からんからん
東京は、昨日に続いて今日も30度近くあって、すごく蒸し暑かった。だけど、今日は、ある広告のお仕事の準備で浅草に行ってたので、ちょっと遅いランチに、老舗っぽいお店に入って、お素麺を食べたら、体温的なことだけじゃなくて、目にも耳にも涼しくなって、「あ~夏だな~」って感じがした。薬味は、刻んだ万能ネギの他に、擦ったショウガ、糸切りにした大葉、千切りにしたミョウガ、炒った白ゴマが添えてあったので、ヒトクチずつ色んな味を楽しむことができたし、何よりも嬉しかったのは、お素麺以外のジャマなものが何も入ってなかったことだ。
あたしは、お素麺や冷麦の中に、カンヅメのサクランボだとか、カンヅメのミカンだとか、薄く切ったスイカだとかが入ってるのが、ガマンできないのだ。薄く切ったトマトとかキュウリなら理解できるんだけど、なんで甘い果物を入れるんだろう? 酢豚の中にパイナップルが入ってんのとか、ヒドイのになると、ブ厚く切ったハムを焼いた上に、カンヅメのパイナップルが乗ってるヤツもあるけど、あたしは、意味が分かんない。あと、こういう「普通の食べ物に果物を入れる」ってのの逆のパターンで、メロンに生ハムが乗ってんのもあるけど、あれも意味が分かんない。メロンならメロンだけ食べたほうがぜんぜんいいし、生ハムなら生ハムだけ食べたほうがぜんぜんいい。
だから、今日のお素麺は、氷以外は何も入ってなかったから、すごく嬉しかった。ガラスの器も涼しげだったし、薬味のバランスも涼しげだったし、のど越しも味も涼しげだったし、蒸し暑い日だったからこそ、「涼」ってものを味わうことができた。その上、そのあとに、甘味のお店にも寄っちゃって、クリーム白玉抹茶あんみつを食べたもんだから、もう大満足な今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、岡本夏生のパチンコ台のオカゲで、お素麺とクリーム白玉抹茶あんみつを食べられたワケだけど、久しぶりに浅草を歩いたら、浴衣を着たくなった。そろそろ浅草は「ほうずき市」だから、浴衣を着て、電車じゃなくて水上バスで行きたいな~って思った。ドジョウ料理が大好きなあたしとしては、「駒形どぜう」に行って、ネギが山盛りのどじょう鍋と柳川をつまみながら、冷酒をキュッと行きたいね。だけど、どじょう汁だけは、甘くて苦手だ。せっかくのドジョウなのに、なんであんなに甘いお味噌汁にしちゃうんだろう? ちなみに、「駒形どぜう」は、渋谷にもあるけど、やっぱ、歴史ある浅草の本店で食べないと、夏が来たって感じがしない。
ま、ドジョウの話は置いといて、今日食べたお素麺だけど、ホントは、「素麺」じゃなくて「索麺」って書くらしい。正岡子規の日記、「病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)」には、「ソーメソを素麺と書くは誤って居る。やはり索麺と書く方が善い。索(なわ)のごとき麺の意であろう。」って書いてある。でも、どうなんだろう? たしかに、「索」って字は、「なわ」とか「つな」って意味があるけど、あんなに細いお素麺に対して、「なわ」とか「つな」ってのはイメージが一致しない。
だけど、お素麺のルーツを調べてみたら、この字の意味が分かった。お素麺は、もともとは、奈良時代に中国から伝わって来た「索餅(さくへい)」ってお菓子がモトで、ニポンでは「麦縄」って名前でも呼ばれてたくらい、縄みたいな綱みたいな太いお菓子だったのだ。この索餅をニポンに持って来たのは、弘法大師(空海)だとも言われてる。それで、この索餅は、単なるお菓子じゃなくて、7月7日の七夕の日に、お供えしたり食べたりするものだった。それは、「七夕の日に亡くなった子供の霊が、村々に疫病をもたらしたので、その霊を鎮めるために、その子供の大好物だった索餅をお供えした」っていう、中国の言い伝えに由来する。つまり、弘法大師なのか誰なのかは分かんないけど、中国から索餅を持って来た人は、索餅だけじゃなくて、この言い伝えも一緒に持って来たってワケだ。
