義理チョコと人情チョコ
今日はバレンタインデー‥‥って言っても、この日記は1日遅れで書いてるから、正確には「昨日はバレンタインデー」だったってワケで、ニポン全国で本命チョコや義理チョコが飛び交ったのも、昨日のことってワケだ。なんだかんだ言っても、こんなくだらないことで一喜一憂できるのは、この国がまだ平和ってことなのか、それとも、この国の人たちがノーテンキだってことなのか、ま、もともとがお祭りみたいなもんだから、どっちでもいいんだけど、キャッキャ言いながら1日限りの恋愛ゴッコを楽しんで、眼の前に迫り来てる数々の諸問題にフタをしちゃうのも、タマにはいいよね。
で、あたしの場合は、職業ガラ、周りにゲイの人たちが多いから、同性にチョコをプレゼントしてた女性や男性も多かったし、今や、「女性から男性へ」っていう基本すら、もうどうでもいいみたいになっちゃってる。それで、同性同士の場合でも、本命チョコだけじゃなくて、義理チョコってもんが存在する。最近、良くテレビに出てるゲイの男性ヘアメークさんも、デカいブランド物のトートバッグにパンパンに義理チョコを持って来て、誰彼かまわずに配って回ってた。それがまた、義理チョコなのに高級品で、1個何千円もする物だったから、あたしも欲しいな~って思って見てたら、その人からもらった人が、アトからあたしにくれた(笑)
これは、あたしが直接もらったワケじゃないからカウントしないけど、他には、後輩の女の子からと、仲良くしてる女の子から、合計で2個の義理チョコをもらった。だけど、義理チョコって言っても、そこらで売ってる100円とか200円のチョコじゃなくて、ちゃんとバレンタインデー用のパッケージになってるそれなりの物で、値段のことを詮索するのはヤボだけど、最低でも500円以上はすると思った。だから、あたしがキャッキャ言いながら義理チョコを配ってた数年前と比べると、たかが義理チョコにずいぶんお金をかけるようになったと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、バレンタインデーにチョコを配るのをやめてからずいぶん経つけど、今はどれくらいの値段のチョコを配ってるのかと思って調べてみたら、今年の平均は、本命チョコが2000円台、義理チョコが700円台だった。これは、実際に、デパートにバレンタインデー用のチョコを買いに来た女性たちに聞いたアンケート結果によるもので、去年のおんなじアンケート結果と比べると、面白いことが分かる。本命チョコのほうは、去年の平均よりも400円近く高くなってるのに、義理チョコのほうは、反対に安くなってるのだ。つまり、バレンタインデーのチョコの世界も、コイズミ改革のオカゲで格差が広がったってワケだ。
だけど、考えてみれば、義理チョコを安く済ませたいと思うのは当然のことで、あたしから見たら、いくら去年よりも安くなったとは言え、それでも、700円もする義理チョコなんかを買う人の金銭感覚が理解できない。だって、本命チョコは1個なんだから、別に高くでもいいけど、いくつも買わなきゃなんない義理チョコの場合は、合計したらシャレになんない金額になっちゃうからだ。それに、2000円の本命チョコを1個と、700円の義理チョコを10個買ったとしたら、支払う合計金額は9000円になる。つまり、そのバレンタインデーにおける一番大切な人に対する愛情は、合計金額の2割程度しかないってことになる。
ま、これは、チョコだけを見た場合のことであって、実際には、本命の相手にプレゼントするチョコは、あくまでも「添える」ようなもんで、ちゃんとメインのプレゼントがある。それこそ、人によっていろいろだと思うけど、中には、何万円もするプレゼントを用意してる人だっている。それに比べて、義理チョコのほうは、その義理チョコだけしかプレゼントしないワケだから、金額を愛情のバロメーターとするんなら、やっぱり本命の相手に掛ける金額が一番多いと思う。
