終戦の日
今日、8月15日は「終戦の日」なので、6日の日記、「原爆の日」と、9日の日記、「小学生を見習え!」に寄せられたたくさんのメールの中から、何通かを紹介しようと思う。
お名前:Z
E-mail:xxxxx@xxxxx.ne.jp
コメント:きっこさんこんばんは。「原爆の日」素晴らしかったです。亀田の試合でなんかより、こうゆう事に涙を流す日本人が増える事を願っています。
お名前:KD
E-mail:xxxxx@xxxxx.com
コメント:拝読しました。胸、潰れました。半日泣きはらした目で過ごしました。ありがとう御座いました。
お名前:HM子
E-mail:xxxxx@xxxxx.ne.jp
コメント:はじめて、メールします。HM子と言います。今日の俳句は通勤電車の中で読ませていただき、涙が溢れるのをとめられませんでした。ご紹介いただきありがとうございます。
お名前:AY
E-mail:xxxxx@xxxxx.com
コメント:失礼ながら、ふだん斜に構えて拝読している貴殿のHPですが、松尾あつゆきの「原爆句抄」を教えていただいたことに感謝します。貴女の日記を読んでよかったです。ありがとう。
お名前:SK
E-mail:xxxxx@xxxxx. ne.jp
コメント:いつもブログを拝読しています。六日付けの日記には,涙が止まりませんでした。この国が経験した悲惨を,直接伝えてくれる人たちは,もうこの世を去りつつあります。そして「戦争を知らない子供たち」が政治を動かす時代。伝えていかなくてはならないと思います。
お名前:H子
E-mail:xxxxx@xxxxx.com
コメント:きっこさん こんにちは。今日は長崎に原爆が落ちた日ですね。11時2分、仕事で蕨市の郊外を歩いていた私も路上で黙祷を捧げました。そのときに、突然「さとうきびばい うまかとばい・・・」と、優しい声が聞こえたような気がしました。きっこさん。私は涙がこみ上げてきて、人目を憚らずハンカチで瞼を覆い、しばらく立ちすくんでしまいました。もちろん、先日きっこさんがご紹介下さった松尾あつゆきの句が、というよりその情景が浮かんできたのです。どの句をとっても誇張の無い混じりけの無い悲しみが強い力となって読む者の胸を突きます。ご紹介下さってありがとうございました。今日はきっこさんに一言お礼を申し上げたくてメールさせていただきました。天候不順の折柄、どうかご自愛ください。
お名前:DN
E-mail:xxxxx@xxxxx.nejp
コメント:こんばんは きっこさん。こんなに胸の奥を締め付けられるようなブログをあなたが書くとは思わなかった。自分はまったく戦争体験もなく戦時中の話もあまり聞いたことがない。歴史の教科書やメディアで得た情報だけだが、なんでか多くに人が死んでしまうこと、死んでしまったこと、まだなお死に続けていることにひどく胸が締め付けられます。やはり自分の家族や仲間に置き換えた場合のことを想像してしまうからでしょうか。「紺碧の心に響ける原爆忌」
お名前:FS
E-mail:xxxxx@xxxxx.com
コメント:1歳4ヶ月の子を持つ父です。そして私の一族も長崎の爆心地浦上に住む古くからのカトリックで、その多くが被爆死しました。だから原爆は身近に感じてはいましたが、今日きっこさんのブログで松尾あつゆきの句を教えていただき、子を持つ親としていままで以上に戦争の恐ろしさを実感し、戦争を憎みました。彼の句を教えていただいたことはいくら感謝してもし足りません。本当にありがとうございました。ところで戦争に関連して、私にとって忘れられない写真があります。「焼き場に立つ少年」という写真です。アメリカ軍の従軍写真家ジョー・オダネルが、死んだ弟をおんぶして焼き場にやってきた少年を写した写真です。私には彼の姿が、松尾あつゆきの長男に重なって見えました。ご参考になれば幸いです。
お名前:TR
E-mail:xxxxx@xxxxx.ne.jp
