« お知らせです♪ | トップページ | 輸入再開は輸入最下位 »

2006.07.27

差別用語のひとり歩き

Chibikurosannbo
昨日の日記に関して、「ダイアル式」についてとか、「株式会社」についてとか、「縄文式土器」についてとか、色んなメールをいただいたんだけど、その中に、次のようなメールが何通かあった。


お名前:OJ
E-mail:xxxxx@xxxxx.ne.jp
コメント:きっこさん、こんにちは。今日の日記に「片手落ち」という言葉が何度も出てきますが、これは障害者に対する差別用語に当たると思われますので、使わない方が好ましいと思います。(後略)


1通か2通ならワザワザ取り上げないんだけど、16通もあったので、世の中にはカン違いしてる人がケッコーいるんだと思って、今日のマクラで取り上げることにした。「片手落ち」ってのは、「片手/落ち」じゃなくて、「片/手落ち」ってことで、「片方のことはきちんとやったのに、もう片方のことは中途半端にしてしまった」って意味から、「片方に対する配慮が欠けている/不公平」って意味として使われている言葉だ。だから、この「片手落ち」ってのは、差別用語でも何でもない。

だいたいからして、「片手落ち」を「片手が落ちた」って意味に曲解して差別用語だって言うんなら、「手数が足りない」とか「手抜き工事」とかはどうなるの? どれもみんな差別用語になっちゃうじゃん。あたしの感覚で言うと、ヤタラと神経をピリピリさせて、差別用語でも何でもないこういう言葉まで、「差別用語だ!」って騒ぎ立ててる人たちのほうが、よっぽど差別的な感覚が強いんじゃないかと思っちゃう今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、この「片手落ち」みたいに、正しい意味を知らない人たちが勝手に「差別用語だ!」って騒いでるような言葉に関してはおへそがカプチーノだけど、他の、正しい意味で使われている言葉に関しては、一般的な感覚とリトル違うっぽいとこがある。たとえば、テレビやラジオのニュースとかで、「知的障害者」って言葉を良く聞くけど、あたしの感覚だと、この言葉だって、差別用語みたいに聞こえる。それ以前に、「障害者」って言葉自体が、差別用語みたいに感じる。

ちょっと話はダッフンしちゃうけど、今年の5月29日に、ファンファンの愛称で親しまれてた俳優の岡田真澄が亡くなった時に、あたしは、色んな芸能人たちの追悼のコメントを集めてた。これは、別に、岡田真澄に限ったことじゃなくて、有名人が亡くなった時には、いつもやってることだ。なんでかっていうと、亡くなった人じゃなくて、コメントを言ってる芸能人たちのほうの人間性が良く分かって、面白いからだ。すごく多いのは、故人に対して語るんじゃなくて、いかに自分が故人のことを思ってる心の温かい人物なのかってことを必死にアピールする芸能人たち。生前、ホントに仲良くしてて、ホント悲しんでる人だったら、レポーターにマイクを突きつけられても、コメントなんかできないほどの状態なのが普通で、ここぞとばかりに調子のいいことをペラペラとノタマエルのは、実際には、ほとんど交流のなかった人たちだ。

そういう人たちのコメントは、たいていが、「いかに巧いことを言うか」とか、「いかに自分を良い人に見せられるか」とか、そんなことを考えてコメントしてるのがバレバレだ。お葬式の映像を見ても、心から悲しんでるのなんか、ホントに深い交友のあった数人だけで、9割以上の参列者は、ツキアイで顔を出しに来た芸能人や関係者ばっかだから、レポーターにマイクを向けられれば、テレビを見てる人たちに、いかに自分を良く見せるかってことしか頭にない。で、今回の岡田真澄に関する色んな人たちのコメントの中で‥‥って言っても、ぜんぶはとても見てないけど、あたしが見た中で、ビックル一気飲みをしたのが3人いた。それは、やくみつると、みのもんたと、デヴィ夫人だ。

有名人のサインなどのコレクターとしてもオナジミの漫画家、やくみつるは、こう言った。


「岡田真澄さんとは、テレビ局の廊下で何度もすれ違ってたのに、声をかけたことはありませんでした。こんなことになるんなら、サインをもらっときゃ良かった! ウカツだった!」


