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2006.12.17

老いると言うこと

ホンダのCMで、ハイロウズとか、女の子が歌ってるのとか、「日曜日よりの使者」のいろんなバージョンをBGMにして、ロボットのアシモ君が駅の階段を降りて来たり、かっこいいお兄ちゃんが耕運機で畑を耕してて女子高生たちにキャーキャー言われてたり、オフロードバイクのレースでジャンプに失敗してひっくり返ったり、スーパーカブで新聞配達してたり、雨の中をS2000が走ってたりして、最後に「Do You Have a Honda?」って言うシリーズがある。ようするに、1つの製品を宣伝するためのCMじゃなくて、ホンダって会社のイメージを良くするための企業CMなんだけど、このシリーズの中で、車椅子のおじさんが、ホンダの最高峰のスポーツカー、NSXに乗り込んで、サーキットを走るやつがある。

そのCMに使われてるNSXは、ホンダが、両足の不自由な人のために開発した「テックマチックシステムDタイプ」ってのを搭載してて、ステアリングについてるスイッチで、アクセルやブレーキをコントロールできるようになってる。ようするに、下半身不随の人のために開発したシステムを搭載してるんだけど、普通の乗用車やワゴン車ならともかく、レースにも使われてる最高峰のスポーツカーに搭載しちゃうとこが、ホンダらしいと言えばホンダらしい。

で、そのCMで、NSXを運転してるおじさんが誰なのかって言うと、元F1ドライバーのクレイ・レガッツォーニって人で、あたしがF1に興味を持った時には、もう過去の人だったから、リアルタイムでは見たことがなかった。名前くらいは耳にしたことがあるけど、そんなにすごい成績をおさめたドライバーでもなかったから、詳しいことも知らない。ただ、知ってることは、レース中の大事故で、下半身不随になって、F1の世界から引退した不運のドライバーだってことくらいだった。

だから、名前くらいしか知らない人だったけど、このホンダのCMで、すごく楽しそうにNSXをドライブしてるクレイ・レガッツォーニを見て、あたしは、なんだか嬉しくなった。CMでは、ちょっと走行がフラついたりもしてるんだけど、そこがまたカワイイ‥‥って言うか、久しぶりのサーキット走行を楽しんでるように感じられて、すごく微笑ましかった。だから、まだ見たことのない人は、一番最後にYOU TUBEのURLをリンクしとくので、興味があったら見て欲しいと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、なんで、クレイ・レガッツォーニのことを書いたのかって言うと、実は、昨日、亡くなったからだ。それも、寿命とか病気とかじゃなくて、自分の運転してた車で、大事故を起こして亡くなったのだ。12月15日、レガッツォーニは、イタリアのパルマ近郊の高速道路を走行中に、タンクローリーと激突した。即死だったそうで、あたしは、享年67才って年令を聞いて、すごく複雑な気分になった。だって、普通なら、お孫さんと遊んだりして、のんびりと老後を過ごしてる年令だと思ったからだ。そして、寿命とか病気なら仕方ないけど、交通事故、それも、もらい事故じゃなくて、自分が運転してての事故なんだから、今さら言っても遅いけど、この日、車の運転さえしなければ、命を落とすことはなかったのだ。

あたしは、このレガッツォーニの訃報を聞いて、ニポンのモミジマークのことを思い出した。つい、こないだ、免許の更新で違反者講習を受けて、そこで聞いたからなんだけど、ニポンでは、高齢者の運転による事故が多発してるそうで、その多くが、義務づけられてるモミジマークをつけてなかったって言ってた。モミジマークってのは、初心者マークの高齢者バージョンで、70才以上のドライバーに義務づけられてるんだけど、初心者マークと同様に、「カッコ悪い!」って思ってるのか、「わしゃまだまだ年寄りじゃないぞ!」って思ってるのか、ちゃんとつけてる人は少ないそうだ。

