美(うま)し国、ニポン
3月8日、宮城県の観光キャンペーンのシンボルマークとキャッチフレーズが、宮城県の村井嘉浩知事によって発表された。シンボルマークは、米どころを象徴するオニギリ君が、伊達政宗を象徴する三日月のカブトをかぶってるもので、キャッチフレーズのほうは、「美味(うま)し国 伊達な旅」っていうそうだ。ようするに、美味しい食べ物がいろいろとあるってことと、伊達政宗の「伊達」をとって「伊達な旅」ってしたんだと思う。そして、宮城県は、このキャンペーンに合わせて、松島公園の照明灯などの整備費用、3000万円を予算に計上して、仙台市は、JR仙台駅西口のエスカレーターやエレベーターを整備したり、観光バスの台数も増やすそうだ。
まあ、ここまでなら、どこの県でもやりそうなことだし、何も問題ないと思う。だけど、このキャンペーンに対して、三重県の野呂昭彦知事が文句を言い出したのだ。それと言うのも、三重県では、2年前の2005年から、観光キャンペーンで、「美(うま)し国、まいろう。伊勢・鳥羽・志摩」っていうキャッチフレーズを使用してて、この「うまし国」って部分がカブッてるってワケだ。それで、三重県の野呂知事は、「非常に不愉快です!」って言ってるんだけど、宮城県の村井知事のほうは、「近隣の県ならともかく、三重県は場所も離れてるんだし、『うまし国』というのは一般的な表現なんだから、理解して欲しい」って言ってる。
ま、「美しい国」の看板をあげながら、時代錯誤の洗脳教育をして、平和憲法をブチ壊して、コッソリと核兵器を作って、戦争のできる醜い国を作ろうとしてるハダカの王様と比べれば、観光キャンペーンのキャッチフレーズがカブッたくらいで、そんなに騒ぐこともないと思うんだけど、逆に言えば、県知事レベルの人たちが、こんなことで騒げるほど、やりたい放題の恐怖政治に気づいてないってことになる。これは、ある意味、多くのニポン人が、政府に操作されたマスコミの偏向報道を鵜呑みにして、この国の危機を感じてないってことの象徴みたいなもんで、煎じ詰めれば、米どころを象徴するためにオニギリ君をシンボルマークにするような人には、主食であるお米を買うこともできない国民が数え切れないほど存在してるってことなど、まったく分かってないんだと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、完全にカブッてんなら文句を言うのも分かるけど、良く見ると、ビミョ~に違うんだから、別に構わないと思う。もともとの三重県のほうは、「美し国」って書いて「うまし国」だけど、あとから作った宮城県のほうは、「美味し国」って書いて「うまし国」なんだから、根本的なこととして、言葉の意味が違う。三重県のほうは「美しい国」で、宮城県のほうは「美味しい国」なんだから、三重県が「景観」のことを言ってるのに対して、宮城県は「食べ物」のことを言ってる。だから、2年前に「美(うま)し国」っていうキャッチフレーズを使用した三重県の野呂知事が文句を言うのなら、宮城県の村井知事に対して言うんじゃなくて、アベシンゾーに対して言うべきだろう。「パクんなよ!」ってね(笑)
で、この2つの言葉、三重県の「美し国」と宮城県の「美味し国」を比べると、三重県のほうは1300年も前の万葉の時代からある歴史的な言葉なのに対して、宮城県のほうは勝手に作ったデタラメな造語だ。だから、1300年も前からあった言葉を使った三重県の野呂知事が、「マネされた」って言って怒るのは、どうかと思う。それよりも、宮城県の「美味し国」に対して怒っていいのは、マンガの「美味しんぼ」の雁屋哲と花咲アキラだと思う‥‥ってのはギャグだけど、とにかく、「美味」って書いて、「おいしい」とか「うまい」とか読ませるのは、完全にアテ字なんだから、ちゃんとした正しいニポン語である「美(うま)し」を使ってる三重県の野呂知事は、もっと堂々としてればいいと思う。今のままだと、本物のヴィトンの社長が、バッタモンのヴィトンに文句を言ってるみたいな感じで、あんまりカッコイイもんでもない。あとから出て来たバッタモンなんか、相手にすることはないと思う。
ま、そんなことはともかくとして、この「美(うま)し」ってのは、読んで字のごとく「美しい」って意味もあるけど、それだけじゃなくて、「十分に満ち足りてる」って意味もある。つまり、見た目の美しさだけじゃなくて、その内容も素晴らしいって意味になる。だから、「国」に対しての形容詞として用いた場合には、単に「美しい国」って意味だけじゃなくて、「素晴らしい国」ってイメージも合わせ持つことになる。で、この言葉が登場するのが、万葉集の2首目、舒明(じょめい)天皇の長歌だ。
大和には群山(むらやま)あれど
とりよろふ天(あめ)の香具山登り立ち国見をすれば
国原(くにはら)は煙(けぶり)立ち立つ
海原(うなはら)は鴎(かまめ)立ち立つ
美(うま)し国そ蜻蛉島(あきづしま)大和の国は
簡単に訳すと、「大和にはたくさんの山が集まってるけど、一番素晴らしい天の香具山に登って自分の領土を見渡すと、人々の住む平地には、あちこちに生活してる人たちの炊飯の煙が立ちのぼってるし、広い海には、カモメたちが飛び交ってるし、やっぱ、蜻蛉島って呼ばれてるオレ様の国は、何から何までがワンダホーだぜ!」って感じだ。ちなみに、「天」を「あめ」、「煙」を「けぶり」、「鴎」を「かまめ」って読むのは、もともとの読み方で、今の「あま」「けむり」「かもめ」って読み方は、これらが長い間に変化したものだ。
