花の色は移りにけりな
今年の桜は、暖冬の影響で、例年よりもリトル早く開花するって言われてたけど、フタを開けてみたら、開花時期は例年と変わらなかった。だけど、1つだけラッキーだったのは、桜が咲き始めるまでは暖かい日が続いてたのに、咲き始めたトタンに、また寒さが戻って来たことだ。そのオカゲで、今年は、ワリと長い間、ダラダラと桜が咲き続けてる。
桜ってのは、その散り際の「潔さ」が美しいワケで、ダラダラと咲き続けてる桜ってのは、イマイチ美しくない。山部赤人(やまべのあかひと)も、「あしひきの山桜花(やまさくらばな)日並べてかく咲きたらばいと恋ひめやも」、つまり、「もしも山の桜が何日もずっと咲き続けていたなら、こんなにも恋しいとは思わないでしょう」って詠ってるように、パッと咲いてパッと散るのが桜の味わいってワケで、何日もダラダラと咲き続けてる桜なんて、味もソッケもあったもんじゃない。じゃあ何で、ダラダラと咲き続けてくれてたことが「ラッキー」だったのかって言うと、それは、極めて個人的な理由なんだけど、あたしは、今日、母さんとお花見する約束をしてたからだ。
東京では、こないだの日曜日が、ものすごくお天気が良くて、お花見的にはサイコーのコンディションだった。だけど、あたしの場合は、土日は稼ぎ時だから、お休みできるのは平日しかない。それで、2週間ほど前から、何とかスケジュールをヤリクリして、やっとこさ、今日をお休みにしたってワケだ。だけど、日曜日にお天気が良かったのもトコノマ、月曜日には、またまた冷え込んだ上に、雨がパラパラと降り出しちゃったし、次の火曜日も降ったり止んだりのお天気だった。だから、冷え込んだことによって桜が長持ちしそうな予感と、雨が降ったことによって桜が散りそうな予感との板バサミになりつつも、久しぶりの母さんとのデートに、2年‥‥じゃなくて、3年‥‥じゃなくて、余念がないあたしとしては、最悪、雨が降った時のことを考えて、区立の民家園、「次太夫堀(じだゆうぼり)公園」に行くことに決めてた。そうすれば、駐車場があるから、母さんに負担をかけないし、雨が降っても、母屋の囲炉裏でお茶を飲んだり、縁側から園内を眺めたりできるし‥‥って思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、今日の日をずっと楽しみにしてて、お花見用の豪華なお弁当も作るつもりだった。だけど、いつものことながら、こんな時に限って、お金に余裕がない。昨日の時点で、お財布の中には1500円弱、次のギャラの振り込みは1週間後って感じだった。それで、何とか北朝鮮に経済制裁を発動してお金を作ろうと思ってたんだけど、ものすごく疲れが溜まってて、そんな余裕もなかった。だから、今できる最善を尽くそうと思ったんだけど、家には、俳句仲間が送ってくれたお米があるだけだった。
それでも、いつもはお米も買えないあたしとしては、お米がタップリあるなんて、それだけでもパラダイスってワケで、ここんとこ、ずっと、炊き立てのご飯に梅干しとフリカケで、お腹いっぱいにご飯を食べてる。だから、あたしだけなら、いつもの梅干しのオニギリでも十分なんだけど、母さんとお花見に行くのに、海苔も巻いてない梅干しのオニギリってワケには行かない。それで、あたしは、最小限の出費で作れる最大限に美味しそうなものを考えた結果、約50人の小さいきっこたちと、約20人の小さいきっこセピアのメンバーたちの満場一致で、「おいなりさん」に決定した。これなら、アブラゲだけ買ってくれば作ることができるし、ナニゲに、お花見っぽい感じがするからだ。
で、あたしは、ゆうべ、閉店になる30分前を狙って、いつものスーパーへと欽ちゃん走りした。閉店30分前なら、お豆腐コーナーの商品は、売り切れてない限り、たいていは赤い半額シールが貼られてるからだ。そして、あたしのモクロミ通り、3種類あったアブラゲは、手前のぶんだけ、赤い半額シールが貼られてた。あたしは、心の中で「やった~♪」って叫びながら、こんなにうまくあたしのモクロミ通りにコトが運んだのも、きっと、秘密結社「鷹の爪団」の総統のオカゲだと思って、アブラゲに向かって、両手をブルブルさせながら、「タ~カ~ノ~ツ~メ~」って言ってみた(笑)
