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2007.02.24

雨上がりの夜空に

Mikazuki1
昨日は夜の10時半ころ、今日は夜11時ころ、だいたいおんなじくらいの時間に帰って来たんだけど、昨日も今日も月を見た。まあ、月が出てれば、意識しなくても視界には入ってるんだけど、そうじゃなくて、車を停めて、じっくりと月を見たってことだ。昨日は、細い三日月だったんだけど、今の時季だから、上が欠けた形で、月の下の部分が細く残ってて、夜空に横向きにスプーンを置いたみたいな感じだった。だけど、そんなのは別に珍しいことじゃなくて、何で車を停めてまで見たのかって言うと、雨が降ってたからだ。

普通に雨がザーザー降ってたら、月は見えるワケはないんだけど、ゆうべは、やわらかな春雨で、ちょうど月の方角は雲が薄くなってたから、輪郭がボヤケながらも細い三日月が見えた。それで、視界全体は霧状の春雨に覆われてて、その向こうに三日月が浮いてたから、ものすごく幻想的だった。なんか、大きなスプーンで春雨を掬ってるような、絵本の中の世界みたいに感じられて、それで、多摩川沿いの路肩に車を停めて、時々ワイパーを動かしながら、30分くらい、ずっと見てた。

そして、今日は、夕方まで降ってた雨は止んだんだけど、空はまだ曇ってて、星の無い夜空に、三日月だけがボーッと浮かんでて、これもまた、ちょっと不思議な感じがした。それで、昨日とおんなじ場所に車を停めて、またまた30分くらい月を見てたんだけど、窓を開けたら、気持いい夜風が入って来た。しばらく前までの冬の夜風じゃなくて、ほんのりと暖かさを感じる春の夜風だった。ここんとこ、お天気がいいと、花粉が混じってて深呼吸ができなかったから、雨上がりの夜空を見上げながら、トランジスタラジオ‥‥じゃなくて、カーラジオを聴きながら、スーッと深呼吸をしてみたら、あたしのバッテリーはビンビンになっちゃった今日この頃、皆さん、愛しあってるか~い?(笑)


‥‥そんなワケで、現代では、「春は花、秋は月」ってワケで、お月見をするのは秋だけで、春はお花見ってことになってるけど、昔は、秋以外の季節にもお月見をした。たとえば、春には、昼間にお花見をして、夜にはお月見をしたり、夜に夜桜と月を一緒に愛でたりってことも日常的に行なわれてた。そして、春のお月見では「ぼたもち」を食べて、秋のお月見では「おはぎ」を食べたりもしてた。

これは、春のお彼岸には「ぼたもち」、秋のお彼岸には「おはぎ」ってのと一緒で、小豆の収穫時期が秋だから、秋の「おはぎ」は収穫したての小豆を味わうために「つぶあん」で、それに対して春の「おはぎ」は「こしあん」だけど、春だから「牡丹」、秋だから「萩」からネーミングしただけで、基本的には、おんなじ食べ物だ。だから、いつでも「つぶあん」も「こしあん」も手に入る現代では、春でも秋でも「つぶあん」のも「こしあん」のもあるから、好きなほうを選べる。ちなみに、あたしは、当然、つぶあん派だ。

で、昔の人たちは、何で「ぼたもち」を食べながら春もお月見をしてたのかっていうと、テレビが無かったから、夜になって見るものと言えば、お月様くらいしかなかったからだ‥‥ってのは冗談だけど、現代の人たちが、あんまり夜空を見なくなっちゃったのは、きっと、テレビを始めとした、いろんな楽しみができちゃったからだと思う。だから、文明が進歩したことが、ニポン人ならではの情緒や文化が失われて来たことの原因だと思う。じゃあ、文明が進歩して、テレビでもゲームでもクラブでも何でも、夜の楽しみがいっぱいできたのに、春のお月見と秋のお月見のうち、春のお月見のほうが無くなったのは何でかっていうと、春よりも秋のほうが月がハッキリと見えるってことと、春にはお花見があるから、お月見のほうは「ま、いっか!」ってことになっちゃったんだと思う、たぶん(笑)

