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2006.11.19

カイコな日々

Mayu
ゴジラとか、ガメラとか、モスラとか、キングギドラとか、昔の怪獣って、みんな名前の最後に「ラ」がついてる。みんなって言うか、ついてないのもあるんだろうけど、あたしでも知ってるような有名な怪獣は、ほとんど「ラ」がついてる。これって、人間の赤ちゃんに名前をつける時の流行とかとおんなじなのかも知れない。ひと昔前‥‥じゃなくて、あたしの時代だから、30年以上前は、女の子は「子」がつく名前をつけられることがワリと多かったけど、今は、ほとんどいなくなった。あたしの時代は、クラスの女の子の3分の1くらいが、「けいこ」とか「ようこ」とかって「子」のついた名前だった。でも、ここ10年を見てみると、「さやか」「美咲」「明日香」「さくら」「未来」「萌」なんて名前が命名のベストテンに並んでて、「子」のつく名前なんか見当たらない。

だから、ミゴトに「子」がついてるあたしは、昔の怪獣みたいなもんで、今はまだ普通の名前だけど、あと20年とか30年とかしたら、すごく古めかしい感じの名前だと思われそうな気がする‥‥なんてことも言ってみつつ、ゴジラの名前の由来は分かんないけど、ガメラやモスラなら、あたしでも分かる。ガメラは、カメが巨大化した怪獣なんだから、「カメ」に、女の子の名前に「子」をつけるように、怪獣の名前につける言葉、「ラ」をつけようとしたんだと思う。だけど、そうしたら「カメラ」になっちゃうから、これはマズイと思って、「カ」を「ガ」にしたんだと思う。だけど、モスラの場合は、「蛾」の「モス」に「ラ」をつけただけなんだから、単純明解だ‥‥って言うか、名前のことよりも、カメを巨大化させただけでガメラ、蛾を巨大化させただけでモスラってこと自体が、ものすごく安直だと思う。

それで、あたしは、昔の怪獣のことをリトル調べてみたら、カッパを巨大化させた「ガッパ」って怪獣を発見しちゃって、なんで「ラ」をつけて「ガッパラ」にしなかったのか?‥‥って疑問よりも、この「ガッパ」は、オスとメスの夫婦で、子供までいるってことを知って、思いっきりあたしのツボの内角高めにストライクで、笑いが止まらなくなっちゃった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、何年か前のお正月の深夜に放送してたガメラは見たんだけど、ゴジラやモスラは、ちゃんとは見たことがない。だから、「映画は見てないけど、どんな形なのかは知ってる」って程度の知識しかないんだけど、モスラに関して言えば、ザ・ピーナッツって言う双子の歌手が、「モスラ~モスラ~」って歌を歌うとモスラが現れるってことと、その、ザ・ピーナッツの片方が、沢田研二の前の奥さんだったってことと、モスラは最初は幼虫で、それが、東京タワーに上ってマユを作って、そのあとに成虫の蛾になるってことくらいは知ってる。

それで、ガメラの場合は、元のモデルになったカメが、ミドリガメなんだか、イシガメなんだか、何ガメなんだか分かんない。ゾウガメじゃないことだけは想像できるし、なんとなく、ワニガメとかカミツキガメっぽい気もするんだけど、今ならともかく、何十年も前は、ワニガメやカミツキガメはメジャーじゃないから、別のカメをモデルにしたんだと思う。どっちにしても、最初にガメラを考えた人に聞いてみなくちゃ分かんないけど、モスラに関しては、簡単に想像がつく。それは、カイコだ。幼虫はカイコそのものだし、マユもカイコのマユみたいだし、成虫の蛾になったところは、ヤママユガって言うカイコの一種に似てる感じがする。だから、モスラは、カイコから発想した怪獣なんだと思う。

で、カイコって言えば、漢字で「解雇」って書いて、会社をクビになること‥‥じゃなくて、漢字で「蚕」って書いて、昔から、高級な絹糸を作るために利用されてる。簡単に「昔から」って言っても、昨日今日の「昔から」でもないし、そんじょそこらの「昔から」でもないし、怪獣の名前に「ラ」がついてたり、女の子の名前に「子」がついてたような、ついこないだみたいな「昔から」じゃない。中国では、ナナナナナント! 4700年も前から、養蚕(ようさん)が行なわれてたそうだ。そして、そのころも、基本的には今とおんなじ方法で、マユから生糸(きいと)を取って、絹の織物を作ってた。これって、ものすごいことだと思う。だって、この技術がニポンに伝わったのは弥生時代だって言われてるから、今から2000年くらい前ってことになる。だから、「ニポンの養蚕は2000年の歴史がある」ってことだけを聞けば、すごいなぁ~って思うけど、その2倍以上も昔から、中国で養蚕が行なわれてたって聞くと、なんか、ニポンのほうはショボく感じちゃう。

