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2006.08.19

シーラカンスな午後

Shungiku1
あたしは、内田春菊が大好きで、自分の子供たちに変な名前をつけたこと以外は、内田春菊の顔も、しゃべり方も、ファッションセンスも、マンガも、文章も、すごく好きだ。だけど、ぜんぶがぜんぶ好きなワケじゃなくて、内田春菊のマンガでも苦手なヤツもあるし、文章でも嫌いなのもある。あまりにもひどくて、「なんじゃこりゃ?」って思う作品もいくつかある。だけど、コレって、当たり前のことだと思う。どんなに好きな作家でも、どんなに好きなミュージシャンでも、どんなに好きな映画監督でも、その人の作品だって言うだけで、何から何まで諸手を挙げて大絶賛するのは、ある意味、宗教に近いノリだと思うし、そういう人ってのは、ホントの「ファン」じゃなくて、「信者」って感じがする。

この「きっこの日記」を読んでくれてる読者にしたって、あたしの書くすべてのことに共感する人なんているワケはなくて、「オトトイと昨日の日記には共感したけど、今日の日記には賛成できない」ってのが普通だ。だって、人間にはひとりひとり別々の感性や考え方があって、あたしが書いてるのは、あくまでも、たくさんある感性や考え方のうちのひとつだからだ。だから、この「きっこの日記」を読んで、自分の考えと違うと思ったら、それでも、「好きなきっこさんの書いてる文章だからきっと正しいことなんだろう」って思う必要もないし、逆に、ワザワザ反論のメールを送って来る必要もない。「ああ、こういう考え方もあるんだな」って思えばいいだけだ。

ま、それはそれとして、あたしは、内田春菊のマンガの中で、特に好きなのが、東京電力の「でんこちゃん」と、シーラカンス絡みの作品だ。もともと、あたしが、最初に内田春菊の絵を見たのが、何かの新聞に出てたシーラカンスのマンガなんだけど、あの独特のゆるいタッチのシーラカンスの絵に、何とも言えない嬉しい気持ちになった。だって、それまでのあたしは、シーラカンスって言えば、「不気味なお魚」とか、「気持ち悪いお魚」ってイメージしか持ってなかったからだ。それまでに見て来たシーラカンスの絵って、どれも、学術的なものだったりして、すごくリアルで不気味なものばっかだったから、内田春菊の描いた「かわいいシーラカンス」を見て、あたしは、すごく不思議な気分になった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、俳句をやってるから、何かを見る時に、できるだけ主観や先入観を排除して観るように心がけてる。たとえば、スイカを食べてるカブトムシや、お砂糖に群がるアリを見ても、よほど虫が嫌いな人じゃない限り、「気持ち悪い」とは思わないだろう。だけど、犬のウンコにたかるハエや、生ゴミに群がるゴキブリを見たら、普通は「気持ち悪い」と思うだろうし、あたしは、ハエはともかく、ゴキブリだけは死ぬほど苦手だから、悲鳴をあげて逃げ回る。だけど、ホントの意味で俳句を極めるためには、カブトムシも、アリも、ハエも、ゴキブリも、すべて同じ感覚で、同じように見られるようにならないとダメなのだ。

カブトムシだってゴキブリだって、すべて同じ命だし、カブトムシはキレイだけどゴキブリは汚い、カブトムシはかっこいいけどゴキブリはかっこ悪い、なんてのは、人間側の勝手な主観や先入観だ。この感覚は、煎じ詰めれば、人種差別にまで発展しちゃう。だから、あたしは、理屈ではちゃんと分かってる。それで、俳句を始めてからは、今まで嫌いだったもの、苦手だったものでも、積極的に近づいてみたり、触ってみたりするようになった。ミミズとかゴカイとかにも触ってみたし、死ぬほど気持ち悪いと思ってるナマコやウミウシも、手のひらに乗せてみた。だから、あたし的には、それなりに努力はしてる。だけど、ホントに申し訳ないけど、ゴキブリだけは、どうしてもダメなのだ。

