猫になりたい
今日は「大寒」で、明日の夜には東京にも雪が降るかも知れない。ただでさえこんなに寒いのに‥‥なんて言うと、豪雪の被害に苦しんでる地域の人たちには申し訳ないけど、昔から東京は「雪に弱い都市」って言われてて、たった10cm雪が積もっただけで、首都高速が閉鎖されたり、電車が止まったりして、大パニックになる。まあ、都民の生活を向上させることよりも、戦争やカジノや女性蔑視のほうが大好きな人間失格者が都知事をやってんだから、いつまで経っても東京の交通の便が良くなることはないと思うけど、あたしは、猫みたいに裏道を知り尽くしてるから、都内の移動はそんなに困らない。
それよりも、明日とアサッテはセンター試験なので、受験生の皆さんは、雪が降ったら電車が遅れたりするので気をつけて欲しい‥‥って言うか、センター試験の前日に「きっこの日記」なんか読んでる受験生は、ソートー自信マンマンなのか、もしくは、すでにあきらめてるのかのどっちかだと思うから、雪が降ろうがテポドンが降ろうが大丈夫だと思うけど(笑)
センター試験てのは、正しくは「大学入試センター試験」って言うそうで、ずっと昔は「共通第1次学力試験」とか言ってたみたいだけど、高卒のあたしには良く分かんない世界だ。でも、あたしも、高校受験の時は人並みに勉強したし、中学、高校と、中間テストや期末テストなどで苦しんで来たから、「自分の興味のあることに対する楽しい勉強」じゃなくて、「やりたくもないのにテストのためにムリヤリやらされる勉強」の苦痛を知っている。そして、あんなにたくさんの時間を費やして勉強したことが、社会人になってからは、何ひとつ役に立たないってことも実感してる。
10代って、人生で一番楽しい時期なのに、将来、何の役にも立たないことなんかにたくさんの時間をムダに費やしたことが、今になってホントに悔やまれる。だいたい、中学、高校と6年間も英語を勉強したのに、ほとんどの人は英語がしゃべれない。中には、大学まで出てるのに、英語がしゃべれないどころか、ニポン語すら正しくしゃべれない人もいるなんて、ニポンの教育のカリキュラム自体に問題があるんじゃないの?‥‥なんて思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、1979年に「共通第1次学力試験」がスタートしてから、今年で28回目になるみたいだけど、ナナナナナント! 28回目にして、今回初めて、英語のリスニングテストが行なわれることになったそうだ。こりゃあ、大学を出ても英語がしゃべれない人がいるのも宇奈月温泉だ。語学なのに27年間もペーパーテストだけだったなんて、いったい何を考えてたんだろう? いくら難しい英語の本が読めたって、相手と会話できなけりゃ意味無いじゃん。ホントに、この国の教育って、無意味なことばっかりだ。
ま、ニポン人に生まれた以上、どんなに無意味な勉強を強要されても、中学までは義務教育って法律で決められてるから、ガマンして学校に行かなくちゃならない。だけど、猫とか、鳥とか、魚とかに生まれれば、学校なんか行かなくてもいいし、毎日楽しく暮らせる。細かいことを言うと、「メダカの学校」とか「スズメの学校」とかもあるけど、少なくとも「猫の学校」ってのはない。だから、あたしは、今度生まれて来る時は、もしも人間以外だとしたら、猫がいいなって思う。
猫に生まれれば、学校なんかに行かなくてもいいし、何よりも、シッポがついてるのが嬉しい。それから、肉球で歩くのが楽しそうだし、ペロペロと顔を洗うのもやってみたいし、ヒゲが生えてるのもワクワクする。人間は、男性しかヒゲが生えないけど、猫ならオスもメスもヒゲが生えてるから、ヒゲってどんな感じなのかを体験してみたい。希望としては、毛ヅヤのいい黒猫で、たとえば、魔女の宅急便のジジみたいな猫がいい。
猫に生まれれば、春、夏、秋、冬、それぞれの季節を実感しながら、自由気ままに生きて行くことができる。明日は、食べ物にありつけないかも知れない。明日、車にひかれて死ぬかも知れない。だけど、そんなことはオカマイナシだ。先のことなんか何も心配せずに、今、この瞬間だけを楽しく生きて行ける。これが、「猫のヒタイ」の秘密なのだ。
昔から、「猫のヒタイのような庭」とかって感じで、「狭いもの」の喩えとして「猫のヒタイ」を使うけど、猫を見てみると、確かにヒタイが狭い。もちろん、これは、猫だけに限ったことじゃなくて、ネコ科の他の動物も、ネコ科以外の動物も、人間と比べたらヒタイが狭いけど、その中でも代表されるのが猫ってワケだ。そして、何でヒタイが狭いのかって言うと、これは、脳みその前の部分の器官、「前頭葉(ぜんとうよう)」が小さいからだ。