だけど、高齢者ドライバーの起こす事故で一番多いのは、ブレーキとアクセルの踏み間違いだそうだから、自分じゃまだまだシッカリしてるって思ってても、瞬間的な判断能力や反射神経、運動神経は、若いころよりは確実に鈍くなってるってワケだ。だから、一概には言えないけど、自分が思ってるよりも自分の体が老化してるってことを分かってなかったり、分かっててもそれを認めたくないお年寄りが多いのかもしんない。

普通に考えてみたら、70才以上のお年寄りの反射神経が、20代や30代のころとおんなじワケがない。そして、日常生活においては、大した問題にならない1秒とか0.5秒とかの違いが、車の運転中だと、命取りになる場合がある。たとえば、時速40kmで走ってる時なら、1秒で11m以上も進むんだから、高齢者ドライバーが、ハッと思ってブレーキを踏むまでに、若いころよりも0.5秒長くかかるようになってたとしたら、車は約6mも多く進んじゃうってことになる。だから、極端なことを言えば、車に轢かれた歩行者にしてみたら、その車を運転してたのが、若い人だったら助かったのに、高齢者ドライバーだったから轢かれちゃった‥‥ってケースだってあると思う。

何日か前のニュースでやってたけど、お年寄り夫婦の車が、スーパーかどこかの駐車場に着いて、助手席の奥さんを先に降ろして、それからキチンと車を停め直そうとしたら、誤って奥さんに車をぶつけちゃった。だけど、その時点では、人間の歩くくらいのスピードしか出てないんだし、最悪でも骨折程度のケガで済んだハズだ。でも、自分の奥さんに車をぶつけちゃったダンナさんは、慌てて急ブレーキを踏もうとして、ブレーキとアクセルを踏み間違えちゃった。それで、急加速した車は、奥さんを車の下に巻き込みながら、そのまま建物に激突したそうだ。

もちろん、この事故にしても、一概に「高齢者だったから」ってことが原因とは断言できないし、高齢者じゃなくても、ブレーキとアクセルの踏み間違えによる事故は起こってる。だけど、少なくとも、高齢者ドライバーの起こす事故で一番多いのが、ブレーキとアクセルの踏み間違えだってことは事実なんだから、やっぱり、若いころよりは反射神経や運動神経が鈍くなってるってことを十分に自覚してから、ハンドルを握るべきだと思う。

ようするに、「自分は老人なんだ」ってことをキチンと自覚すべきだってことで、これは、常に自分自身と向き合い、常に自分自身を受け入れて生きてる人だったら、極めて自然なことだと思う。だけど、それができてない人が多いってことは、老人であることが一般的な社会、老齢化社会へと移行しつつある証なのかもしんない。

‥‥そんなワケで、自分が年をとったことを認めたくないって感覚は、老人が若い人よりも劣ってるって言う認識を持ってるからだと思う。それと、昔は簡単にできたことが、今はできなくなったってことに対して、不安や焦りがあるんだと思う。だけど、おんなじ1人の人間だって、子供の時と、成人してからと、お年寄りになった時とでは、反射神経や運動神経だけじゃなくて、記憶力とか頭の回転の速さ、視力や聴覚など、いろんな能力が違って来るのは当然のことだ。そして、お年寄りになって、若いころよりも、反射神経が鈍くなる、記憶力が無くなる、目や耳が悪くなるってことは、いくら当然のことだって言っても、この「鈍くなる」「無くなる」「悪くなる」って言うネガティブな動詞を見れば分かるように、世の中じゃマイナスなことだって思われてる。

