久間発言に対するご意見
先日の「久間発言に対するご意見募集」に対して、とてもたくさんのメールをいただいた。シメキリを過ぎた現在も届き続けてるんだけど、ぜんぶで300通以上もの怒りと悲しみのご意見が寄せられた。すべて読ませていただいたけど、やっぱり、現職閣僚、それも、「長崎県出身の防衛大臣」という立場の人間による今回の無神経な発言が、被爆者や被爆2世たちの心をどれほど傷つけたものなのかってことを実感した。
皆さん、貴重なお時間を割いてのご意見、本当にありがとうございました。
で、今日の日記は、皆さんから寄せられたメールを少しでも多くご紹介しようと思ってマトメてたんだけど、カンジンの久間タヌキが辞任しちゃったので、「絶対に辞任させるぞ!」って方向でマトメてたあたしとしては、ヒザカックンされちゃったような感じになった。そして、その辞任の裏にあるアベシンゾーの陰謀についてとか、いろいろと書きたいことも出てきちゃったんだけど、モノゴトの順序として、まずは、最初に考えてた通りに、皆さんからのメールを紹介しようと思う。そして、あたしの意見や総括を書くのは、明日の日記にしようと思う。
本来なら、皆さんのメールを紹介したあとに、あたしがマトメを書くべきなんだけど、1人でも多くのメールを紹介しようと思ってマトメてたから、あたしの意見まで書くと、「さるさる日記」の一度に表示できるキャパを超えちゃうのだ。だから、今日の日記では皆さんからのご意見を紹介して、明日の日記で今回の問題を総括する‥‥って感じにしようと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、1通でも多く紹介したいので、すべてのメールのアドレス欄と、「きっこさん、はじめまして」などの最初のアイサツと、最後の「きっこさんもお体を大切に」などの心づかいの部分は割愛して、本文のみを掲載することにした。
お名前:MR(女性)
コメント:私は長崎県諌早市に住むMRと申します。今回の久間発言ですが、正直、まず驚きを感じました。久間さんは長崎2区(島原)の出身ですから、長崎市からはちょっと遠く、故に被爆者が身近にいないのかもしれませんが、少なくとも長崎県出身ではあります。被爆者が原爆によりどんな苦しい目に遭い、今も一世はもちろん、その子孫も放射能の影響の不安により苦しんでいることを知らないわけがありません。(ちなみに私の身内にも被爆者が複数います)。また、朝鮮・韓国をはじめ世界中に被爆者がいます。日本に強制連行されて被爆した方々が戦後帰国したり、また日本人被爆者も、戦後GHQによる言論統制のために原爆についての情報が遮断されたことで、原爆の事実を知らない人々に差別され苦しめられて、ついに海外に生活の途を求めた方も多かったからです。なのに、その被爆地ナガサキの出身大臣が、苦しみの原因をつくった側の立場に立ってモノをいうなんて、私は信じられません。ぜひ長崎県議会は、久間大臣の発言抗議要求、罷免要求の決議をしてもらいたいと思っています。
お名前:UE(男性)
コメント:長崎在住の年寄りです。私は十一歳で終戦を迎えましたが、爆心地から離れた地区に住んでいた為、家族も私も直接の被害は受けておりません。しかしながら親類等、数多くの犠牲者、被爆者がおります。原爆の悲劇は今も続いておりとても語りきれません。久間大臣の今回の発言は同じ長崎の者として大変心苦しい限りです。長崎県民として全国の人達にお詫びしたい。被爆県出身の閣僚でありながら、間違った歴史認識により米国側に立った発言をするとは、この国の政府は一体どこを向いて政治をしているのでしょうか。久間大臣の発言も許されませんが「久間大臣は米国側の考えを述べただけで問題無い」とした安倍総理には呆れました。戦争体験どころか食べ物にも困ったことのない安倍総理には、被爆者はもとより庶民の感情や生活を思いやる気持ちなど微塵もないのでしょう。この人達には日本人の血が流れているのでしょうか。中国語では米国のことを「美国」と書くそうですが、安倍総理の言う「美しい国」とは米国の事のように思えます。これで憲法九条まで変えられてしまったら日本は本当に米国の言いなりになってしまいます。