それで、ニポンでも、七夕の日には、この索餅をお供えするようになったんだけど、平安時代のころは、まだ中国から入って来たままの形のお菓子だった。それが、時代の流れとともに、まるで「流し素麺」のように、「餅」から「麺」へと変化して行って、江戸時代には、全国でお素麺が大流行しちゃった。有名な奈良の三輪素麺をはじめとして、全国で色んな素麺が作られて、高級なものは将軍様に献上されたりもした。
‥‥そんなワケで、松尾芭蕉の「おくのほそ道」の中には、元禄2年(1689年)の6月3日から10日まで、出羽三山を巡礼する様子が書かれてる。出羽三山てのは、すごく有名だけど、羽黒山と月山と湯殿山で、この3つの山にある権現様を巡るのが、出羽三山の巡礼だ。羽黒山と月山の権現様は頂上にあるんだけど、湯殿山の権現様は谷底にあって、鉄のハシゴだとか鎖だとかにつかまって、谷底まで降りてかなきゃなんない。その上、今よりも山道が厳しかった上に、ルートも遠回りだったから、6月5日にスタートした芭蕉様ご一行は、9日まで掛かっちゃった。それで、この巡礼の前後にはプチ断食をすることになってるんだけど、巡礼が終わったあとは、翌日のお昼までプチ断食をしてから、お昼にお素麺を食べる決まりになってたようだ。芭蕉のお供をした曽良(そら)の随行記には、次のように書かれてる。
「九日 天気吉、折々曇。断食、及昼テ、シメアグル。ソウメンヲ進ム。亦、和交院ノ御入テ、飯、名酒等持参。申刻ニ至ル。花ノ句ヲ進テ、俳、終。ソラ発句、四句迄出来ル。」
‥‥って、このままじゃ読めないと思うから、今のニポン語にすると、こうなる。
「6月9日 お天気は晴れ時々くもり。お昼まで断食をして、注連(しめ)を奉納した。それから、お素麺を進められたのでいただいた。そのあとに、食べ物やお酒を持って和交院へ行き、なんだかんだでもう夕方の4時。途中だった歌仙は、花の句のとこまで進めて終わりにした。あと、自分の発句が4句できた。」
「注連」ってのは、巡礼をスタートした時に預かり、首にかけてたもので、巡礼を終えた時点で、奉納することになってる。で、芭蕉は、この時、羽黒山と月山のてっぺんまで登ったから、芭蕉の人生において、もっとも標高の高い場所に登ったってワケだ。それで、人生でもっとも高い場所から降りて来た芭蕉が、最初に食べたものが、お素麺なのだ。だからって、別に大したことじゃないけど、七夕をちょうど1ヶ月後に控えた時季だから、この「巡礼のあとにはお素麺を食べる」って決まりごとも、ナニゲに、七夕の索餅から発展したものなのかも知れない‥‥ってなワケで、またまた、江戸から明治へと時間を戻すと、正岡子規にこんな句がある。
文月のものよ五色の絲そうめん 子規
文月(ふみづき)ってのは、陰暦の7月のことで、今でいう8月のことだ。それで、この、陰暦の7月7日が七夕だから、「七夕のある7月こそが、五色の糸そうめんを食べるベストシーズンなのだ!なのだったら、なのなのだ!」って意味の句だ。で、この「五色の糸そうめん」てナニ?‥‥ってことになるけど、これは、子規の生まれ故郷、愛媛は伊予松山の特産品で、美しい5色になってる。もちろん、あたしは、こんなにスゴイお素麺なんか食べたことはないけど、江戸時代から作られてた由緒ある特産品なのだ。ちなみに、江戸時代に流行した「伊予節」って民謡にも、「伊予の松山~名物名所~三津の朝市~道後の湯~音に名高き五色素麺~十六日の初桜~」って歌われてる。さらに、ちなみに、「五色そうめん株式会社森川」って老舗のホームページを見てみたら、「マンガ五色そうめん物語」が読めた上に、この「伊予節」を聴くことができた。マンガもカラーで素晴らしかったし、最後には正岡子規も出て来たから、興味のある人は検索してみてちゃぶだい。
