The End of Evangelion
なんか、「エヴァンゲリオン」のことばっかで申し訳ないんだけど、オトトイの日記、「モッタイブリオン発進!」に、テレビアニメの「エヴァンゲリオン」の1話から26話までぜんぶと、劇場用アニメの「シト新生」ってのと「まごころを君に」ってのを YOU TUBE で観て、ものすごく中途半端なとこで終わってて脱力しちゃったってことを書いたら、たくさんの人たちから、「きっこさんが観たのは、たぶん『シト新生』の前編と後編で、『まごころを君に』は、その先の話ですよ」って感じのメールが来た。それで、今日、「日刊 YOU TUBE」を見てみたんだけど、そしたら、前回、あたしが見た時には、「まごころを君に」が5つか6つくらいに分割されてたんだけど、今度は、2倍くらいになってて、10個に分割されてた。
それで、あたしは、とりあえず、最初の1回を観てみたんだけど、前に観たのとおんなじだった。だけど、「エヴァンゲリオン」のオハコの「おんなじシーンの使いまわし攻撃」なのかもしんないと思って、その続きも観てみた。だけど、それも前回とおんなじだったし、その次も、その次も、前回とおんなじで、やっぱり、みんなやられちゃって、アスカもやられちゃって、やっとこさシンジがエヴァンゲリオンに乗って登場したとこで、エンディングロールが流れ始めた。
だけど、今回は、まだ全体の半分くらいで、残りがあった。それで、ワクワクしながら次を観てみたら、ちゃんと続きが始まった。つまり、前回の時は、この真ん中で流れるエンディングロールのとこまでしかリンクしてなかったのが、今回は、その続きもリンクしてあったってワケだ。それで、あたしは、残りを最後まで観てみて、やっと、意味不明だったいろんなことが、大ザッパだけど理解できた。まあ、どっちにしても、時間稼ぎの心理描写の連発とか、普通に言えば簡単に分かることをワザとまわりくどく表現して、深い意味があるかのごとく見せつける水増し手法にはウンザリしちゃったけど、それでも、一応は納得できた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、とりあえず、一番の謎だった「ATフィールド」ってもんが、人間が他人と自分とを隔てるための心理的拒絶のバリアみたいなもんだってことが分かったので、「エヴァンゲリオン」の世界観が、何となく理解できた。ものすごく簡単に言えば、「地球はひとつ、人類はみんな兄弟」ってことで、さらに言えば、「地球上の人類の根源は、もともとはひとつ」ってことが言いたかったんだと思う。ようするに、ものすごく大きなテーマをアニメでやろうとして、結局、うまく表現しきれなくなっちゃって、広げた枝葉の収拾がつかなくなっちゃって、中途半端な芸術っぽい映像処理でゴマカシた‥‥ってとこだろう。つまりは、制作サイドが、観る人たちに対して、「理解できるヤツだけ理解してくれりゃいいんだよ」っていう「ATフィールド」を張っちゃったアニメってワケだ。
ま、アニメ好きの人たちって、変わった性格の人が多いみたいだから、分かりやすいアニメよりも、こういう分かりにくいアニメのほうがウケるのかもしんないし、制作サイドも、お客にコビを売るような作り方をするよりも、こういうふうに、上から見下ろしたみたいな作り方をしたほうが、神格化されるのかもしんない。だけど、あたしみたいな普通の人にしてみたら、分かりやすく作ればテレビアニメの26話だけで十分に表現できる程度の内容のものをこんなふうにワザと分かりにくくして、おんなじ映像を何度も何度も使いまわして、ダラダラと引っぱりまくるのって、ものすごくイライラしちゃう。もちろん、いつも言ってるように、人の感性は十人十色なんだから、アニメ好きの人たちの中にも、「エヴァンゲリオン」を好きな人だけじゃなくて、嫌いな人もいるんだと思う。だけど、このアニメが、10年も経った今でも、それなりに支持されてたり、パチンコにもなったり、さらには、続編までが作られてるってのは、やっぱり、いろんなアニメがある中で、人気があるほうなんだと思う。
あたしは、読者の人たちから、きっこさんは「まごころを君に」を観てないですよってメールをもらって、「日刊 YOU TUBE」を見る前に、普通に YOU TUBE で「まごころを君に」を検索したんだけど、そしたら、ケロロ軍曹の「まごころを君に」ってのが見つかった。それで、何のことだか分かんなかったんだけど、とりあえず観てみたら、黒地に白文字のタイトルとかがエヴァンゲリオンとソックリで、部分的にパロディみたいな感じだった。敵のカエルのボスも、紫色で目つきが悪くて、ナニゲにシンジのエヴァンゲリオンをデフォルメしたみたいな感じだった。それで、あたしは、このケロロ軍曹が、エヴァンゲリオンの「まごころを君に」のパロディとして作られた回なんだって思った。だから、10年も前のアニメが、最近のアニメのパロディのネタとして使われるってのも、今でもエヴァンゲリオンの人気が高い証拠なんだと思った。
で、いくら人気があるとは言え、いつまでも10年前のアニメのことなんか書いてらんないから、とりあえず最後まで観た感想って言うか、気づいたことを書いて、今日でマトメようと思うんだけど、何よりも良かったのは、パチンコの「エヴァンゲリオン」で、全回転リーチになった時に現われる、空中の意味不明の幾何学模様みたいなのが何なのか、やっと分かったってことだ。それから、悪かった点て言えば、いくら何でも、実写を使っての時間稼ぎには呆れ返った。今までも、おんなじシーンの使いまわしにはヘキエキとしてたし、シンジの親父の碇ゲンドウが、いっつも口の前で両手を組んでて、停止画でしゃべってるシーンを表わす手抜きにもマイッテたけど、それでも、一応はマンガだったからガマンして観てた。