お名前:Y(男性)
コメント:広島市在住のYと申します。30代、2人の子供がいます。いつも通勤時間に日記を読ませていただいてます。私は生まれも育ちもずっと広島市内です。今回の久間防衛相の発言ですが、同じ被爆地に関係する人間として、恥ずかしい限りと思っています。原爆の投下について「しょうがない」。確かにそういう意見もあると思います。ですが、戦後60年以上たった今、そういうレベルで議論されるべき問題ではないと思うのです。アメリカが悪いとか、日本が被害者だとか、日本だって加害者だとか、そういう問題ではないんです。私は幼い頃から平和教育を受けてきました。その教育の中で、誰が悪いなんてことは追求していません。原爆によってたくさんの尊い命が失われた事を、同じ惨劇を繰り返す事のないよう、繰り返し命の大切さや原爆の悲惨さを学んで来たのです。そして、戦争は何も生みださない、無意味だという事を。一国の国防を担う大臣が、「しょうがない」なんてレベルで発言して欲しくないです。こんなレベルで物事を考える政治家は必要ないです。原爆は大量破壊兵器なんです。そういった兵器を使用する事は絶対にいけないことなんです。戦争は、軍人たちだけでなく、民間人も少なからずとも加担し巻き込まれてしまうのです。その事を、憲法9条を変えたいと思っている人たちにもっと考えて欲しいです。被爆者の心の問題を地元の中国新聞が特集しました。私の伯父も被爆者ですが、私が被爆体験を聞いたのは一度だけです。いろいろ焼きついている光景を思い出したくもないのでしょう。とても苦しそうに話してくれました。そんな体験を誰にも話せずに苦しんでいる被爆者の方達に向って、あんな発言して済まされますか?今回の発言は、戦後負け犬根性の染み付いている政治家に共通している戦争認識だと思います。日本が戦争に勝った負けたという価値しか持たない人間に、これからの日本を考える資格はないと思っています。
お名前:KT(女性)
コメント:私は長崎に住む被爆二世です。久間発言は、被爆国民、被爆県民として絶対に許せません。私は放射能がいかに世界を破滅へ導くかを身をもって経験しています。私の叔母も被爆者で、その時はまだ15歳でした。うめき苦しむ人たち、治療も満足に出来ない、麻酔薬すらなく、手術の叫び声が校舎中に響き、叔母も体中にガラスがささり手術が必要でしたが、死んでもいいと拒否しました。その恐怖はすさまじい物だと思います。母と祖父は叔母を市内をくまなく捜し歩き、悲惨な状況を目の当たりにしました。そして収容された小学校の廊下に寝かせられている叔母を見分けられず通り過ぎてしまった。叔母は必死でその足もとに「とうちゃん!」とすがりついたそうです。「おいて行かないで!」と…。意識がなければ、そのまま死んで無縁仏になったことでしょう。確かに、いろいろな戦争で悲惨な事がたくさんありました。水爆、原爆はその破壊力影響力は計り知れず、ちまちま進む環境破壊どころではないのです。被爆二世でも原爆症で悩む人も多い。私はこの最終兵器をいかなる理由があっても絶対に肯定することはできません。肯定する人間も許せません。きれいな地球を残さなければ、殺された人々は何のために犠牲になり、被曝した人々は何のために苦痛に耐え訴えて続けてきたのでしょうか。防衛大臣ならば、「防衛」の意味をもっと広く深く考えてもらいたいものです。戦うだけ、攻撃するだけが防衛ではないと思います。
お名前:hana(女性)