この前頭葉ってのは、ヒトコトじゃ説明できないけど、未来のことを推測したり、これから先のことを計画したりする機能を持ってる。つまり、前頭葉の大きな動物ほど、先のことを考えるってワケで、だからこそ人間は、10年も20年も先のことを考えて、不安になったり、その対策を練ったりと、「今」のことよりも「将来」のことばかり考えて生きるようになっちゃったのだ。ちなみに、今みたいに色んな薬が開発される前は、精神病の治療として、この前頭葉を切除するロボトミー手術が行なわれてた時代もあった。
色んな不安に悩まされ続けて精神に異常をきたす人は、この前頭葉が平均以上に発達したために、5分後、10分後のことにも不安になり、安心していられなくなる。5分後に突然、呼吸が止まっちゃうかも知れない。10分後に、この家に飛行機が墜落して来るかも知れない。寝てる間に、心臓が止まるかも知れない。こんな恐怖感にさいなまれ続けているうちに、精神的におかしくなり、マトモな生活ができなくなる。だけど、ロボトミー手術によって前頭葉の一部を切除すると、まるで別人のように穏やかな性格になったりする。もちろん、今は行なわれてないと思うけど、こんなシャレにもなんないような危険な手術が、通常の医療行為の一環として行なわれてた時代もあったってワケだ。
だから、ヒタイの狭い猫なら、最初から前頭葉が小さいんだから、先のことなんか心配しないで、その日その日を精一杯に、楽しく生きて行くことができる。目の前に山盛りのゴハンがあれば、食べたいだけ食べて、お腹がいっぱいになったら、それで満足。どんなに残ってても、それをどこかに隠しておこうとか、明日のために取っておこうとか、そんなことは考えない。人間みたいに、一生かかっても使い切れないほどのお金を手に入れようなんて、絶対に思わない。そんなくだらないことよりも、お腹がいっぱいになった今は、日当たりのいい場所を見つけて、のんびりとお昼寝することのほうが、何倍も大切なことなのだ。あたしは、これこそが「生きる」ってことだと思う。
‥‥そんなワケで、1年中ずっと発情してる人間と違って、猫にはちゃんと恋のシーズンがある。だいたい春から夏にかけてだけど、春になって暖かくなって来ると、夜な夜なあちこちで、「ワ〜オ〜〜〜!ワ〜オ〜〜〜!」って、ものすごい声で鳴き叫ぶようになる。1年中ずっとお金儲けのことばかり考えてる人間や、1年中ずっとセックスのことばかり考えてる人間と違って、猫は、恋のことは恋のシーズンにしか考えない。そして、他のシーズンは、それぞれそのシーズンの「今」しか考えてない。だから、猫たちは、恋のシーズンになれば、ゴハンもそこそこに、命がけで恋に燃える。
麦めしにやつるる恋か猫の妻 松尾芭蕉
恋猫の皿舐めてすぐ鳴きにゆく 加藤楸邨(しゅうそん)
鼻先に飯粒つけて猫の恋 小林一茶
そして、その恋にかける執念たるや、すさまじいものがある。
おそろしや石垣崩す猫の恋 正岡子規
猫の恋どたりどたりと二つ落つ 岩田由美
恋猫の恋する猫で押し通す 永田耕衣(こうい)
恋猫や世界を敵にまはしても 大木あまり
結局、これは、先のことなんか何も考えずに、「今」のことだけを精一杯に、真剣に生きてる猫だからこそのスタイルってワケだ。
イマシカナイイマシカナイと恋の猫 辻桃子
この句は、一晩中、「ワ〜オ〜〜〜!ワ〜オ〜〜〜!」って鳴き続ける恋猫の声が、まるで「今しかないよ〜!今しかないんだよ〜!」って叫んでるように聞こえたって言う意味だ。この「イマシカナイ」って言葉は、芸術家で宗教哲学者でもある柳宗悦の書、「今ヨリナキニ」を現代の口語にしたものだと思うけど、これこそ、猫の生き方を的確に表現してる句だと思う。
そして、こんなにも恋に狂いまくってた猫たちも、やることさえやれば、トットと別れちゃう。
猫の恋打切棒(ぶっきらぼう)に別れけり 小林一茶
終わったあとも、いつまでもしつこくベタベタしてるのは、すべての動物の中で、人間くらいだろう‥‥なんて言うと、さとう珠緒に、「あたしのカレシはぁ〜自分だけ勝手にイッちゃってぇ〜終わるとサッサとパンツをはくよぉ〜もぉ〜プンプン!」って言われちゃいそうだけど、それは、そう言う自分勝手な男と付き合ってるアンタの自己責任なワケで、一般的な経験と一般的なテクニックと一般的なやさしさとを兼ね備えた男性なら、前戯よりも後戯に時間をかけるのが普通だ。
そして、猫たちの恋の時間が終わると、また、静かな夜が戻って来る。
猫の恋やむとき閨の朧月 松尾芭蕉
