猫の鳴き声
今日は、午前中だけ近場で打ち合わせだったので、お昼には帰って来て、お洗濯とお風呂そうじを同時進行でやったら、クタクタになった。それで、ソファーで横になって休んでたら、ドアの外で、「ナ〜ン! ナ〜ン!」って言うマックスの鳴き声がした。あたしは、腰が痛くて、すぐにはソファーから体を起こせなくて、ちょっとモタモタしてたら、今度は、ドアをカリカリと引っ掻きながら、「ナンナ〜ン! ナンナンナ〜ン!」って鳴き始めたので、「はいは〜い!」って返事をしながら、玄関へ向かった。
それで、ドアチェーンを掛けたまま、ドアチェーンの幅だけドアを開けると、その隙間から、マックスが、「ウナ?」って言って首を傾げた。別に、何かを疑問に思ったワケじゃなくて、偶然にそんな声が出て、偶然に首を傾げたんだと思うけど、あたしは、そのシグサがおかしくて、可愛くて、笑いが止まらなくなった。だって、自分から人のお家を訪ねて来たクセに、あたしがドアを開けたら、「あれ? あんた誰?」って感じのリアクションに見えたからだ。
大笑いするあたしにお構いなしに、マックスは、あたしの脚に体をこすりつけながら、中に入って来た。そして、いつものように、玄関を入ってすぐのとこに積まれた靴の箱とか、置きっぱなしのスケボーのタイヤの匂いをかいでから、奥へと進む。それから、マネキンの台とか、ゴミ箱とか、ドレッサーのイスの脚とか、マッサージチェアのオットマンの部分とか、何ヶ所かのチェキポイントの匂いをかぎながら室内を1周して、最後に、ソファーの匂いをかぎながらソファーのまわりを1周してから、安心して、ソファーの上にピョンと飛び乗って、自分の定位置に座った。
コレって、なんだか、男が愛人の女性の部屋にやって来て、自分のいない間に他の男を連れ込んでなかったかチェキしてるみたいで、「あたしゃお前の愛人かよっ!」ってネコツッコミを入れながら、マックスのノドをカキカキしてあげたら、例によって、目をつぶって「グルグルグル‥‥ グルグルグル‥‥」っ言い出した今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、マックスが遊びに来た時に、気をつけることが2つある。1つは、水槽のお魚たちが攻撃されないように、水槽のフタの上に雑誌とかを乗せて、開けられないようにすること。もう1つは、キッチンの包丁とか、テーブルの上のハサミとか、マックスが飛び乗った時にケガをする危険性のあるものが出しっぱなしになってないか、バスタブにお水が入ってる時には、バスルームのドアはシッカリと閉まってるか、などなど、何かの間違いで事故につながるようなことのないように、ネコ安全チェキをすることだ。
マックスは頭のいい子なので、変なとこに飛び乗ったりしたことはないんだけど、前に一度、遊びに来たマックスを帰したあとに、キッチンに、マナ板と包丁が出しっぱなしになってたことに気づいたことがある。お魚やお野菜を切った時には、マナ板や包丁はその場で洗って片付けるんだけど、その時はパンを切ったので、出しっぱなしにしてたのだ。他の人は知らないけど、あたしの場合は、パンを切った時だけは、マナ板も包丁もそんなに汚れないような気がする。だから、他の時みたいに洗剤をつけたスポンジで洗わなくて、お水でザッと流しただけで片付けちゃう。
もちろん、バターやマーガリンを塗ったり、タマゴやハムをはさんだパンを切った時には、ちゃんと洗剤で洗うし、調理したらすぐに片付けるんだけど、切ってない丸ごとの食パンを食べるぶんだけスライスした時とか、バケットをスライスした時とかは、マナ板も包丁もそんなに汚れないような気がして、お水で流しただけで片付けちゃう。だから、すごくお腹が空いてる時とかには、「あとで食器を洗う時に一緒に片付ければいいや」って思っちゃって、マナ板と包丁を出しっぱなしにすることがある。