コメント:私は広島市内で産まれて27歳まで広島で暮らし、現在は沖縄に住んでいる37歳の主婦です。両親は広島出身ではないので被爆はしていませんが、同級生には被爆2世がたくさんいました。仕事で沖縄戦や疎開船の沈没について関わる機会も幾度かあり、普通の人に比べれば平和について考えることも多いように思います。「今はまるで戦前のようだ」と沖縄のおじいやおばあは言います。平和憲法の改正をはじめ、軍国主義へ逆戻りしそうな要素がそろっている中での今回の久間大臣の発言。沖縄の米軍基地再編でアメリカを怒らせ、アメリカへの思いやり予算をプラスせざるを得ないような事態を招いたばかりか、今度はアメリカへのごますり。たくさんの人が一瞬にして亡くなり、生き残った方々も後遺症や差別などで苦しんでいることや、被爆2世やその子孫までもが辛い思いをしていることを思うと、広島出身者としては、やはり怒りを感じます。もちろん、広島、長崎だけではありません。日本全国が戦争だったのですから。でも、原爆が落とされた、広島、長崎や、地上戦が行われ、今でも基地で囲まれている沖縄の方々の精神的、肉体的な苦しみは60年経った今でも続いているのです。国が勝手に始めた戦争に巻き込まれ、犠牲になった人たちへの暴言としか思えません。被爆国として、世界へ平和を発信していかなければならない日本の、しかも長崎出身の防衛大臣があんな発言をするなんて、ほんとうにバカで無知で恥しらずで、人の気持ちを考えられない、こんな人を大臣にして擁護しつづけている安倍総理の責任は大きいと思います。
お名前:TK(男性)
コメント:広島市に住むTと申します。今回の久間大臣の発言についての率直な感想は、「お前、人間か?お前の血は真っ黒か?」て感じです。私は父親が被爆し、母親は広島市近郊に住んでいたため、幼少の頃から原爆の恐ろしさを何回も教えられて育ちました。特に母の家庭に振り分けられた被爆者(当時、収容する病院が無いため、被爆者は各家庭に振り分けられたそうです)のお世話をしたが、男女も分からないほどやけどを負った人達は数日で亡くなり、脳が見えるほど頭に重症を負い、そこにウジが湧き、箸で取りだす事を何日も繰り返し、何の治療も受ける事無く亡くなった少年の話などは決して忘れる事はできません。原爆はどんな理由があろうとも決して許される物ではありません。私には、原爆や戦争を一部分でも肯定する人は、人の一番大切な心を欲に変えた哀れな生き物にしか見えません。広島、長崎の人々は、「誰が悪いのか」と犯人探しをしているのではありません。一番の悪は戦争であり、それを起こした人間の欲です。今の安倍政権は欲の塊にしか見えません。
お名前:HS(男性)
コメント:原爆被害は、ひとり広島・長崎だけの問題ではなく、日本人のそれぞれが自らの問題として共有しなければならない悲劇です。当時、戦う力を失い、日本がポツダム宣言を受諾することは連合国にとって周知の事実であったはずです。久間発言のソ連云々についてはまさに噴飯物。参戦を促したのはアメリカそのものです。トルーマンの言い訳をそのままなぞるような認識しか持たない政治家に日本を任せるわけにはいきません。先日来「きっこの日記」で取り上げていらした沖縄戦問題、東京をはじめとする都市の無差別爆撃、社会科教科書改悪問題、はては慰安婦問題など、ケジメ好きの政治家が逃げまどっている姿は、全く見苦しいとしか言いようがありません。正しい歴史認識に立たない限り「言い訳の日本」は世界の笑いものでしかありませんね。防衛省の「戦史資料室」には、国民の知らない「戦争記録」が山とあるはずです。それをすべて読破し、考え方を整理した上で裏付けと責任ある発言をすべきでしょう。1940年生まれの久間氏は、終戦当時5歳。戦争体験はおろか、戦時体験すら持っていません。
お名前:SI(男性)