だから、人間は、老人になることが当たり前なのにも関わらず、老人になることを悲しんだり、その自然の摂理に抵抗しようとして、若いころとおんなじように振舞おうとするのかもしんない。そして、その1つの例が、反射神経や運動神経が鈍くなってることを認めずに、若いころの感覚で車の運転をしちゃうことなんだと思う。だけど、魚なのに空を飛ぶトビウオとか、鳥なのに空を飛ばずに泳ぐペンギンとかの特例を除けば、ほとんどの魚は泳ぐことが得意だし、ほとんどの鳥は飛ぶことが得意だ。だから、水中で競走すれば、タカよりもイワシのほうが勝つワケだし、空中で競走すれば、サメよりもスズメのほうが勝つワケだ。そして、これらとおんなじように、若い人には若い人の、お年寄りにはお年寄りの得意分野があるワケで、何も、お年寄りが、わざわざ若い人の得意分野で張り合うことはないと思う。

あたしの大好きな芸術家、赤瀬川原平さんは、ベストセラーになった「老人力」って本で、人間が年をとって老化することをネガティブからポジティブへと転じてみせた。人間が老人になって、物忘れがひどくなって来たり、耳が遠くなって来たり、ボケて来たりすることを「能力の衰え」としてとらえるんじゃなくて、「老人としての力がついて来た」ってとらえる、つまり、逆転の発想だ。たとえば、物忘れをするようになったことは、イヤなことでもすぐに忘れることができる素晴らしい能力が身についたって理解する。耳が遠くなったことは、イヤな話を聞かなくてもすむ素晴らしい能力が身についたって理解する。ボケて来たのは、人のことなんか気にせずにラクチンに生きられる素晴らしい能力が身についたって理解する。

赤瀬川原平さんの「老人力」は、「老人力2」も出て、文庫本では2冊が一緒になってるけど、原平さんマニアで、原平さんの本は1冊残らず何度も何度も読んでるあたしとしては、そんなにオススメの本じゃない。もちろん、ベストセラーになった事実の通り、最近の直木賞作家の駄文なんかとは比べものにならないほど面白いけど、そりゃあ、まだ権威があった時代に芥川賞を受賞した原平さんと、マンガの原作みたいな駄文でも受賞できるようになった最近の直木賞作家なんかを比べたら気の毒だろう。

で、なんで、「そんなにオススメの本じゃない」のかって言うと、原平さんの本なら、他にもっと面白いものがいっぱいあるからだ。有名な「トマソン」を始めとした路上観察学会関連の数々の名著から、その発展した形の「奥の細道 俳句でてくてく」のシリーズ、「純文学の素」や「少年とオブジェ」の系列の上質なエッセイ集、また、「新解さんの謎」や「外骨という人がいた」や「明解ぱくぱく辞典」などの特殊な分野を掘り下げた名作、「カメラが欲しい」や「ライカ同盟」などの大好きなカメラに関するウンチクなど、どれもが素晴らしすぎる。その上、原平さんの味わいのある挿絵までついてるから、もう、言うことなしだ。

原平さんの文章の魅力は、何と言っても、肩の力を抜いた‥‥って言うか、肩の骨が脱臼して、腕がブラブラしてるくらい力を抜いた文体なんだけど、だからと言って、決してテキトーに書いてるワケじゃない。ものすごく良く練られてて、一見、テキトーっぽく見えるのに、つかみどころのない言い回しで、明確に意図したものを伝えてくれる。だから、ものすごく曖昧なのにものすごく的確で、ものすごくユルユルなのにものすごくブレがなくて、頭の良さがヒシヒシと伝わって来る。だから、難しいことを言ってるのに、読んでてもぜんぜん肩が凝らないし、とにかく楽しめる。そして、その文体の持つ良質の脱力感が、年とともに、ますます磨きが掛かって来たように感じる。だから、あたしは、それこそが「老人力」がついて来たんじゃないかって思ってる。

‥‥そんなワケで、元F1ドライバーの中島悟は、いつでも眠そうな目をしてるけど、原平さんも、いつでも眠そうな目をしてる。だけど、中島悟の眠そうな目は、眠そうに見えるけど覚醒してる目であって、そこに「老人力」は感じられない。でも、原平さんの眠そうな目は、おいじちゃんが縁側でヒザに猫を乗せてウトウトしてるみたいな、ホントに眠そうな目に見える。もちろん、70才を迎える今でも、隅々まで計算し尽くされた名文を書き続けてるんだから、その内面は覚醒してるんだと思うけど、それを外側に見せないとこが、自分自身をありのままに受け入れて、リラックスして生きてる証拠だと思う。

