眠女の寝顔
12月17日、女優の岸田今日子さんが亡くなった。76才だった。
まずは、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
で、テレビのニュースなどでは、個性的な舞台女優だったとか、安部公房の小説を映画化した「砂の女」の主演女優だったとか、アニメの「ムーミン」の声をやってたとか、どのチャンネルでも、だいたいそんな感じのことを言ってた。こう言う時って、その人のことを説明するために、一番有名な「肩書き的なコトガラ」をいくつかあげるのが通例だから、世の中としては、「砂の女」と「ムーミン」が、岸田今日子(以下敬称略)の代表作ってふうに見てるんだろう。
まあ、「ムーミン」に関しては、あたしもそう思うけど、どのテレビ局も、岸田今日子の俳人としての顔にまったく触れなかったのが、あたしはリトル寂しかった。岸田今日子の俳号は「眠女(みんじょ)」って言うんだけど、これは、「ムーミン」の「ミン」から取った俳号だから、本人も、「ムーミン」を代表作だと思ってたんだろう。そして、岸田今日子と言えば、必ずセットで出て来るのが、仲良しの冨士眞奈美と吉行和子で、冨士眞奈美の俳号は「衾去(きんきょ)」、吉行和子の俳号は「窓烏(まどがらす)」だ。ちなみに、冨士眞奈美の俳号の「衾去」ってのは、「衾(ふすま)を去(い)ぬる」、つまり、男性からのセックスのお誘いをお断りしてベッドを去る‥‥って言う、なかなかディープな意味を持ってる。
‥‥そんなワケで、今日は、「いかがお過ごしですか?」は割愛するけど、あたしにとっての岸田今日子って言うと、アニメの「ムーミン」と、小津安二郎の映画、「秋刀魚の味」と、テレビドラマの「傷だらけの天使」だ。岸田今日子は、「秋刀魚の味」では、トリスバーのママの役なんだけど、トリスバーってのは、サントリーのトリスウイスキーを出すバーのことで、当時、昭和20年代から30年代にかけては、あちこちにあったそうだ。それで、そのころ、サントリーがハワイ旅行をプレゼントする企画があって、「トリスを飲んでハワイに行こう」って言うコピーが流行したそうだ。
この映画は、名作中の名作だから、今さら説明も不要だと思うけど、知らない人のために簡単に書いとくと、妻に先立たれた初老のサラリーマン、平山周平(笠智衆)が、娘の路子(岩下志麻)をお嫁に出すまでの、父親の機微を綴った作品だ。で、平山周平が、戦争の時の部下だった男(加東大介)と偶然に再会して、いつものトリスバーに行くシーンがある。そこで、トリスウイスキーを飲みながら、戦争の時の話で盛り上がるんだけど、部下だった男は、「もしも日本が戦争に勝ってたら、私たちは今ごろニューヨークに住んでましたね~」とか言って、「ママ、アレをかけてよ」って言うと、ママが、「ああ、アレね」って言って、ナナナナナント! 「軍艦マーチ」をかけちゃうのだ! 今だったら、パチンコ屋でも流れないような曲、右翼の街宣車くらいしか流さない曲だけど、当時は、お酒を飲ませるバーで、こんな音楽をかけちゃうんだから、まだまだ戦争を引きずってた時代だってことが良く分かる。そして、この「軍艦マーチ」をリクエストした加東大介は、この曲で盛り上がって、ケイレイをしたりして、まだまだ戦争し足りないみたいなノリになっちゃう。ま、そんな時代だったってワケだ。
それで、この映画のラストシーンでは、娘の結婚式が終わり、その夜、平山周平は1人でトリスバーに行くんだけど、平山の様子を見たママが、「今日はお葬式だったの?」とかって聞くと、平山は笑いながら「まあ、そんなとこだよ」とかって言って、トリスウイスキーをクイッと飲む。この時のママとのやり取りが、この映画のすべてを凝縮してる名シーンで、あたしは、小津安二郎の世界って、「予定調和の美学」だと思った。そして、この名シーンを作り出してるのが、笠智衆の名演は当然として、何とも言えない雰囲気の岸田今日子なのだ。