ま、となりのトトロ‥‥じゃなくて、隣りの芝生を見てもジンジャエールだから、そんなことは置いといて、とにかく、今から2000年くらい前に、中国の養蚕は朝鮮半島に伝わって、朝鮮半島からニポンに伝わって来たってことだ。それなのに、今じゃ、このニポンは、中国とも朝鮮とも仲が悪い‥‥ってことは、今から2000年も前の弥生時代の人たちのほうが、現代のニポン人よりもマシだったのかな?‥‥なんてことを書くと、また、「愛国心」て言葉の意味も分からない「日の丸バカ」が湧いて来そうだから、話をクルリンパと戻すけど、このニポンだけを見ても、2000年もの長い歴史がある養蚕て、ホントに素晴らしい文化だと思う。

だって、カイコのマユってのは、中のサナギが成虫になるまでの仮住まいなんだから、最後には不要になるものだ。それを利用して絹糸を作り、美しくて丈夫な織物を作るなんて、小池百合子が破壊し続けて来た環境もビックル一気飲みしちゃうくらい、地球にやさしいワンダホーなリサイクル事業ってことになる。で、あたしは、温故知新を実践するために、この素晴らしい古人(いにしえびと)の知恵を少しでも体験しようと思って、近所の「次太夫堀(じだゆうぼり)公園」に行って来た。ここは、今までにも何度か紹介したことがあるけど、家から車で5分ほどで行ける世田谷区立の民家園で、毎月、色んなイベントをやってる。

イベントって言っても、ものすごくジミで、たとえば、園内で採れたお茶の葉をモミモミする会だとか、昔ながらの七夕飾りを見る会だとか、昔ながらの百人一首をする会だとか、笹の葉でバッタとかを作る会だとか、俳句を詠んで俳句ポストに入れてみる会だとか、そんなのだけど、特別な材料費とかが掛かるイベント以外は、すべて無料なのが嬉しい‥‥って言うか、あたし向きなのだ。それで、今は、「古民家と養蚕」て言う展示をしてて、これは、いつもの単発のイベントと違って、ワリと力を入れてる企画展だから、11月いっぱい、ずっとやってる。

‥‥そんなワケで、あたしは、時間がとれたら見に行きたいなって思ってたんだけど、今月に入ってからはバタバタしてて、なかなか落ち着ける時間が持てなかった。だけど、今日、午後3時ころから時間ができたので、ソファーに横になって体を休めてたら、ふっと次太夫堀公園のことを思い出した。それで、「今しかない!」って思い立って、ムクッと起き上がった。そして、大急ぎで水筒にお茶をいれて、大急ぎでおにぎりを作って、原チャリに乗って見に行った。

次太夫堀公園は、何週間か前に、刈り取った稲を干している稲架(はざ)を見に行ったんだけど、その時は休園日の月曜日だったので、園内には入れなかった。それで、外にある田んぼの稲架とか小川とかを見ただけで帰って来た。だから、園内に入るのは久しぶりで、ちょっと寒かったけど、ワクワクしてた。それで、まずは、園内の母屋の前にあるベンチに座って、作ってったおにぎりを食べることにした。大急ぎで作ったから、ごま塩のおにぎりとゆかりのおにぎりをタッパーに入れて、横にキュウリのキューちゃんを入れただけなんだけど、外で食べるおにぎりは美味しかった。

それで、あたしは、喫煙コーナーで食後の一服をしてから、園内の畑の先にある展示室に向かった。そしたら、その展示室の手前の小屋で、昔の鍛冶(かじ)の実演をしてて、横の小屋では、そば打ちの実演をしてたから、どっちも興味シンシンのあたしは、なかなかカンジンの展示室にたどり着けなかった。でも、展示室を覗いてみたら、鍛冶よりもそば打ちよりもジミで、四畳半くらいのスペースの真ん中の台に、カイコのマユとか、糸を紡ぐための昔の道具みたいなのが飾ってあって、デカイ字で「繭(まゆ)をもっていかないでください」って書かれた札が置かれてた。スリッパに履き替えて中に上がると、壁際のガラスケースの中に、昔の養蚕に関する帳面みたいなのが展示してあって、壁には、「カイコの一生」とかの説明が掛けられてた。

