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2007.05.11

マイケルの香箱

V3089
あたしは、事故から10日以上も、ほとんど寝たきりの生活をしてて、考えてみたら、月曜日に病院に行った以外は、ずっとお部屋の中にいる。それで、右足以外は回復して来たことだし、あんまり寝てばかりいると体力が落ちちゃうだろうし、何よりも、今日はすごくお天気が良かったから、思い切って外に出てみることにした。もちろん、松葉杖がないと一歩も歩けないから、2階に住んでるあたしとしては、下まで降りる階段が大変なんだけど、それでも、2階の通路を行ったり来たりしてもジンジャエールだし、少しは松葉杖での階段の上り下りに慣れないといけない。

それで、あたしは、お昼すぎに、アを決して‥‥じゃなくて、イを決して、1人で外に出てみることにした。だけど、何とか階段のとこまで行ったら、恐くて恐くて最初の一歩が踏み出せない。月曜日に病院に行った時は、お友達が肩をを貸してくれてたから、ちょっとずつ降りることができたんだけど、1人で松葉杖だと、固定してる右足を先に下ろすのも恐いし、大丈夫なほうの左足を先に下ろすのも恐い。なんたって、階段から落ちて大ケガをしたワケだから、階段を降りるのはビビる大木ってワケで、ミンティアを食べてもスキップはできない。

だけど、この階段を克服しないと、「きっこに明日はない」ってワケで、「俺たちに明日はない」のボニーとクライドみたく最後には蜂の巣になっちゃうか、「女子たちに明日はない」のチャットモンチーみたく一発屋で終わっちゃう。だから、あたしは、アを決して‥‥じゃなくて、イを決して‥‥じゃなくて、さらに上のウを決して、がんばって階段を降りてみた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、なるべく右足に激痛が走らない方式を模索しつつ、何とか階段を降りて、駐車場に行ってみた。もちろん、猫たちに会うためだ。事故以来、猫たちのご飯は、他の人たちに任せっきりで、あたしはずっと猫たちに会ってなかったから、すごくさみしかった。あたしは、どうしてこんなに猫が好きなのか自分でも分かんないけど、手触りも、ホッペも、耳も、ザラザラの舌も、冷たい鼻も、肉球も、シッポも、ワキの下の伸びる皮も、猫のすべてが好きで好きで、もう、どうにかなっちゃうほど猫が好きだ。だけど、今日は、いいお天気っていうか、暑いくらいの日だったから、猫たちは涼しい場所に行ってるみたいで、ザッと見回しても誰もいなかった。

それで、あたしは、松葉杖で歩く練習も兼ねて、猫がいそうなところを見て回ることにした。まずは、駐車場のハシッコのタイヤが積んであるとこを見たんだけど、そこにもいなかったから、マンションの周りを見てみることにして、外に出た。で、この時に気づいたんだけど、ふだんはぜんぜん気にしたこともなかった、なだらかな上りのスロープも、松葉杖だと上るのがすごく大変だったってことだ。松葉杖に慣れてる人なら、ピョンピョンと上れるのかもしんないけど、あたしみたいに平地でもなかなかうまく進めない初心者には、わずかな上り坂が、思いのほか大変だった。だから、大きな施設などで、階段のワキに、狭くて急なスロープを作り、いかにも「バリアフリーですよ」ってアピールしてるようなとこがたくさんあるけど、松葉杖や車椅子の人にとっては、実際には「階段よりはマシ」って程度の意味しかないのかも?って思った。

そんなこんなで、何とか外に出たあたしは、すでにヘトヘトに疲れ始めてたから、マンションの前の植え込みのとこに腰掛けて、リトル休憩したりしつつ、ちょっとずつ、猫探しの旅に出た。そしたら、マンションの横の民家と民家の間のブロック塀の上に、マイケル発見! マイケルは、前足を胸の下に入れて、例のスフィンクスポーズで目を細めてた。それで、あたしは、「マイケル~! マイケル~!」って呼んだんだけど、マイケルは、いったんコマーシャル‥‥じゃなくて、いったん目を開けてあたしを確認しただけで、また目を閉じてじっとしてた。顔のとこだけ日が当たって、体のとこは日陰になってて、すごく居心地が良さそうな場所だったから、動きたくなかったみたいだ。

それにしても、いつも思うんだけど、猫って、幅が15cmくらいしかない塀の上で、良く眠れるよね。猫はバランス感覚がいいから、塀の上を歩いたり走ったりするのは分かるけど、スフィンクスみたいになってウトウトしてて、何で落っこちないんだろう? スマートな猫の場合ならいいけど、体の大きいマイケルの場合は、塀の上でスフィンクスになっていると、体が両側にはみ出してるから、なんか、ヤジロベエっぽい感じがする。

