卯の花腐し
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今朝、テレビの天気予報を見てたら、お天気お姉さんが、リトル真顔で、「今日は大荒れのお天気になります!」って言ってたけど、「お天気お姉さん」て、「お」が2個もついてるから、きっと立派な職業なんだろう。ちなみに、多くのニポン人が、「ニポン人に生まれて良かったぁ~♪」って感じると思うセット、「炊きたてのご飯とお味噌汁」のお味噌汁は、別名「おみおつけ」って言うけど、これは、漢字で書くと、「御御御付け」ってなる。つまり、「お」が3個もついてるから、ランクとしては「お天気お姉さん」よりも上ってことになる。で、そんな、お味噌汁よりもちょっと下のお天気お姉さんが伝えてた「大荒れのお天気」は、「おお荒れのお天気」ってことで、「お」が3個もついてるから、お味噌汁とおんなじ‥‥なわきゃないけど、とにかく、あたしは、天気予報を見てた。
そしたら、美人のお天気お姉さんは、「今日から明日にかけて、日本海側の東北、北陸、東海地方などで、梅雨前線の活発化によって、雷をともなった非常に激しい雨が降ります」って言ってから、「その他の地方では、全国的に真夏日になります」って言ってたので、あたしは、「一部を除いてるのに『全国的』っておかしいよな?」ってプチ疑問も持ちつつも、「東京は真夏日なのか」って思った。でも、あたしは、北陸にも俳句仲間とかがいるから、ちょっと心配だったので、インターネットで詳しいお天気を調べてみた。そして、気象庁が、日本海側の地域に対して「大雨による土砂災害」などの警戒を出してることを知って、「ホントに大荒れなんだ!」って思った。
それにしても、今年の梅雨は、なんか変な感じだ。梅雨って、ジトジトと長雨が降り続いて、時々パッと晴れ渡る「梅雨晴間」があるのが普通だし、そうじゃない「空梅雨(からつゆ)」の場合なら、ずっと晴れてるのが普通だ。だけど、今年の梅雨は、空梅雨じゃないのに晴れの日が続いてて、それなのにジメジメと湿度だけは高くて、時々、夕立みたいな感じの土砂降りになる。こんな梅雨は初体験だ‥‥って、30年以上も生きてると、たいていのことは体験済みで、どんなことでも「初体験」にはドキドキする今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、なんだかミョ~な感じの空を見上げながら、「これも戦争のために環境破壊を続けるアベ内閣による地球温暖化のセイだ」なんて短絡的に決めつけずに、ぼんやりと物思いにふけってた。季節は、春、夏、秋、冬って順番に巡って来るから、今は、春と秋との間の「夏の途中」ってワケで、梅雨が明ければ真夏になる。そして、あたしは、きっと多くの人たちは、梅雨が明けて真夏が来るのを待ってるんだろうなって想像した。つまり、雨が降ったり止んだりする今の時季は、多くの現代人にとってはウットウしい以外の何物でもなくて、のんびりと「雨を楽しむ」なんて風情は、もう過去の遺物になっちゃったのかも?‥‥なんて想像した。
「雨」って、人間の生活とは切っても切れない大切なもので、もしも世界中で1滴も雨が降らなくなったら、人類はたった1年で滅びちゃうって言われてる。だからって、ミートホープの田中稔社長みたく、雨水で冷凍肉を解凍するなんてのはモッテノホカだけど、雨水はもっと大切にすべきだと思うし、別に雨水を利用しなくても、雨に感謝する気持ちは忘れちゃいけないと思う。だけど、1年が乾季と雨季しかないような国だったら、誰かに言われなくても、雨を喜ぶ気持ち、雨を待ちわびる気持ち、雨に感謝する気持ちをみんなが持ってると思うけど、四季があり、四季折々の雨が降るニポンでは、たった数日、雨が続いただけでも、もうイヤになっちゃう人も多い。
ニポンの雨でオナジミなのは、春に降る「春雨」、今の時季の「五月雨(さみだれ)」、真夏の「夕立」、秋の「秋雨」、冬の「時雨(しぐれ)」なんかが有名だけど、他にも、もっとマニアックで味わいのある雨がいっぱいある。たとえば、今の「梅雨」と同様の長雨でも、春、菜の花が盛りのころに降り続くものは「菜種梅雨(なたねづゆ)」って呼ぶし、梅雨入りする前の時季、5月から6月にかけて降る長雨のことは「卯の花腐し(うのはなくたし)」って呼ぶ。ちなみに、「腐る」って字が入ってるけど、この「卯の花」ってのは、お豆腐を作った時の残りのオカラのことじゃなくて、ウツギの花の別名だ。さらに、ちなみに、ウツギってのは、茎の中が中空なので、「空木」って書く。ユキノシタ科の落葉低木で、北海道から九州まで、ほぼ全国で見られる。