‥‥そんなワケで、こんな調子で書いてくと、いつも以上に長くなっちゃうから、飛び石みたくピョンピョンと行くけど、80円で3枚入りのアブラゲが半額になってるのを2袋買ったあたしは、「半額になってるものを2つ買うと値段が元に戻る」ってことを学習しつつ、おいなりさんを作り始めた。まず、アブラゲを沸騰したお湯にくぐらせて、それから、真ん中から切って、中を袋状にひらく。そして、お鍋に、お水とお醤油とお砂糖とニポン酒を入れて、アブラゲを甘辛く煮る。ご飯のほうは、リトル固めに炊いて、寿司飯を作って、2つに分ける。で、片っぽには、ミジン切りにした紅ショウガと白ゴマを混ぜて、もう片っぽには、お水で戻して軽く煮たヒジキをテキトーに切ったのと白ゴマを混ぜる。これをアブラゲに詰めれば、2種類のおいなりさんが6個ずつ完成するってワケだ。
あとは、ちょっと濃いめに玄米茶を煎れて、魔法瓶に入れれば、アッと言う間‥‥でもないけど、お花見用のお弁当の出来上がりだ。で、あたしは、さっそく、車で母さんを迎えに行って、そのまま、次太夫堀公園へと向かった‥‥って言っても、母さんのとこまでは2~3分、そこから次太夫堀公園までも2~3分だから、こっちのほうは、完全に「アッと言う間」だ(笑)
それで、午前11時くらいに到着したんだけど、カンジンのお天気はと言えば、ヒトコトじゃ説明できないような、複雑怪奇なお天気だった。とりあえず、雨は降ってなかったんだけど、太陽は出てない。それなら、曇りなのかって言うと、そうでもなくて、東の空は、ナニゲに薄い青空だった。だけど、反対の西の空は、雨雲っぽい感じの薄暗い雲が低く広がってた。でも、気温はワリと暖かくて、昨日やオトトイと比べたら、遥かにラクチンだった。
こんな感じのミョ~なお天気だったんだけど、まあまあ暖かかったこともあって、民家園の前の丘のとこにある大きな桜の木の下には、5~6人の若いお母さんたちが、ビニールシートを広げて、お花見をしながらお弁当を食べてたし、その子供たちは、ギャーギャー叫びながら、そこらじゅうを走り回ってた。いいぞ、子供たち! ここは、電車やバスの車内でも、昼間のファミレスやマックの中でもないんだから、周りなんか気にせずに、好きなだけギャーギャー叫び、好きなだけ走り回れ! 君たちが大きくなるころには、君たちの親が選んだ政治家や政党によって、君たちは、お国のため、天皇陛下のために犬死させられるかもしんないんだから、遊べるうちにたくさん遊んでおけ!‥‥なんてことも言ってみつつ、母さんとあたしは、やっぱり静かに過ごしたいから、田んぼの脇の水路に沿って並んでる桜を見ながら、民家園の入り口に向かって、ゆっくりと歩いて行った。
時折、ハラリハラリと落ちて来る桜の花びらが、やわらかい春風に乗って、また空へと吹き上がってく。桜は、満開をちょっとだけ過ぎてて、木によっては葉っぱが出始めてるのもあったけど、人間が作った染井吉野よりも、自然のままの山桜のほうが好きなあたしとしては、ちょっと葉っぱが出てるのに、それでも花がたくさん残ってる状態の染井吉野は、限りなく山桜チックな風情があって、思わず山桜名刺を出してアイサツをしたくなっちゃうほどだった。それで、せっかくだから、アイサツ代わりに、1句詠んでみた。
山桜チックな染井吉野かな きっこ
‥‥なんて感じで、「ギャ句゛」も詠みつつ、民家園の正面入り口の前にある池のとこまで来てみたら、桜の花びらが池の面(も)を埋め尽くしてて、すごくキレイだった。ちょうど、池の上に張り出した桜の枝があって、そこから、たくさんの花びらが降り続けてた。ちなみに、水面に浮かぶ桜の花びらのことを「花筏(はないかだ)」って呼ぶんだけど、これほどビッシリと埋め尽くされてると、なんか、真っ白のジグソーパズルが完成したとこみたいで、上を歩けそうな気がしちゃう。
だけど、さっきの子供なのか別の子供なのか分かんないけど、子供たちがギャーギャー叫びながらこっちに走って来て、池のホトリや岩の上で休んでたカモたちが、その声に驚いて、池に飛び込んでバシャバシャと暴れ出したから、水面を真っ白に埋め尽くしてた花筏は、メチャクチャになって、池のフチのほうに広がっちゃった。でも、母さんとあたしは、池のホトリのベンチに座ってたので、そのまましばらく池を眺めてたら、花筏が広がって現われた水面に、張り出した枝の桜が映って揺れてることに気づいた。それで、あたしは、こんな句を思い出した。
