続・差別用語もTPO
昨日の日記の最期のとこで、歌舞伎や浄瑠璃の演目として有名な「箱根霊験躄仇討(はこねれいげんいざりのあだうち)」のことを書いたんだけど、ゆうべ、読者からのメールをチェキしてたら、関連するものも何通か混じってた。たとえば、「箱根に『初花』という蕎麦屋があるのですが、勝五郎の妻の名を店名にしたのですね」とか、あたしがハショッて書いたアラスジとは違う、別バージョンのアラスジを教えてくださった人もいた。そんな中で、知ってる人たちにとっては当たり前のことなんだろうけど、あたしにとっては目からカラーコンタクトが落ちちゃうようなスゴイ情報があったので、そのまま紹介する。
お名前:IM
E-mail:xxxxx@xxxxx.com
コメント:きっこ様、はじめてお便りします。「きっこの日記」いつも楽しく拝読しております。ところで、今日の記事に「箱根霊験躄仇討」の話がありましたが、2004年に京都・南座の顔見世において、歌舞伎では26年ぶりに上演された際、外題は「箱根霊験誓仇討(はこねれいげんちかいのあだうち)」に変えられていました。いちおう気になったのでご報告しておきます。これからも是非がんばってください。応援しています。
まずは、このメールをくださったIMさんをはじめ、いろいろと教えてくださった皆さん、どうもありがとうございました♪‥‥ってお礼を言いつつ、あたしは、このメールを読んで、何とも言えない恐さを感じた。ニポンの言葉狩りが、もうこんなとこまで進んでたのか‥‥って言うか、言葉狩りを恐れるあまりに、あらゆる媒体が神経質になりすぎてて、ついに、歴史ある歌舞伎や浄瑠璃の演目までもが、そのタイトルを変えざるを得なくなって来てたなんて、これじゃあ、この国の歴史ある文化を「アホウ鳥」とおんなじに絶滅危惧種に指定しなくちゃなんないと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、「箱根霊験躄仇討」の「躄(いざり)」の部分を「誓(ちかい)」に入れ替えて、インターネットで検索してみた。そしたら、いくつもヒットしたので、カタッパシから読んでみた。それで、すごくたくさんのことが分かったんだけど、簡単にマトメると、IMさんが教えてくださった通り、歌舞伎では、昭和53年10月に、この演目を上演して以来、26年間も上演されてなかった。それで、その間に、世の中の風潮が変わっちゃって、かつては普通に口にしてた多くの言葉が、差別用語にされて使いずらい世の中になっちゃったので、2004年12月10日に、26年ぶりにこの演目を上演する際には、自粛するって言うか、配慮するって言うか、どっかの団体からのクレームを受けないようにするためって言うか、ようするに、誰かから何か言われてタイトルを変えたんじゃなくて、上演する側が気を使って変更したそうだ。
で、IMさんのメールには、このタイトルの変更のことしか書かれてなかったから、あたしは、「何とも言えない恐さを感じた」って書きつつも、まだリトル安心してた。それは、いくらタイトルを変えたところで、中身がおんなじなら、この演目自体は後世へと正しく伝えられて行くからだ。だけど、そんなあたしの安心もトコノマ、この26年ぶりの上演では、ミゴトに、セリフも変えられてたってことが分かった。セリフに何度も出て来る「いざり」って言葉は、すべて「足萎え」に言い換えられてたそうだ。これじゃあ、このお話が、「いざりの仇討ち」や「いざり勝五郎」と言う呼び名で、多くの人たちを感動させて来た歴史をダイナシティにさせちゃうと思う。
だけど、これは、あくまでも、「歌舞伎では」ってことで、それも、京都で上演されるような「中央の歌舞伎」での話であって、地方の「地歌舞伎」や浄瑠璃などでは、今でも「箱根霊験躄仇討」のタイトルを掲げて、セリフもそのままに上演してるとこも多い。だから、少しは救われてるけど、それでも、こういった文化は、だんだんに消えてく運命なのかも知れない。