それにしても、ピンクとかグリーンとかの色がついた麺が入ってるのが冷麦で、真っ白なのがお素麺っていうあたしの常識は、簡単にくつがえされちゃった。もともとは、冷麦とお素麺とを間違えないように、冷麦のほうだけに色つきのものを混ぜたのが始まりなのに、今じゃ、ピンクとかグリーンが入ってるお素麺も売られてる。なんでかっていうと、色つきを混ぜたほうが、子供にウケがいいからだそうだ。今日、お昼に食べたお素麺が、あんまり美味しかったから、帰りにお素麺を買いにスーパーに寄ったんだけど、あたしの好きな「揖保の糸」の隣りに、初めて見る「奥の細道、寒仕込み」って書いてあるお素麺があった。このネーミングだけでも、あたし的にはストライクなのに、さらに、量はいっぱい入ってるし、値段は安いし、ピンクのが入ってたから、買ってみることにした。宮城県の「はたけなか製麺」てとこで作ってて、ピンクのは紅花で着色してあるって書いてあった。
‥‥そんなワケで、伊予の五色素麺みたいに、涼しげでキレイな色だったり、あたしが買った「奥の細道、寒仕込み」みたいに、1束の中に2~3本、ピンクのが入ってるくらいならオッケーなんだけど、あたしが、どうしても耐えられないのが、「阪神タイガースそうめん」だ。1束が丸ごと真っ黒、1束が丸ごと真っ黄色、それと、普通の白いお素麺がセットになってる。ようするに、阪神カラーなんだけど、真っ黒のお素麺て、想像しただけでも気持ち悪いし暑苦しい。たとえば、真っ白の1束の中に、ピンクやグリーンが2~3本入ってるみたいな感じで、黒と黄色がチョコっと入ってんのなら分かるけど、1束が丸ごと真っ黒って、あたしにゃ理解できないセンスだ。オマケに、箱のフタの裏には、お約束の「六甲おろし」の歌詞が書いてあるし‥‥(笑)
ま、1300年以上もの歴史があるお素麺まで、黒、黄、白の阪神カラーにしちゃうなんて、サスガ、ナニワのアキンドのセンスはワンダホーだけど、関西エリアの人たちって、おそばよりもうどんが好きなんだろうから、こういうことは、お素麺よりも太い冷麦でやってくれればいいのに‥‥なんてことも言ってみつつ、あたしは、東京生まれの東京育ちだから、おそばは大好物だけど、うどんはそんなに好きじゃない。それでも、お鍋の最後にうどんを入れたり、寒い時季には、タマに味噌煮込みうどんを食べたりするけど、基本的には、おそばかうどんかを選択できるお店に入った場合には、ほぼ100%、おそばを注文する。キツネうどんなんて、死んでも注文しない。絶対にキツネそばだ。それから、カレーうどんとか鍋焼きうどんみたいに、おそばよりもうどんが似合うようなメニューの場合でも、できる限り、カレーそばにしてもらったり、鍋焼きそばにしてもらったりすることが多い。
うどんよりもおそば、冷麦よりもお素麺が好きなあたしは、当然、細い麺が好きなワケだけど、麺の太さには、ちゃんと規格がある。日本農林規格(JAS規格)によると、お素麺の太さは直径が「1.3ミリ未満」って決まってて、これを超えると、どんなに「お素麺だぁ~!」って叫んでも、冷麦ってことにされちゃう。それから、その冷麦は、直径が「1.3ミリ以上、1.7ミリ未満」って決まってて、これを超えると、どんなに「冷麦だぁ~!」って叫んでも、うどんってことにされちゃう。
‥‥そんなワケで、気の遠くなるほどの歴史がある上に、松尾芭蕉も、正岡子規も食べたお素麺だけど、九州の鯛(たい)素麺や、滋賀の鯖(さば)素麺みたいに、お魚を入れたものもあれば、沖縄では、お素麺を炒めてソーミンタシヤー、島豆腐と一緒に炒めてソーミンチャンプルーって感じで、完全に郷土料理にしちゃったとこもあるし、そのバラエティーさには無限の可能性がある。だけど、あたしとしては、最初に書いたように、ヨケイなものは何も入ってない、お素麺だけのシンプルなものが一番好きだ。それは、なんでかっていうと、お素麺て食べ物の本意が、「涼」だからだ。涼しげなガラスの器のお素麺が、カランカランて氷の音を立てながら運ばれて来ると、その音だけで涼しくなって来る。そして、運ばれて来たお素麺に、大葉やミョウガなんかの薬味が添えてあると、またまた涼しくなって来る。さらには、「暑い」ってこと自体が、何よりの薬味なのだ。つまり、こういった、耳や目や体に作用するすべてがお素麺を美味しくしてくれるってワケで、粋な江戸っ子は、ゴチャゴチャとヨケイなものなんかは必要としない今日この頃なのだ。
素麺のからんからんと来たりけり きっこ
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