みのもんたは、こう言った。


「ファンファンは、タキシードの似合う唯一の日本人でしたね~」


おいおい、いくら故人を立てるって言っても、そんなこと言っちゃったら、ダンディー坂野の立場はどうなる?‥‥なんてことを言ってみつつも、これらの発言は、別に何の問題も無いし、当然、放送コードにも引っかからない。それで、賢明なる「きっこの日記」の読者諸兄なら、この流れから、「次のデヴィ夫人のコメントがオチなんだろうな?」って思っただろうけど、皆さんのご想像通り、デヴィ夫人は、こう言った。


「初めてファンファンと出会ったのは、私が17くらいで、ファンファンが22くらいだったんですが、あのころは、まだ、アイノコってものに対して、世間の目が」


なんで、「世間の目が」ってとこで途切れてるのかって言うと、このワイドショーは、お葬式の会場から生中継してて、このデヴィ夫人のコメントも、ナマだったのだ。それで、コメントの途中だったのに、この「アイノコ」って言葉が出たトタンに、突然、CMに切り替わったのだ。そして、この、某テレビ朝日のワイドショーは、ナニゴトもなかったかのように、CM明けからは別の話題を始めた。たぶん、これが、スタジオにいた司会者やゲストの発言だったとしたら、ソッコーでお詫びが入ってたと思うけど、お葬式の会場前からの生中継だったので、そのまま「なかったこと」にしちゃったんだろう。

‥‥そんなワケで、おんなじ差別用語でも、浮世離れしてて世間の常識を知らないデヴィ夫人なら許されるけど、スタジオに来てる文化人だとNGなのか、非常識なマスコミの常識なんか、あたしには良く分かんないけど、それ以前に、あたしには、なんで「アイノコ」って言葉が差別用語なのか、放送禁止用語なのかが分かんない。「アイノコ」とか「混血児」が差別用語なのに、「ハーフ」とか「クウォーター」とかはオッケーっていう線引きが、あたしには理解できない。マサカ、「英語ならカッコイイ」とかっていう昭和の感覚で決められてるとは思わないけど、おんなじ意味の言葉なのに、ニポン人がニポン語で表現することがNGなのに、英語ならオッケーって、「お前はマッカーサーか?」って、誰に向かってツッコミを入れればいいんだろう?

ちなみに、FMの「NACK5」のナマ番組に、アイドルの宮路真緒がゲスト出演した時のこと、自分のペットの犬のことを話してる中で、「この犬はアイノコなんですよ~」って言ったら、すぐにDJが、「ただ今、不適切な言葉がありました」って言って、謝罪してた。放送禁止用語って、すべてのラジオ、テレビ局で統一されてるのか、それとも、局によって違うのか分かんないけど、テレビ朝日ではヒトコトの訂正も謝罪も無かった「アイノコ」って言葉が、FMの「NACK5」の場合は、犬に関してのことでもNGだったワケだ。

あたしは、前に、ポメラニアンとパピヨンをかけあわせた「ポメパピ」とか、チワワとプードルをかけあわせた「チワプー」とか、マルチーズとダックスをかけあわせた「マルダックス」とか、チワワとダックスをかけあわせた「チワックス」とか、こういった「ミックス犬」についてリトル書いたことがあるけど、ようするに、宮路真緒の飼ってる犬は、この「ミックス犬」なんだと思う。だけど、これはどう見ても「アイノコ」で、「ミックス犬」て呼ぶのはいいけど、「アイノコ」って呼ぶと「不適切な言葉」になっちゃうシステムが、あたしには理解できない。だって、どう考えたって、「ミックス」なんて呼ぶほうが、ジュースじゃあるまいし、命ってもんをもてあそんでるように感じるじゃん。「アイノコ」のほうが、「愛の子」みたいで、よっぽど温かみを感じるよ、あたしは。

‥‥そんなワケで、1994年に出版された「徹底追求、言葉狩りと差別」(週刊文春編)の中の「大新聞の言い換えリスト」では、差別用語はABCの三段階に分けられてて、「アイノコ」は、Bランクになってる。このBランクってのは、「特別な場合以外は使わない方が良い」って言葉だそうで、「アイノコ」は「混血児」に言い換えるように書かれてる。つまり、今から12年前の新聞の感覚だと、「アイノコ」は「なるべく使わないようにする言葉」だけど、「混血児」ならオッケーってことだったのだ。