で、5月になると、全国で真っ白な卯の花が咲くワケだけど、この時季に長雨が降り続いちゃうと、せっかく咲いた卯の花がクッタリとしおれちゃって、まるで腐ったみたいになっちゃう。それで、この時季の長雨のことを「卯の花腐し」って呼ぶワケだ。本格的な梅雨に入る前の、ひと足早い長雨だから、「走り梅雨」と重複する感じもするけど、厳密に言えば、「卯の花腐し」→「走り梅雨」→「五月雨」って順番になる。
‥‥そんなワケで、紫陽花(あじさい)や花菖蒲(はなしょうぶ)をひときわ美しく演出してくれるのが「五月雨」なら、せっかくの卯の花を腐らせちゃうのが「卯の花腐し」ってワケで、おんなじような時季に降るおんなじような長雨なのに、アリガタミは正反対だ。だけど、巡り来る四季の自然がプレゼントしてくれるものは、すべて「恵み」として受け取ってた昔の人たちは、そんな「卯の花腐し」にも、それなりの思いを寄せていた。たとえば、「万葉集」には、大伴家持(おおとものやかもち)のこんな歌がある。
卯の花を腐す長雨(ながめ)の始水(みずはな)に寄る木屑(こつみ)なす寄らむ子もがも 大伴家持
前にも説明したことがあるから、覚えてる人もいると思うけど、和歌ってのはダジャレみたいな言葉遊びが散りばめられてるから、この「長雨(ながめ)」は、「眺め」って言葉にカケてある。つまり、大伴家持は、降りつづく雨の景色を眺めながら、物思いにふけってるってワケで、さぞかし風情のあることでも考えてるのかと思えば、「この長雨で増水した川の始水(みずはな)、つまり、岸辺に流れついた木のクズみたいに、オレにも寄り添ってくれる若い女の子がいたらなぁ~」なんて詠ってやがる(笑)
で、大伴家持をモンモンとさせちゃった「卯の花腐し」が、どんな降り方をするのかっていうと、「雨月物語」や「春雨物語」などの代表作からも、「雨のスペシャリスト」って呼ばれてる‥‥っていうか、あたしが勝手に呼んでるだけなんだけど、江戸時代の国文学者で歌人の上田秋成(あきなり)に、こんな歌がある。
夕づけて水に音なく降る雨は卯花くたす初めなりけり 上田秋成
ようするに、「卯の花腐し」ってのは、「音なく降る雨」ってワケで、雨音が聞こえるようなのは、もう「卯の花腐し」とは言えないってワケだ。そして、リトル雨音が聞こえるようなのが「走り梅雨」で、さらに雨音がするのが梅雨に入ってからの「五月雨」ってワケで、おんなじようにシトシトと降り続く長雨でも、ビミョ~な雨量とかの違いがある。だけど、江戸時代からクルリンパと平安時代に戻ると、藤原良経(ふじわらのよしつね)や藤原基俊(ふじわらのもととし)には、こんな歌がある。
山里の卯の花くたす五月雨に垣根をこゆる玉川の水 藤原良経
いとどしく賤(しづ)の庵のいぶせきに卯の花くたし五月雨ぞする 藤原基俊
‥‥ってことは、「卯の花腐し」も「五月雨」もイッショクタじゃん‥‥っていうか、「卯の花を腐らせる五月雨」ってハッキリと言ってる。だから、現代の「五月雨」のほうがおかしいんだよね。だって、平安時代は陰暦だから、4月のことを「卯月」って呼んでたワケだし、4月から5月にかけて咲くから「卯の花」って呼んでたワケだし、4月から5月にかけて立つ波のことを「卯波」って呼んでたワケだし、「卯波」なんて言うと、故・鈴木真砂女さんの銀座のお店を思い出しちゃうけど、それは置いといて先に進むと、4月から5月にかけて降る長雨のことを「五月雨」って呼んでも、別に何も問題はなかったワケだ。だけど、現代の暦だと、1ヶ月以上もズレちゃってるから、6月に入ってから梅雨入りするワケで、それを「五月雨」って呼ぶこと自体にムリがある。そして、カンジンの「卯の花」は、今の暦だと5月に咲くワケだから、「卯の花」が咲く時季に降る雨と、梅雨入りしてから降る雨は、完全に別の雨ってことになる。
だから、平安時代の感覚に添って考えれば、梅雨入りしてから降る雨のことを「五月雨」って呼ぶのはおかしいワケで、本来なら、5月の「卯の花」が咲く時季に降る雨、つまり、「卯の花腐し」のことを「五月雨」とも呼ぶのがスジってもんなのだ。そして、梅雨に入ってから降る雨のことは、何か別の名前で呼ばなくちゃなんない。たとえば、「梅雨」の語源は「梅の実が成るころの雨季」ってことだから、「梅の実濡らし」とか、こんなふうな名前をつけるか、もしくは、正統派として、「六月雨」って呼ぶべきなのだ。