還暦を過ぎたのに精力絶倫で、お金だ地位だ女だと、限りない欲望にギラギラしてるアブラぎったオッサンを見ると、なんか、人間じゃなくて妖怪みたいに思えて来る。ま、人の価値観は人それぞれだから、あたしは別に否定はしないけど、60年も70年も生きて来て、人生の晩年を迎えてるのに、それでも、まだ、現世でしか通用しない、お金や地位みたいな無意味なものなんかに縛られてる人たちって、ホントに気の毒だと思う。中でも、年とともに精力が衰えて来るのは自然の摂理なのに、それを受け入れることができずに、バイアグラとかを飲んでまでセックスしたいだなんて、「あんた、他にすることないの?」って聞きたくなる。だけど、他に何もすることがないから、こんなことに‥‥って、このまま行くとダッフンしすぎちゃうから、サクッと戻すけど、こう言うアブラぎったオッサンたちと比べると、ただ、自然体で生きてるだけの原平さんが、人生を達観した仙人みたいに思えて来ちゃう。

‥‥そんなワケで、昨日亡くなったクレイ・レガッツォーニは、普通に考えたら、気の毒に思える。1970年、31才でフェラーリからF1デビューして、11年目の1980年に、アメリカでのレース中に大クラッシュをして、下半身不随になり、それから、車椅子の生活になった。だけど、その後、スイスでのF1番組に出演したりして、いろいろと活躍してたそうだ。そして、今回は、生涯に2度目の大事故で、帰らぬ人となってしまった。だから、この結果だけを聞けば、気の毒な人だったように思える。

あたしは、レガッツォーニの訃報を聞いた時、最初は、ホンダが下半身不随の人でも運転のできる車なんかを作らなければ、レガッツォーニは亡くならなかったのに‥‥って思った。だけど、ホントにそうなんだろうか? レガッツォーニが幸せだったか不幸だったかは、本人にしか分からないことだ。だって、ホンダのCMで、子供みたいな笑顔でNSXをドライブするレガッツォーニは、ホントに幸せそうに見えるからだ。お金でも名誉でも何でもなくて、ただ単に、大好きなスポーツカーをドライブできることが、何よりも嬉しいんだって感じられた。

だから、レガッツォーニは、もしかしたら、スポーツカーを運転できないで長生きすることよりも、たとえ命と引き替えにしても、サーキットや高速道路を自由に走れたほうが、何倍も幸せだったのかもしんないと思った。もちろん、こればっかりは、本人じゃないと分かんないことだけど、少なくとも、ホンダのCMのレガッツォーニを見ると、まるで新しいオモチャを買ってもらった子供みたいに、これ以上ないほど嬉しそうに見える。だから、「事故で亡くなった」って結果だけを見れば不幸なことだけど、その原因となった「車の運転」に関しては、何とも言えなくなる。

‥‥そんなワケで、言ってることが矛盾してるみたいになっちゃうけど、あたしは、おんなじ高齢者ドライバーの死亡事故でも、すべてをイッショクタにして考えるべきじゃないのかもしんないって思えて来た。もちろん、それは、自分だけが死亡する事故に関しての話で、他人を死亡させるような事故は別の話だけど、一見、対照的に見える原平さんとレガッツォーニとが、あたしには、おんなじように感じられるのだ。それは、くだらない世の中の価値観なんかには左右されずに、それぞれが、自分自身を受け入れながら、自由に生き、自然に老いて来たからだと思う今日この頃なのだ。


「ホンダのレガッツォーニのCM」(30秒)
http://www.youtube.com/watch?v=68amXprQZYo


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