コメント:きっこさん、はじめまして。毎日拝読しています。世の中は亀田の八百長問題で大騒ぎですね。きっこさんも亀田問題を取り上げていたので、今日も亀田の続報かと思ってアクセスしたら原爆の日の話題でした。恥ずかしながら私はきっこさんの日記を読むまで今日が原爆の日だということを忘れていました。きっこさん、大切なことを思い出させてくれてありがとうございました。私は松尾あつゆきさんの記事を読み涙が止まらなくなりました。私は毎日必ず読みに行っているブログが5つあるのですが、原爆のことを取り上げていたのはきっこさんだけで、他は皆、亀田問題やポスト小泉の話題でした。たった5つのブログだけで判断することはできないし、原爆の日を忘れていた私が言える立場ではありませんが、日本人の5人に4人は原爆のことなど忘れているように思えてしまいました。
お名前:UN
E-mail:xxxxx@xxxxx.ne.jp
コメント:きっこさん、初めまして。Uと申します。今年の初め、知人のおっさん(60歳過ぎ)から紹介されて時おり、ブログを拝見させていただいております。先日の広島原爆忌の内容は良かったです。私は小学校の修学旅行で長崎の原爆記念館に行きましたが、あまりの悲惨さに、声を失いました。 長じて、東京で働くようになり、関東では原爆に対する関心が極めて低いことに驚きをかくせません。そんな中、きっこさんの文章に、しんみりさせられ、そして、胃袋がしめつけられました。私も自身のブログに私の母方の爺ちゃんや伯母たちの広島の原爆にまつわる話を書きましたが、あのドサクサの中、爺ちゃんはどうやって広島まで行ったのだろう、心中はいかほどのものだったのかと思い至りました。そして、瓦礫の処理に駆り出された父のことも。 明日、長崎の原爆忌です。異国情緒に溢れた美しい港町を一瞬にして廃墟に追い込んだ核兵器が無くなるように願ってやみません。
お名前:AM子
E-mail:xxxxx@xxxxx.or.jp
コメント:いつもきっこの日記を読んでいますが、初めてメールをします。松尾あつゆきさんの「わらうことをおぼえちぶさにいまわもほほえみ」を読んだだけで、涙が止まりませんでした。私に子供がいるからなのかな?私は戦争の話や映画はまったくダメで(残酷で悲し過ぎるから)その手の話題からいつも逃げています。でもきっこさんのブログ見ていなかったら、この俳句さえ避けていたかも。話題豊富なきっこさんから刺激を受けていることを知らせたくて、メールをしました。世界中が平和になって欲しいです。
お名前:長崎の小学校教師
E-mail:xxxxx@xxxxx.ne.jp
コメント:初めてメールします。確かにきっこさんの言われるとおり東京大空襲は原爆よりも遠い話です。ですが、平和集会というのがどの学校にもあって必ずビデオを見ます。そこでは、長崎の話よりも広島の話が多く、紹介されている「そしてトンキーも死んだ」という上野動物園で殺されたゾウの話も有名です。一方、長崎は戦争反対の先頭に立っていける土地と思いますが、長崎県内でも8月9日が土日にあたっている場合、9日に登校せずに平日に振り替えということがほとんどです。長崎市内の学校のみ9日に登校します。(それでも市内全部の学校ではない。)勤務の振り替えが面倒ということです。ということで、長崎であっても戦争風化の流れには逆らえません。今回の「原爆句抄」松尾あつゆきは初めて知りました。原爆資料館での悲惨な展示を目の当たりにした私にとって、胸をえぐられるような気持ちです。きっこさんのブログを読むたびに洞察力に感心しています。
お名前:Y
E-mail:xxxxx@xxxxx.ne.jp
