セプテンバーバレンタイン
今日、9月14日は、「セプテンバーバレンタイン」って言って、女性から男性に別れ話を切り出しても良い日だってんだけど、次から次に、よくもまあくだらない日を作る人がいるもんだよね。何でも、カレシと別れたい女性は、紫色のものを何かひとつ身につけて、爪には白いマニキュアを塗って、緑色のインクで書いたお別れの手紙を渡すんだそうだけど、嫌いになった男と一刻も早く別れたいのに、こんなメンドクサイ準備なんかしてられっか!‥‥つーか、「女性から男性に別れ話を切り出しても良い日」って、男性からの別れ話なら1年中いつでも切り出していいのに、女性からの別れ話は今日しかダメってこと? もしも、9月15日に相手のことを嫌いになったら、来年の9月14日まで、丸々1年もガマンして付き合ってかなきゃいけないの? 何、この時代錯誤の男尊女卑カンカク‥‥まるで、どっかのイカレタ東京都知事みたいじゃん。
でも、今日、9月14日って、もうひとつのバレンタインデーもある。それは、「メンズバレンタインデー」って言って、男性から女性に愛を告白する日なのだ。2月14日のバレンタインデーが、女性から男性に愛を告白する日なのに対して、今日は、その逆で、告白する時にプレゼントするのが、「下着」ってことになってる。2月14日のバレンタインデーに、「チョコレート」をプレゼントするのは、お菓子メーカーの陰謀によって決められたことだけど、9月14日のメンズバレンタインデーに、男性から女性に「下着」をプレゼントするってのは、ニポンの女性下着メーカーの協会の陰謀によって決められた‥‥っていうか、この「メンズバレンタインデー」ってもの自体が、女性下着メーカーの協会が作ったものらしい。
だけど、これも、思いっきり変だよね。すでに恋人同士だったり、夫婦だったりするんなら、男性から下着をプレゼントされても嬉しいけど、どこの馬の骨かも分かんない男から、突然、愛の告白と同時にプレゼントを渡されて、リボンをほどいて中を見てみたら、ブラだの、ショーツだの、ブラとショーツのセットだのが入ってるなんて、普通はヒクよね? オマケに、サイズがピッタリだったとしたら、「なんでお前があたしのブラのサイズを知ってんだよ?」ってことになって、なんか、ストーカーみたいだし、しばらく前にベランダから盗まれた下着、コイツだったんじゃないの?って気持ちになって来そうな今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、パープル系のアイシャドウをして、ネイルをホワイトにして、便箋にグリーンのボールペンで「グッバイ!」って書いたのをバッグに入れといて、いつ、どこで、誰から、変な下着をプレゼントされても、ソッコーで対応できるようにしてたのに、誰からも下着をプレゼントされなかった‥‥なんてのは、今、考えただけなんだけど、おんなじ日に、おんなじ「バレンタインデー」に絡んだ記念日?を2つも作るのって、ちょっとマギラワシイような気がする。それも、1つは「別れ話を切り出せる日」で、もう1つは「愛を告白する日」だなんて、なんだかなぁ~って感じだ。
だけど、そんなことよりも、やっぱり、何よりも気になるのが、愛を告白するのに「下着」をプレゼントするっていう問題だ。すでに恋愛関係にある大好きな男性からプレゼントされるんならともかく、見ず知らずの男性や、知り合いだとしても恋愛感情なんかぜんぜんない男性から、いきなり、下着をプレゼントされるのって、どうなんだろう? あたしは、思いっきりヒクし、今まではお友達だと思ってた男性だったとしたら、その日から、なんだか気持ち悪く思えて来て、顔を合わせるのがイヤになる。いつも言ってるように、人の感性は十人十色だし、あたしの感覚が必ずしも「普通」とは言えないけど、多くの女性は、あたしとおんなじように感じるんじゃないだろうか? もちろん、中には、見ず知らずの男性から下着をプレゼントされても、「嬉しい」って感じる女性もいるのかもしんないけど、あたしには、理解できない感覚だ。