‥‥そんなワケで、春の月だって、秋の月に負けないほど、大きくハッキリとキレイに見える時もあるし、そんな春の月を詠んだ有名な俳句もある。


 外(と)にも出よ触るるばかりに春の月  中村汀女


この中村汀女(ていじょ)の句は、あまりにも有名だけど、あたしとおんなじ世田谷区に住んでた人なので、世田谷区の羽根木公園の梅林の中に、この句の句碑がある。句碑って言っても、大きな岩にこの句が書いてある風情のあるもので、枝垂梅の下にあるから、今の時季に見に行くと、句碑に梅が枝垂れてて、すごくステキだ。ちなみに、この羽根木公園は、小田急線の世田谷代田駅と梅が丘駅の間くらいにあるんだけど、昔は「ねず山」って呼ばれてて、ひとつの丘になってる。それで、たくさんの梅の中に、あたしの梅もある‥‥って言っても、別に、あたしが植えたワケじゃなくて、あたしが勝手に「この梅はあたしの梅」って決めてるだけだ。子供のころ、母さんが連れてってくれた時に、「自分の梅の木を決めておくと、次に来る時の楽しみになるよ」って教えてくれたから、その時に決めた白梅の木だ。

で、この汀女の句は、ハッキリクッキリ見えた大きな春の満月を詠んでるけど、春の月の風情って言えば、もうひとつの姿として、「朧(おぼろ)」がある。春の夜は、秋や冬と比べると水蒸気を多く含んでて、空気全体がぼんやりとした感じを持ってて、夜気も肌にやわらかい。この感覚を「朧」って言って、もちろん春の季語なんだけど、これは目に見えない「感覚の季語」だから、いろんなふうに使うことができる。ぼんやりと浮かぶ春の月のことを「朧月(おぼろづき)」、そんな月に照らされた夜のことを「朧月夜」って呼ぶのが代表的だけど、こういった視覚的なものだけじゃなくて、春の夜にぼんやりと聞こえる鐘の音のことを「鐘朧(かねおぼろ)」なんて呼んで、聴覚的にも使ったりする。他にも、「草朧」「岩朧」「谷朧」って感じで、あらゆるものをぼんやりとさせてくれる。現代だと、こんな句もある。


 メロンパン体内すこし朧なり  奥坂まや


奥坂まやは、あたしの好きな現代俳人の1人だけど、この句は、周りがパリッとしてるのに、中がしっとりしてるメロンパンを生物に見立てて、その体内に「朧」を感じた‥‥って読んでもいいし、自分がメロンパンを食べて、胃の中で溶けて行くメロンパンが、自分の体内に「朧」を生み出し、胃というものの存在を再確認させてくれた‥‥って読んでもいいし、どう読もうと自由だ。奥坂まやは、「俳句は意味ではない」って言ってるし、あたしも、そう思ってる。意味を正確に伝えたいんなら、普通の文章を書けばいいワケで、あえて17音しかない俳句を選択してるのは、何千文字使っても表現できない「感覚の世界」を言いとめるためだからだ。

‥‥そんなワケで、こんな感じの「朧」って感覚なんだけど、あたしが車を停めて三日月をボケーッと眺めてたのも、この春独特の「朧」を楽しんでたってワケだ。この「朧」って感覚は、一晩中、灯りが煌々としてる現代よりも、自然のままに暮らしてた昔のほうが、遥かに人々に浸透してた。たとえば、大江千里の次の歌だ‥‥って言っても、不動産マニアのミュージシャン、大江千里(おおえせんり)のことじゃなくて、もちろん、平安時代の歌人で儒学者のほうの大江千里(おおえのちさと)だけど、こんな歌がある。


 照りもせず曇りも果てぬ春の夜の朧月夜に如(し)くものぞなき  大江千里


意味は単純明解で、「煌々と照らすワケでもなく、だからといって曇ってるワケでもなく、まさに春の夜といった感じの朧月夜は、何かに喩えようもないものだ」ってことだ。つまり、この「ぼんやりした月」こそが「春の月」だって詠ってるワケだ。だけど、この歌は、大江千里のオリジナルじゃなくて、中国の白居易(はくきょい)の「白氏文集」って詩集の中の一部をパクッたものだ。どんなのかっていうと、コレだ。


 不明不闇朧朧月

 不暖不寒慢慢風
 
 独臥空牀好天気

 平明閑事到心中


最初の2段は、漢字を見ればナニゲに意味が分かると思うけど、「明るくもなく闇でもなく朧朧とした月、暖かくもなく寒くもなく慢慢とした風」って意味だ。で、そのあとは、「お天気はいいけど1人寂しく伏せてると、明け方の静けさが心の中に迫って来る」って感じだ。それで、「パクッた」っていうのは冗談だけど、儒学者だった大江千里は、翻訳を本業にしてたから、こうやって、中国の漢詩をモトにして和歌を詠んだりしてた。この白居易の漢詩を見ると、たしかに大江千里は1段目の部分を利用してることが分かるけど、それは「明るくもなく闇でもない朧月」って「言い回し」を拝借してるだけで、そこに「春の夜」のイメージを定着させて不動のものとしたのは、大江千里のテガラだと思う。つまり、白居易の漢詩をベースにして、オリジナリティーもプラスして詠んだのが、この大江千里の歌ってワケだけど、今度は、この大江千里の歌をベースにして別の歌を詠んじゃったのが、藤原定家(ふじわらのさだいえ)だ。