コメント:はじめまして。きっこさんの日記を毎日楽しみにしております。私は広島県出身で今も広島県に住んでおります。祖父が原爆で亡くなっており、骨も戻らず、祖母は悲しみの中大変な苦労をしながら3人の子を育てたという話を良く聞かされておりました。が、8月6日8時15分黙祷するのを忘れるというていたらくでした。きっこさんの日記を読んでガツンと頭を殴られたような衝撃を覚えました。ゾウの花子(トンキー)の話も良く知っていたはずなのに、日記を読むまで忘れており読んだ瞬間から涙が止まらなくなりました。戦争はあってはならないもの、というあたり前のことを、それでも日々の生活のなかでおきざりにしてしまっている、また時にはあえてその問題から目をそむけることすらある、そんな自分を目の当たりにし、今日きっこさんの日記を読んで、祖父は家族を残しどんな思いで死んで行っただろうかということや、祖母たちの苦労や悲しみに再び思いを向け、自分が平和のために今出来ること、自分が生きている間に何をすべきなのかを考えることができました。そして、日記に書かれていたとおり、私にとっては東京大空襲は少し遠いものでした。日記で紹介されていた東京大空襲のサイトもみました。髪や服が自然に発火する状態とありました。なすすべなく多くの人が生きながら火に焼かれた、そのむごさが、今まで目にした東京大空襲に関する情報のどれよりも深く心に刻み込まれました。考えるきっかけをくださったきっこさん、ありがとうございます。きっこさんの日記は今の世の中にある数少ない信じられる道標であると感じています。これからも応援しています。余談ですが、広島の原爆について他県の人の関心のなさを示す残念な例として、以前全国高校野球選手権大会で広島県の代表校が8月6日に試合をすることになり、試合前にグラウンドで黙祷したいと申し出たら高野連に却下されたというのがあります。なんのための全国高校野球選手権大会なのだろうかとも思ってしまいました。
お名前:TH
E-mail:xxxxx@xxxxx.ne.jp
コメント:広島の地にありながら、あなたとは逆に、時として、原爆に背を向けようとしている自分がいます。「ヒロシマ」と書かれる度に、特別であるかのように、ことさらに強調したり、世間に哀れみを乞うように思えて、逃げたくなるのです。遠い地にあって、私よりは若いであろうあなたに、このように篤く思われて、恥じ入るばかりです。原爆が落されたのは、私の母が15歳の時です。爆心地から20km余り離れた市の北部に住んでいました。多くの被爆者が、そんなに離れた山奥まで送られて来て、母はその人たちの介護に当たったのです。山沿いの道路の傍に、高さ4、50cmのコンクリート塀で囲まれた一角があり、そこで亡くなった被爆者の遺体を荼毘に付したと聞きました。その場所は、私も目にしたことがあります。母からは、それ以上のことを聞いた覚えがありません。今思えば、母は思い出したくなかったのでしょう。腎臓病を患い、人工透析が欠かせませんでしたが、発病後、10年を経ずして、64歳で亡くなりました。被爆者手帳を持っている間接被爆者でしたが、原爆との因果関係は分かりません。小学校3年の折、昭和33年に「広島復興大博覧会」が開催されました。被爆から10年余りを経て、戦前の域までに復興したことを記念して開かれたものです。私も、小学校から、バスを連ねて会場に行きました。平和資料館も見学しました。この見学は、子供心には強烈だったのでしょう。その後は、20代になってから、1度入っただけです。平和公園は身近であっても、平和資料館には足が向かないのです。1度目にすれば、確かに十分かも知れません。それ程の衝撃があります。世界各国の首脳にも、1度は見学を勧めたいと思います。政治家を志す若者にこそ、見て欲しいと思います。原爆を詠んだ句には、深い悲しみと平和への思いが読み取れます。これ程の句があろうとは思いませんでした。不勉強を恥じると共に、感謝します。あなたのブログには、共感を覚えることが多々あります。陰ながら応援しています。広島から感謝を込めて。
お名前:H
E-mail:xxxxx@xxxxx.ne.jp
