ほおずきの日
今日、7月10日は、「ナナ」と「トー」で「納豆の日」‥‥ってのはトモカクとして、「四万六千日(しまんろくせんにち)」だ。ナニゲに、四国の「四万十川」に似てるけど、ぜんぜん関係なくて、今日、浅草寺(せんそうじ)をお参りすると、たった1回のお参りで、普通の日の46000日ぶんお参りしたのとおんなじだけの効果があるって言われてる‥‥って、今言っても遅いけど(笑)
で、この「46000」て数字がどこから来てるのかって言うと、江戸時代に、一升マスにいっぱい入れたお米を数えたら、ぜんぶで46000粒くらいあったことら、「一升」を「一生」にカケて、「人の一生は46000日」ってことにしたそうだ。だから、結局のところ、7月10日を「納豆の日」って言うのと似たようなレベルのオヤジギャグみたいなんだけど、46000日を365日で割ると約126になるから、世界で一番の長生きの人だったら、なんとかクリアできそうな年数ってことになる。
ちなみに、江戸時代のお米って、今のお米よりも小さかったそうだから、今のお米を一升マスに入れたら、46000粒も入らないそうだ。だから、実験してみたワケじゃないから正確には分かんないけど、たとえば、今のお米で38000粒だったとしたら、365日で割ると約104てワケで、こっちのほうが現実味がある。それでも、100才以上も長生きできる人なんてメッタにいないし、普通に考えたら、80才から90才くらいが平均寿命だと思う。だから、平均寿命のほうから逆算したら、人の一生は、だいたい31000日くらいだから、7月10日に浅草寺をお参りするのは、「四万六千日」じゃなくて「三万一千日」にしたほうがいいと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、こんなに書いてから言うのもナンだけど、この「一升マスにお米が46000粒」ってのは、あとからコジツケて作った話っぽくて、この他にも、「四万六千日」の意味には、いろんな俗説がある。たとえば、「1日中」のことを「四六時中」って言うように、昔は「1日」を「四六時」って言ってたので、「1000日ぶんのご利益がある」てことで、「四六時」を1000倍にして「四万六千日」にしたとか、合戦に敗れた源頼朝が、7月10日に46000人の兵を浅草寺に集めて軍を立て直したとか、いろんな説がある。だけど、どれも、あとからコジツケた「いかにも」って感じの話で、あんまり信憑性があるとは思えない。
でも、なんで「四万六千日」なのかって理由は置いといても、とりあえず、7月10日に浅草寺をお参りすれば、ふだんの何倍も効果があるってことだけは信じられて来たワケで、あたしが20年も愛用してる文芸春秋社の「季寄せ」(歳時記)を見てみると、こんなふうに解説してある。
「四萬六千日」
七月十日、東京浅草観世音の縁日。この日参詣したものは、四万六千日参詣したほどの功徳(くどく)があると言う。当日は酸漿市(ほおずきいち)と言って、青鬼灯(あおほおずき)を売る店がならぶ。
‥‥で、ちなみに、読み仮名を書いたのは、原文にも読み仮名が書いてあった部分なんだけど、これを読めば分かるように、「ほおずき」は、漢字だと「酸漿」とも「鬼灯」とも書く。それで、この説明には「青鬼灯を売る店がならぶ」って書いてあるけど、ずっと前から、青鬼灯だけじゃなくて、赤いのも売るようになってる。実際には、「赤」って言うよりも「朱色」って感じだけど、それを言うんなら、青鬼灯だって「青」じゃなくて「緑」なんだから、細かいことは言いっこなし(笑)
でも、リトル細かいことを言うと、鬼灯は、現代仮名遣いで書くと「ほおずき」で、歴史的仮名遣いで書くと「ほほづき」で、別にどっちで書いても自由だけど、どっちかで書かなきゃなんない。それなのに、良く見かけるのが、「ほおづき」って書いてる人だ。これだと、「ほお」の部分が現代仮名遣いで、「づき」の部分が歴史的仮名遣いだから、コレはものすごくおかしいし、ニポン語として間違ってる。
喩えるなら、9月に公開される劇場版の「エヴァンゲリオン」みたいなもんだ。今度の劇場版の「エヴァンゲリオン」は、「ヱヴァンゲリヲン」て表記されてるけど、旧字には拗音や促音は存在しないから、「エ」を「ヱ」、「オ」を「ヲ」って表記するんなら、それに合わせて「ァ」は「ア」って表記しないとおかしいのだ‥‥って、これは前にも書いたから別にいいんだけど、とにかく、1つの単語を仮名表記する場合に、現代仮名遣いと歴史的仮名遣いが混ざってるのはおかしい。
‥‥そんなワケで、話はクルリンパと戻って、浅草寺の「ほおずき市」だけど、これは、7月10日だけじゃなくて、前日の9日から2日間、開催される。そして、その前の6日から8日までが、入谷(いりや)の「あさがお市」だ。浅草では、この「あさがお市」と「ほおずき市」が夏の風物詩ってワケで、「あさがお」は歴史的仮名遣いで書くと「あさがほ」だから、「あさがほ」「ほほづき」って、ちゃんと開催日の順に尻取りにもなってるってワケだ。
それで、この「ほおずき市」がいつから始まったのかっていうと、江戸時代の後期、今から約240年ほど前からだ。だけど、当時は、今とはリトル違ってた。当時の戯作者(げさくしゃ)、山東京山(さんとう きょうざん)が、世の中のいろんなことを書き綴った随筆集、「蜘蛛(くも)の糸巻」によると、7月10日の「四万六千日」に、浅草寺で売られてたのは、「雷除け」としての「赤とうもろこし」だった。良く、居酒屋さんとかのオブジェとして天井から吊るしてある、カチカチに乾燥した赤ムラサキのとうもろこしだ。アレを買って来て家に吊るすと、雷が落ちないっていうオマジナイみたいなもんだった。