‥‥そんなワケで、テレビドラマの「傷だらけの天使」のほうは、オサム(萩原健一)とアキラ(水谷豊)のボス、綾部探偵事務所の所長、綾部貴子の役が岸田今日子で、探偵事務所と言いながらも、古い洋館みたいなインテリアだし、ヘンテコなクラシック音楽みたいな「マヅルカ」って曲を流して、岸田今日子が階段から不気味に登場する。それで、「オサムちゃん、いい子だから○○をお願いね」なんて感じで仕事を依頼する。その異様な雰囲気が、あたし的にはツボだった。だから、この番組自体は、あたしは、あんまりちゃんとは見てないんだけど、岸田今日子の登場するシーンだけは良く覚えてる。ちなみに、綾部貴子の部下のタツミって男の役をやってた岸田森(しん)は、岸田今日子のイトコだ。
で、あたしにとっての岸田今日子は、「ムーミン」と「秋刀魚の味」と「傷だらけの天使」だって言いながらも、「秋刀魚の味」は、あたしが生まれるずっと前の映画だし、「傷だらけの天使」も、リアルタイムで見てたワケじゃないから、時代背景としては体験してない。さらには、アニメの「ムーミン」だって、あたしが見てたのは、たぶん、再放送だったと思う。だから、あたしにとっての岸田今日子は、女優や声優としては、リアルタイムじゃない古い作品のほうが印象に残ってるってことになる。そして、リアルタイムで言うと、女優としてよりも、やっぱり、俳人としてのほうが印象深い。
岸田今日子、冨士眞奈美、吉行和子の仲良し3人組は、ドラマや旅行番組だけじゃなくて、実際の句会にも良く顔を出してた。それで、中でも一番の俳句歴を誇ってたのが岸田今日子で、最初に俳句を詠んだのは、中学2年生の時だったそうだ。だから、あたしも中学2年生の時に俳句を始めたから、なんか、勝手に親近感を抱いてた。だけど、岸田今日子があたしと違うとこは、中学2年生で生まれて初めて詠んだ句が、すごくハイレベルだったってことだ。
黒猫の影は動かず紅葉散る 今日子
これは、今、そこらの俳句結社の句会に投句しても遜色のない句だと思うし、これが、中学2年生が初めて詠んだ句とは思えない。ちなみに、あたしの場合は、「紅白の梅のつぼみは雛あられ」とか、「ぽんぽんとポップコーンのような梅」とか、とても俳句とは呼べない、まるで標語のようなものを詠んでたし、夢見る中学生の脳内世界が全開の、穴があったら入りたいような句も、たくさん詠んでた。だから、この岸田今日子の初めて詠んだって句には、ビックルと冬のマミーを連続一気飲みしちゃった。
‥‥そんなワケで、中学2年生で俳句を始めたってことは、76才で亡くなるまでに60年以上のキャリアがあったワケだし、女優としてデビューするよりも前から俳句を詠んでたってことは、女優としてのキャリアよりも、俳人としてのキャリアのほうが長かったってことになる。そして、これほどのキャリアがあると、たいていの俳人は、自分の俳句のスタイルを見つけることに成功する。
俳句を始めたことろは、まずは「俳句の基本」を勉強するから、きちんと五七五の定型を守って、ちゃんと季語を詠み込んで、しっかりと「や」とか「けり」とか「かな」とかの「切れ字」を使って、姿の美しい句を詠むことになる。これは、どんな俳句サークルに入っても、どんな俳句結社に入会しても、たいていはおんなじことを勉強する。だけど、だいたい3年から5年くらい勉強すれば、「俳句の基本」は身につくから、そこから先は、自分の好きな俳句のスタイルへと移行して行く場合が多い。