コメント:きっこさん、初めてメールをさせて頂きます。長崎生まれ、長崎在住の36歳男です。原爆の日のブログを読ませて頂きました。初めて知る句も沢山あり、教えて頂きました。ありがとうございます。読んでいると悲しすぎ、とてもではないですが一気に最後までは読めませんでした。原爆、東京大空襲、太平洋戦争など、近頃は大部分の人達が加速度的に忘れていき、もしくは都合の良いように解釈されていってるような気がしています。そんな中で、他ならぬ、きっこさんが書いて下さっているなんて、私としてはとても嬉しい出来事です。ローカルな話題になりますが、長崎の原爆の語り部の人々も、語るという事においても色々と苦労されているようです。以前からですが、修学旅行生の前で原爆の体験談をすると、たちの悪い生徒達が語り部のお年寄りを口汚く罵り、それを見ている教師達は見て見ぬふりをして何も注意をしない。私は、修学旅行生なんか受け入れなければいい、とも思うのですが、その場で酷いことを言う生徒の陰には、沢山の真面目に聞いてくれている生徒もいるはず、とも思いますし、引率している教師の中にも数人は真面目に聞いている人もいるかもしれない、とも思うのです。ただ、何よりも腹立たしいのは、小泉自民党が、現在の政策に対して反論するような意見を言わないようにと、事前に語り部の人達の発言を制限しているのです。小泉自民党の検閲を通らなければ語り部が原爆の話もできないなんて、戦争中と変わらないように思います。
お名前:S子
E-mail:xxxxx@xxxxx.ne.jp
コメント:はじめまして。きっこさん。毎日読んでいます。私の父は子供時代に爆心地1.5キロ以内で被爆しました。父の母、祖母は外にいたため、全身丸やけどだったらしいです。父の父、祖父と一緒に猫車に乗せて祖母の実家まで100キロ以上歩いて連れて行ったそうです。しかし、親戚たちは膿とウジだらけの祖母を見て気持ち悪いといい、粗野に扱ったそうです。数日後、祖母は亡くなりました。妻と、家と仕事を失った祖父は、その後廃人のようになったようです。その後の父の苦労は書ききれませんし、私にもまだ言っていないこともあると思います。実際、祖父が自殺で亡くなったというのを数年前に聞きました。働くことができなくなった祖父は、親戚の家に居候させてもらうために、その家族の保証人になり、それが元で大借金をかかえてしまったようです。今日、平和公園にお参りに行き、その帰り、市民が主催した原爆展に行ってきました。そこは広島の原爆被害だけでなく、長崎や各地の空襲のことも展示してありました。私は、戦争被害というと、広島、長崎、東京、大阪、沖縄くらいしか知識がなかったのですが、日本中のたくさんの小都市まで焼きつくしていたことを今回はじめて知りました。そして、説明文の中で民衆が住んでいるところは焼き尽くされたが、各地の三菱や神鋼の造船所は攻撃されず、無事のままだった、ということが書かれていました。そこで武器などが作られているにもかかわらず、です。それはアメリカ側が自分たちがあとでそこを使うためだった、とありました。実際、戦後進駐軍がそこを使うことになったそうです。私は、戦争の被害に大小、重い軽いはないと思いますが、広島、長崎の被害者が他の方たちと違うところは、後々まで、被害が遺伝として残る怖さだと思います。父は、癌を数回患い、様々な病気に罹ってきました。私も、時々、ひどい気持ち悪さ、だるさに襲われることがあり、ついつい原爆のせいでは、と疑ってしまいます。被爆二世へどれだけの被害があるのかは、まだ研究途上ではっきりしていませんので、子供を産むことにも不安があります。まだまだ書きたいことはあるのですが、パソコンのメール初心者なので、取り急ぎ、今日の感想として送信します。それでは、蒸し暑い日が続きますが、お体に気をつけてください。乱文ですみません。
お名前:広島出身兵庫在住
E-mail:xxxxx@xxxxx.co.jp
