチガエルは、体中にイボ状の小さな突起があることから、通称「イボガエル」って呼ばれてて、平均体長は、オス41mm、メス50mmと、トウキョウダルマガエルよりも、ひと回りほど小さいカエルだ。そして、その個体数としては、ツチガエルはトウキョウダルマガエルの5倍以上も生息してた。つまり、この個体数の違いから推測すると、古池に飛びこんだのは、ツチガエルであった可能性が高いってことになる。

ちなみに、ニポンの女性と結婚してニポンに帰化した明治時代のイギリスの作家、小泉八雲が、この古池の句を英訳してアメリカに広めた時に、このカエルは「Frog」なのか「Frogs」なのか、つまり、1匹なのか複数なのかってことで議論になったんだけど、結局は、「1匹だった」って言う結論に達した。それは、「芭蕉は、とても小さい一瞬の音を聞き、そしてそれを『自然の声』と解釈して、新しい春の訪れを実感した。」って言うことからだそうだ。

とにかく、300年以上も前のことだし、何よりも芭蕉自身も音を聞いただけで、実際にはカエルの姿を見てないんだから、「絶対にツチガエルだ」って断定することはできない。だけど、逆に言えば、芭蕉は音を聞いただけで「カエルが飛び込んだ音だ」って分かったんだから、初めて聞いた音じゃなくて、それまでも何度も聞いてる音だったってことになる。そうなると、よけいに、トウキョウダルマガエルの5倍も生息してたツチガエルの可能性が高くなって来る。だから、あくまでも推測の域を出ることができないけど、ここまでの状況から考えると、やっぱり、体が小さくてたくさん生息してたツチガエルが、芭蕉庵の庭のイケスに飛び込んだんだろうって考えるのが妥当だってことになる。

‥‥そんなワケで、芭蕉によって、和歌と言う閉鎖的な檻の中から開放されたカエルたちは、俳句と言う自由な古池へピョンピョンと飛びこみ、元気に泳ぎまわることができるようになったのだ。だから、最初に、「芭蕉はニート」って書いたけど、今のニートみたいに何の役にも立たない有象無象どもとは別格の、スーパーニートだったのだ。何の仕事もしないで、フラフラと一生を風雅に生きた芭蕉だけど、真実を見るマナザシを持っていたからこそ、世間の雑念に惑わされることなく、安い欠陥マンションに飛びつくこともなく、洗脳宗教に騙されることもなく、アメリカ産の狂牛肉を食べることもなく、無事にその旅を終えることができたのだ‥‥なんて思う今日この頃なのだ。

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