下着メーカーの「トリンプ」のアンケートによると、約3割の女性が、「ホワイトデーに下着をプレゼントされたことがある」と答えていて、そのうちの2人に1人が、「次も下着をプレゼントして欲しい」って答えてる。だけど、これは、あくまでも「ホワイトデー」ってことだから、バレンタインデーに好きな男性にプレゼントしたお返しに下着をプレゼントしてもらったってことになる。つまり、この相手は、自分の好きな男性なのだ。そして、自分の好きな男性からでも、下着をプレゼントされた女性の2人に1人は、「次は他の物のほうがいい」って思ったってことだ。
まあ、これは、その女性の感覚だけじゃなくて、2人がどの程度の関係なのかってことにもよると思う。たとえば、すでに同棲してるようなカップルの場合と、バレンタインデーに初めて告白しただけで、まだ付き合い始めてない2人の場合とじゃ、ぜんぜん違うだろう。だから、このアンケート結果をそのまま鵜呑みにすることはできないけど、すごくアバウトに言えば、たとえ好意を持ってる男性からでも、下着なんかをプレゼントされたら、ちょっと対応に困っちゃうって感じてる女性が半数はいるってことだ。つまり、男性のほうにしてみたら、すごく気を利かせて、すごく勇気を出して、すごく恥ずかしい思いをして、それで彼女に下着をプレゼントしたのに、その意図通りに彼女を喜ばせられたのは、2人に1人ってことになる。
たぶん、「東京では何々が流行ってる」なんて大嘘ばっか書いてるような雑誌か何かを見て、それで、「彼女に下着をプレゼントするのがカッコイイ」なんて騙されちゃったんだと思うけど、老婆心ながら言わせてもらうと、よっぽど馴れ合ってて、飽きるほどセックスしてるようなカップルじゃない限り、女性への下着のプレゼントは、やめたほうがいいと思う。タカアンドトシにツッコミを入れられそうだけど、欧米の場合は、男性が女性に下着をプレゼントするってのは、「その下着を身につけた姿を見たい」って意味で、ようするに、「君とベッドインしたい」って意味になる。だから、すでに肉体関係がある恋人同士なら、別に問題は無いけど、そうじゃない場合には、大きな賭けみたいな感じになる。女性のほうが、「そろそろ抱かれてもいいかも?」なんて思ってれば、この下着プレゼント作戦が成功するかもしんないけど、状況によっては、成功も性交もできなくなる‥‥って、コレ、寒いよね?(笑)
‥‥そんなワケで、カレシからアクセサリーをプレゼントされたら、次のデートの時には、そのアクセサリーを身につけてくのが普通だ。バッグの場合も、お洋服の場合も、靴の場合も、どんなものでも、身につけるものをプレゼントされたら、次のデートの時に身につけてくのが、極めて普通の感覚だと思う。これは、もちろん、カレシからのプレゼントを身につけてる自分をカレシに見せるためで、カレシも喜ぶし、喜んでるカレシを見れば、自分も嬉しくなる。逆に、次のデートの時に身につけてかなかったとすると、カレシは、自分のプレゼントを気に入ってくれなかったのかと思って、その日のデートは、なんとなくギクシャクした感じで、井上和香のスキップみたいな感じになっちゃうだろう。
だから、この感覚で言うと、カレシから下着をプレゼントされたら、次のデートの時には、その下着を身につけてくってことになる。だけど、下着だから、そのままじゃ身につけてる姿を見せることができない。つまり、その下着を身につけてお家を出た時から、カレシと会って、映画を観て、軽くお酒を飲んでから、ラブホに行くってことまでを想定してるってワケだ。だから、この「ラブホに行く」ってことを想定できないような状況の女性の場合には、下着をプレゼントされたことについて、少なからず困惑してるってことになる。そして、女性を困惑させちゃうようなプレゼントをした、この男性の作戦が成功するかどうかは、この女性の、その日の気分ひとつにかかってるってワケだ。