目撃しただけでも悲鳴をあげるほど苦手なのに、「ゴキブリに触る」とか、「ゴキブリを手に乗せる」なんて、想像しただけでも失神しそうになる。ずっと前に、一度、お友達のアパートに遊びに行った時に、すごく大きなゴキブリが出現して、壁の高い位置にじっとしてるとこをそのお友達が丸めた新聞紙で叩こうとした。その瞬間、そのゴキブリが、あたしのほうにブーンって飛んで来た! あたしは、ものすごい悲鳴をあげて大暴れして、気がついた時には、裸足のまま外に逃げ出してたんだけど、あまりの恐怖に、どんなふうに逃げ出したのか、ハッキリとした記憶がない。

‥‥そんなワケで、どうしてもゴキブリだけは克服できないので、いつまで経っても、俳人としては半人前のあたしなんだけど、そんなあたしにとって、子供のころから、ずっと「不気味なお魚」だと思って来たシーラカンスをとっても可愛く描いてあった内田春菊の絵は、すごく不思議だったし、何とも言えない嬉しさみたいな、ミョ~な感覚があった。あたしが「不気味」だと思ってた生き物に対して、こんなにも愛情あふれる目を向けている人がいたってことに、心を動かされたのだ。それで、あたしは、内田春菊に興味を持って、それ以来、「シーラカンスぶれーん」「シーラカンスバカンス」「シーラカンスカオス」「レッツシーラカンス」「シーラカンススクールメイツ」「シーラカンスロマンス」「シーラカンスOL」「シーラカンスOL平成版」って、内田春菊のシーラカンスものをずっと愛読して来て、今じゃ、シーラカンスが大好きになった。

内田春菊は、水族館が大好きで、水族館やお魚に関する本もたくさん書いてるけど、あたしも、水族館が大好きだ。それで、子供のころのあたしが、一番好きだったのが、「よみうりランド」の水族館だった。なんで「だった」って過去形なのかって言うと、今は、もう、水族館は閉館しちゃってるからだ。子供のころ、あたしは、渋谷区に住んでて、渋谷区の小学校に通ってた。それで、小田急線の沿線だったから、学校の遠足っていうと、小田急線に乗って、「よみうりランド」や「向ヶ丘遊園」に行くことが多かった。

「よみうりランド」には、水族館の他にも、水中バレエがあって、大きな水槽の中で、キレイな衣装を着たお姫様や王子様が踊るんだけど、それはそれはステキだった。巨大なホタテ貝みたいなのから出て来た竜宮城の乙姫様が舞うシーンは、信じられないほど美しくて、何にでもすぐに感化されちゃってた子供時代のあたしは、「大きくなったら水中バレエのお姫様になる!」って思ってた。水中バレエは、脇役の人とかは、小型の酸素ボンベをつけてる人もいたけど、主役は息を止めて演技をしてて、時々、ホースみたいなのの先をくわえて酸素を補給してた。それで、あたしは、知らず知らずのうちに、自分も息を止めてて、だんだん苦しくなって来て、お姫様がホースから酸素を吸う時に、自分も「ブハ~ッ!」って息をしたことを覚えてる。これは、自分が水中バレエのお姫様になることを想定して、息を止める練習をしてたんだけど、当然、プロの人と同じに長く息を止めてることなんかできないから、息を止めていながらも、実は、ズルをしてた。

あたしは、基本的には息を止めてるんだけど、すごく苦しくなって来ると、少しだけ吸ったりしてた。だけど、自分なりに、できるだけガマンして、とにかく、お姫様が息を吸う時に一緒に吸いたかったから、そこんとこだけはマネをしてた。そんな水中バレエだけど、1997年12月に最終回を迎えた。理由は、人気がなくなって、お客さんが少なくなったからだった。そして、それから3年後の2000年11月には、水族館も閉館になった。

