長崎宣言
ゆうべの深夜‥‥っていうか、今日の早朝っていうか、どっちでもいいんだけど、NHKの総合テレビをつけたままお仕事をしてたら、「ためしてガッテン」の再放送が終わったあと、「熱血!オヤジバトル」の再放送が始まったので、手を休めて、見ることにした。「オヤジバトル」って言っても、オヤジ同士が殴り合いをするワケじゃなくて、オヤジバンドのコンテストだ。10年前に始まったこのコンテストは、全国から勝ち抜いて来た8つのバンドが出場する決勝戦で、MCは、10年前からずっと、リトル知り合いの松尾貴史さんと、あたしの大好きな清水ミチコさんだ。だけど、記念すべき第10回の今回は、あたしは見逃しちゃったので、再放送を楽しみにしてた。
それで、この番組の構成としては、全国から選ばれた8バンドのメンバーをそれぞれ取材して、取材のVを流してから会場での演奏を流すって形なので、すごく楽しい。スーツを着て会社で働くお父さんの姿と、仲間たちとバンドの練習をする姿とのギャップや、農作業の合間に練習に励むお父さんなど、見てるとホノボノとして来る。で、1組目のバンドのメンバーの日常の姿や練習してる様子などをまとめたVを流してから、そのバンドの演奏を流して、2組目、3組目と続いて行ったんだけど、深夜の3時半を過ぎたころ、突然、5組目のバンドのメンバーの日常生活のVが、何の前触れもなく途中で切られて、男性キャスターが臨時ニュースが読み始めた。
「え~、昨夜、選挙事務所前で暴力団関係者から銃撃され、病院で緊急手術を受けていた長崎市長の伊藤一長氏が、先ほど死亡しました」
あたしだけじゃなく、多くの人たちが、銃撃のニュースを聞いた時に、その中の「心肺停止状態」という言葉を聞いて、祈るような気持ちでいたと思う。そして、何とか奇跡が起きて欲しいと思ってたハズだ。だけど、平和を願うあたしたちの思いは届かず、核兵器の悲惨さを訴え続けて来た伊藤市長は、人間のクズの放った凶弾の前に、帰らぬ人となってしまった。
‥‥そんなワケで、今日も、「いかがお過ごしですか?」は割愛してくけど、今回の事件で、あたしが何よりもムカついたのは、アベシンゾーの非常識極まりないコメントだ。他の議員たちは、みんな、この卑劣な犯罪を糾弾するコメントを出したのに、無責任大王のアベシンゾーだけは、まるで他人事のように、「早く解決するといいですね」ってノタマッたのだ。そして、この大バカなコメントに対して批難の嵐が吹き荒れたら、大慌てで誰かに考えてもらった次のコメントをノタマイやがった。
「選挙期間中の凶行というのは、民主主義への挑戦であり、断じて許すわけにはいかない。こうした暴力を断固として撲滅していかなければならない」
ふざけんな! つい先日も、憲法を改悪して戦争のできる「美しい国」を作るための「国民投票法案」をムリヤリに強行採決させ、総理就任以来、ことごとく民主主義を踏みにじって来た独裁者のブンザイで、何が「民主主義への挑戦」だ! あたしも自分のことをタナに上げるのは得意だけど、仮にも一国の総理大臣ともあろう蝋人形が、ここまで自分のことをタナに上げられるとは、開いた口からコーヒーとミルクが順番に出て来てカフェラテができちゃうよ。お前のイチの子分で、大事な大事なパトロンの江島潔は、地元の広域ホニャララ団、G一家とベッタリ癒着して、悪行三昧をやりまくってるじゃん。そして、そのお金の一部が、お前のフトコロに転がりこんでるじゃん。
他にも、お前の周りはホニャララ団ばっかなのに、何言ってんの? だいたいからして、自民党の森派自体が、全国的な広域ホニャララ団のS会や右翼団体のN社とベッタリ癒着して、拉致被害者の「救う会」まで利用して、北朝鮮からの覚醒剤の密輸に間接的に協力しちゃってんじゃん。
ホニャララ団や右翼団体と癒着して悪の限りを尽くしてる売国軍団のトップのクセに、何が「こうした暴力を断固として撲滅していかなければならない」だよ? ま、反戦や核兵器廃絶を訴え続けて来た伊藤市長は、戦争したくてウズウズしてる人間にしてみたら、きっとジャマだったんだろうね。伊藤市長を襲ったのはホニャララ団だし、前の長崎市長を襲ったのは右翼だし、ホニャララ団や右翼とベッタリ癒着してる総理大臣としては、少しは責任を感じたらどう?‥‥って、文句ばっか言っててもジンジャエールだし、今は何よりも伊藤市長の気持ちを考えるべきだと思うので、伊藤市長が訴え続けて来た「平和」ってことに対して考えてみようと思う。
‥‥そんなワケで、アベシンゾーは、今や「アベジョンイル」って呼ぶのがピッタリなほどの独裁者になっちゃって、チャクチャクと戦争への道を突き進んでる。非核三原則なんか完全に無視して、この国に40万発もの劣化ウラン弾を持ち込み、核兵器を積んだ空母をジャンジャンと寄港させ、青森の六ヶ所村では、メイド・イン・ニポンの原爆を作るためにプルトニウムを作り、そして、大好きな戦争をするために、憲法を改悪するための「国民投票法案」を強行採決した。そして、過去の戦争を美化するために、歴史の教科書を捏造したり、デマを垂れ流したりと枚挙にイトマがない。