だけど、さっきも書いたけど、和歌ってのはダジャレみたいな言葉遊びが散りばめられてるワケで、「長雨(ながめ)」が「眺め」にカケて使われるように、「五月雨(さみだれ)」は「乱れ」にカケて使われることが多い。さっきの藤原良経や藤原基俊の歌だって、長雨で増水した多摩川の乱れた様子や、降り続く雨に気が晴れない心の乱れなんかを表現するために、「乱れ」にカケて「五月雨」って言葉を使ってるのだ。だから、あたしは俳人だから関係ないっちゃ関係ないんだけど、全国の多くの歌人のことを考えると、何らかのダジャレ機能を備えたネーミングのほうが利用価値が高くなる。
‥‥そんなワケで、梅雨時の雨のことを「五月雨」の代わりに何て呼ぶか‥‥なんてことは、どうでもいいような気もするんだけど、もう6月の終わりだし、トットと決めないと7月になっちゃう。で、7月になると、7月7日は「七夕」ってワケで、昔の暦だと「七夕」は秋のイベントだから、季節も代わっちゃうってワケだ。サスガに、秋のイベントである「七夕」が行なわれてる時に、梅雨の雨のネーミングなんか考えるのはズレまくりだから、早いとこ決めちゃおうってワケだ。
で、大伴家持が、長雨を眺めながら女の子のことを考えてモンモンとしてたように、おんなじ「万葉集」の中に、恋人のことを思ってモンモンとしてる男たちがいろいろと出て来るんだけど、誰もがみんな大伴家持みたいに、ダイレクトにモンモンとしてるんじゃなくて、他人の恋愛に自分の思いをゆだねて詠ったりもしてるオシャレさんもいる。そして、そんな時に利用されちゃうのが、「七夕」の織姫ちゃんと彦星くんだ。たとえば、詠み人知らずなんだけど、こんな歌がある。
天の川川音清けし彦星の秋漕ぐ舟の波のさわきか 詠み人知らず
ワシ座のアルタイル、彦星くんが、愛する織姫ちゃんに会うために、一生懸命に舟を漕いで天の川を渡って、琴座のヴェガへと向かって行くってワケだ。そして、一見、爽やかそうに詠まれてるけど、1年間もオアズケを食らってて、大伴家持の何百倍もモンモンとした日々を過して来た彦星くんなんだから、必死に舟を漕ぐパワーの源は、「あ゛~~~!早くセックスしてぇ~~~!」っていう若さムンムンの下半身パワーに他ならない。だけど、意地悪な神様に別居されられちゃって、1年に1回しか会わせてもらえなくなったラブラブカップルとしては、1年に1回の七夕の夜に雨が降っちゃったら、こんなに気の毒なことはない。でも、楽しみにしてた七夕の夜に雨が降ったら、現代の人たちはガッカリするだろうけど、昔の人たちは、もっと風情のある考え方をしてたのだ。それが、次の歌だ。
この夕べ降りくる雨は彦星の早漕ぐ舟の櫂(かい)の散りかも 詠み人知らず
う~ん、何てステキな感覚なんだろう。せっかくの七夕の夜に雨が降っちゃったのに、それでガッカリするんじゃなくて、「この雨は、早く織姫ちゃんに会いたくて、必死に舟を漕いでる彦星くんの櫂から飛び散った水なのかも」だなんて、あまりにもステキすぎる。もしも、あたしが、平安の世に生まれてて、あたしに好意を持ってる男性から七夕の夜のデートに誘われてたとする。あたしもマンザラじゃなくて、ウキウキしながら待ち合わせの場所に行ったのに、ポツポツと振り出した雨で、星空なんて見えやしない。それで、ものすごくガッカリしたら、その男性は、あたしの腰にそっと手を回して、この歌を即興で詠んでくれた‥‥って想像したら、間違いなく、一発で好きになっちゃうと思う。
‥‥そんなワケで、せっかくのデートをダイナシティにされちゃった雨でも、感性の豊かな人がこんなふうに詠んでくれると、一瞬のうちに、ステキな演出へと早変わりする。だから、雨をウットウしいと感じるのも、イヤだなぁ~って感じるのも、すべてはその人の感性が乏しいからであって、雨には何の責任もないってことになる。それで、梅雨時の雨のことを「五月雨」の代わりに何て呼ぶか、あたしも感性をビンビンにして考えてみたんだけど、今の時季、つまり、七夕のちょっと前の雨なんだから、約1年間、織姫ちゃんに会えなくて、モンモンとした下半身が爆発寸前の彦星くんが、もうガマンできずに、ひと足先にチョロっとお漏らししちゃった雫(しずく)なのかも?ってことで、「彦星の雫」なんてのはどうだろう? 一応、「彦星」と「零(こぼ)し」をカケてあるし、なんか焼酎の名前みたいだけど、ウットウしい梅雨の長雨も、ガマンしきれなくなった彦星くんがお漏らししちゃった雫だと思えば‥‥って、それじゃあ「卯の花腐し」どころか「イカ臭し」になっちゃうって?‥‥なんてツッコミを入れられそうな感じの今日この頃なのだ(笑)
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