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2007.01.29

1年後の往復書簡

エイチエス証券の副社長で、ライブドアの会社ぐるみの犯罪の重要な鍵を握っていた野口英昭さんが、沖縄のカプセルホテルで変死してから、1月18日で1年が過ぎた。そして、この事件も、耐震偽装問題と同じように、真相は何ひとつ表に出ないまま、目に見えない大きな力によって、闇へと葬り去られようとしてる。

あたしは、去年の2月の初めに、野口さんのお姉さまからメールをいただき、その後、奥さまともメールをするようになり、お互いに知りうる情報を交換した。そして、その時のメールのやり取りは、奥さまやお姉さまの承諾をいただき、2006年2月8日の「ある往復書簡」、2月12日の「その後の往復書簡」、5月21日の「HSI 3号の闇」などで公開して来た。でも、その後、ご遺族の弁護士さんからの指示もあり、あまり情報を公開することができなくなった。それは、あたしが日記に書くことによって、事件の真相解明に役立つのならいいんだけど、この事件の場合は、あまりにも闇が深くて、安易に情報を公開することが危険だったからだ。

だけど、何人もの人が不審死を遂げた耐震偽装問題で、警察と検察は、誰から指示があったのか知らないけど、全員を「自殺」と決めつけて処理して、すべての責任を一建築士に押しつけて、ムリヤリに収束させた。きっと、それぞれのご遺族は、野口さんのご遺族と同じように、苦しみ続けてることだろう。そして、このライブドア事件でも、まったく同じように、表舞台に立ってたシタッパの数人だけを微罪にすることで、ムリヤリに収束へと向かわせてる。だから、この事件を中途半端に終わらせないためにも、野口さんの事件は絶対に風化させちゃいけないと思い、今日は、野口さんのお姉さまからのメッセージを公開しようと思う。


送信者: xxxxx@xxxxx.ne.jp
宛先: ●●●●
件名: ご無沙汰しております/きっこ
日時: 2007年01月2X日

●●さま、無沙汰しております。

野口英昭さまの一周忌もお済みになったことと思いましたので、ご挨拶のメールを送らせていただきます。

まずは、改めて、野口さまのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

この1年、●●さまも、奥さまも、ご両親も、お子さんたちも、本当に苦しい1年だったと思います。
そして、その苦しみは、今も続いていると思います。

それは、ここまで不審な点だらけの事件なのに、警察から国会議員までが揃いも揃って、まるで腫れ物に触るのをためらうかのように、みんなで口裏を合わせて「何も無かったこと」にしてしまったからです。
そして、逆に言えば、そういった警察などの不自然な動きこそが、この事件の本質を物語っているのです。

野口さんの口を封じることで、自分の身を守った人たちは、今、なにごともなかったかのように、幸せに生活しています。
これほど理不尽なことが、あるのでしょうか。

この事件を風化させないためにも、事件から1年が経過した現在のお気持ちなど、もし、●●さまが何か伝えたいことがありましたら、メッセージをいただければ、日記で公開したいと思います。
また、奥さまにもよろしくお伝えください。

今のあたしにできることは、こんなことしかないので、お力になれなくて本当に申し訳ないのですが、●●さまのメッセージを発信することが、真相解明に向けての新たな一歩になればと考えています。
どうぞ、ご検討くださいませ。

きっこ拝


送信者: xxxxx@xxxxx.co.jp
宛先: xxxxx@xxxxx.ne.jp
件名: ありがとうございます。
日時: 2007年01月2X日

きっこさま、お久しぶりです。
お元気でしたでしょうか?
メールありがとうございました。

1月14日に、無事に一周忌をすませました。
弟のお墓は、実家の近くにあるので 18日の命日には、母と母の姉と私の三人で、お墓参りをしてきました。
お墓の前で、一缶のビールを分けて飲みました。
母が、英昭と飲みたい・・・と思ったからです。