コメント:広島在住、40代後半のSIと申します。あまりに愚か過ぎます。どうして自分の肉親や親族が全身焼けただれた皮膚をひこずりながら、生きたままウジに這われ、水を請いながら死んでいく姿を想像して、痛まずにいられるのでしょうか。何の謝罪もせず、戦争の終結を早めたなどと自らの正当性に終止するアメリカを快く思うでしょうか。心の底では土下座して謝ってほしい、出来ぬなら同じ苦しみを味あわせてやりたいと思う瞬間があるのは当然ではないでしょうか。しかしながらそれを口には出さないのは、決して怨みや復讐では何も変わらないこと、新たな憎悪を招くこと、問題の本質はそこにはないことを分かっているからです。決して「しょうがない」などと思っているわけではありません。原爆と普通の兵器と何が違うのか、人の生死や苦しみでは同じではないかと言われるかもしれない。しかし違うと思います。普通の兵器は肉体を壊すと共に憎しみや恐ろしさや悲しさの感情を残しますが、原爆は心や感情をも壊します。周りに感じるのは、それらの感情を越えた奥の深い「おぞましさ」という得体のしれないものです。今、日本の核兵器廃絶の意思を世界に発信したいなら、久間防衛相の更迭以外にはなく、それができない安倍首相も久間防衛相と同罪です。
お名前:zukizuki
コメント:私は長崎で生まれ、就職を機に広島に移り住んだ、福山雅冶と高校で同学年級生だった者です。今回の久間章生のとんでも発言について、長崎そして広島の両被爆地で生活してきた者として、非常に憤りを覚えます。「お前は長崎で何を学んできたのか?」と。広島では原爆が落ちた8月6日8時15分、そして長崎では8月9日11時2分にそれぞれサイレンが鳴り、原爆で亡くなった方々に対し1分間の黙祷を捧げ、平和への祈りを新たにします。全ての市民・県民がそうしている訳ではないでしょうが、少なくとも私はそれぞれの時刻、静かに目を瞑り黙祷するよう心掛けています。また、私が長崎で過ごしていた間、夏休みの登校日が8月9日にあり、そこで平和教育を受けていました。今回の久間の発言は、少なくとも他の地域よりは平和について、そして原爆について考える機会の多かった者の発言とは思えません。二度と長崎の地に足を踏み入れてもらいたくありません!
お名前:SY(女性)
コメント:私は広島の高校3年生です。今回、久間防衛大臣の発言に驚き、また大変呆れたのでメールをさせていただきました。私は広島で生まれ育ち、被爆者の方のお話しを聞いたり、平和祈念式典に出席したりして、原爆の悲惨さについて学んできました。今回の久間防衛大臣の発言は、まるで戦争をゲームのように考えているようだと感じました。確かに解釈として、あの原爆により日本が降伏したという考えもあるのだろうとは思います。だけど、それは何かを守るためなら命を犠牲にするのは仕方がない、と言っているようで、命というものに対する現実感がまるでないように感じます。命というものを数でしか認識できないような、そしてそうやって損得勘定するのが正しい為政者だとは絶対に思えません。今回のような発言をする人間が今の日本を動かしているトップにいるということに心底ぞっとしたので、拙いながらも感想を送らせていただきました。
お名前:I(男性)
コメント:私は広島在住です。アメリカでは、日本に原爆を落とした爆撃機の乗務員が英雄視されていますし、広島と長崎に原爆を落としたことが戦争終結を早めたとする史観や核抑止論は多数派です。しかし、そんなことは絶対におかしい!ボタンひとつで何十万もの非戦闘員の命を奪い、被爆後も後遺症の苦しみを残す核兵器を肯定していいはずがありません。原爆投下からもうすぐ62年ですが、私が声を大にして言いたいことは、「ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキ」です。これ以上、核兵器の惨禍が起きないように。これが広島と長崎の願いだと思います。広島の原爆資料館や原爆ドームに、世界各地から見学者が訪れます。