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2007.06.03

紫陽花の涙

V9801
(これは、オトトイの金曜日のことです)

今朝、ベランダの窓を開けたら、ものすごく気持ちいい青空が広がってた。ここ数日、走り梅雨でお天気が崩れてたから、こんな青空は久しぶりだ。それに、何よりも、初夏の風が気持ちいい。それで、来週からは梅雨入りしちゃうから、その前に、あたしは、ちょっとだけ外に出てみることにした‥‥って言っても、昨日はパチンコを打ちに外に出たし、他の日も、猫たちにご飯をあげるために朝と夜の2回、外に出てるけど、そういうんじゃなくて、初夏を楽しむための外出ってことだ。

それで、あたしは、せっかくだからお弁当を持ってくことにして、きっこ特製の「アリアワセ弁当」を作ることにした。バスプロの菊元俊文が作るんなら、きっと「電撃鬼合わせ弁当」になるだろうけど、あたしの場合は「アリアワセ弁当」だから、そのネーミングからも分かるように、わざわざ説明するほどじゃない。でも、一応書いとくと、梅干しとシソを包丁で叩いて細かくして、ご飯全体に混ぜたオニギリと、オカカとお醤油を全体に混ぜたオニギリを作って、あとは、オトトイ作ったダイコンとインゲンの煮物の残りを小型のタッパーに入れて、12匹で100円だったメザシを4匹焼いて、キュウリのキューちゃんをちょこっと添えて、これで完成だ。

あとは、お弁当を作る前に、冷蔵庫からフリーザーに移動してキンキンに冷やしておいた「のどごし生」の350を2本、タオルでくるんでからバッグに入れて、それと、500のペットボトルに業務用の赤ワインを入れて、これで、初夏を楽しむ「ほろ酔いセット」は完璧だ。それで、あたしは、UVカットのクリームだけ塗って、帽子とサングラスで顔を隠して、お昼前に出発した。もう、松葉杖で階段を降りるのは慣れたけど、それでも、バッグの中の「のどごし生」をあんまり揺らしたくないから、いつもより慎重に階段を降りた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、すごく気持ちいい青空の下を松葉杖でピョコピョコと歩き出した。目的地は、もちろん多摩川だけど、いつもの場所から土手を下りたりはできないから、今日は、兵庫島に行くことにした。兵庫島ってのは、ニコタマの駅の高架のワキから多摩川に出て、二子大橋の下をくぐると、多摩川に合流してる野川ってのを渡る橋があって、そこを渡ると行くことができる。橋を渡ると、こんもりと盛り上がった小さな森みたいになってて、ホントはそこが「兵庫島」だったんだけど、今はもう島じゃなくて、河原の一部になってる。それで、兵庫島の前には人工のヒョウタン池が作られてて、中途半端な景観がそれなりに楽しめるってスンポーだ。若山牧水の「多摩川の砂にたんぽぽ咲く頃は吾れにも想う人のあれかし」っていう歌碑もあるし、なかなかのホッコリ気分が味わえる。

それで、あたしは、まずは、ヒョウタン池のほとりに並んでるアジサイを見に行った。だけど、まだ外側だけがひらいてるだけで、8割がたはツボミのままだった。でも、咲きはじめのアジサイ越しに見る多摩川がキレイだったから、ケータイで写真を撮ってみた。それから、兵庫島のなだらかなスロープをゆっくりと上って行って、上にある藤棚のとこでお弁当を食べることにした。藤の花はもう終わってたけど、花の落ちたツルの先に可愛らしい豆のサヤができてて、ゆらゆらと揺れてた。可愛いから、これも写真に撮った。

藤棚の下には広いベンチがあるし、直射日光は当らないけど気持ちいい風が抜けるし、ちょっと手前にはおトイレがあるし、まだヤブ蚊は出ないし、まさに、「ほろ酔いセット」で初夏を楽しむにはベストポジションだ。それで、あたしは、藤棚のハシッコに腰掛けて、まずは「のどごし生」をプシュ!っと開けた。まだ冷たくて、すごく美味しかった。