コメント:きっこさん、いつも楽しく読んでいます。私は広島出身の22歳で、現在は兵庫で働いています。私の祖母は爆心地のかなり近くで被爆しており、その話をよく聞かせてくれました。そのため、原爆は私にとってかなり身近な存在です。小さい頃からみっちり平和教育を受けてきて、日本全国の人が原爆に対して自分と同じような思いを持っていると信じていました。しかし大学に入り他県の人と触れ合うようになると、原爆への関心の薄さに驚かされました。「広島は原爆を売りにしている」という友人までいました。それを聞いて最初は憤りを感じましたが、自分にもきっと同じように親身になって捕らえきれていないことが無数にあるはずだと思い、同時にこのような意識のずれがあるからこそ、広島出身の私たちが原爆の恐ろしさを忘れずにいなければならないのだと感じました。一人がすべてのことを自分のことのように考えることは不可能だと思うので、せめて自分が思いいれを持っていることに対しては真剣に考えていくべきなんだと思います。今回広島出身ではないきっこさんが、原爆記念日を忘れずにいてくださったことを非常に嬉しく思いました。広島にいた頃は8時15分に黙祷のサイレンが鳴っていましたが、兵庫では勿論鳴りません。これをきっかけに、東京大空襲のことも知っていきたいと思います。読みづらい長文失礼しました。これからも応援しています。
お名前:R子
E-mail:xxxxx@xxxxx.com
コメント:きっこさん、こんばんは。いつも、興味深く拝見させてもらってます。今日の日記は、涙をこぼしながら読んでました。私には3歳の娘がいて、その娘がいなくなることを考えるだけでもう耐えられません。今日の俳句は、子を妻を亡くした親がどんなに悲痛なのか、戦争体験をしなくても、想像するだけで、喪失感が伝わってきました。このような俳句を紹介していただいてありがとうございます。ところで、日本の終戦記念日は8月15日ですが、沖縄の終戦記念日は6月23日です。東京大空襲、長崎、広島の原爆だけでなく、沖縄も戦争の地となりました。私の祖母や父は沖縄戦で、唯一の最悪最後の地上戦となった摩文仁(まぶに)で捕虜になりました。祖母によると、艦砲射撃の嵐の中を子ども達を引き連れ、逃げ回ったそうです。私の父はまだ3歳だったので、避難壕で泣いたりすると、敵に見つかるからと日本兵に出て行けといわれたそうです。守ってくれるはずの日本兵が、壕からか弱い婦女子を追い出したのです。私の祖父はこの戦争で亡くなりました。きっこさんのおばあさまと同じく、女手一つで、私の父を含めた子ども達を育てました。祖母は、今でも戦争の話をすると泣きます。戦争は、いつの日も民間人を巻き込みます。いざとなったら、いつでも軍は守ってくれるとは限りません。沖縄は、今でも軍事基地があり、いつまた巻き込まれるかわかりません。そういう恐怖も隣り合わせです。北朝鮮のミサイル発射以降、日本では、軍備増強の声が多くなってきたように思います。私は、自分の娘や多くの子ども達が、戦禍に巻き込まれることがあってはならないと思います。きっこさん、これからも、声を大にして、色々なことを発信していってください。応援しております。
お名前:YM子
E-mail:xxxxx@xxxxx.ne.jp
コメント:こんにちはきっこさん。今日は二回目のメールです。今日のきっこさんの日記は途中から読めませんでした。私の祖父・祖母は戦争を体験していました。岡山という土地もあって、原爆にはあっていませんでしたが、祖母が嫁入りしてまもなくの徴兵で、そのときの旦那さんは戦死。婿養子に来たのが祖父だったそうですが、祖父は当時満州と呼ばれた土地に向かわされ、そこで左手に傷をおい、満足に使えないようになっていました。祖父は三年前に他界しましたが、本当に気難しい人で、私は同じ屋根の下にいても口を利くことすらなかったのですが、彼の死後、もっと話を聞くべきだったと後悔しています。今の自分の生活からは想像もできない世界が、数十年前の日本には起こっていて、そこで死地に赴きながら、無事天寿を全うできた彼が見た世界というものは言葉では言い表せないものだっただろうと思うと、人格が変わってしまうのも無理はないことだろうに、晩年の孤独感を思うと悔やんでも悔やみきれません。平和であることになれてしまっている私たちの世代が、その当たり前と受け止めている幸せが、どれだけの犠牲の上に成り立っているのか正しく伝え続けられるべきだと思います。今日のこの日に、私も祖父や祖母への感謝を霊前で伝えたいと思います。独り言をつらつらと書いてしまいましたが、ありがとうございました。暑い日が続きますね。きっこさんもバテないようにご自愛くださいね!それと、しっかり食事も取ってください。