僕が彼らに願うことは、被爆者の慰霊ももちろんですが、62年も前に製造された核兵器の威力を正しく理解し、核兵器の使用を絶対許さないという意識を持って欲しいということです。特にアメリカ人にはそう願いたい。国に帰って、「日本に原爆を落としたから戦争終結が早まったというが、あれほど残酷でおろかな行為はない」「核抑止論なんかまやかしだ。絶対に核兵器を使わない方法は核廃絶しかない」と、周囲の人に言ってもらいたい。今回の久間発言は論外。発言の撤回などではとても済む話ではない。もはや、罷免以外に許す手段はない。
お名前:made in hiroshima30(女性)
コメント:現在は関東に住んでいますが、22歳まで、生まれも育ちも広島で過ごしたmade in hiroshima30代女です。このメールは、マスコミの一部抜粋した報道だけではなく、久間氏の発言を全文を拝見し、その後の釈明も拝見させていただいたのちに思うことです。今回の発言は、広島の昔の方言でいうならば「われ、ふざけんなや!」です。久間氏は「誤解」だと言っておられます。でも言葉っていうのは、聞き手がどう受け取るかによって成り立つもの。大抵の方が彼の言う「誤解」を「彼の真意」として受け取ったのです。見解とか戦略とか難しいことは私には分かりません。でも事実なのは、あの原爆で私のおばあちゃんは被爆し、昭和29年に甲状腺の癌(原爆症です)で亡くなったこと。私のおかあさんは昭和23年生まれの被爆2世で、両親から「被爆2世であることは言ってはいけないよ」と子供のころから言われて育ったこと。私が中学生のとき癌で亡くなったこと。そして被爆3世の私は、原爆のせいではないと思うのですが、小さいころから血液数値に異常があること。つい数年前までそのことについて特に気にしていませんでしたが、結婚が決まる際、血液に少し異常値があることを(彼は知っていました)先方のご両親に伝えたら「やっぱり広島の人はね…」と目の前で言われ破談になったこと。彼のご両親の気持ちも分かりますが、今の時代にもそのような考えが残っていることを、久間氏は知っているのでしょうか。そして、こういったこともすべて受け止めて、その上での「しょうがない」だったのでしょうか。自分の中で納得するために「しょうがない」と思うのであれば、心の中で勝手に一人でやってください。私も破談の時には「私の背負った運命だ、仕方ない」と元気に生きていくために一人で勝手に思いました。被爆者の方々、その周辺の方々の中にも、生きていくことを全うするために、そのように無理矢理に思っていらっしゃる方もいることでしょう。今回のことで久々に母のこと、数年前の悲しい出来事を思い出してしまいました。日本は先の大戦では被害国でもありますが、加害国でもあったことも重々承知したうえで書いています。しょうがない、なんて公の場で言えてしまうお偉いさんは、きっと次に核戦争が起きたら、世界最高峰の核シェルターに入れてもらえる「選ばれし人」なんでしょうね。今まで選挙に積極的でなかった自分にも反省しています。こいつとこの一派だけは絶対許せません。
お名前:キョーコ(女性)
コメント:今回の久間防衛大臣の「原爆投下はしょうがない発言」に対して、同郷の人間として、ただ恥じるばかりです。私は長崎生まれの長崎育ち。就職して今は東京に住んでいますが、生まれ育った長崎を愛しています。5月下旬に帰省してきたばかりなのですが、その際に地元の観光スポットを両親や叔母などと回ってきました。私は大人になってから原爆資料館に行ったことがなく、ここ数年、常々行きたいと思っていました。それがこの間、ようやく行くことが出来ました。義務教育の中で原爆資料館は社会科見学で行きます。少なくとも長崎市の小中学校では教科の中に入っていたと記憶してます。(現状はどうか分かりませんが)幼い頃はこの悲惨さが正直、あまりピンときませんでした。