ま、色々と書いて来たけど、あたしは、男性から下着をプレゼントしてもらったことがないし、この年までなかったってことは、今後もないだろうし、所詮は妄想の世界のことになっちゃうけど、もしも、すごく好きな人からプレゼントされるんなら、思いっきりエッチなデザインの下着が嬉しいような感じがする‥‥っていうか、ごく普通な、デイリーユースな下着とかをプレゼントされても、逆に、その意味が分かんなくて、「えっ?」って思っちゃう。もしかすると、あたしが下着も買えないほどビンボーだと思ったのかな?‥‥とか、この前、ラブホに行った時の下着、どっかがホツレてたのかな?‥‥とか、悪いほうへ悪いほうへ考えちゃうような気がする。だから、あたし的には、下心マンマンの、これ以上はないってくらいの、エッチな下着がいいと思う。
‥‥そんなワケで、あたしが欲しいのは、こんな感じの下着なんだけど、それだって、「すごく好きな人から」っていう大前提があっての話で、ただの知り合いからエッチな下着なんかプレゼントされたら、正直言って、その人を見る目が変わっちゃうことウケアイだ。だけど、どんな男性から、どんな下着をプレゼントされるよりも、絶対にガマンできない、最低最悪のケースがある。それは、「東京でオリンピックをやる」とか世迷言を抜かしてる、どっかのイカレタ東京都知事のケースだ。この恥知らずの差別主義者は、アジア各国の女性を買いながら旅行してた若かりしころの厚顔無恥な自慢話が満載の「国家なる幻影/わが政治への反回想」(文芸春秋)っていうヘドが出るような悪書の中で、宿泊先で買春したベトナム人の女性に、自分のはいてた薄汚いパンツをプレゼントして悦に入っている異常さマンマンの記述があるのだ。
「(前略)それにしても素晴らしい人たちだったし、素晴らしい国だったと思う。(中略)それにそう、デルタ地帯のミトで泊まったシナ宿で伽してくれて、翌日の別れに彼女が気に入っていた私の男もののブリーフを記念にやったら抱きついてきた農家の娘も、彼等と食べたフランス以外のどこで口にした料理よりも美味だった、シナや台湾やホンコン以外のどこでよりも美味かった、サイゴンのフランス料理やシナ料理も、そしてその二つを合わせてソフィスティケイトされたベトナムの個性豊かなエスニック料理も何もかも――。(中略) 小さくとも豊かで文化の水準高い国だっただけに、行きずりではあったが、あの優雅なアオザイに包まれた嫋嫋たる柳腰の娘を腕にするようなせつないほどの一期一会の感慨をあの国には抱いていたものだった。(中略)それは初めて自分が受け持った末期の患者を眺める医学生の心境のようなものだった。」
買春した女性のことを料理の味に喩えて「美味だった」とは、開いた口が塞がらないけど、サスガ、芥川賞作家だけのことはあって、「伽(とぎ)してくれて」なんて言葉を使ってる。この「伽」ってのは、売春宿などで、お客のセックスの相手をすることを意味する言葉で、今じゃ誰も使わない古語だ。それにしても、こんなにも文章がヘタクソで、よくもまあ芥川賞なんかとれたもんだよね。「私の男もののブリーフ」って、あたしは、「女もののブリーフ」なんて聞いたことないし、文章の脈絡のフラツキかげんが、精神の不安定さを現してると思う。
‥‥そんなワケで、知的障害者に対して、「自分が誰かも分からないような状態なのに生きている価値が無い」だとか、キンさんギンさんが長生きしたことに対して、「女が閉経後に長生きするなど地球にとって非常に悪しき弊害」だとか、人を人とも思わない暴言の数々でオナジミのテポドンしんちゃんだけど、とりわけ、障害者や女性など、弱者に対しての暴言は、ある意味、核兵器並みの破壊力を持つ。テポドンしんちゃんにとっては、障害者や女性などは、もはや「人」ではなく、完全に「物」として見てるようで、だからこそ、セックスした女性のことを料理の味として表現してるのだ。この、時代に逆行した感覚を持つ異常者が、ニポンの首都の東京の都知事をやってるってんだから、あたしは、東京都民として、全世界に対して恥ずかしい。だから、誰か、この東京の恥部とも言える男の顔に、二度と脱ぐことのできないセプテンバーバレンタインのパンツをかぶせてやって欲しいと思う今日この頃なのだ。
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