だけど、アベシンゾーのこの愚かな行為は、政府の稚拙な情報操作なんかに簡単に騙されちゃうような一部のアホだけしか洗脳することができず、多くの国民は、すでに真実に気づき始めてる。それは、広島や長崎、沖縄を始めとした、国によって、政府によって、数え切れないほどの人たちが殺され、未だにその傷が癒えない人たちが暮らしている地域があるからだ。そして、今回、その地域を代表する1人である伊藤市長が、あまりにも不可解な理由によって、口封じされるかのごとく殺害されたのだ。以下、「平和憲法」の遵守、「非核三原則」の遵守を政府に訴え続けて来た伊藤市長の「長崎宣言」だ。
「人間は、いったい何をしているのか」
被爆から61年目を迎えた今、ここ長崎では怒りといらだちの声が渦巻いています。
1945年8月9日11時2分、長崎は一発の原子爆弾で壊滅し、一瞬にして、7万4千人の人々が亡くなり、7万5千人が傷つきました。人々は、強烈な熱線に焼かれ、凄まじい爆風で吹き飛ばされ、恐るべき放射線を身体に浴び、現在も多くの被爆者が後障害に苦しんでいます。生活や夢を奪われた方々の無念の叫びを、忘れることはできません。
しかし、未だに世界には、人類を滅亡させる約3万発もの核兵器が存在しています。
10年前、国際司法裁判所は、核兵器による威嚇と使用は一般的に国際法に違反するとして、国際社会に核廃絶の努力を強く促しました。
6年前、国連において、核保有国は核の拡散を防ぐだけではなく、核兵器そのものの廃絶を明確に約束しました。
核兵器は、無差別に多数の人間を殺りくする兵器であり、その廃絶は人間が絶対に実現すべき課題です。
昨年、189か国が加盟する核不拡散条約の再検討会議が、成果もなく閉幕し、その後も進展はありません。
核保有国は、核軍縮に真摯に取り組もうとせず、中でも米国は、インドの核兵器開発を黙認して、原子力技術の協力体制を築きつつあります。一方で、核兵器保有を宣言した北朝鮮は、我が国をはじめ世界の平和と安全を脅かしています。また、すでに保有しているパキスタンや、事実上の保有国と言われているイスラエルや、イランの核開発疑惑など、世界の核不拡散体制は崩壊の危機に直面しています。
核兵器の威力に頼ろうとする国々は、今こそ、被爆者をはじめ、平和を願う人々の声に謙虚に耳を傾け、核兵器の全廃に向けて、核軍縮と核不拡散に誠実に取り組むべきです。
また、核兵器は科学者の協力なしには開発できません。科学者は、自分の国のためだけではなく、人類全体の運命と自らの責任を自覚して、核兵器の開発を拒むべきです。
繰り返して日本政府に訴えます。被爆国の政府として、再び悲惨な戦争が起こることのないよう、歴史の反省のうえにたって、憲法の平和理念を守り、非核三原則の法制化と北東アジアの非核兵器地帯化に取り組んでください。さらに、高齢化が進む国内外の被爆者の援護の充実を求めます。
61年もの間、被爆者は自らの悲惨な体験を語り伝えてきました。ケロイドが残る皮膚をあえて隠すことなく、思い出したくない悲惨な体験を語り続ける被爆者の姿は、平和を求める取り組みの原点です。その声は世界に広がり、長崎を最後の被爆地にしようとする活動は、人々の深い共感を呼んでいます。
本年10月、第3回「核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」が開催されます。過去と未来をつなぐ平和の担い手として、世代と国境を超えて、共に語り合おうではありませんか。しっかりと手を結び、さらに力強い核兵器廃絶と平和のネットワークを、ここ長崎から世界に広げていきましょう。
被爆者の願いを受け継ぐ人々の共感と連帯が、より大きな力となり、必ずや核兵器のない平和な世界を実現させるものと確信しています。
最後に、無念の思いを抱いて亡くなられた方々の御霊の平安を祈り、この2006年を再出発の年とすることを決意し、恒久平和の実現に力を尽くすことを宣言します。
2006年8月9日
長崎市長 伊藤一長
「長崎宣言」
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/abm/heiwasengen/sengen_j.htm
‥‥そんなワケで、この「長崎宣言」を読めば、長崎だけじゃなく、平和を願う多くの人たちから支持されてた伊藤市長の訴え続けて来たことが、アベシンゾーのやろうとしてることと正反対だってことに、クレヨンしんちゃんでも気づくだろう。そして、憲法を改悪し、戦争のできる国にするだけじゃなく、平然と「小型であれば原子爆弾の保有も問題ない」と公言し、メイド・イン・ニポンの原爆まで作ろうとしてるアベシンゾーにとっては、伊藤市長のような人間は、目の上のタンコブみたいな存在だったハズだ。ま、この先は、1人1人が自分で考えることだけど、戦争の悲惨さを訴え続けた伊藤市長の思いをムダにしないためにも、自分が参加できるすべての選挙に行き、世界唯一の被爆国の国民としての責任を果して欲しいと思う今日この頃なのだ。
最後に、伊藤一長市長のご冥福を心よりお祈りいたします。
★ 今日も最後まで読んでくれてありがとう!
★ 1日1回、応援のクリックをお願いします!
↓ ↓
人気blogランキング
| 固定リンク