たとえば、俳句の基本に従うと、たった1音でも、字余りだったり字足らずだったりするのはNGなんだけど、ある程度のベテランになると、字余りに限っては許されるようになる。だけど、それでも字余りを許さない、あたしみたいなタイプの俳人もいるし、その権利を十分に利用して、字余りの句を多く詠むようになる俳人もいる。そして、岸田今日子は、後者にあたる。
石段を雲まで登る素足だから 眠女
一人静と教わっただけ歩いただけ 〃
鳴りながらこぼれ落ちながら冬銀河 〃
だけど、もちろんそれだけじゃなくて、ちゃんとした定型句も数多く詠んでいる。
眼を開けて立って見ていた春の夢 眠女
ひととせはかくもみじかし春隣 〃
頭だけ残して猫は蝉に飽く 〃
台湾風茶道は遠し霞立つ 〃
柚子腐るあらかた腐って棚にある 〃
焚き火より赫(あか)き闇なり振り向けば 〃
ようするに、基本的には、あくまでもきちんとした「有季定型俳句」を実践してるんだけど、場合によっては、多少の字余りや口語を使うことによって、プラスアルファの味わいを出すことも許容してるって感じだ。岸田今日子の俳句に興味を持った人は、7~8年前に、「あの季(とき)この季(とき)」って言う俳句エッセイを出版してて、今は文庫本も出てるので、500円くらいで買えるから、読んでみて欲しい。自分で詠んだ句に、その時のことを短く書き添えてあるので、俳句を知らない人にも、とても分かりやすくなってる。
あたしは、岸田今日子、冨士眞奈美、吉行和子の仲良し3人組の旅行番組だと、何年か前に中国に行った時のを良く覚えてる。いつものように、行く先々で俳句を詠んでたんだけど、アヒルがたくさんいる田舎町で、3人とも少女のようにはしゃいでて、ホントに楽しそうだった。そして、俳句に関しても、それぞれがとっても良い句を詠んでて、旅の楽しさに花を添えていた。
それで、俳句をやってる人にはオナジミだと思うけど、「俳句あるふぁ」って言う隔月の俳句雑誌がある。文字ばかりの俳句雑誌の中で、カラー写真を多様して、新しい試みの特集も多く、ヒトキワ異彩を放つ斬新な構成の雑誌だ。で、その「俳句あるふぁ」の中で、今、吉行和子が俳句エッセイを連載してるんだけど、当然、その中には、仲良しの岸田今日子や冨士眞奈美について書かれてるクダリもある。そして、今の吉行和子の連載の前は、冨士眞奈美がずっと連載してて、その中にも、岸田今日子や吉行和子のことがちょっと触れてあったりした。だから、あたしは、この「俳句あるふぁ」のエッセイをいつも楽しみに読んでたんだけど、冨士眞奈美、吉行和子と続いて来たから、この次は、いよいよ真打の岸田今日子の登場かな?って思ってた。もしかすると、編集部でも、そのつもりでいたのかも知れない。
火の気なき炬燵(こたつ)の上に置き手紙 眠女
‥‥そんなワケで、岸田今日子のこの句を読むと、仲良しだった冨士眞奈美と吉行和子への置き手紙のようにも感じられる。そして、岸田今日子は、「あの季この季」の中で、「どちらかというと、わたしは生死についてこだわらない方だと思う。子供が生まれるまではいつ死んだって平気だと思っていた。」 って書いてるから、娘の西條まゆへの置き手紙のようにも感じられる。だから、きっと、愛するすべての人たちの心の中に、それぞれへの置き手紙を残して行ったんだと思う。でも、ひとつだけ言えることは、このコタツに、火の気がないこと、つまり、このコタツの主(あるじ)が、もう、いなくなってしまったってことだ。いつでも少女のような純粋さを持ち続けていた岸田今日子は、長い旅路の果てに、その俳号の通り、深い眠りについた。だけど、彼女の分身である数々の俳句が、たくさんの人たちの心の中に生き続けてるんだから、これからは、濁世のことなんか忘れて、静かな美しい場所で、のんびりと俳句を楽しんで欲しいと思う今日この頃なのだ。
極月の空に眠女の寝顔かな きっこ
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