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2006.02.20

然るべきシカの話

shika
2月16日付の「四国新聞」に、「シカ被害防止対策に電気柵を設置」って言う記事が載ってた。あたし的には、「防止タイサクに電気サク」って部分が、韻を踏んでてラップみたいだなって思ったんだけど、被害に遭ってる人たちにとっては大変な問題だろうから、あんまりギャグを入れずに進めることにする。で、四国の香川県の小豆島で、野生のシカが増えちゃって、農作物への被害が深刻化したために、電気の流れる柵を張り巡らせることにしたって記事なんだけど、とりあえず、土庄町内のミカン園とウメ園に、実験的に設置してみたそうだ。それで、効果があれば、他の果樹園や畑などにも設置するらしい。でも、香川県の小豆島では、すでにサル用の電気柵は使われている場所もあるそうだけど、サル用とシカ用って、どう違うんだろう?‥‥なんて疑問も持ってみつつ、とにかく、香川県でのシカの被害は、3つの町の合計だけでも年間に2000万円近くにも上るそうで、多少の出費をしても、こう言った対策が必要なんだろう。

そう言えば、ちょっと前にテレビのニュースで見たんだけど、奈良のシカが観光客を襲う‥‥って言うか、観光客の持ってるオミヤゲの袋や食べ物などを横取りしちゃったり、ちっちゃな子供に何匹ものシカがまつわりついて泣かしちゃったりして、四国とは別の意味での「シカ被害」が報じられてた。シカセンべを買った観光客なんか、一瞬のうちにシカの群にモミクチャにされて、シカセンべは袋ごと奪われてた。

あたしは、シカが好きで、特にコジカが好きなんだけど、それは、単に「顔がカワイイ」とか、「背中のテンテンがカワイイ」とか、「短いシッポがカワイイ」とか、「ピョンピョン跳ねるように走るとこがカワイイ」とかって言うことで、すごく無責任な立場での「シカが好き」ってことだ。だから、実際にシカの被害に遭ってる人たちのことを考えると、軽い気持ちで「シカが好き」だなんて言えなくなっちゃうけど、でも、できることなら、野生のシカと人間とが共存できるような解決策があれば、一番いいと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしでシカ?(笑)


‥‥そんなワケで、猫とか鳥とか多くの動物は、春が恋のシーズンなんだけど、シカの場合は、9月から11月にかけてが発情期になる。だから、奈良の春日大社では、発情期が近づくと、オスのシカ同士がケンカをしてお互いを傷つけ合わないように、ノコギリで角を伐るんだけど、この「鹿の角伐(つのきり)」ってのは、俳句では秋の季語になってる。それから、オスのシカは、毎年、晩春から初夏にかけて新しい角が生えて来るんだけど、まだ皮を破らないで膨らんだ状態のものを「袋角(ふくろづの)」って呼び、俳句では夏の季語になってる。そして、その形が、ひらく前のキノコに似ているため、「鹿茸(ろくじょう)」とも呼ばれてる。あたしの大好きな俳人、茨木和生は、奈良の人なので、シカに関する作品が多い。


 枝岐れするふくらみの袋角  和生

 片方の出遅れてゐし袋角  和生


俳句の詠み方には、対象をしっかりと見ながら写し取る「写生俳句」って方法があるんだけど、これらの句は、両方とも、とっても丁寧に詠まれた写生俳句だ。あたしは、写生俳句が大好きなので、こう言った作品に出会うと、すごく嬉しくなる。シカシ(笑)、これらの句をより楽しく鑑賞するためには、「シカ」、とりわけ「奈良のシカ」について、もっと知る必要がある。だから、今回は、あたしの好きなシカについて、歴史的な観点から、ディープに迫ってみようと思う。

‥‥そんなワケで、「袋角」と同じ夏の季語で、「薬狩(くすりがり)」ってのがある。これは、5月ころ、袋角の鹿を捕らえるための狩猟のことで、その角を薬とすることが目的だった。袋角は、「薬」としてだけではなく、「邪気を払う」って言う信仰上の意味合いもあったため、とても重宝されていたのだ。さっきの「鹿茸」って名前は、現代でも高価な漢方薬のひとつとして有名だけど、アレは大きなシカの角を粉にしたんじゃなくて、まだ生えて来る前の、皮の下に隠れてる小さな角を粉にしたものなのだ。だから、値段が高いってワケで、普通のシカの角だったら、秋に春日大社に行けば、ノコギリで伐った角がマウンテンほど余ってるだろう。

だけど、現代では、奈良のシカは天然記念物として保護されてるし、狩猟が認められている地域でも、狩猟期間は冬の間だけで、袋角のシカがいる5月は禁猟期間にあたる。だから、ニポン国内で、袋角のシカを捕まえて殺すことはできないってワケで、つまり、「薬狩」って行為は、今じゃ俳句の歳時記の中だけに残っている言葉ってことになったのだ。それじゃあ、この「薬狩」は、一体いつごろまで行なわれてたんだろうか?