それで、マックスを帰したあとにキッチンへ行ったら、マナ板と包丁が出しっぱなしになってたことを発見して、もしもここにマックスが飛び乗って、バランスが崩れて包丁が動いたりしたら‥‥って想像したら、ものすごく怖くなって、それ以来、マックスやジジをお部屋に入れる時には、必ず、ネコ安全チェキをすることにした。
‥‥そんなワケで、あたしは、ネコ安全チェキも終わったし、ブラッシングをしてあげることにした。「してあげる」って言っても、これはマックスのためだけじゃなくて、お部屋に毛を落とされないための予防でもある。それで、いつものようにブラッシングを始めたら、気持ち良さそうに、「グルグル‥‥ グルグル‥‥」って声がだんだん大きくなって来た。前にも書いたことがあると思うけど、猫のブラッシングって、頭のほうからシッポのほうに向かってやるだけじゃなくて、たまに逆毛を立てるようなのを入れないと、キレイにならない。だけど、逆毛は、ブラシに毛が引っかかるから、ネコ的には嬉しくない。
だから、普通にブラッシングしてる時には「グルグル」って言ってるのに、逆毛になると、猫ひろしみたいに「ニャー!」って鳴く。それで、逆毛ブラッシングをおりまぜると、気持ちいい「グルグル」と、嫌がる「ニャー!」が混ざって、「グルグルニャー! グルグルニャー!」って、サイボーグ・クロちゃんの歌みたいになって、これをあんまりしつこくやってると、手を噛まれる。
だけど、いつも不思議に思うのは、猫の鳴き声ってそれぞれ違うのに、嫌がる時の「ニャー!」だけは、どの猫もほとんど同じだってことだ。たとえば、このマックスの場合は、ふだんは「ナンナン」て鳴いて、気持ちのいい時には「グルグル」ってノドを鳴らす。ペペロンチーンの場合は、ふだんは「ニャンニャン」て鳴いて、気持ちいい時は「ゴロロロロロ」ってノドを鳴らす。マイケルの場合は、ふだんは「ニャウーニャウー」って感じに鳴いて、気持ちいい時には「ブブブブブブ」って鼻を鳴らす。だけど、ふだんの鳴き声はこんなに違うのに、ブラッシングで逆毛を立てた時の「ニャー!」は、みんな同じなのだ。
‥‥そんなワケで、猫の鳴き声って、一般的には、「にゃあにゃあ」とか「にゃんにゃん」とかって表記されることが多いけど、これは、だいたい江戸時代くらいからのことで、それよりも前は、「ねうねう」って表記されてた。たとえば、平安時代の「源氏物語」には、たくさんの猫の描写が出て来るけど、その鳴き声は、「ねうねう」って書かれてる。有名なところでは、「若菜の帖」の中の、衛門督の柏木と女三の宮との恋のワンシーンがある。知ってる人にはオナジミだけど、「源氏物語」ってのは、500人以上もの登場人物が出てくる壮大なドロドロ恋愛スペクタクル絵巻だから、知らない人に、この柏木だの女三の宮だのを説明するのはチョー大変だ。だから、きっこ風味で、現代風にアレンジして説明する。
まず、この男性ってのは、株式会社「ヒカル電機」のヒラリーマン、柏木太蔵くんで、世渡り上手なマザコン男だ。で、相手の女性ってのは、この男の上司、武部課長の奥さんだ。ようするに、自分の上司の奥さんを好きになっちゃった男性の話ってワケで、今から1000年も前に、現代の昼メロと同じような設定の物語を書いてたんだから、紫式部ってスゴイ!‥‥なんて部分にもリスペクトしてみつつ、どんなシーンなのかを説明すると、サスガに、現代みたいに、上司の奥さんだろうと何だろうと、ソッコーでイン・ザ・ホテルのオン・ザ・ベッドなんてワケには行かない時代だから、「相手のことを熱く思い続ける」って言う描写によって、単純で動物的なアングロサクソン系のセックスとは一線を画した、ニポンの恋愛美学を確立してるのだ。
さて、好きになった相手が、自分の上司の奥さんじゃあ、太蔵くんの思いは、なかなか叶うことはない。それどころか、会うことすらできずに、柱の影からソッと見ることくらいしかできない。だけど、会いたい。会えなくても、好きな相手の匂いのするもの、好きな相手と同じものを自分も持っていたいって思うようになる。だから、恋愛だの不倫だのって言う前に、ヘタしたら、危ないストーカーだ(笑)