で、あたしは、「スフィンクス」って呼んでるけど、この猫のポーズのことを正式には「香箱(こうばこ)」って呼ぶ。「香箱」ってのは、読んで字のごとく、お香を入れる箱のことで、ようするに、ティッシュの箱を2つ重ねたみたいな直方体の箱なんだけど、猫が前足を胸の下に入れて腹ばいになってるポーズが、このお香の箱っぽく見えるってワケだ。そして、猫がこのポーズをすることを「香箱を作る」とか、「香箱を組む」って表現する。

こんなふうに、何かを何かに見立てて表現する場合って、一般的には、「誰にでもすぐ分かる」ってことが必須条件になる。たとえば、「太陽のような笑顔」とか、「ヒマワリのような笑顔」って言えば、誰にでもすぐに想像できると思うけど、「モヘンジョダロの遺跡のような笑顔」って言われても、ほとんどの人には分からない。つまり、この猫のポーズを「香箱」って呼び始めたのは、多くの家庭に「香箱」があって、誰でもすぐに「香箱」を思い浮かべることができた時代ってことになる。そして、誰でもすぐに「香箱」を思い浮かべることができた時代だったから、この表現が広まって定着したんだと思う。

‥‥そんなワケで、猫を主人公にした小説っていうと、何と言っても、夏目漱石の「我輩は猫である」が有名だけど、あたしの大好きな小説の1つに、芥川龍之介の短編、「お富の貞操」がある。「我輩は猫である」は、猫が人間のように考えたり話したりするするけど、「お富の貞操」に出て来る「三毛」は、単なる猫だ。会話のやり取りをするのは、あくまでも「お富」と「乞食の新公」で、猫の「三毛」は、ストーリー上は脇役だ。だけど、あたしにとっては、これほど素晴らしい猫の描写をした小説は他にないと思えるほど大好きだし、「三毛」こそが主人公だと思ってる。で、この「お富の貞操」の冒頭部分に、こんな一節がある。


「台所の隅の蚫貝(あわびがい)の前に大きい牡の三毛猫が一匹静かに香箱をつくつてゐた。」


「香箱を作る」って表現が、猫が前足を胸の下に入れて休むことだって知ってる人なら、すぐにその光景が浮かんで来ると思うけど、その表現を知らない人がこの一節を読んだら、首をかしげちゃうと思う。「鶴の恩返し」で、ツルがハタオリをしてるみたいに、大きな三毛猫が、セッセと「香箱」を組み立てて製作してるのかと思っちゃう人もいるだろう。そして、「お富の貞操」には、後半にも、こんな一節が出て来る。


「すると猫は何時の間にか、棚の擂鉢(すりばち)や鉄鍋の間に、ちやんと香箱をつくつてゐた。」


「お富の貞操」は、明治元年、官軍が攻めてくる前夜の上野を舞台にした短編で、「明日は殺されるかも知れない」っていう緊迫した状況下での、若い女性と顔見知りの乞食との鬼気迫るやり取りを描いたスピード感のある秀作だ。痒いとこに猫の手が届く「きっこの日記」としては、最後に「青空文庫」をリンクしとくので、まだ読んだことのない人は、ぜひ読んでみて欲しい。少なくとも、ネタ切れで自作の模倣を繰り返してる三流脚本家が脚本を書き、演技力ゼロのジャニタレが主演してる学芸会ドラマなんか見るよりは、何万倍も楽しめるハズだ。

で、これから読む人のために、念のために書いとくと、「お富の貞操」には、「香箱」の他に、「荒神(こうじん)」てのも出て来る。これも、知ってる人は知ってると思うけど、「荒神」てのは、お台所の神様のことで、昔のお家には、カマドの上の高い場所に、「荒神棚」を設けて、荒神様を祀ってた。あたしが良く行く民家園にも、母屋の土間のカマドの上のほうに、可愛らしい荒神棚があるんだけど、土間はいつも薄暗いから、ナニゲに雰囲気がある。で、「香箱」と「荒神」さえ分かれば、「お富の貞操」は旧仮名で書かれてるけど、だいたい理解できると思う。

‥‥そんなワケで、話はクルリンパと戻るけど、民家と民家の間のブロック塀の上で香箱を作ってたマイケルは、あたしが呼んでも微動だにしなかったから、あたしは、松葉杖でビョコピョコと近づいてって、久しぶりの猫の手触りを楽しんだ。マイケルは、目を細めたまま、すぐにアゴを上げて、「グルグルグル‥‥」ってノドを鳴らし始めた。そして、マイケルの頭に鼻をくっつけて匂いをかぐと、懐かしいお日様の匂いがした今日この頃なのだ。


「お富の貞操/芥川龍之介」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/126_14861.html


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