で、今回、いろいろと調べてたら、ちょっと面白いことを知った。それは、お座敷での芸妓さんの余興なんだけど、その中に「いざり勝五郎」っていうお遊びがあるそうだ。初花に扮した芸妓さんが、勝五郎に扮したお客さんを「いざり車」に見立てた座布団に乗せて、それを引きずって登場して、「箱根霊験躄仇討」の名セリフを言うって余興だそうだ。こんな余興があるのも、この演目が多くの人たちに愛されてる美談だからであって、これが、足の不自由な人を差別してる行為だって考えるのは、一部の神経質な人たちだけだろう。だけど、正しいニポンの文化を後世へ伝えて行くべき媒体の1つである中央の歌舞伎が、神経質な人たちの言葉狩りを恐れて、何も言われてないうちからこんなに過敏に対応してるようじゃ、こういったお座敷の余興も、連鎖的に消えてく日も近いと思う。
‥‥そんなワケで、歌舞伎や浄瑠璃などのお芝居の場合は、そのタイトルやセリフも大切だけど、それだけで成り立ってるワケじゃない。何よりも重要なのは、やっぱり、役者の演技力や表現力であって、タイトルやセリフは、それに付随してるものだ。だから、何らかの圧力によって、タイトルやセリフが変更させられたとしても、ストーリーの本スジを変えずに上演できるだけでも、喜ばしいことなのかも知れない。第二次世界大戦後、復興に励む庶民たちは、歌舞伎などのお芝居を観ることを数少ない楽しみの1つにしてた。
だけど、当時は、上演される演目の台本が、すべてGHQの検閲を受けさせられて、「仇討ち」や「切腹」のシーンがあると、カタッパシから削除させられてた。そんなメチャクチャな過去と比べれば、今のほうがマシだと思うかも知れない。だけど、あたしが懸念してるのは、昔の規制はアメリカによる一方的なものだったのに対して、今の規制‥‥って言うか、正確に言えば「自主規制」なんだけど、これが、ニポンの文化を守るべき立場にあるニポン人によるものだってことだ。
歌舞伎や浄瑠璃の場合は、タイトルやセリフを変更したとしても、ストーリーの本スジを変えずに上演できれば、その演目が完全に消滅することにはならない。だけど、和歌や俳句のように、言葉だけの文化、言葉そのものの文化は、言葉に規制をかけられたら終わりになっちゃう。俳句の場合には、差別用語に挙げられてる言葉を含んだ季語がいくつもある。たとえば、鳴かないセミ、メスのセミのことを「唖蝉(おしぜみ)」って呼ぶんだけど、これは夏の季語になってる。そして、多くの著名俳人の名句がある。
唖蝉の諸羽美し透きとほり 高野素十
唖蝉も鳴きおはりたるさまをせり 加藤楸邨
唖蝉も鳴く蝉ほどはゐるならむ 山口青邨
唖蝉や祷るかたちに羽たたむ 大石悦子
これらは、「イザリウオ」とおんなじで、生き物に対する呼び名の中に差別用語が含まれてるんだから、それほど神経質にならなくてもいいと思う。でも、そしたら、次のような句の場合はどうだろう。
唖の子の指に歩ませ蟹赤き 桂樟蹊子
すべもなき唖が身過ぎか猿廻し 富田木歩
これらは、聾唖(ろうあ)者のことを「唖(おし)」と呼んでるんだから、まぎれもなく差別用語を使ってるワケで、現代では、神経質な人たちからは問題視される作品だと思う。だけど、これらの句が、聾唖者を差別してるだろうか? バカにしてるだろうか? 上の樟蹊子(しょうけいし)の句には、なんとも暖かな作者の視点が感じられるし、下の木歩(もっぽ)の句には、自らも歩くことのできない体だからこその、深い思いが溢れてる。そして、もっと時代をさかのぼれば、こういった言葉は、さらに普通に使われてる。
盲より唖のかはゆき月見かな 向井去来
かけ香や唖の娘のひととなり 與謝蕪村