よみうりランドの水族館は、丸いドーム型をしてて、中がアンモナントみたいな渦巻きになってた、入り口を入って、両側の展示を見ながら、ゆるやかな左カーブの坂をのぼってくってシステムで、あたしは、この不思議な空間が、たまらなく好きだった。ちょうど真ん中あたりの左側に、「冷たい深海の水槽」があって、そこに、タカアシガニがいっぱいいたんだけど、手足を広げると2mくらいになる巨大なカニに、子供のころのあたしは、生まれて初めてゾウやキリンを見た時よりもコーフンした。それで、手足がぜんぶ揃ってるタカアシガニは少ししかいなくて、ほとんどは何本か手足が取れてて、その取れた手足が底に落ちてたりして、子供心に、言葉にできないような悲しさを感じた。だけど、何年後カニ‥‥じゃなくて、何年後かに、「カニは手足が取れてもまた生えて来る」ってことを知って、すごく救われた。

それで、あたしは、幼稚園の時にも、この水族館に行ってたし、母さんにもおばあちゃんにも連れて来てもらってたから、小学校で「よみうりランドの水族館へ行く」ってことになった時に、とっても嬉しかった。今だと、自分が何度も行ったことがある場所に、また行くのはイヤだし、どっか別のとこに行きたいって思うのが普通なんだけど、なんせ子供だから、クラスのみんなはそんなに行ったことがなくて、自分だけが詳しいとこに行くのは、ちょっと得意な感じで、嬉しかったのだ。だけど、この時の遠足は、特別な遠足だった。学年が変わってクラス替えをしたばっかだったから、保護者同士の交友みたいな意味もあって、保護者同伴だったのだ。それで、あたしは、母さんは働いてたから、おばあちゃんが来ることになった。

あたしは、おばあちゃんが大好きだったし、よみうりランドの水族館も、渋谷のプラネタリウムも、母さんよりもおばあちゃんに連れてってもらったことのほうが多かった。毎年、春になるとやってた「ドラえもん」の映画も、おばあちゃんに連れてってもらってた。それに、母さんよりも、おばあちゃんのほうが、お菓子とかを買ってくれるから、ちびまる子が友蔵を利用してるみたいなのとはリトル違うけど、似たようなとこもあって、おばあちゃんのことが大好きだった。

それなのに、あたしは、最低だった。遠足の当日の朝までは、それこそウキウキで、ピョンピョン跳ねたりしてたのに、学校に集合してみると、クラスのみんなはお母さんと来てて、おばあちゃんと来てるのは、あたしだけだった。正確に言うと、お母さんがいなくて、お父さんはお仕事で、家族が誰も来てくれないから、保健室の先生が付き添ってる男の子がいた。だから、その子と比べたら、あたしのほうが何倍も幸せだったハズだ。それなのに、あたしったら、「みんなはお母さんなのに、あたしだけおばあちゃんだ‥‥」ってことで、変な疎外感みたいなのを感じちゃって、「なんであたしだけ‥‥」って思い始めたら、たくさんの人がいるのに、自分だけポツンと孤独になった。それで、そのやり場のない気持ちをおばあちゃんにぶつけてしまった。おばあちゃんに、ひどいことを言ってしまった‥‥。

おばあちゃんは、すぐにあたしの気持ちを察して、やさしい言葉を言ってくれたけど、あたしのワガママは直らなくて、よみうりランドに着いても、あたしはずっと無口だった。みんなは、普通にしてるだけなのに、なんだか、自分たちのお母さんを自慢してるように見えて、「あたしにだってやさしい母さんがいるのに‥‥」って思ったら、悔しくて涙が出て来た。みんなは、楽しそうに騒ぎながら、どんどん先に行くのに、あたしは、タカアシガニの水槽の前から動かない。おばあちゃんは、そんなあたしの手をギュッて握ってくれた。それは、何度もここに来た時とか、プラネタリウムに行った時とか、ドラえもんの映画を観に行った時とか、町内の盆踊り大会やお祭りの夜店に行った時とかと、おんなじ手の感触だった。

あたしは、おばあちゃんに、「ごめんなさい」って言えなかった。だけど、心の中では、何度も「ごめんなさい」って繰り返してた。おばあちゃんは、あたしが何も言わなくても、あたしの気持ちを分かってくれて、「ほら、キーちゃんの好きなハタが口をパクパクしてるよ!」なんて言ってくれた。子供って、気持ちが変わるのが早いから、あたしは、さっきまで落ち込んでたのがウソみたいに、元気になった。あたしは、「体の模様はおんなじでも、尾ビレの先っぽが白いのがオオモンハタで、尾ビレの先っぽが黒いのがホウセキハタなんだよ!」って、得意になって説明して、何度もここに来てるし、そのたびにあたしが言ってる同じ説明なのに、おばあちゃんは、初めて聞くように聞いてくれた。