すごくくだらないことなんだけど、あたしは、藤棚のとこに来ると、必ず思い出すことがある。それは、「藤棚に咲いているのは藤だなあ」っていうアホ俳句だ。これは、子供のころに、「天才バカボン」の何巻かを読んでたら、バカボンのパパのバカ田大学時代のバカ友達が訪ねて来るって話があって、その人が「俳句研究会」の人で、しゃべるセリフがぜんぶ五・七・五になってるってのがあった。それで、そのバカ友達に合わせて、パパも五・七・五で受け応えをするんだけど、まだ俳句に興味を持つずっと前のあたしだったけど、その話はメッチャ面白かった。特に、その話の中で、パパが、「アザラシの顔にあるのはアザらしい」っていう俳句を詠むんだけど、子供だったあたしは、その俳句が面白くて面白くて、細かいストーリーは忘れちゃったのに、その俳句だけはずっと覚えてる。

それで、あたしは、中学生になってから俳句に興味を持って、大人たちに混じって句会や吟行会にも行くようになったんだけど、ある時、あるお寺に吟行会に行った時に、立派な藤棚があって、ちょうどキレイな藤の花がたくさんぶら下がってた。それで、あたしは、バカボンのパパの「アザラシの顔にあるのはアザらしい」を思い出して、即興で、「藤棚に咲いているのは藤だなあ」っていうアホ俳句を詠んじゃったのだ。マジメな句会だったから、結果は当然0点だったけど、あまりのくだらなさで、すぐにあたしの句だってバレちゃった。

あたしは、怒られはしなかったけど、どういうつもりで詠んだのか質問されたから、バカボンのパパのアザラシの句を言って、それを参考にしたってことまで説明しちゃったのだ。それで、みんなが笑ってくれればラクになれたのに、笑いはぜんぜん起こらなくて、それどころか、マジメな場が、あたしのセイで変な空気になっちゃった(笑)

‥‥そんなワケで、あたしは、自戒の念をこめて‥‥ってワケでもないんだけど、藤棚を見ると、中学生の時に大恥をかいた、このアホ俳句を思い出しちゃうのだ。だけど、いつまでも、「藤棚に咲いているのは藤だなあ」なんて言ってらんないから、もうちょっとマシな俳句を詠んどこうと思って、こんなのをこんなのを詠んでみた。


 花化して莢(さや)となりけり藤の棚  きっこ


これなら、春の季語の「藤」でも、今の「初夏」の句ってことになるし‥‥って、こんなのぜんぜんダメじゃん。やっぱ、散っちゃったあとの花を詠んでもジンジャエールだから、さっきの咲き始めのアジサイにすっか!‥‥ってワケで、こんなのも詠んでみた。


 紫陽花の流れに落つる兵庫島  きっこ


うん! これだ!‥‥ってホドでもないけど、藤の句よりはマシだ。で、何で東京都の世田谷区にあるのに「兵庫島」って言うのか、ずっと気になってた人もいると思うけど、これは、昔の人の名前なんだよね。今から650年前の1358年、時は南北朝時代で、ニポンのあちこちで、領地の奪い合いの戦争が起こってた。そんな中に、新田義貞の次男の新田義興(にったよしおき)っていう南朝の武将がいた。義興の率いる軍は、足利軍と戦ってたんだけど、戦況がヤバくなって来たので、バックレちゃって、しばらく隠れてた。それで、敵の足利尊氏(あしかがたかうじ)が死んでイキオイが弱まってから、「今こそチャ~ンス!」って、また動き出したのだ。

それで、義興の率いる軍は、関東を中心に勢力を広げ始めたんだけど、このままじゃやられるって思った足利軍は、ちびまる子ちゃんの藤木くん並みにヒキョ~な作戦に出た。それは、義興たちが乗る舟の船頭を買収して、舟にワナを仕掛けたのだ。どんなワナなのかっていうと、義興たちが多摩川を渡って、対岸の足利軍の領地へ攻め込む時に使う舟の底に、栓を仕掛けたのだ。それで、義興たちが乗った舟が多摩川の真ん中の一番深いとこに来た時に、買収されてた船頭は、舟の底の栓を抜いて、自分だけ川に飛び込んで泳いでっちゃった。

舟には水がどんどん入って来て、アッと言う間に沈み出したけど、重いヨロイを着てた義興たちは、泳ぐことができない。そこを目掛けて、対岸の足利軍は、一気に攻めて来た。そして、義興は、敵の手に掛かって殺されるくらいならと、「もはや、これまでじゃ~!」と、自害したのだ。そして、義興に忠誠を誓った家来、由良兵庫助(ひょうごのすけ)と新左衛門の兄弟も、沈み行く舟のヘサキに立って、向かい合って自分の首を斬り落として、自害した。