それで、古い文献を調べてみると、奈良のシカに関するもっとも古い記述は、古事記(712年)とか日本書紀(720年)とかに見られる。日本書紀の「仁徳天皇紀」などには、色んなシチュエーションでシカが登場してるんだけど、どれも、ナニゲにシカが登場してるってだけで、その状況まではイマイチ分からない。それで、古事記や日本書紀よりもリトル新しい万葉集(750年)を見ると、当時の状況を正確に伝えてくれる歌が色々と出て来る。たとえば、こんな歌だ。


 高円の秋野のうへの朝霧に妻呼ぶ牡鹿出で立つらむか  大伴家持


この家持の歌によって、当時の奈良に、野生のシカが生息してたことが良く分かる。それから、こんな歌もある。


 春日野に粟(あわ)蒔けりせば鹿(しし)待ちに継ぎて行かましを社(やしろ)し恨めし  佐伯赤麻呂


この赤麻呂の歌からは、春日野周辺では、すでにシカが害獣で、狩猟の対象になってたってことが読み取れる‥‥ってのは表向きで、ここでリトル本題からダッフンしちゃうけど、古典マニアのあたしとしては、俳句だけじゃなくて、和歌だってディープに鑑賞しちゃう。実は、この歌は、ある女性から赤麻呂へ贈られた歌に対する返歌なのだ。そして、この赤麻呂の歌に対する、相手からの返歌もある。つまり、この赤麻呂の歌は、3点セットの真ん中の歌ってワケで、前後の歌も読んでみないと、ホントの意味は分からない。


1.(娘子報佐伯宿祢赤麻呂贈歌一首)
ちはやぶる神の社しなかりせば春日の野辺に粟蒔かましを

2.(佐伯宿祢赤麻呂更贈歌一首)
春日野に粟蒔けりせば鹿待ちに継ぎて行かましを社し恨めし

3.(娘子復報歌一首)
我が祭る神にはあらず大夫に憑きたる神ぞよく祭るべし


中学で、ちゃんと古文の授業を聞いてた人には、説明の必要はないと思うけど、授業中に寝てばかりいた人のために、これらの歌の直訳と、本当の意味との二層構造をきっこ風味で解説する。


1.(若い愛人から赤麻呂さんへ)
【直訳】
神聖な神様の社さえなかったら、春日の野辺にだって、あたし、粟を蒔いちゃうのにぃ‥‥。
【本当の意味】
春日には、春日大社の前身となる、神を祀る施設があった。だけど、この歌の「神の社」ってのは、赤麻呂の奥さんのことなのだ。そして、「粟を蒔く」と「会う」ってのをカケてる。つまり、あの恐ろしい、カイヤみたいな奥さんさえいなければ、この春日の野辺で、愛する赤麻呂ちゃんとデートできるのに‥‥って、若い愛人が歌ってるのだ。そして、それに対する赤麻呂の返事が、次の歌だ。

2.(赤麻呂から若い愛人へ)
【直訳】
春日野に粟を蒔くのなら、「シカの見張り」だって言って、いつでも行けるのに、神の社があるから、行くことができないよ。神の社が何とも恨めしいよ。
【本当の意味】
ボクも春日野で君と会いたいよ‥‥何も問題が無いのなら、シカの見張りだとか何だとか、適当な理由にかこつけて会いに行くのに‥‥でも、うちの女房の目が光ってるから、会いに行けないよ‥‥ああ、うちの女房さえいなければ‥‥。

3.(若い愛人から赤麻呂さんへ)
【直訳】
あなたはそう言うけれど、あの神の社は、私が祀っている神様じゃないのよ。あなたに取り憑いている神様でしょ? しっかりと祀ってればいいわ。
【本当の意味】
そんなに奥さんのことが怖いのなら、もういいわよ! この意気地なし!