命日には とても寂しい気持ちで一日を過ごしました。
色々な事を考えたりもしていました。
出る言葉は、後悔と無念の言葉ばかりでした。

二世帯同居だったので、週末には 母達を夕食に招待し、「一緒に飲もうよ」と、良く誘われていたようです。
そんな思い出話をお墓の前でしました。

義妹は、英昭の好きだったワインをあけて、仏壇にお供えして・・・心の中で一緒に飲んだそうです。
それぞれが、時計を気にして、「一年前の今頃は・・・」と考えていた一日でした。

この一年、弟の足取りを そして亡くなった理由を知りたい一心で、義妹と一緒に、精一杯の努力をしてきました。
でも、結局、真実は何も解らないままです。
警察からは何の情報協力も得られず、真実が明かされないまま、一年がすぎてしまいました。

弁護士と共に、再度沖縄にも行きました。
捜査資料、行政解剖の資料等、那覇署の方は、「手続きさえしてくれれば、いつでも出す。」と言っていたのに、実際、手続きをとって請求したら、開示できないとの回答、本人にしか開示請求が与えられていない、との事でした。
本人はもういないのに・・・。

酷すぎる、と思いました。
死んだ人の行政解剖の資料を見せてもらうのに、死んだ本人にしか開示請求が与えられていないなんて、こんなにおかしなことがあるでしょうか・・・。

血のついたサッカーシャツの件にしても、私達は誰も受け取っていないのに、那覇署の方は、「遺族に渡した」の一点張りです。
そして、私達の中の誰に、いつ渡したのかを聞いても、「わからない」と言うばかりなのです。

私達遺族は、頼みの綱の警察にも何も協力してもらえず、一歩も進めないまま、真実を知る権利すら与えられず、泣く事しか出来ないのでしょうか・・・。

そして、弟が、当時仲良くし、信頼していたはずの人達。
誰一人、一度も手を合わせに来てくれない、言葉さえもかけてくれません。
何故なのでしょう?

HS証券の方々は時々来てくれていますが、それ以外で交友のあった方は誰一人来られないようで・・・。
義妹も、何でかな?・・・と悲しく感じているようです。
世間なんて、本人が亡くなってしまえば、こんなにも冷たいものなんでしょうか?
それとも、何か後ろめたい事があるから、遺影にも手を合わせられないのでしょうか?

弟が、「俺には、・・・野口さんに何かあったら、家族の面倒くらいみちゃいますから、任せて下さいよ。野口さんの為なら何でもしますよ。・・・と言ってくれる仲間がたくさんいるんだよ。」と、飲んだ時に自慢していた顔が今も浮かんできます。
死後の世界が存在するなら、そう言っていた人たちが誰一人訪ねてきてくれないことを 弟はきっと悲しんでいるんだろうな・・・と思います。

今は、立ち止まったまま力が抜けてしまっています。
無力で、情けなくて、本当に口惜しいです。
このまま、終わってしまうのかもしれない・・・。
今は、そんな不安に駆られています。

一周忌を迎えて、何か見えてくるものがあると良いのですが・・・。

きっこさま、今の私の心境を素直にお知らせしたつもりです。
どうぞ宜しくお願いします。

●●拝


‥‥そんなワケで、多くの人たちが忘れかけてる事件でも、当事者や当事者のご家族にしてみたら、何ひとつ終わっていない。野口さんのご遺族の場合も、国や警察が何もしてくれないから、高い弁護士費用を捻出して、自費で何度も沖縄へ行き、真相解明のために精一杯の努力をして来た。でも、警察に、重要な物証を紛失された上に、亡くなった本人からの請求がなければ資料の開示ができないなどという意味不明の対応をされたのだ。これじゃあ、まるで、警察が、誰かに頼まれて真相解明の妨害をしてるようにしか思えない。それにしても、アパの元谷外志雄は、アベシンゾーの後援会、「安晋会」の副会長だし、ヒューザーの小嶋元社長も「安晋会」の会員だったし、沖縄で亡くなった野口さんも「安晋会」の理事をつとめてた。どうして、こんなにも、すべての事件の主要人物が「安晋会」に関係してるんだろう? とにかく、耐震偽装問題とライブドア問題という2つの大事件が、「安晋会」という接点を持ってることは事実なので、真相解明のためにも、何も後ろめたくない野党議員は、このことを国会で追及して欲しいと思う今日この頃なのだ。


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