お名前:HS
E-mail:xxxxx@xxxxx.ne.jp
コメント:初めまして。73歳のオジンです。小学生を見習え!ごもっともですね。8月6日は夏の甲子園野球開幕の日。そして、広島原爆の日でした。開会式を前に甲子園に集った全国の選抜された選手達は、控え室の床に座り、お喋りをしていました。午前8時16分、広島県代表だけ「起立!黙祷」をしたのですが、後の高校の選手達は相変わらず床に座ってお喋り。高校野球は教育の場などと賢しらに宣っている大人達を恥ずかしく思いました。原爆は、ひとり広島・長崎だけの問題ではないはずですね。教育基本法や憲法を変えようとしている政治家にとっては都合の良い現象なのでしょうか。戦時体験者の一人として黙っていられませんでした。小学生を見習え・・に便乗させていただきました。オジンのグチですから読み捨ててください。
お名前:S
E-mail:xxxx@xxxxx.ne.jp
コメント:私は広島県で生まれ育ち、今も広島に住んでいます。私の祖父は、8月6日に広島市内でバスに乗っていて被爆しました。その後、80歳まで元気でいてくれましたので、直接原爆の話を聞いたことがあります。私が子供の頃、(25年ほど前)8月6日は、小学校の登校日でした。夏休みに学校に行って、平和式典をテレビで見て平和学習をしました。広島では、ほとんどのテレビ局で平和式典を中継するので、毎年見ているのですが、今年の小泉は本当にひどかった。子供代表のすばらしい「平和の誓い」に感動し涙がでました。その後に登場した小泉は、小さな声で早口でボソボソと・・何を言っているのかわからない!はっきり聞こえたのが、広島と長崎の式典に5回出席したってことで、それが言いたくて来たの?と冷めました。最後の「内閣~」に至っては自分の名前もロクに言えてない。ほんと、小学生以下ですよ。今では、小学校の登校日は7月末に行われるようになり平和学習も減ってきたようです。子供代表の「平和への誓い」を一人ひとりかみしめて行かなければいけないと心から思いました。きっこさんが、このことをブログで書いてくださっていたので、うれしくなってメールしました。今年の夏は、とっても暑くて大変ですが、お体に気をつけてくださいね!
お名前:J
E-mail:xxxxx@xxxxx.ne.jp
コメント:きっこさんはじめまして。広島県人として言いたい。小泉ふざけるな!昨日の長崎の式典の時もそうだが、平和宣言は心を込めて読めよ!早口でまくし立てるように読むな!誰が聞いても早口で心が無い!出席すれば良いってもんじゃないんだ。我々にとって1年で最も重要な日なのに、毎年早々と立ち去って、一体何を考えているのか。話にならない。政治をする前に人になれ!被爆者の証言を聞けよ。小泉のあの態度は、被爆者を差別してるとしか考えられない。
お名前:P
E-mail:xxxxx@xxxxx.co.jp
コメント: きっこさん はじめまして。いつも興味深く拝見させていただいてます。8月6日の原爆の日、読みながらボロボロ涙が落ちました。自分が子供を持つ年になると、しみじみ戦争の悲惨さを感じます。それにしても、ほんとうに、昨日のあの小泉(もう首相ともつけてやらない!)の態度は許せません!(やはりアメリカに気兼ね?)あんな場所で自慢話ばっかりするバカがどこにいる。唯一の被爆国として、反核や反戦を誰よりも強く訴える責任感のある人間しか、日本の首相にはなってほしくないです。被爆体験者が体験を語る時に、政治(憲法)については語るなと、圧力(自粛要請)がかかってるそうです。どうもこの国は被爆者に対しての敬意を忘れているようですね。
お名前:一広島市民
E-mail:xxxxx@xxxxx.ne.jp