そんな壮絶な死を遂げた由良兵庫助の首が、数日後、多摩川と野川が合流してるとこにある中州の島に流れついたため、地元の人たちは、災いを恐れて、その島に埋めて供養した。それで、この島が、「兵庫島」って呼ばれるようになったのだ。だから、2007年の6月に、あたしが「のどごし生」を飲んだ兵庫島は、昨日や今日、「兵庫島」って呼ばれるようになったってワケじゃなくて、650年も前から「兵庫島」って呼ばれてる上に、この島のどっかに、由良兵庫助の首が埋められてるってワケだ。

‥‥そんなワケで、東京とか神奈川の人じゃないと分かんないと思うから、リトル説明を加えつつ進むけど、この兵庫島があるのは、あたしが住んでる世田谷区で、多摩川の中流くらいになる。だけど、この戦いがあったのは、ここよりもずっと下流で、大田区の「矢口の渡し」ってとこなのだ。この話自体は、「矢口の義興伝説」って言われてて、「矢口渡」や「武蔵新田」には、義興を祀ってる新田神社を始めとして、数多くの場所が残ってる。新田神社は、多摩川の「矢口の渡し」からちょっと離れたとこにあるけど、多摩川は、昔は「暴れ川」って呼ばれてたほど何度も氾濫して、そのたびに川筋を変えてたそうだから、650年前には、もっと新田神社の近くを流れてただろうって言われてる。

で、ここで問題なのは、現在の大田区の「矢口の渡し」で自害した由良兵庫助の首が、どうして何kmも上流にある世田谷区の兵庫島に流れ着いたのかってことだ。それで、実は、世田谷区よりも何kmも上流の稲城市に、「矢野口」ってとこがある。だから、古い文献に残されてる「矢口」は、ホントは「矢野口」の間違えなんじゃないかって説もある。それなら、「矢野口」で自害した由良兵庫助の首が、下流にある兵庫島に流れ着いてもおかしくないからだ。

だけど、これは、今の多摩川、つまり、大田区の「矢口の渡し」から世田谷区の「兵庫島」までの間に、堰(せき)を作られ、護岸工事され、ほとんど氾濫することのない人工の川にされちゃった多摩川を見て、あとから考えられた仮説なのだ。多摩川沿いの地域が、何度も洪水の被害を受けてるのは、海抜が低いからだ。つまり、多摩川は、高低差が少ない川ってワケで、そのために、海が満潮になると、東京湾の海水がどんどん遡って来て、海のお魚も上がって来る。今は、アザラシのタマちゃんで有名になった丸子橋のとこに、巨大な堰を作られちゃったから、スズキとかボラとかクロダイとかは、その堰のとこまでしか上って来ないけど、あたしの地元のおじいちゃんとかに聞くと、ずっと昔は、ニコタマまで海水が上って来て、夕方になると海のお魚も獲れたそうだ。つまり、堰もなく護岸もされてなかった上に、川幅も広く水量も豊富だった650年前の多摩川なら、下流で斬り落とされた首が、何kmも上流の中州の島に流れ着くってことも、ぜんぜん不思議じゃなかったのだ。

‥‥そんなワケで、あたしは、650年前に由良兵庫助の首が流れ着いた兵庫島で、気持ちいい初夏の川風を胸いっぱいに吸って、美味しいお弁当を食べて、「のどごし生」と業務用の赤ワインでほろ酔い気分になった。だけど、ここを訪れる多くの人たちは、この「兵庫島」っていう名前の由来も知らずに、バーベキュー禁止の場所でバーベキューをして、花火禁止の場所で花火をして、散歩の犬のフンを拾わずに、そこらじゅうをゴミだらけにして行く。だから、あたしは、まだ咲き始めたばかりのブルーのアジサイを1片だけちぎって、多摩川の流れに落としたのだ。きっと、由良兵庫助の御霊は、何kmも下流の新田神社に祀られてる新田義興のもとに還りたがってると思ったから‥‥なんて感じの今日この頃なのだ。


 紫陽花の流れに落つる兵庫島  きっこ


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