でも大人になるにつれ、気がついたら原爆資料館を大人になって訪れてみたいと思うようになってました。数年前に資料館も改築されました。原爆当時のものも、形見として大切に保管されていた方々が資料館に寄付をし、展示品も子供の頃より増えていた気がします。改めて目にした資料の数々を見て、原爆は絶対にあってはなならない物だと思いました。今でも、市内には片足鳥居がそのままの状態で半分残っています。もう半分は、その近くに倒した形で置かれ、説明文がつき、もちろんここも観光スポットとして多くの観光客の方が目にしてると思います。本当に普通に住宅が並ぶところに鳥居が半分見えるのです。私の両親は被爆者ではないですが、毎年8月9日に平和公園で行われる平和祈念像の前での慰霊祭と平和記念式典がテレビで生放映されるので、両親でも見て感じています。私が長崎にいた頃は、この日は登校日で学校で黙祷をしてました。たとえ被爆者でなくとも、資料館に行けば、原爆の悲惨さに言葉がなくなります。被爆者でなくとも、あの資料の数々を見たら、誰も「原爆投下はしょうがない」などとは言えません。久間防衛大臣は人間の心が通ってないのかもしれません。県民の恥としか言いようがないです。今日(7/1)の朝の番組で「誤解を受けたのなら申し訳ない」などとコメントしてるところを見ましたが、その時の半笑いの顔はとても謝罪しているようには見えませんでした。本当に許しがたいです。
お名前:MN(女性)
コメント:私の父は子供の時に広島で被爆しました。原爆が投下されたとき、たまたま体のほとんどが塀に遮られ、塀から出ていた体の一部にだけにケロイドが残りました。私は小学生のとき、広島の平和記念資料館を訪れましたが、「こんなむごたらしいことは二度と繰り返してはいけない」とずっと思ってきました。原爆投下を「しょうがないと思っている」と言った久間防衛大臣は、防衛大臣として不適格である以前に、一人の人間として、人の苦しみや悲しみを思いやるという、あたりまえの心すら持っていないのですね。広島や長崎へ原爆が落とされたとき、どれだけの人が命を落とし、苦しみ、そして今でも苦しんでいるか。その人たちを少しでも思いやる心があれば、「しょうがない」なんて言葉が出てくるはずがありません。高校まで長崎で育ったという人間が、被爆者や残された者の苦しみ、悲しみを感じることも、思いやることもできないとは…。
お名前:大木晴子
コメント:もう、怒りを通りこして、哀しみの涙、そして空しさで心が重いです。丸木美術館の「原爆の図」を訪ねたばかりの私は、久間防衛大臣がこの絵の前に立ったら何を思い何を考えるかを知りたい。アメリカの新聞にあまりにも酷い意見広告を出した国会議員やジャーナリストたちと一緒に「原爆の図」の絵の前に立たせたい。
お名前:江草乗
コメント:久間への怒りは私も自分の日記で書きましたが、日本国民があんな残虐な殺され方をしたことを「しょうがない」で片づけられることは到底許せません。これはたとえて言うなら、自分の妹がヤクザの組長にレイプされたことを抗議もせずに「うちの妹も立派なお方にかわいがってもらえて幸福です」とお礼を言いに行くような情けなさです。それを聞いたアメリカ人が「日本人も原爆を落としてもらって喜んでるんだ」などと感じるとしたら悔しくてなりません。久間のような人間のクズは即刻大臣をやめさせるべきだと思います。もっとも自民党に代わりをつとめるまともな人材がいるようにも思えないのですが。
‥‥そんなワケで、最後は、あたしが仲良くさせていただいてる「明日も晴れ」の大木晴子さんと、「江草乗の言いたい放題」の江草乗さんからのメールを紹介したところで、明日へと続く‥‥って感じの今日この頃なのだ。
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