「閨(ねや)」ってのは「寝屋」、つまり寝室ってことだけど、主に「夫婦の寝室」のことを指す。だけど、芭蕉はひとりで泊まってるから、隣りに恋人や愛人はいない。ようするに、外で鳴き叫んでる恋猫たちの声で、それまではやかましくて眠れなかったのに、鳴きやんで静かになったとたん、今度はナゼか人恋しくなって眠れなくなった。ふと障子を開けて外を見ると、春の朧月(おぼろづき)がぼんやりと浮かんでいた。ああ、たまには川崎のキャバクラにでも行ってみようかな‥‥なんて感じの意味なのだ。
そんな煩悩だらけの人間と違って、恋に燃え、恋に果てた猫たちは、去って行く後姿もカッコイイ。
恋猫のうしろ姿は流線型 坂本宮尾
ちなみに、この句の作者の坂本宮尾さんは、猫が大好きな女性俳人で、俳号の「宮尾(みやお)」って言うのは、猫の鳴き声なのだ(笑)
‥‥そんなワケで、猫にとっての恋のシーズン、春が終わると、夜遅くまで遊び回れる夏がやって来る。猫たちは、昼間は涼しい場所でお昼寝をして、夜になると遊び出す。せっかくの夏休みに、塾だ補習だ宿題だなんて言ってるのは、哀れな人間の子供だけで、猫に生まれれば、一生が夏休みみたいなもんなのだ。
猫に猫つきくる夏の夜となりぬ 宇多喜代子
だけど、あんまり夜遊びに夢中になりすぎちゃって、昼間にトイレの近くとかで無防備に寝てると、おじいさんにタオルの代わりにされちゃうから、リトル気をつけよう。
水無月の猫で手を拭く翁(おきな)かな 攝津幸彦
‥‥なんてことも言いつつ、「ヤナギの枝に猫がいる〜だからネコヤナギ〜」ってのは天才バカボンだけど、秋にもなれば、哲学的な猫たちはモノ思いにふけるようになるので、木に登って遠くをぼんやりと眺めたりもする。
猫がいてあれは猫の木秋の暮 坪内稔典
温泉が大好きなあたしとしては、福島県の土湯温泉とかで野良猫になって、旅館の板前さんから余り物をもらったり、観光客から食べ物をもらったりしながら生活して、夜中にコッソリと露天風呂に入ったり、お月見をしたいと思う。
湯の町の辻に猫ゐる良夜かな 山本洋子
猫の尾のしなやかに月打ちにけり 金子敦
そして、寒い冬に入っても、たまに暖かい小春日になったら、塀をつたって海を見に行こう。なにしろ、猫なんだから、人間みたいなセコセコと働かなくていいし、どんなとこにも自由に行ける。
冬空や猫塀づたひどこへもゆける 波多野爽波(そうは)
猫の眼に海の色ある小春かな 久保より江
だけど、寒い日は、できるだけ暖かい場所でじっとしてるほうがいい。あたし的には、猫になってもお酒を飲みたいから、フグのヒレ酒を飲んでる人にスリスリして、お酒の染みたヒレをもらおうと思う。
鰭酒の鰭を食べたる猫が鳴く 岸本尚毅
ちなみに、この句の作者の岸本尚毅さんは、「恋猫」の句のとこに挙げた岩田由美さんのダンナさんだ。夫婦で俳人だなんて、ナニゲに猫に近いノリでいいよね(笑)
そして、寒い冬でも、お正月になれば、猫にだってちょっとくらい特別なことがあるかも知れない。
買初(かいぞめ)の小魚すこし猫のため 松本たかし
ねこに来る賀状や猫のくすしより 久保より江
「くすし」ってのは「薬師」、お医者さまのことだ。つまり、去年お世話になった動物病院のお医者さまから、猫宛てに年賀状が届いたってワケで、「ニャン賀状」って呼んだほうがいいかも知れない。
春、夏、秋、冬、それぞれの季節とともに、その時その時の「今」を楽しみ、先のことなんか何も考えずに、何にも縛られずに、自由に生きる。人間は、生きて行くために働かなきゃならないけど、月曜日から土曜日まで働いて、お休みは日曜日だけ。朝から晩まで働いて、自分の時間は寝る時間だけ。これじゃあ、何のために働いてるのか分かんないし、仕事のしすぎで病気にでもなったら、それこそ本末転倒だ。
何もかも知つてをるなり竈猫 富安風生
竈猫(かまどねこ)ってのは、寒い冬に、カマドの中で暖をとる猫のことだ。カマドの火を消したあと、しばらくしてちょうどいい温度まで下がったら、猫はカマドの中に入って、灰まみれになって温まる。だから、「灰猫」とも言う。この句は、カマドの中で目を細めてる猫の顔を見たら、まるで哲学者のようで、この世の森羅万象のすべてを知っているように見えたって意味だ。
‥‥そんなワケで、目を細めてじっとしてる猫の顔を見てると、ホントに哲学者みたいに思えることがある。だけど、これは、ただ「そんなふうに見える」ってだけじゃなくて、実際に、猫は哲学者なのかも知れない。だって、お金だの地位だの名誉だのって、何の実態も無い空虚なもののために必死になってる人間なんかを尻目に、毎日を自由に生きてるんだから‥‥。猫は、学校にも通わず、仕事もしてないのに、人間の何倍も「今」を大切に生きてるんだから‥‥なんて思う今日この頃なのだ。
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