花筏とぎれて花を水鏡 岩田由美
で、せっかくだから、あたしは、この句に七七を付けちゃうことにした。
花筏とぎれて花を水鏡
ガキのせいかも鴨のせいかも
‥‥そんなワケで、そのまんま東の「高度な風刺」はイマイチ分かんないあたしだけど、美しい水鏡を見せてくれた子供たちとカモたちに感謝しつつ、母さんと園内へ向かった。園内は、平日ってこともあって、ボランティアのオバサンやオジサン以外は、ほとんど人がいなかった。それで、2人でゆっくりと園内を回ると、ひときわ目立つ濃いピンクのお花が咲いてる木があった。あたしが、「何のお花だろう?」と思って、近づいて行こうとしたら、すぐに母さんが、「ああ、ハナズオウが満開ね」って言った。それで、あたしでも確認できる距離まで近づいたら、その通り、「ハナズオウ」だった。
こんなナニゲないことが、今のあたしには、何よりも嬉しい。あたしは、子供のころ、いつも母さんに、お花の名前を教えてもらってた。それで、子供のころのあたしは、どんなお花の名前でも知ってる母さんのことをすごく尊敬してたし、すごくステキだと思ってたし、何よりも、自慢だった。そして、あたしも母さんに負けないようにって思って始めたのが、魚類図鑑を見て、お魚の名前を覚えることだった。
だけど、大人になるにつれ、あたしもそれなりにお花の名前が分かるようになり、母さんから教えてもらう機会もほとんどなくなった。もちろん、ふだんもいろんなことを話すけど、その多くは、いわゆる「大人の会話」になっちゃって、昔みたく、母さんから何かを教えてもらうってことがなくなった。それどころか、あたしのほうが、母さんに何かを教えるような場合が多くなって来た。
これって、自然の流れなんだろうけど、なんか、ちょっと寂しい。あたしは、ホントは母さんに甘えたいのに、その気持ちを殺して強がってるから、こういったナニゲ無い母さんの言葉が、胸に響く。母さんとしては、あたしに教えるために言ったワケじゃなくて、ハナズオウを見て「ああ、ハナズオウが満開ね」って言っただけなんだろうけど、「何のお花だろう?」って思ったあたしとしては、子供のころの感覚を思い出して、鼻の奥がツンとした。
オトトシ、母さんと箱根旅行をした時に、泊まった宿の周りをお散歩してたら、可愛らしいピンクのお花が咲いてた。だけど、あたしは、そのお花の名前が分かんなくて、母さんに聞いてみたら、母さんは、すぐに、「九輪草(くりんそう)」だって教えてくれた。その時は、自分でも良く分かんなかったし、自分の感覚をうまく表現することもできなかったけど、何とも言えないような幸せな気持ちがした。それが、母さんから何かを教えてもらうことによって、好きなだけ甘えることができた子供のころの感覚に一瞬だけ戻ることができたことだって、今日、分かった。
‥‥そんなワケで、母さんとあたしは、園内の母屋の前のベンチに座って、おいなりさんを食べることにした。ゆうべの雨が少しだけ残ってた地面には、高い風除けの垣の向こうから飛んで来た桜の花びらが散りばめられていて、直接は桜の見えない場所だったけど、桜の花に囲まれてるような気持ちがした。おいなりさんも美味しくて、熱い玄米茶も美味しくて、母さんもすごく喜んでくれた。そして、何よりも嬉しかったことは、思ったよりも暖かかったので、3時間も母さんとおしゃべりできたことだった。母さんは、小野小町の有名な歌、「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」になぞらえて、わずか数年で、自分の故郷である東京が、こんなにも酷い街になってしまったこと、こんなにも社会的弱者をいじめ抜くような街になってしまったことを嘆いてたけど、母さん、心配することなんかないんだよ。この東京を愛するたくさんの人たちが、きっと、みんなで力を合わせて、昔の「思いやりの街、東京」に戻してくれるハズだから‥‥なんて思った今日この頃なのだ。
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