そして、「ほおずき」のほうは、それよりちょっと前の6月24日に、芝の愛宕山(あたごやま)の「千日詣り」で売られてた。これは、あたしの季寄せに書いてあるのとおんなじ「青ほおずき」で、こっちは、「虫封じ」の効果を謳ってた。「虫」ってのは、赤ちゃんの「カンの虫」とか、女性のヒステリーとかのことで、当時は、子供でも大人でも、こういった症状は、体の中にいるタチの悪い虫が原因だって思われてた。それで、この日に「青ほおずき」を買って来て、それを丸呑みすれば、虫を封じることができるって思われてた。
それで、そのうちに、この2つのイベントが混ざっちゃって、7月10日の浅草寺の「四万六千日」でも、虫封じのための「青ほおずき」が売られるようになったってワケだ。だから、最初のころの7月10日の「四万六千日」は、「赤とうもろこし」だけが売られてて、その次に「青ほおずき」も売られるようになって、今みたく「赤いほおずき」も売られるようになったのは、ずっとしてからなのだ。じゃあ、「赤とうもろこし」はどうなっちゃったのかって言うと、明治時代に不作の年があって、その年は「赤とうもろこし」の市が立たなかった。それで、その代わりに「雷除けのお札」を売り出したら、こっちのほうが人気が出ちゃって、それ以来、「赤とうもろこし」はだんだんに廃れて行って、昭和の初期には姿を消しちゃった。
‥‥そんなワケで、今では、この「ほおずき市」のメインは、「ほおずき」と「雷除けのお札」になっちゃって、最初の「赤とうもろこし」は無くなっちゃったワケだけど、もちろん、それだけじゃない。縁日なんだから、たこ焼きや焼きそば、金魚すくいやヨーヨー釣り、ワタ飴やベッコウ飴、チョコバナナやクレープ、他にもいろんなお店が並ぶ。だけど、どんなお祭りの縁日でも良く見るこれらのお店の中に、ちょっと変わったお店があるのが、この「ほおずき市」の特徴だ。それが、「海ほおずき屋さん」だ。
「海ほうずき」ってのは、テングニシとかアカニシなどの巻貝のタマゴの袋を干したもので、ほおずきとおんなじように、口に含んで鳴らして遊ぶものだ。ちなみに、「テングニシ」ってのは、貝殻の先っちょがテングの鼻みたくとんがってるからで、「ニシ」は「タニシ」の「ニシ」だ。で、このテングニシやアカニシなどのタマゴの袋を干して、どぎつい赤とか緑とか黄色とかに着色して、昔は、どこの縁日でも売ってたし、あたしの母さんが子供のころは、駄菓子屋さんでも売ってたそうだ。
だけど、子供の遊びも多様化して、ピクニックに行っても野原の真ん中でニンテンドーDSで遊ぶような子供まで出てきちゃった現代では、海ほうずきを鳴らして遊ぶ子供なんかいなくなっちゃった。そして、縁日からは、だんだんに「海ほおずき屋さん」が消えてった。もちろん、今でも、海の近くのお祭りとかなら、現役の「海ほおずき屋さん」が出てるんだと思うけど、全国的に見ると、その数は激減した。
そんな、絶滅危惧種みたいな「海ほおずき屋さん」だけど、7月9日と10日の「ほおずき市」だけは、おんなじ「ほおずき」つながりってワケで、ハシッコのほうにヒッソリとじゃなくて、目立つところに堂々とお店を出す。主役は当然、植物の「ほおずき」だけど、「海ほおずき」も準主役っぽい感じで、ここぞとばかりにエキサイティングなカラーの不思議な物体を並べて売る。そして、売ってるオジサンは、いつも海ほおずきを口に含んで「ブーブー」と鳴らしてるから、ベロやクチビルの内側に色が移って真っ赤になってたりする。
この「ほおずき市」で「海ほおずき」を買うのは、子供じゃなくて、ほとんどが大人だそうだ。子供のころ、海ほおずきで遊んだ世代の人たちが、懐かしがって買うそうだ。本家のほおずきは、破らないようにモミモミするのが大変だし、中の種を出すのも難しいし、鳴らすのもコツがいる。だけど、誰でもワリと簡単に鳴らせる海ほおずきは、言うなれば、本家のほおずきを鳴らすことができなくて挫折しちゃった人のための「自信回復グッズ」的な存在でもある。そして、ちっともいい音だとは思えない「ブーブー」って音は、どこか、もの悲しい感じがする。
‥‥そんなワケで、どんなに楽しいゲーム機ができたって、どんなに新しい遊びができたって、それでも「海ほおずき屋さん」がお店を出すのは、「海ほおずき」を買う人がいるからじゃなくて、「思い出」を買う人がいるからなんだと思う。あたしは、幼稚園か小学校の低学年くらいの時に、一度か二度くらいは鳴らしたことがあるけど、それは、母さんが懐かしがって買った時に、鳴らし方を教えてもらっただけだ。だから、あたしは、海ほおずきに懐かしさは感じないし、別に思い出もない。だけど、少なくとも、あたしの母さんの世代の人たちの多くは、どぎつい赤とか緑とか黄色とかの海ほおずきに、カラーヒヨコとおんなじように、懐かしさを感じるんだと思った今日この頃なのだ。
海ほほづき鳴らせば遠し乙女の日 杉田久女
海ほほづき鳴らして父も母も無き 利根川妙子
母さんの海ほほづきは良く鳴るね きっこ
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