‥‥そんなワケで、あたしは、「唖(おし)」「盲(めくら)」「聾(つんぼ)」という、現代では差別用語とされてる言葉でも、その使用が許されるケースがあると思う。それは、それらの障害を持っている人が、自分自身に対して使用する場合だ。たとえば、次のような句がある。
聾青畝こゝに居るぞと青葉木菟(あおばづく) 阿波野青畝
阿波野青畝(あわのせいほ)は、明治32年(1899年)に、奈良県の高市郡高取町に生まれた。そして、幼いころに中耳炎をこじらせ、ほとんど耳が聞こえなくなってしまった。それが原因で、中学より上の学校への進学を断念することになり、深い絶望を味わった。だけど、負けず嫌いだった青畝は、進学できなくても勉強はできると、その絶望をバネにして、独学で古典などを学び、俳句の創作も始めるようになった。そして、後に、山口誓子(せいし)、高野素十(すじゅう)、水原秋桜子(しゅうおうし)とともに、「昭和の4S」って呼ばれるほどの著名俳人になったのだ。
で、そんな青畝だけど、本格的に俳句を志したのは、単なる偶然‥‥って言うか、カン違いが発端だった。青畝が中学3年生の時に、本屋さんで、徳富蘆花(ろか)の小説の「不如帰(ほととぎす)」と間違えて、俳句誌の「ホトトギス」を買っちゃったのがキッカケだった。それで、その「ホトトギス」を読んだ青畝は、それまで以上に俳句に興味を持ち、「ホトトギス」に入会して、地元の同人だった原田浜人に連絡をして、以来、師事することになった。そして、本格的に俳句を始めた青畝は、18才の時に、こんな句を詠んでる。
虫の灯に読み昂ぶりぬ耳しひ児 青畝
「耳しひ児(みみしひご)」ってのは、耳の聞こえない子ってことで、この言葉だって、今の感覚で言えば立派な差別用語だろう。この句を読んで最初に気づくのは、「虫の音」じゃなくて「虫の灯」って部分だ。つまり、家人たちは、秋の虫の音を楽しんでいるのに、耳が悪くて虫の音を楽しむことができない青畝は、1人、読書にふけってるってことだ。だけど、単に自分のことを詠んだだけじゃなくて、自句解説によると、自分とおんなじように耳の聞こえない子供のことを想像しながら詠んだ句だそうだ。
で、18才のこの年、「ホトトギス」の主宰の高濱虚子が、奈良の原田浜人の家を訪ねた時に、青畝は、原田浜人に紹介してもらって、初めて虚子と会うことができた。そして、この出会いが、青畝をさらなる俳句の道へと進めることになった。この時、弟子の原田浜人から「青畝は耳が悪い」ということを聞かされた虚子は、青畝に向かって、村上鬼城(きじょう)の話をしたんだけど、村上鬼城ってのは、青畝よりも、さらに耳の悪い俳人だ。つまり、虚子は、青畝よりも耳が悪くても、素晴らしい句を詠む立派な俳人がいるということを教えて、青畝を励ましたってワケだ。
だけど、若さゆえに恐いもの知らずだった青畝は、自分を励ましてくれた天下の虚子に対して、こともあろうに、「見たものを見たままに詠んだって素晴らしい作品が生まれるとは思わない」って感じで、虚子の提唱してた「客観写生」に対しての不満を述べちゃう。でも、虚子に、「そう思っても、しばらくは上達するための手段としてでいいから、写生の練習を積んでみなさい」って言われて、仕方なく納得した。だけど、なんだかんだ言っても、俳句に没頭してた青畝は、虚子の言う通りに客観写生の練習を積んだことによって、持ち前も叙情にも磨きが掛かり、メキメキと頭角を現わして行った。だから、昭和6年、32才の時に出版した第1句集、「万両」の序文には、「耳の遠い児であるといふことが、勢、君を駆って抒情詩人たらしめた」っていう虚子の言葉がある。
聾青畝ひとり離れて花下に笑む 虚子