だけど、バレンタインデーを縄文式土器‥‥じゃなくて、弥生式土器‥‥じゃなくて、カキイレドキにしてるチョコレートメーカーやお菓子メーカーにしてみれば、2000円のチョコを1個売るよりも、700円のチョコを10個、500円のチョコを20個と売ったほうが、遥かに儲かる。だから、多くのメーカーは、義理チョコにこそ力を入れる。少しでもパッケージの見栄えを良くして、いかにも高そうに見えるように、いかにも本命チョコに見えるように、凝ったデザインのものを作る。挙句の果てには、「義理チョコ屋」なんて商売までが登場しちゃって、各メーカーの「安くて見栄えのいいチョコ」を10個、20個って単位で販売したりもしてる。
‥‥そんなワケで、インターネット調査会社「マクロミル」が、20~39才のOL、515人にアンケートを実施した結果によると、「バレンタインデーに会社で渡す義理チョコ」に対して、「(そういう習慣は)あったほうが良い」って答えたのは、20~24才が44%、25~29才と30~34才は26%、35~39才は18%だったそうだ。また、義理チョコの習慣を肯定する女性たちの理由として多かったものは、「コミュニケーションを深める機会」「日ごろの感謝を表す機会」などが7割にも上ってる。もちろん、これは、「一般の会社のOL」っていう限られた状況下でのアンケートだから、女性側の職業や立場が変われば、回答も変わって来るだろう。だけど、あたしが、ちょっと疑問に感じたのは、「日ごろの感謝を表す機会」として、バレンタインデーに義理チョコを渡すOLが、肯定派のうちの7割もいたことだ。
「日ごろの感謝」を表すんなら、日常にそのチャンスはいくらでもあるワケで、何も、年に1回のお祭り行事の時に、わざわざ「義理」なんて言葉のつく物を送る必要はない。あたしは、他の多くの男性のぶんと一緒に、どこかでマトメ買いしてきた義理チョコを渡して、そんなもんを「日ごろの感謝」だって言うのは、逆に、相手に対して失礼だと思う。そんなことよりも、あたしは、何かしてもらった時、自分のミスをフォローしてもらった時、その時その時に、心から「ありがとう」って言えば、それが感謝の気持ちだと思う。
男性側にしても、「たとえ義理チョコでももらえれば嬉しい」って人もいれば、「義理チョコほど人をバカにした物はない」って思ってる人もいるだろう。そして、義理チョコに腹を立ててる男性たちの多くは、きっと、この「義理」って言葉が引っかかってんだろう。だから、おんなじ日に渡されるおんなじチョコでも、これが、「感謝チョコ」って名前だったり、「ありがとうチョコ」って名前だったりしたら、どんな男性でもみんな喜ぶと思う。だから、あたしは、誰のことも傷つけてない「イザリウオ」の名前を「カエルアンコウ」に変えるよりも、一部の男性たちを傷つけてる「義理チョコ」って名前を「感謝チョコ」とか「ありがとうチョコ」とかに変えるほうが、遥かに「差別」が無くなると思う。
‥‥そんなワケで、「義理チョコ」を良く思わない人たちにとって、何が問題なのかって言えば、あたしは、この「義理」っていう言葉がついてるネーミングだと思った。だけど、「義理」って、そんなに悪い言葉なんだろうか? 「あの人は義理固い人だ」っていうのは、ホメ言葉ではあっても、決して悪口にはならない。それで、辞書で「義理」って言葉を引いてみると、こんなふうに書いてあった。
「義理(ぎり)」
1.物事の正しい道筋。人間のふみおこなうべき正しい道。道理。
2.対人関係や社会関係の中で、守るべき道理として意識されたもの。道義。
「―を欠く」「―と人情の板挟み」「今さら頼めた―ではない」
3.他人との交際上やむを得ずしなければならないこと。
「お―で顔を出す」
4.意味。わけ。
「苗代(なわしろ)の代といふは、かはるといふ―也/三冊子」
5.直接血縁関係のない者の間にある、血縁同様の関係。
「―の父」
つまり、「義理チョコ」の「義理」は、この3番目の「義理」ってワケで、「ホントはイヤなんだけど、仕方なく渡すチョコ」って意味合いがあるから、もらったても嬉しく感じない人もいるってワケだ。だけど、揚げ足を取るみたいなことを言うと、これだって、「チョコ」だから嬉しく感じない人もいるんだと思う。たとえば、「義理1万円札」だったら、誰でも嬉しいと思う(笑)‥‥なんてことも言ってみつつ、この辞書の2番目に例として載ってる「義理と人情の板挟み」ってのは、良く聞く言い回しだ。たぶん、高倉健の昔の任侠モノの映画だとかに出てきそうだし、「義理と人情をハカリにかけりゃ~義理が重たい男の世界~」とかって歌もある。