コメント:きっこさん、こんにちは。毎日日記の更新を楽しみにしながら、拝読させていただいています。本日の日記を読ませていただき、私が昨年から抱いていたペテン小泉への憤りを代弁していただいたように思えて、本当に心を動かされました。先日、きっこさんが「原爆の日」と題してブログを書かれていたとき、このことをとりあげて欲しいなとメールしようと思っていたところでしたので、驚きも一入でした。昨年の広島の平和式典では、ペテン小泉は形式的に参列して、心ない挨拶をして、その後、被爆者団体が話し合いを持とうと懇願していたのにもかかわらず、その願いを一蹴して自分はさっさと福山市の草戸千軒へ逃げ込み、庭園を鑑賞した後、優雅な茶室で涼しい顔をしながら冷抹茶を飲んでいたのです。その様子をNHKのローカルニュースで見て、失望するやら憤りを感じるやらで、このような非人間性のかたまり男ペテン小泉が、厚かましくもぬけぬけと「改革」なんてよく言うなと頭にきていました。平和式典への参列にしろ靖国参拝にしろ、すべてパフォーマンスに利用しているだけの小泉と言い、その跡継ぎの安倍と言い、もうペテン師にはうんざりです。
お名前:A
E-mail:xxxxx@xxxxx.co.jp
コメント:きっこさん、こんばんは。いつも楽しく読ませてもらってます。さて、先日びっくりすることがあったのできいてください。ミーハーな私たち夫婦は話題の靖国神社に行って、真面目にも遊就館っていう資料館の見学をしてきたのですが、そこで流されていた「私たちは忘れない」っていうドキュメント映画に目がテン!内容は「日本はアジアのために頑張ったのにアメリカが戦争をさせた」みたいな超洗脳ビデオで、なんとオープニングにX-JAPANの歌が!!手元にそのドキュメント映画のチラシ(?)があるのですが、製作日時は書いてありません。けど、現政権中に作られたんでしょうねぇ・・。内容如何より、ただただX-JAPANに呆れました。政教分離って何っ?こんなマスコミで報じられない、信じられない事実をきっこさんのブログで紹介していただけたらと思ってメールしました。小泉、早くやめればいいのに…って、次が安倍じゃ同じことですが…。
‥‥そんなワケで、他にもものすごくたくさんのメールをいただき、ぜんぶ、読ませてもらったけど、あたしがビックル一気飲みしちゃったのは、広島や長崎の原爆の体験談を伝えてる語り部のお年寄りたちに、現政権を批判するようなことを言わないようにと、コイズミ内閣が圧力をかけてたってことだ。そして、最後のAさんのメールに書かれてる、靖国神社で流してる洗脳ビデオの存在だ。コイズミが人間のクズだってことは、今や、全世界の一般常識だけど、ここまで腐りきった最低最悪の犯罪者だったとは、ゴルゴ13にでも依頼して狙撃してもらわないと、ニポンは地球上で孤立しちゃいそうだ。
その上、八百長亀田とおんなじ方式で、次の総理大臣になることがすでに決まってる安倍晋三は、大の「原爆好き」としてオナジミの大バカ野郎だから、この先に待ってるのは、第三、第四の広島や長崎だろう。何しろ、このバカは、2002年2月に行なわれた早稲田大学での講演会で、ナナナナナント! 「日本も小型であれば原子爆弾を保有することに何も問題はない」ってノタマッてるのだ!
当時の官房長官は、サンダーバードのマリオネットみたいな顔した福田だったし、安倍晋三は、あくまでも官房「副」長官だったから、マサカ、4年後の今、自分が次期総理になれるなんて思ってなかった。だから、当時の安倍は、発言も今ほど慎重じゃなくて、ナンでもカンでも思ったままのことをペラペラとしゃべっちゃってたってワケだ。特に、この時の早稲田大学での講演会は、「非公開」ってことで行なわれたから、このバカ、いつにも増して気がゆるんじゃって、つい本音をノタマッちゃったんだろう。
あたしは、声を大にして言いたい! この国の平和憲法を無視して、非核三原則を無視して、そして、未だに苦しみ続けてる広島や長崎の人たちの思いを完全に無視して、オオヤケの場で、平然と、「日本も小型であれば原子爆弾を保有することに何も問題はない」などどいうトンデモ発言を炸裂させてる異常者をこの国に総理大臣なんかにしていいのか?