それから、奥にテレビがあって、養蚕に関するビデオが見られるみたいだったけど、あたし以外に誰もいなくて、勝手にいじったら怒られそうな雰囲気がマンマンだったから、ビデオを見るのは諦めた。だって、入り口のとこにあった説明書には、「上映中のビデオは、八王子の長田家での養蚕風景です」って書いてあったから、ホントなら、いつでもずっとエンドレスで流れてるハズなのに、画面がブルーになってたから、あんまり見る人がいないからビデオを止めてたっぽい。だからって、わざわざ外に出て、関係者らしき人を探して、「ビデオを見せてください」なんて頼んだりするのもアレだったから、この「アレ」が何なのかは、あたしも分かんないけど、ビデオは「ま、いっか!」ってことにした。

あたしは、次太夫堀公園のカイコは、前に何度も見たことがある。園の外にある田んぼの前に、そこだけ近代的な事務所があって、その事務所に併設されてる部屋で、時々見せてくれる。大きなテーブルの上に、園内で採って来た桑の葉を広げて、そこにたくさんのカイコを放して、モシャモシャモシャモシャと桑の葉を食べながら動いてるとこを見せてくれる。あたしは、虫は苦手だし、特に、イモムシ系はダメなんだけど、どういうワケか、カイコだけは怖くない。怖くないどころか、可愛いと思っちゃうし、手のひらに乗せることもできる。

だけど、カイコよりもカラフルなアゲハチョウの幼虫は、近づいて見ることはできるけど、絶対に手で持つことはできない。百歩譲っても、ワリバシではさんで持つのがギリギリ限界だ。どっちかって言ったら、アゲハチョウになる幼虫のほうが、蛾になる幼虫よりも良さそうに思えるんだけど、どうしてなのか、アゲハチョウの幼虫も、モンシロチョウの幼虫も、とにかく、イモムシ系はぜんぶダメで、唯一、カイコだけが大丈夫ってワケだ。だから、あたしの大好きな映画、岩井俊二監督の最高傑作、「スワロウテイル」の中で、胸にアゲハチョウのタトゥーを入れてるChara扮するグリコが、妹ぶんのアゲハの胸に、マジックでアゲハチョウの幼虫の絵を描くシーンがあるんだけど、ホントなら可愛くてステキなシーンのハズなのに、あたしは、「ウゲッ!」って思っちゃう。何でかって言うと、Charaは、丸いお団子をいくつも並べて描いて行って、それが最後に幼虫の絵になるから、何て言うか、あの、イモムシの段々になったボディラインの特徴がデフォルメされてて、すごく怖く感じちゃうからだ。

あたしは、何で虫が苦手なのかって言うと、虫自体が怖いことはもちろんだけど、特に、虫のお腹が苦手なのだ。カブトムシにしても、バッタにしても、セミにしても、トンボにしても、どの虫もみんな、お腹が段々になってて、お店のシャッターみたいで、それが怖い。「風の谷のナウシカ」に出てくるオームなんか、お腹どころか、体ぜんぶが段々になってるし、それが波打つみたいに動くから、もう、怖いったりゃありゃしない。

だから、あたしは、中学1年の時に読んだカフカの短編、「変身」で、主人公のグレゴール・ザムザが、巨大な毒虫だかイモムシだかになっちゃうけど、「もしも自分がグレゴール・ザムザだったら」って考えたら、何よりも自分のお腹が段々になることが耐えられないと思った。その上、「ザムザ」って名前も、「ザムザムザムザム‥‥」って繰り返すと、なんか、虫のお腹の段々を文字で表現したみたいで怖くなる。

‥‥そんなワケで、今日の日記は、世田谷の古い民家で行なわれてた養蚕について書こうと思って、わざわざパンフレットまでもらって来たってのに、ダッフンにダッフンを重ねてたら、いつまで経っても本題に入れないまま、こんなとこまで来ちゃった。だから、カイコについて書くのはマタの機会にするけど、ここまでムダなことを書いて来たことを振り返るのは「回顧」、ガメラだのモスラだのって昔の怪獣のことを思うのは「懐古」ってワケで、一応は「カイコ」でマトメてみた今日この頃なのだ(笑)


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