あたしは、当然、ヤクザなんて嫌いだから、ずっとヤクザ映画なんて観たことはなかったんだけど、1年か2年くらい前に、テレビ東京で深夜に高倉健の昔の映画をやってたから、話のタネに、一度だけ観てみたことがある。それで、タイトルは忘れちゃったけど、何よりも意外だったのは、高倉健が板前さんだったことだ。あたしは、ヤクザって、マトモに仕事もしないで、一般市民や企業からお金を巻き上げる「社会の寄生虫」のことだと思ってたのに、この映画では、ちゃんと日本料理屋さんみたいなとこで働いてた。
で、いろいろあって、結局は、刀を持って相手の家に乗り込んで、手当たり次第に斬りまくって、メチャクチャにしちゃったから、この「頭に来たら刀を振り回して大暴れしちゃう」って部分が「ヤクザ」なんだろうけど、ここでポイントだったのが、「何のために大暴れしたのか」ってことだ。簡単に言えば、自分自身が何かされたから、それに対するリベンジとして大暴れしたんじゃなくて、自分が世話になった兄貴分のために大暴れしたってことだった。そして、高倉健は、最後にパトカーに乗せられてっちゃうんだけど、何人も殺したんだから、最低でも無期懲役、普通なら死刑だろう。だけど、こんな状況を美化するかのごとく、バックに流れてるのは、「義理と人情をハカリにかけりゃ~義理が重たい男の世界~」ってワケで、このアトに続くのが、「積もり重ねた不孝の数を~なんと詫びようかおふくろに~」ってワケで、結局、「背ナで泣いてる~唐獅子牡丹~」ってワケだ。
だから、煎じ詰めれば、たった1人のお母さんを悲しませてまで、アカの他人のために人生を棒に振るのが、人情よりも義理を優先した「男の世界」ってワケだ。だけど、この場合の「男」ってのは、背中に唐獅子牡丹のTATTOOがあるんだから、一般的な「男性」を指してるんじゃなくて、「痴漢」の「漢」って書いて「オトコ」って読ませる「ヤクザの世界」のことだろう。そして、この場合の「義理」ってのは、辞書の2番の「義理」なんだから、「対人関係や社会関係の中で、守るべき道理として意識されたもの」ってことになる。あたし的には、かけがえのない自分の親を悲しませてまで、通さなきゃなんない「道理」なんてもんは理解できないし、そんなもんのために自分の命を懸けなきゃなんないような対人関係や社会関係は、すべて拒否するのがマトモな人間だと思うけど。
‥‥そんなワケで、「義理チョコ」の「義理」は、最初っから「良くない意味」として使われてる言葉だけど、他人のために自分を犠牲にするのが「義理と人情」の「義理」なら、こっちの「義理」だって、場合によっては「良くない意味」になる。たとえば、「安倍さんは無能だが私と同じ森派だから義理で支持する」なんてのは、良くない使われ方だ。これは、一見、「義理チョコ」とおんなじような使われ方みたいに思えるけど、「自民党の独裁を継続させて甘い汁を吸い続けるため」っていう党としての「道理」がある上に、自分の地元の支持者たちに対する「人情」よりも、森派としての「義理」を優先してんだから、明らかに高倉健の「義理」とおんなじスタイルだ。で、この、良く分かんない「義理」ってモノだけど、江戸思想史を専門にしてる歴史学者、源了圓(みなもとりょうえん)の著作、「義理と人情」の中では、この「義理」って思想を4つのパターンに分けて考えてる。
1.法律上の近親関係ゆえに生じる道徳的義務
2.世間の義理にもとづく習俗
3.人の世の常として他人におこなうべき道(儒教の義理)
4.パーソナルな信頼・約束・契約にこたえる義理
1番目は、辞書の5番目の「義理の父」とかとおんなじで、2番目は「義理チョコ」の「義理」だ。だから、高倉健の「義理」は、3番目か4番目の「義理」ってことになるんだけど、人の世の常として、他人のために命を懸けてたら、命がいくつあっても足りないし、他人の代わりに殺人を犯して刑務所に行くことに、パーソナルな信頼関係があるとも思えない。つまり、高倉健の「義理」は、通常の「義理」とは違って、極めて特殊なケースの「義理」だってことだ。だから、高倉健の映画を観て、そのままストレートに、「これこそが義理を重んじた男の世界だ」なんて考えるのは、ちょっと違うと思った。