そして、このストーカー‥‥じゃなくて、太蔵くんは、武部課長の奥さんが無類の猫好きで、珍しい外国産の猫を何匹も飼ってるってことを知った。それで、何とか自分も、この奥さんの可愛がってる猫を1匹手に入れて、その奥さんの代わりとして、抱きしめたいって思ったのだ。ようするに、実際の女性に相手にされない男が、アイドルだのアニメだのフィギアだのを代償にして擬似恋愛をするみたいなもんで、ストーカーであり、ヲタクであり、「なんなんだ! この男は!」‥‥ってワケで、最初は「男性」って書いてたあたしの表記も、いつのまにか「男」って変わってることからも、あたしの嫌いなタイプだってことが分かるだろう‥‥なんてことも言ってみつつ、太蔵くんは、綿密な計画を立てて、武部課長の上司、安倍部長の家へとアイサツに行った。この安倍部長も、無類の猫好きなんだけど、武部課長の奥さんと違って、普通のニポン猫をたくさん飼ってた。それで、太蔵くんは、安倍部長に向かって、こう言ったのだ。
「いや〜部長、ホントに可愛い猫ちゃんたちですね〜だけど、武部課長の家にいる外国産の猫たちは、他では見たことのないほど可愛かったですよ〜」
この言葉を聞いて、安倍部長は、当然、武部課長の家の外国産の猫に興味を持った。それで、太蔵くんが帰ったあとに、さっそく武部課長に電話して、こう言った。
「あ〜武部くん、実はね、選挙の時に色々な面でお世話になった堀江くんがね、広島カープを欲しいって言ってるんだよ。だから、君のほうで、ナベツネさんや奥田会長に根回しをして、取り計らっておいてくれ。それからね、君の奥さんが珍しい外国産の猫を飼ってるんだってね。悪いけど1匹ゆずってくれないか?」
肥大なるイエスブタの武部課長は、上司の命令には絶対服従だから、ソッコーで堀江くんのための根回しをしたあとに、奥さんから1匹の猫を受け取り、安倍部長の家へと届けたのだ。
‥‥そんなワケで、それから1週間ほどしたころ、太蔵くんは、「そろそろ安倍部長は、武部課長の奥さんの猫を手に入れたころだな」と思い、また、安倍部長の家を訪ねた。そして、たくさんのニポン猫の他に、1匹の外国産の猫がいるのを見つけて、安倍部長に向かって、こう言った。
「部長、武部課長の家の猫を手に入れたのですね! でも、こうして見ると、安倍部長のニポン猫のほうが遥かに可愛いですね。それに、猫はあまり飼い主を見分けることはないと言われてますが、この猫は賢いのか、どうも飼い主が代わったことを知って、落ち着きがないように見えます。これでは、他の猫たちに悪影響が出てしまいますから、この猫は、しばらく私が預かっておきましょう」
世渡り上手な太蔵くんは、こうして安倍部長を利用して、マンマと武部課長の奥さんの猫を手に入れた。そして、太蔵くんは、奥さんの代わりとして、この猫を毎晩、抱いて寝て、昼間はいつでもナデでたりカマったりと、四六時中ずっと溺愛して暮らした。そのうち、猫も太蔵くんになつき、自分のほうから太蔵くんにスリ寄って来るようになった。そして、ここからの部分を原文から引用すると、こうなってる。
人げ遠かりし心もいとよく馴れて、ともすれば衣の裾にまつはれ、寄り臥し睦るるを、まめやかにうつくしと思ふ。いといたくながめて、端近く寄り臥したまへるに来て、ねうねう、といとらうたべになけば、かき撫でて、うたてもすすむかな、とほほ笑まる。「恋ひわぶる人のかたみと手ならせばなれよ何とてなく音ならむこれも昔のちぎりにや」と、顔を見つつのたまへば、いよいよらうたげになくを、懐に入れてながめゐたまへり。御達などは、「あやしくにはかなる猫のときめくかな。かやうなるもの見入れたまはぬ御心に」と、とがめけり。宮より召すにもまゐらせず、とり籠めてこれを語らひたまふ。
ナニゲに意味は分かると思うけど、念のために「きっこ訳」しとくと、こんな感じだ。