この句は、青畝が「万両」を出版した翌年、昭和7年に、京都の西山十輪寺で桜を愛でた時の虚子の句だ。京都を訪れた虚子は、たくさんの弟子たちに囲まれていたけど、その輪に入らずに、ボツンと離れたとこにいた青畝のことを虚子は詠んでる。自分が輪の中心にいても、その輪の外にいる弟子にまで、ちゃんと目を向けている虚子。この句の「つんぼ青畝」が、果たして差別用語だろうか? 青畝のことを蔑んでいるのだろうか? あたしには、弟子に対する深い愛情こそ感じても、決して、差別用語などとは思えない。前出の青畝自身の句、「聾青畝こゝに居るぞと青葉木菟」には、わずかに自虐的な要素が感じられたけど、こっちの虚子の句には、他人を傷つけようとする気持ちやバカにする気持ちなど、ミジンも感じられない。
サッカーのジーコ監督は、誰からも「ジーコ」って呼ばれてるけど、本名は「アルトゥール・アントゥネス・コインブラ」っていって、「ジーコ」っていうのは「痩せっぽち」っていう意味のニックネームだ。だけど、誰1人、ジーコ監督のことをバカにして「ジーコ」って呼んでる人なんかいないと思う。そして、呼ばれてる本人のほうも、それを悪口だ、差別だなんて感じてないと思う。これとおんなじで、「つんぼ青畝」にしても、「いざり勝五郎」にしても、そこに愛情はあっても、差別や軽蔑の気持ちなんてミジンもない。だけど、「どんな状況であろうと、どんな媒体であろうと、絶対に差別用語を使ってはいけない!」なんて、ナチスドイツみたいなノリの言葉狩りが横行しちゃったら、こういった優れた俳句作品を始め、数え切れないほどの文学作品がマジックで塗り潰され、この国の素晴らしい歴史ある言語文化が失われてくってワケだ。で、ここで、1通のメールを紹介する。
お名前:YB
E-mail:xxxxx@xxxxx.co.jp
コメント:きっこ様、初めてメールさせて頂きました。いつもいつもいっつも楽しゅうに拝読させて頂きよります。高知市在住のYと申します。きっこさんのメンタリティには共感するところがこぢゃんと多く、毎日感心しながら拝読致しております。ありがとうございます。さて、普段は読ませて頂くばっかしで、メールを送るなんぞということは思いも寄らんかったがですが、今回、「いざる」という言葉がでてきましたので、高知と土佐弁を愛する不肖わたくし、思わずキーボードに向こうてしまいました。まずショックでありましたのが、「いざる」という言葉が標準語であったということ。「尻をつけたままで移動する」といった意味であったこと。そして差別用語であったらしいこと。実はですね、高知では「いざる」は単に「座る」「座り込む」ことを意味するのであります。友人が突然やって来て、玄関先で挨拶しゆう時に、「まあ、ちっくとイザッテ行きや!」と言えば「家へ上がってゆっくりして行ってよ」てな意味になります。そして、もうちっと高度な土佐便の使い手になりますと「ちくと待ちとおせよ。イザッテ来るきに」という技を使います。これは、「少し待ってて下さい。トイレ(大きい方)へ行ってくるので」という意味。ちなみに小の方は「バッテくる」を使います。いや、くだらんことを書いてしまいました。ご笑覧下さいましたら幸甚です。(後略)
‥‥そんなワケで、「いざる」って言葉は、「躄る」とか「膝行る」とか書くけど、これらはあとから考えられた漢字やアテ字で、もともとは「居ざる」って書く。そして、その意味は、「立ち上がらずに座ったまま膝で進む」「幼児が尻をつけたまま移動する」「置いてある物がずれて動く」「舟が浅瀬をなかなか進めない様子」などだ。だから、YBさんの使ってる「いざる」も、この「座ったまま膝で進むこと」から「座ること」へと転じたんだと思う。また、「居ざる」の名詞形の「居ざり」のほうも、あたしの愛用してる旺文社の古語辞典には、「居ざること」ってのがメインの意味として掲載されてて、最後に「足の立たない身体障害者のこと」って書いてある。つまり、この言葉には、多くの意味があって、その中の1つに、足の不自由な人を指す意味も含まれてるってことだ。