源了圓によると、「義理」ってのは、もともとは中国の「朱子学」の中の思想で、それがニポンに入って来てから、少しずつ意味が変化して、ニポン独特の「義理」って思想ができあがったみたいだ。この「義理」は、ニポンに入って来た当初は、「朱子学」での意味の通りに、「人の履(ふ)むべき道」って意味で使われてた。つまり、「義理を守る」ってことは、「正しく生きる」って意味だったワケで、辞書の1番目に書いてある意味だったワケだ。だけど、当時の儒教ってのは、庶民とは離れたもので、武士などの一部の人たちだけが勉強するものだった。それで、この「正しく生きる」って意味が、自然と「武士として正しく生きる」ってふうに曲解されて行き、しまいには、「自分のことしか考えていない町人とは違って、武士は義理を重んじなきゃいけない」なんていう使われ方をするようになっちゃった。
そして、この新しい「義理」の解釈が、仮名草子の「七人びくに」や井原西鶴の「武家義理物語」の中に登場するようになり、江戸時代の天才戯曲家、近松門左衛門が、歌舞伎や浄瑠璃などの大衆演劇にしたため、一般庶民にも広がるようになった。で、西鶴の「武家義理物語」は、武家社会におけるいろんな「義理」をテーマにした短編集だけど、西鶴は、この物語の序章で、次のように書いている。
「それ人間の一心、万人ともに替れる事なし。長剣させば武士、烏帽子をかづけば神主、黒衣を着すれば出家、鍬を握れば百姓、手斧つかひて職人、十露盤(そろばん)おきて商人をあらはせり。其家業面々一大事を知るべし。弓馬は侍の役目たり。自然のために知行をあたへ置かれし主命を忘れ、時の喧嘩口論、自分の事に一命を捨つるは、まことに武の道にはあらず、義理に身を果せるは至極の所、古今その物語を聞きつたへて、其類を集る物ならし。」
簡単に言えば、「職業によって、それぞれ何が重要かってことが違ってくる。武士の場合は、自分が仕えてるお殿様のために命を投げ出すのが使命なんだから、自分の個人的なことなんかで命を落とすのは武士とは言えない。そこで、お殿様に対する義理を尽くして立派に生きた武士たちのお話をまとめてみた」って感じだ。だけど、この前書きとは違って、その中身はって言うと、武士がくだらない義理を通したために、そのシワヨセを受けて、かわいそうな思いをした女性がたくさん描かれてる。ようするに、武士道の美しさだとか、武士の義理の重要性だとかってことよりも、庶民には理解できない「武士の義理」ってものの不可解さを描いてるってワケだ。ついで言うと、ルース・ベネディクトの有名な「菊と刀」の中では、「忠臣蔵」に関しての解説部分に、この「武士の義理」について、そのまま「giri」って言葉が出て来る。ようするに、この「義理」って感覚は、英語圏には無い感覚だってことだ。まあ、江戸時代のニポンの庶民の間にも無かった感覚なんだから、英語圏に無いのは当然だろうけど。
‥‥そんなワケで、この「義理」って感覚について、あたしは、高倉健の映画の世界を鵜呑みにしちゃうのは「ちょっと違うと思った」って書いたけど、もともとが武家社会で使われてた言葉であり、主君のために自分の命を投げ出すことを指してたんなら、世話になった親分だの兄貴分だののために、自分のホントの親を悲しませても、自分の人生を棒に振っても、それでも殴り込みに行くことこそが、ニポンでのもともとの意味に沿った「義理」なのかとも思えて来た。でも、そしたら、現代の武士であるハズの政治家や官僚たちが、義理どころか、公務員としての義務すら忘れちゃって、私利私欲に溺れて悪の限りを尽くしてるってのに、庶民であるあたしが、義理なんてもんに縛られる必要なんか無いってことになる。だから、あたしとしては、これからも、「義理と人情をハカリにかけりゃ~人情が重たい女の世界~」って感じで行こうと思うし、もしも「義理チョコ」を配らきゃなんない状況になったら、「人情チョコ」って名前で配ろうと思う今日この頃なのだ。
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