さらに、安倍晋三は、沖縄の嘉手納基地にコッソリと隠しておいた、約40万発もの劣化ウラン弾の存在がバレちゃったことについて質問されたら、「劣化ウラン弾については、政府からアメリカ側に対して管理に万全を期すよう申し入れており、アメリカ側も厳重な基準のもとに安全な管理に万全を期していると承知している」っていう、コイズミも真っ青の無責任発言を繰り出した。「政府からアメリカ側に対して万全を期すよう申し入れて」たのに、危険部位の脊髄が丸ごと入った狂牛肉が送られて来たこと、モー忘れちゃったの? つーか、暴行や傷害、窃盗や強盗なんて日常茶碗蒸しで、沖縄の女性を強姦して殺したりしても何とも思ってない野蛮なアメリカ兵なんかが、武器の管理なんかキチンとやってるワケないじゃん。
長崎の「原爆の日」の翌日、8月10日、福岡県の中央区の教会で、イラク戦争に参加した元アメリカ兵、ハーバート・リードさん(52)が、劣化ウラン弾による自らの被ばく体験の講演会を開いた。リードさんは、イラク戦争が開始された直後の2003年4月、コイズミが「安全だ」って断言してるサマワに派遣され、ケガの治療のために、6月に帰国した。つまり、サマワにいたのは、たった2ヶ月ってことだ。それなのに、その年の11月に受けた尿検査で、劣化ウラン汚染の陽性反応が出て、3年後の今年2月には、甲状腺腫瘍の摘出手術を受けている。
リードさんによると、今回の自分の劣化ウラン被ばくは、サマワを含めたイラク全土に広がっている「91年の湾岸戦争でアメリカやイギリスが使った劣化ウラン弾の残留物質」によるものだという。そして、サマワに行った自分と同じ部隊の同僚9人にも、血尿、血便、関節障害、視力障害、発疹など、共通の症状が出ているのにも関わらず、アメリカ政府の対応は、検査もせずに、「安全だ」の一点張りだという。リードさんは、「日本政府も、サマワに派遣した自衛隊員に対して、検査の必要はないとしているそうだが、帰国後24時間以内の検査が絶対に必要だ」と断言し、「アメリカ政府は、ベトナム戦争における枯葉剤の被害について、数え切れないほどの被害者たちを見殺しにして来た。そして、ようやく、枯葉剤と被害者との因果関係を認めたのは、多くの被害者が亡くなったあとの30年後だった。劣化ウラン弾は、イラク戦争における枯葉剤なんだ。今、政府に、劣化ウラン弾と被害者たちとの因果関係を認めさせなくては、同じ過ちを繰り返すことになる」と言った。
‥‥そんなワケで、これほどまでに恐ろしい劣化ウラン弾が、このニポンの中に、約40万発も存在してる上に、それを管理してるのが、やることなすことアバウトな犯罪集団、在日アメリカ兵どもと来てるんだから、これこそキチガイザタだ。さらには、それを容認してるのが、この国に原爆を配備しようともくろんでる次期総理大臣の安倍晋三なんだから、頭が痛くなって来る。世の中じゃ、コイズミが靖国神社に参拝するとかしないとか騒いでるけど、そんなもん、どうでもいい話だ。どうせ、自分が作らせたX-JAPAN入りの洗脳ビデオなんか流してるようなインチキ神社なんだから、ぜんぶヤラセだろ。コイズミが八百長ボクサーなら、靖国神社はTBSみたいなもんだ。こんな低俗なヤラセなんか無視して、「終戦の日」である今日、世界唯一の被爆国の国民ひとりひとりが考えなくちゃなんないのは、ニポンが原爆を保有することを「問題なし」って考えてるような狂った人間が、果たして、この国の次期総理大臣にふさわしいかどうかってことだと思う今日この頃なのだ。
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