調子に乗ったあたしは、他の子や先生にまで、自分の知ってるお魚の知識をペラペラとしゃべりまくり、「良く知ってるね!」とか「すごいね!」って言われて、得意満面になってた。大人になった今、ヤタラと電車のこととかに詳しくて、駅名とかをペラペラと言ったりする子供とかを見ると、何だかムカムカするけど、この時のあたしって、きっと、今のあたしから見ても、腹が立つガキだったと思う(笑)

‥‥そんなワケで、あたしは、大好きなよみうりランドの水族館の中でも、苦手なとこがあった。渦巻きになった展示通路をずっとのぼってった最後のとこに、お土産コーナーと併設してる展示スペースがあって、そこの真ん中に置かれてた「シーラカンスの剥製」だ。大きなガラスケースの中に入ってたんだけど、「奇跡の魚 シーラカンス」って書いてあって、とにかく、すごく大きくて、不気味で、何よりも「剥製」ってことが気持ち悪かった。

あたしは、生きてるお魚や動物を見るのは大好きなんだけど、「剥製」ってものが苦手で、この、シーラカンスの剥製に限らず、クマとかシカとかの剥製も、恐くて嫌いだ。動物の皮を剥いで、生きてた時の形にして、目にはビー玉みたいなのを埋め込んで‥‥って、そういう製作過程を想像するだけで恐ろしくなるし、「いかにも生きてるように作られた死体」ってワケだから、そういうことをする趣味の悪さにも悪寒が走る。もちろん、シーラカンスの剥製には、学術的な意味があるから、クマやシカの剥製とは違った価値があるんだろうけど、忠犬ハチ公の剥製とか、南極犬タロの剥製とかは、趣味が悪すぎる。もしも自分がハチ公やタロだったら、死んだら焼いて欲しいと思う。死んだあとに、皮を剥がれて、生きてた時とおんなじ形で展示されるなんて、絶対にイヤだ。

だから、あたしにとってのシーラカンスってのは、この、よみうりランドの水族館で見た、不気味なシーラカンスの剥製の印象がすべてで、あたしは、そのまま成長して来た。そして、よみうりランドの水族館が2000年に閉館したあと、あたしは、思わぬ場所で、この不気味なシーラカンスの剥製とバッタリ再開した。「思わぬ場所」って言っても、考えてみれば十分にアリエールな場所なんだけど、それは、池袋の「サンシャイン水族館」だ。どんな流れなのかは知らないけど、よみうりランドにあったシーラカンスの剥製は、それからしばらくの間、サンシャイン水族館に展示されてた。相変わらず、ガラス越しでも、ホルマリンの匂いが漂って来そうな雰囲気で、体のあちこちの皮がベロベロと剥がれて垂れ下がってて、ゾンビみたいな、腐乱死体みたいな、ものすごく不気味な感じがした。だけど、それから1~2年後にサンシャイン水族館に行った時には、もうシーラカンスの剥製は展示してなかったから、今は、どこにあるのか分からない。

‥‥そんなワケで、あたしは、内田春菊のオカゲで、子供のころから苦手だったシーラカンスを克服できたどころか、今じゃ大好きになって、色々と調べたりもするようになった。そして、メッタに捕れないって言われてるシーラカンスだから、海の深いとこに1匹とか2匹とかがヒッソリと泳いでるって想像してたから、100匹以上のシーラカンスが群で泳いでる映像を見た時には、マジでビックル一気飲みしちゃった。他にも、シーラカンスは1種類じゃなくて何種類もいるとか、色んなことを知れば知るほど、シーラカンスに対しての興味も湧いて来るし、ますます好きになって来た。だけど、ひとつだけ言えるのは、内田春菊が「かわいいゴキブリ」のマンガを描いてくれたとしても、あたしは、ゴキブリだけは、今んとこ、どうしても好きにはなれないと思う今日この頃なのだ(笑)


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