 大空は梅の匂ひに霞みつつ曇りも果てぬ春の夜の月  藤原定家


この歌は、「曇りも果てぬ春の夜の」って部分を大江千里の歌から拝借して、そこに、今度は、「梅」を登場させるっていう藤原定家のオリジナリティーがプラスされてる。それも、視覚的な「梅」じゃなくて、嗅覚的な「梅」を登場させたことによって、「匂いによる霞」と「月による朧」っていう立体的な感覚世界を表現することに成功してる。今までも何度も書いて来たけど、こういうのを「本歌どり」って言って、パクリや盗作じゃないのは当然だけど、モトの作品が単なる「ネタ」でしかない「パロディー」や「コラージュ」みたいな一方通行のものでもなくて、モトの作品と響き合いながら第三の世界を構築する、和歌独特の芸術手法なのだ。

‥‥そんなワケで、この「本歌どり」の場合は、大江千里の本歌も藤原定家の本歌どりも、両方とも「春の月」を詠んでるワケだから、季節はそのまま変わってない。だけど、「秋の月」の歌を本歌どりして、「春の月」を詠んでるものもある。これも、本歌は大江千里なんだけど、本歌どりしてるのは、花山院長親(かざんいんながちか)だ。


 月見れば千々(ちぢ)に物こそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど  大江千里

 老の世の外(ほか)なる春をたづねばや我が身ひとつか朧夜の月  花山院長親


大江千里は、「秋の月を見てると、いろんなモノゴトが悲しく感じられて来る。自分だけに秋が訪れるワケじゃないのにな~」って詠ってて、まさしく、「秋の月」の持つ本意の1つを表現してる。そして、花山院長親のほうは、大江千里の歌をベースにして、「春の月を見てると、老いた自分に訪れた春じゃなくて、別の人に訪れた春を味わってみたくなる。こんなふうに思ってるのは自分だけなのかな~」って詠ってる。つまり、大江千里は、誰でもが感じる、秋が訪れたことによる寂しさを詠ってるのに対して、花山院長親のほうは、多くの人たちが楽しく感じる春の訪れなのに、それを寂しく感じてしまう「老いた我が身」を詠ってるのだ。

大江千里の「大局」と花山院長親の「個」、大江千里の「マクロ」と花山院長親の「ミクロ」、大江千里の「ブラフマン」と花山院長親の「アートマン」って感じで、最終的には同一のものなのに、その過程として対極に存在してる感覚の妙が面白い本歌どりの一例だと思う。そして、この本歌どりの醍醐味になってるのが、「秋の月」と「春の月」との対比だろう。ハッキリと美しく見える「秋の月」に、そこはかとない寂しさを感じた大江千里の感性は、素晴らしいっちゃ素晴らしいけど、普通っちゃ普通だ。だけど、その歌をベースにして、ぼんやりとした朧なる「春の月」に、「老いの寂しさ」を代弁させた花山院長親の感性は、「ノーベル本歌どり賞」を与えてもいいくらいワンダホーだ。

‥‥そんなワケで、この地球に人類が誕生する前から空に浮かんでた月は、中国の白居易に詠まれ、ニポンの大江千里を始めとした数々の歌人たちに詠まれ、多くの俳人たちにも詠まれて来たワケだけど、きっと、この地球の人類が滅亡したあとも、何も変わらずに空に浮かんでると思う。だから、1200年前に白居易が詠んだ月も、1100年前に大江千里が詠んだ月も、40年前にアポロ11号が着陸した月も、あたしがさっき見た月も、みんなおんなじ月なんだけど、すべては一期一会なんだって思う。おんなじ1つの月だけど、あたしがさっき見た月は、その時だけの月であって、昨日の月とも明日の月とも違う、今日だけの月だったって思う。昨日、春雨が降ってたのは、地表の僅かな部分だけで、月は遥か彼方の宇宙に浮かんでたんだから、この2つはまったく別の場所に存在してたワケで、あたしからは、スプーンみたいな三日月が春雨を掬ってるように見えたけど、これも、あたしにとっての一期一会だったんだと思う。だから、昨日、あたしとおなじ時間に、もしも春雨の中で月を見上げてた人がいたとしたら、それは、あたしとは違う、その人だけの一期一会の春の月だったハズだ。だから、急いでお家に帰って、習慣的にテレビをつけるばかりじゃなく、タマには、のんびりと夜空を見上げて、自分だけの春の月でも愛でてみると、忘れかけてた大切なことを思い出すかもしれないと思う今日この頃なのだ。


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