だけど、いくら何でも、実写でのゴマカシは反則だと思った。そんなインチキをするくらいなら、お得意の「おんなじシーンの使いまわし攻撃」のほうが、まだ納得できた。なんか、ものすごい「上げ底」って感じで、小さな木の箱にウニがいっぱい入ってて、大喜びでお箸を入れたら、すぐに硬い底にぶつかった。横から見るよりも、ずっと上のとこに「底」があって、ウニは薄く薄く並べてあるだけだった‥‥てのとおんなじ感じがした。
‥‥そんなワケで、ぜんぶ観たあたしの結論としては、ストーリー的には、まあまあ納得できたんだけど、アニメを制作する姿勢に関しては、ぜんぜん納得できなかった。だけど、商売人としては、ものすごく巧いなって思った。だって、テレビで放送済みのシーンを使いまわしまくって、書き下ろしのセル画は宮崎アニメの100分の1くらいの枚数で、それで映画を何本も作っちゃったんだから。その上、カンジンのアニメのほうは10年間もホッタラカシだったのに、その間、10年もかけて内容の濃い新作を作ることだけにボットーしてたのかって言えば、そうじゃなくて、パチンコだのゲームだのフィギュアだのグッズだのって、その他のことで稼ぎまくってたんだから。
だから、あたしの場合は、劇場用アニメはぜんぶ YOU TUBE でタダで観たし、パチンコの「エヴァンゲリオン」は連戦連勝だから、1円も使ってないどころか、ものすごく儲けさせてもらってるからいいけど、お金を払って映画館に行ったり、ゲームだのフィギュアだのにお金を使ってる人たちは、いいように利用されちゃってるってワケだ。もちろん、「エヴァンゲリオン」が大好きで、自分で納得してお金を出してる人たちは何も文句なんかないと思うけど、わざわざ映画館に行ったら、使いまわしのシーンばっかでガッカリした人や、高いゲームソフトを買ったのに、ものすごくつまんなかったって人は、「イイカゲンにしろ!」って感じだと思う。
それで、アニメだけに関して、使いまわしのシーンが多いことや、不必要な心理描写で意味アリゲにもったいぶってることや、完全に反則の実写シーンまで使ってることなどのマイナス点を抜きにして言えば、あたし的には、もうちょっと戦闘シーンが欲しかった。特に、あたしは、アスカの戦闘シーンが好きだから、最後に量産型のエヴァンゲリオンが何台も出て来て戦うシーンがあったけど、ああ言うのが、他にもいっぱいあったら良かったと思った。あと、シンジが、ウジウジウジウジウジウジウジウジしてるシーンがヤタラと多かったから、あたしは、灰皿に火のついたタバコがあることを忘れて、もう1本、新しいタバコに火をつけちゃうくらいイライラした。あれだけは、ホントにやめて欲しい。ウジウジしてエヴァンゲリオンに乗りたがらないシンジを見て、いったいどれほどの人たちが、シンジを突き飛ばして自分が代わりに乗りたいって思ったことだろう。
あたしは、アスカにやられた量産型のエヴァンゲリオンたちが復活して、アスカがやられ始めた時に、無線でアスカの悲鳴が聞こえてるのに、それでもウジウジしてたシンジに対して、ぶん殴ってやりたいほどムカついた。あれでも男か? いくら中学生だって言ったって、おない年のアスカが死ぬ気で戦ってるのに‥‥。ミサトだって、シンジをエヴァンゲリオンに乗せるために犠牲になったのに‥‥。あたしがあの場所にいたら、シンジを突き飛ばして、エヴァンゲリオンに掛かってたウニウニした赤いゴムみたいなのをむしり取って、すぐに乗り込んで、ソッコーで地上に出て、大暴れして、どいつもこいつもメチャクチャにして、アスカを助けたのに‥‥。そして、そうすれば、今、久保田早紀とか日本ハムのヒルマン監督とかが出て、ヤタラと流れてる「POWER FOR LIVING」とか言うニセキリスト教のCMみたいな終わり方にならないで、単純明解な勧善懲悪ストーリーでスッキリできたのに‥‥。
‥‥そんなワケで、「勧善懲悪」なんて書くと、またまたツッコミを入れられそうだけど、あたしが言ってんのは、誰が「善」で誰が「悪」かとか、そういうことじゃなくて、あくまでも、「最後にスッキリするストーリー」って意味だ。神だの人間だの何だのってメンドクサイことは、宗教とかインチキ霊能者とかに任せといて、アニメはアニメとしての役割、つまり、観てる人たちを楽しませること、気持ち良くさせることを最優先すべきだと思う‥‥って、ここまで書いて、やっと分かったけど、「まごころを君に」の最後のあたりで、モーローとしてるシンジに対して、意識の中の綾波レイが「気持ちいい?」って聞いてたし、エンディングでは、ウジウジしてるシンジに対して、意識の中のアスカが「気持ち悪い!」って言って終わる。つまり、このアニメって、ワザと、観てる人たちを気持ち良くさせないように作られてるんだね。それが、おんなじシーンの使いまわしであり、くどすぎる倒置法であり、もったいぶった構成の仕方であり、結局のとこ、アニメばっか観て現実逃避してるヤツラに、嫌がらせをしてやろうと思って作られたアニメなんじゃないかって、ナニゲに気づいちゃった今日この頃なのだ。
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