‥‥そんなワケで、ちょっとダッフンしちゃったけど、ようするに、こんな男女の恋歌にも「シカの見張り」がネタとして使われてたくらい、当時は、畑を荒らすものと言えば、まっ先に「シカ」の名前が出て来るほど、たくさんの野生のシカがいたんだろう。そして、そのシカを見張ったり、捕まえたりすることは、極めて日常的なことだったと思う。ま、恋愛以外には、あんまりレクリエーションのなかった時代だから、プラトニックから不倫まで、三角関係なんて当たり前、四角関係、五角関係の入り乱れたドロドロの恋愛絵巻、「万葉集」は、あたしにとっては、レディースコミックよりも刺劇的なのだ(笑)

だけど、「レディースコミックは好きだけど古典は苦手」って人は、里中満智子のマンガ、「天上の虹/持統天皇物語 」を読んで欲しい。このマンガには、2巻に「薬狩」のシーンが出て来るんだけど、薬狩の間は、男女が密会することはタブーとされてる。それなのに、その時期に、2組の男女がコッソリと密会してて、それをある人に目撃されちゃったから、さあ大変!‥‥なんてことも言ってみつつ、とにかく、仁徳天皇の時代(300年頃)から、持統天皇の時代(700年頃)は、「薬狩」は、大切なイベントとして行われてた。それで、そのシカの角を粉にした「薬」ってのは、病気を治すためのものじゃなくて、たくさんの愛人たちとのセックスライフをエンジョイするための「精力剤」だったのだ。

そして、この万葉集から約20年後の768年(称徳天皇の時代)に、平城京鎮護のために、奈良のシカを「神鹿(しんろく)」として神聖視して、保護することになった。これは、その昔、常陸の国(今の茨城県)の鹿島神宮から、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、「白鹿」に乗って御蓋山(みかさやま)に降り立ったって言う神話に基づいたもので、春日大社の社伝にも残されてる。それで、この時から1000年以上も、シカは神の使いとして、ずっと大切に保護されて行ったのだ。

でも、シカを神聖な生き物だとする信仰は、どんどんエスカレートして行って、しまいには、春日への参道でシカに会うと、人々は土下座して拝むようになった。そして、1300年頃の中世になると、コイズミが創価学会を利用して支持率を確保してるみたいに、政治家は人々の信仰心を利用して、自分の支持率を高めようとしはじめた。そのため、神鹿保護の規則はどんどん厳しくなって、シカを殺した者は、首を切り落とされたり、釜茹でになったりもした。

だけど、江戸時代(1600年頃)になると、増えすぎたシカによる農作物への被害が深刻になって、それまでとは一変して、今度はシカを害獣として駆除するようになった。それでも、奈良のシカだけは特別なものとして保護してたんだけど、明治(1800年後半)になると、明治維新の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって、奈良のシカも害獣として射殺することが許可されちゃって、シカの数は激減したのだ。それで、このままじゃ歴史ある奈良のシカが絶滅しちゃうってことで、1891年(明治24年)に、「春日神鹿保護会」が設立されて、奈良のシカを保護することになった‥‥と思ったのもトコノマ、この保護会のオカゲでせっかく増え始めたシカも、今度は、太平洋戦争に負けて世の中がメチャクチャになって、多くのシカが食用にされちゃって、結局、80頭にまで減っちゃった。

その後、1947年(昭和22年)には、奈良のシカは天然記念物に制定されて、「春日神鹿保護会」は「奈良の鹿愛護会」って名前に改められて、今日まで、シカの保護育成に努めて来た。そして、現在では、約1200頭のシカが、公園内を自由に歩き回り、150円もするシカセンべに群がって来るようになって、観光客のオミヤゲまで強奪するほどのシカ天国になっちゃったってワケなのだ。

この、ニポンにおけるシカの歴史を見てみると、シカには何の罪も無いのに、人間の都合ひとつで、食料にされたり、精力剤にされたり、神様にされたり、害獣にされたり、天然記念物にされたりと、時代時代でその扱いはまったく違ってたってことが分かる。そして、ここまで読んで来て分かったと思うけど、「薬狩」って言葉は、俳句が生まれるずっと前に、その実体が無くなっていた季語だったのだ。こう言った季語を「古季語」って呼ぶんだけど、「古季語」は、俳句が生まれてから制定された一般的な季語とは、一線を画した存在理由がある。古季語には、俳句よりも遥かに歴史のある和歌や連歌の伝統的な流れがあって、これらの言葉を次世代へと伝えて行くことも、今、あたしが俳句を詠み続けてることの、ひとつの大きな意味でもあるのだ‥‥なんてことも言ってみつつ、最後に、もう一度、この2句をゆっくりと味わって読んでみて欲しい。


 枝岐れするふくらみの袋角  和生

 片方の出遅れてゐし袋角  和生


‥‥そんなワケで、同じ俳句でも、これだけの情報を得てから読むと、最初に読んだ時の何倍も深く鑑賞することができたと思う。俳句って、たった17音しかないけど、読み手のほうに読む力があれば、同じ俳句でも、人よりも深く鑑賞することができると思う今日この頃なのだ‥‥なんて感じでマトメちゃうと、オチがないんだけど、ま、シカたないか(笑)


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