それから、あたしの訳は、あくまでも一般的なもので、万葉集を専門に研究してる学者の中には、いろんな説を唱えてる人がいる。一例をあげると、この歌の「海原」ってのは「海」のことじゃないって説もある。天の香具山から見渡せる奈良盆地は、かつては海で、大きな湾になってた。そして、その湾の両端がだんだんに伸びてって、輪っかになって、大きな海水湖になり、それがだんだんに埋まってって、最後に盆地になった。それで、この歌が詠まれた舒明天皇の時代、西暦600年代は、まだ完全な陸地になる前で、広大な湿地帯だった。だから、その湿地帯のことを「海原」って言ったんじゃないか‥‥って説だ。
他にも、この「海原」に関しては、海じゃなくて大きな池のことだって説もあって、ホントはカモが飛んでんだけど、それをカモメに見立てて詠んだんだろうって言ってる学者もいる。それから、「とりよろふ」って言葉に対する諸説もあるし、細かいことを言い出すとキリが無くなっちゃうけど、受験とかに必要なオオマカな知識としては、あたしの訳でOKだ。だけど、あたしの何百倍も頭のいい専門の学者でも、完璧なことが分かんないなんて、古典て、ホントに奥が深い世界だと思う。そして、1つの歌にたくさんの説があるんなら、あたしも新しい説を唱えてみたくなっちゃう。それで、今、急いで考えてみたんだけど、こんなのはどうだろう。
「大和にはたくさんの山が集まってるけど、一番素晴らしい天の香具山に登って自分の領土を見渡すと、人々の住む平地には、あちこちに生活してる人たちの炊飯の煙が立ちのぼってる。でも、天の香具山よりも態度のでかい海原雄山は、庶民の食事なんかは絶対に口にせず、自分だけは特別のカモメ料理を食べている。やっぱ、美味しんぼって呼ばれてる海原雄山だから、カモメ料理に飽きたら、今度は、蜻蛉(とんぼ)料理でも食べ出すかも知れないね」
‥‥そんなワケで、これじゃあ、三重県のほうの「美し国」じゃなくて、宮城県のほうの「美味し国」になっちゃうけど、海原雄山が「美食倶楽部」を支配してたように、当時の天皇は大和の国(今の奈良県の一部)を支配してたワケで、その国の支配者が高い場所に登って、自分の領土を見渡すことを「国見(くにみ)」って呼んでたのだ。そして、この「国見」は、春に行なう儀式の1つで、その時に詠む歌を「国見歌(くにみうた)」って呼んでた。
だから、この舒明天皇の歌も、「国見歌」の1つだし、他にも、多くの天皇が、こういった国見歌を詠んでたってワケだ。そして、この舒明天皇の歌から分かることは、今から1300年以上も前に、その国の支配者が、自分の領土を見渡して、景観だけじゃなく、人々の暮らしぶりとかも含めて、「オレの国は素晴らしい国だ」って自画自賛する時に、すでに、「美し国」って言い方をしてたってワケだ。
だけど、この国見歌ってのは、その時代の天皇が、自分の領土を自画自賛するだけじゃなくて、もっと重要な意味があった。それは、今の政治家や政党が、国民に向けて、自分たちのマニフェストを掲げるのとおんなじで、その時代の天皇が、領民たちに対して、自分の「国を治める姿勢」や「権力の大きさ」をアピールするって意味もあったのだ。ようするに、「この国はこんなに素晴らしいんだから、この国に住むことができるお前らは幸せなんだ。だから、がんばって働いて、シッカリと年貢を納めろよ」ってことだ。そして、舒明天皇は、そのために、自分の国を「美し国」って呼んだのだ。
‥‥そんなワケで、アベシンゾーが「美しい国」って言葉を連呼してんのも、こんな陳腐な言葉で国民の目をくらませて、結局は、自分を取り巻く一部の人間たちの利権のためだけに、国民を欺いて狂った国造りをしてるんだから、やってることは、1300年前と変わらないよね。サスガ、戦争犯罪者の孫は、時代に逆行することが好きみたいだ。とにかく、遥か昔の万葉の時代から、現代に至るまで、簡単に「美しい国」なんて言葉を口にするようなヤツは、絶対に信用できないってことだよね。で、今日は、最後に、1通のメールを紹介して終わりにしようと思う今日この頃なのだ。
お名前:N
E-mail:xxxxx@xxxxx.ne.jp
コメント:コンニチハ、きっこさん。いつも読んでます……つーのはちょっとウソで、忙しいときはまとめて読んでいるNです。で、本日箱根に行ってきました。すこぶるいいお天気で、ウエザーリポートのオネーさんは、「北よりの風が吹いて寒く感じるでしょう」なんて言っていたけれど、やっぱり春は確実に近づいているんだな、って、とても気持ちのいい箱根でした。富士山もくっきりはっきり見えたし。長尾峠をズンズン上って行くと、確か一時やっていなかったお茶屋さんがあって、あんまり富士山がきれいに見えるもんだから、ちょっと寄ってみました。そしたら、そこの駐車場の脇に、この石碑があったんです。石原かよ!けっして美しいものではないな。って、ここまで書いて気がつきました。写真を送ろうと思っていたのですが、このメールに添付はできないんですね。スミマセン。石碑は、高さが2メートル弱くらい、幅は50センチくらいでしょう。縦書きで「美しい國日本」と書かれ、「石原慎太郎」と署名されていました。後ろには、せっかく美しい富士山が見えているのに。ったくトホホな石碑なのでした。でも、息せき切って峠を登ってきたから、春の風で気持ちが少し良くなりました。では。
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