だけど、今では、「アイノコ」も「混血児」もおんなじように差別用語一覧に載ってて、両方とも「ハーフ」に言い換えるように指導されてる。ようするに、この10年ほどの間に、世の中の言葉の感覚が変化したってことなんだろうけど、こういうのって、いったい誰が決めてんだろう? だって、言葉の感覚なんて人それぞれ違うし、特に、差別用語ってもんに関しては、差別される側の人たちの意見を聞かなかったら、決められないハズだからだ。

たとえば、「アイノコ」や「混血児」を差別用語に認定するんだったら、ニポン中のニポン国籍のハーフやクウォーターの人たち全員にアンケートをとって、それで、決めるべきだと思う。それがムリでも、少なくとも何千人かのハーフの人たちに聞いて、本人たちが「差別だ!」って言ってんならジンジャエールだけど、なんか、こういうのって、どっかのナントカ学者みたいなオッサンが、勝手に決めちゃってるような気がする。じゃなかったら、ポメラニアンとパピヨンをかけあわせた犬のことを「アイノコ」って呼んで、それが「不適切な言葉」になっちゃうような、こんなトンチンカンな事態にはならないと思う。だって、「アイノコ」がダメでも「ミックス犬」がいいんなら、ハーフの人のことも「ミックス人」て呼んでいいってことでしょ? こんなことを書くと、「人間と犬を一緒にするな!」って人もいるかも知れないけど、これは、あたしが言ってんじゃなくて、FMの「NACK5」がこういった感覚で放送してるってことだ。

あたしは、差別用語なんてもんは、言われたほうが「差別だ!」って感じれば、どんな言葉だって差別用語になっちゃうと思うし、誰かが決めることじゃないと思う。そして、あたしは、ホントの差別用語ってのは、言われた相手が不愉快な気持ちになるのは当然として、その言葉を使ったほうも、あんまりいい気持ちがしない言葉なんじゃないかって思ってる。だって、差別用語ってのは、相手を差別するための言葉で、誰が相手を差別してんのかっていえば、それは、その言葉を使った自分自身だからだ。

たとえば、しばらく前から、「老人性痴呆症」を「認知症」って呼ぶことになったけど、この「痴呆症」って言葉は、あたしは使うのがイヤだった。もちろん、言われてるほうの家族とかもイヤだったと思うけど、使ってるこっちもイヤだった。これは、きちんと決められた病名だから、正確には差別用語とは違うんだと思うけど、あたしは、「痴呆症」って言葉を使うたびに、ひどい差別用語を使ってるのとおんなじような、すごくイヤな気分がしてた。なんてセンスの悪い、なんて無神経なネーミングなんだろうと思って、こんな最悪な名前を考えたヤツの顔を見てみたいと思ってた。だから、「認知症」って呼び方に換わってくれて、すごく良かったと思ってる。

‥‥そんなワケで、あたしは、「痴呆症」を「認知症」に換えたことには大賛成するけど、「アイノコ」や「混血児」を「ハーフ」や「ミックス」に換えることが、これとおんなじ感覚だとは、とうてい思えない。これは、「アイノコ」や「混血児」が差別用語じゃないって言ってるんじゃなくて、あたしの感覚だと、「ハーフ」や「ミックス」のほうが、さらに悪い言葉のように感じちゃうからだ。お葬式で岡田真澄のことを「アイノコ」って言ったデヴィ夫人には、これっぽっちも相手を差別する気持ちなんかなく、当時のことを当時の言葉で話してただけだ。それを「不適切」として、大慌てでCMに切り替えたテレビ局のほうが異常なのだ。自分の犬のことを「アイノコ」って説明した宮路真緒も、自分の大切な愛犬を差別するワケもないし、それが差別用語だなんて認識なんかミジンもなかった。そんなことに対して、ワザワザ謝罪するラジオ局のほうが異常なのだ。重要なのは、「どんな言葉を使ったか」じゃなくて、そこに「差別意識があったかどうか」ってことなのに、こんな当たり前のことすら分からずに、大切なニポン語を破壊し続けてるバカなマスコミこそ、あたしは、差別すべき対象だって思う今日この頃なのだ。


★ 今日も最後まで読んでくれてありがとう♪
★ 1日1クリック、応援をヨロピクお願いしま~す!
   ↓   ↓
人気blogランキング

|

« お知らせです♪ | トップページ | 輸入再開は輸入最下位 »