人には馴れてなかったこの猫も、太蔵くんにだけは良く馴れて、服にまつわりついて来たり、寝る時には自分からそばに来たりするようになったので、太蔵くんは、この猫をすごく可愛く思えて来た。そして、議員宿舎の高級マンションで、窓の外を見てボーッとしてたら、猫が近寄って来て、「ねうねう」って可愛く鳴くもんだから、思わずナデながら、「なんだ、そんなに一緒に寝たいのか?」なんて思って、ほほえんじゃう。 「恋しい人の代わりとして可愛がってたから、こんな鳴き方をするようになったんだな。これも前世からの因縁なのかな?」なんて思いつつ、抱き上げた猫の顔を見れば、もっと可愛く鳴くもんだから、もうガマンできなくて、猫を服の中に入れて、素肌で猫の感触を楽しんじゃった。そんな太蔵くんのウワサは、会社でも広がり、同じ課のOLたちは、「太蔵くん、急に猫を可愛がり始めたみたいだけど、何だか変よね? 今までは猫に興味の無い人だったのに‥‥」なんて、給湯室でウワサしてる。それでも、そんなことはお構いなしに、太蔵くんは、安倍部長からの「そろそろ猫を返してくれないか?」って言う内線も無視して、未だに、猫を可愛がり続けてるのだ。
‥‥そんなワケで、この時代には、どの猫の鳴き声も「ねうねう」なのに、思い込みの激しい太蔵くんは、愛する奥さんの身代わりの猫が「ねうねう」って鳴いたのを「寝よう、寝よう」って聞いたのだ。つまり、女性のほうから自分にスリ寄って来て、「ねえ、あなた‥‥早くベッドへ行きましょう‥‥」って誘ってるってふうに思い込み、じんわりと幸せを噛みしめてたってワケで、リトル‥‥って言うか、ソートー不気味な絵だ。
ま、これだけなら、タダの不気味な変態ヲタクって感じだけど、太蔵くんの名誉のために補足しとくと、太蔵くんはちゃんと武部課長の奥さんと不倫をして、ちゃんとセックスをして、ちゃんと妊娠させて、ちゃんと出産させて、それを知らない武部課長は、その子を自分の子供だと思い込んで、育てましたとさ。めでたし、めでたし‥‥ってワケだ(笑)
さて、こんな男にも利用されちゃう猫の鳴き声だけど、この「ねうねう」が、突然、今の「ニャーニャー」に変わったんじゃなくて、途中に「にょうにょう」って言うワンステップがある。これは、現代仮名づかいの表記で、当時は「にようによう」って書いてたんだけど、これは、「ねうねう」を「寝よう寝よう」って意味として聞く上で、より「寝よう」に近づけた表記なのだ。だから、同じ「源氏物語」でも、與謝野晶子が訳したものとかには、同じ「若菜の帖」のこのシーンが、「ねうねう」じゃなくて「にょうにょう」って書いてある。
これは、また書き出すと長くなっちゃうから、サクッと要点だけにするけど、「猫」ってのは、「遊女」を表わす意味も持ってた。だから、そんな背景もあって、睡眠の「寝る」じゃなくて、男性側から見た、女性とセックスをするって意味での「寝る」ってことを表現する上で、「猫」だとか「猫の鳴き声」だとかを使うってのが、一般的だった。だから、「源氏物語」だけが特別なんじゃなくて、平安時代の和歌から、近代の小説に至るまで、この表現方法は良く見られるのだ。大マタをおっぴろげて「カモ〜ン!」とか叫ぶアングロサクソンとは、正反対に位置するニポン的な情緒あふれるセックス描写、なんてワンダホーなんだろう。
‥‥そんなワケで、男性から見ると、恋しい女性にベッドインをせがまれてるように感じちゃうらしい猫の鳴き声だけど、あたしのお部屋を訪ねて来るマックスの「ナ〜ン! ナ〜ン!」ってのは、いったい何なんだろう? もしかすると、「無〜い! 無〜い!」って意味で、「電気代が無〜い! ガス代も無〜い!」ってことなのかも知れない‥‥なんて、またそろそろ、モロモロの支払いを心配する時期が近づいて来た今日この頃なのだ(笑)
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