それなのに、この言葉自体を差別用語に指定するのは、すごくおかしな話だ。たとえば、「箱根霊験躄仇討」だったら、足の不自由な登場人物のことを指すために使ってるんだから、差別用語だって言われても仕方ないと思う。だけど、「イザリウオ」に関しては、「足の不自由な人のような魚」って意味じゃなくて、「お茶の席などで立ち上がらずに膝だけで進む人のように海底を進む魚」って意味なんだから、ちっとも差別的じゃない。
それに、「ザリガニ」だって、もともとは「イザリガニ」って名前で、「お茶の席などで立ち上がらずに膝だけで進む人のように川底を進むカニ」ってのが語源だそうだ。それが、いつの間にか、「イ」が取れちゃって、「ザリガニ」って名前になっちゃったそうだ。だから、「イザリウオ」にしたって、もしも、もっとメジャーな魚で、ニポン中の誰でもが知ってるほどだったとしたら、知らないうちに「イ」が取れちゃって、「ザリウオ」になってて、誰からも文句なんか言われなかったかもしんない。逆に言えば、「ザリガニ」みたいに全国規模のメジャーな生き物でも、たった1文字が取れただけで、文句を言われないケースもあるってことだ。
そう言えば、2~3日前に、テレビ東京で、全国の漁師さんを訪ねて、そこで獲れたお魚やタコが、東京まで運ばれて来て、お店でお料理になるのを食べるって番組をやってた。その中で、沖縄の伊平屋島(いへやじま)での手長ダコ漁の様子を紹介してたけど、伊平屋島では、手長ダコのことを「シガイ」って呼んで、その漁のことを「イザリ」って呼ぶそうで、画面の右上には「シガイのイザリ漁」って文字が出てた。その漁は、夜になったら、背中にバッテリーを背負って、強力なライトを持って、ヒザくらいの深さの浅瀬に入ってって、そのライトで海面を照らしながらタコを獲るものだった。
だから、この「イザリ漁」の「イザリ」ってのが、前かがみになって進んでく姿を座ったまま膝で進む「居ざり」に見立てたのか、浅場での漁だから、舟が浅場を進む「居ざり」に見立てたのか、どっちなのかは分かんない。また、昔は「漁をする」ことを「漁(いさ)る」って言って、平安時代より前には「漁(いざ)る」って濁ってたから、そのころからの流れで、この「イザリ」は「漁」そのものを指すとも考えられる。だけど、どんな語源でも、現在は「イザリ」って言ってるんだから、神経質な人からは「差別用語だ!」って言われちゃうだろう。
‥‥そんなワケで、あたしは、「差別用語」ってもんの規定自体に、大いに問題があると思ってる。「差別用語」の中に挙げられてる言葉の多くは、それを使用するTPOにさえ配慮すれば、人を傷つけるどころか、人を感動させることのできる言葉だと思うし、実際、「箱根霊験躄仇討」や、数々の俳句作品のように、長年に渡って、たくさんの人たちを感動させて来たものも多い。逆に言えば、「差別用語」の中に挙げられてない言葉だって、どんな言葉だって、使い方によっては人を傷つける。たとえば、ものすごく太ってる女性に対して、「いや~あなたはスタイルがいいですね~」って言ったら、それだって相手を傷つけるワケで、ようするに、「どんな言葉を使うか」が問題なんじゃなくて、「そこに悪意があるかどうか」ってことが問題なのだ。たとえ「褒め言葉」であっても、そこに悪意があり、相手を傷つける目的で使えば、それは「差別用語」になる。だから、あたしは、最近のイジメ問題の根底にある、「相手が嫌がることをすると楽しい」「人の失敗が嬉しい」「人の成功がムカつく」っていう心の貧しい人たちを量産しちゃった格差社会自体を何とかしない限り、いくら言葉狩りなんかをしても、ホントの意味での「差別」なんか無くならないと思う今日この頃なのだ。
★ 今日も最後まで読んでくれてありがとう!
★ ホントの意味での「差別」をなくしたいんなら、イジメが横行する格差社会を作り出した自民党から政権を剥奪するしかない!って思った人は、応援のクリックをお願いしま~す♪
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