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2007.09.20

おもうわよ

あたしは俳句が好きだけど、俳句雑誌は高いから買えない。「角川俳句」「俳句研究」「俳壇」「俳句朝日」「俳句あるふぁ」「俳句四季」‥‥などなど、他にもあるけど、どれも発行部数が少ないから、必然的に単価が高くなってて、通常の月刊雑誌と比べると、約5割増しから2倍近い定価になってる。カラーグラビアなんかほとんどなくて、99%が質の悪い紙に文字が印刷してあるだけの雑誌が、豪華なカラーページだらけの一般雑誌の2倍もの定価になってる。「俳句雑誌」なのに「単価」が高いなんて、なんかギャグみたいだけど、ギャグになんないように、ちゃんと「短歌雑誌」の単価も高い(笑)

それで、あたしの場合は、どうしてるのかって言うと、本屋さんで立ち読みしたり、図書館で借りて読んだりしてる。で、本屋さんで立ち読みする場合には、買う人の迷惑になんないように、ページを広げすぎたりしないように気を使ったりしつつ、興味のある俳人の句を拾い読みしたり、短いエッセイとかをパラパラと読む程度で、本格的に読むことはできない。それに、何よりも本屋さんに失礼だから、どんなに読みたくても、あんまり長時間は立ち読みすることができない。

だから、あたしは、図書館をメインにしてるんだけど、図書館の場合は、「月刊誌は1ヶ月後からしか貸し出しできない」ってルールがある。何でかって言うと、1冊しか入れてない月刊誌をすぐに貸し出し図書にしちゃって、たった1人の人が2週間も3週間も借りっぱなしにしたら、他の人たちがずっと読めないからだ。だから、月刊誌の場合は、次の号が出るまでの1ヶ月間は、図書館の中で読むことしかできなくて、1ヶ月が過ぎてから、初めて貸し出し図書になる。

だから、最新号を早く読みたければ、図書館に行って、その場で読むしかない。だけど、ブ厚くて文字だけの「角川俳句」や「俳句研究」をその場でぜんぶ読むのは骨が折れる。やっぱり、目が疲れたら休んだり、気持ちが他へ向いたら別のことをしたりして、「今日はここまで」「今日はここまで」って感じで読み進まないと、楽しく読むことができない。だから、あたしは、1ヶ月が過ぎてから、借りて来て読むようにしてる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、足をケガしてから、ずっと図書館に行けなかったんだけど、しばらく前から原チャリには乗れるようになったので、今は図書館に通ってる。それで、最初に図書館に行けるようになった時に、読んでなかった「角川俳句」の5月号と6月号を借りて来て、それを読み終わった今は、こないだ借りて来た7月号と8月号を読んでるってワケだ。さらに詳しく言えば、7月号は読み終わって、今は8月号を読んでるってワケだ。さらに詳しく言えば、8月号の180ページあたりを読んでるワケだ‥‥って、そんなこたーどうでもいいんだけど、この「角川俳句」の8月号では、8月の「終戦日」に合わせて、「戦後62年、俳句は何を生み出したか?」ってサブタイトルで、「古典となった戦後俳句」って特集をしてて、これがなかなか素晴らしかった。

アホ俳人は、いつも通りにアホなノーガキを垂れてるだけで、まったくお話にならず、「ジンクピリチオン配合のシャンプーで頭を洗ってから出直して来い!」って感じだったんだけど、何よりもワンダホーだったのが、岸本尚毅さんの「淘汰と増殖」っていう総論の中での、飯田龍太を古典とする見解だった。岸本尚毅さんの俳論には、いつもうなづくことが多いけど、今回も素晴らしかった‥‥なんて言っても、この「きっこの日記」しか読んでない人にはチンプンカンプンだと思うから、そこはサクッと迂回しちゃうけど、「きっこの日記」しか読んでない人にも分かる話に車線変更すると、池田澄子さんのエッセイ、「あさがや草紙」の「送り火のあとも思うわよ」がなかなか良かった。

池田澄子さんと言えば、「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」って句がオナジミだけど、あたしは、2001年9月14日の日記、「池田澄子さんの世界」でリトル紹介してるので、興味のある人は読んでみて欲しい。で、今回の池田澄子さんのエッセイは、8月号のテーマである「戦争」に関連して、近年に亡くなったおばあさまと、第二次大戦で戦死した、おばあさまの長男(澄子さんの叔父にあたる)の思い出話をベースにして、「死」という別れについて書かれている。そして、3年前の12月30日に、45才という若さで亡くなった俳人、田中裕明さんから、年が明けてから句集と年賀状が届いたため、その句集と年賀状がお別れの言葉のように感じられたということ。また、その句集に掲載されていた「その一角が大文字消えし闇」という句の世界を体感したかったので、去年、京都の五山の送り火を見に行ったことなどが綴られていた。そして、そのエッセイの最後は、次のように締めくくってあった。


(前略)
島の写真を撮っていたという友人がいる。写真家である彼女が素敵な言葉を教えてくれた。ある島では、別れる時、例えば島を離れる彼女に対して、「さようなら」とは言わないのだそうだ。ましてや、「じゃーね」などとは決して言わないだろう。船を見送る島人は、「おもうわよー」と手を振るのだそうだ。電車を降りる少し前に聞いたその言葉が、どすんと私に入り込んでしまって、瞬間、胸がいっぱいになった。コーフンして握手して別れ、一人になっても、その言葉の余韻にくらくらした。後日、そのことを他の友人たちに言いふらした。皆が感嘆する。
こんなに嬉しい別れの言葉があったなんて、おもうわよ。アナタが目の前から去っても、ずーっと思うわよ。今度逢うまで思っているわよー。
亡先生に、亡父に、叔父に祖父母に、友人(田中さんを含め、私より若い男友達も数人)に聞こえるように‥‥、聞こえるだろうか‥‥、もう逢うことがなくても、ずーっと、ずーっと、思うわよー。

(「角川俳句」平成19年8月号「あさがや草紙」より)


‥‥そんなワケで、このエッセイの中では「ある島」としか書かれてないけど、これは、東京都の「青ヶ島」のことだ。青ヶ島は、有人島としては伊豆諸島の最南端の島で、八丈島の南65kmに位置する周囲9kmの小さな島だ。青ヶ島村の村民は192人(2007年3月現在)と、ニポンイチ村民の少ない村としても知られてる。それで、あたしが懇意にさせていただいてる民俗学者の菅田正昭さんが、青ヶ島の研究の第一人者でもあることから、あたしは、菅田正昭さんのサイト、「でいらほん通信」で、この「おもうわよ」って別れのアイサツについては、ずいぶん前から知っていた。ちなみに、菅田正昭さんは、こんなふうに解説してる。


「おもうわよ」

おもうわよ おもうわよ
青ヶ島よ おもうわよーい
わたしの声がこだまする
わたしの声が波間に消える
わたしのうわ言が自分じしんを寂しくさせる
想い出のぬくもりが訴えてくる
わたしは島影を見たくない
しかし 島影がわたしを追いかけてくる
感じよ 感じよ おまえたちも感じよ
これは断じて訣別ではないのだ
島影の中の現実よ
おもうわよ おもうわよーい
青ヶ島よ わたしに声を掛けてくれ

「おもうわよ」とは、青ヶ島の別れの言葉です。青ヶ島方言(文法的には万葉集東歌方言とほとんど同じ)でサヨウナラの義です。
もちろん、オモウは「思う・想う」を意味し、語源的には、ある特定の人のオモ(面・貌・顔)を、オモ(重)たく想い浮かべることから生じました。別れのとき、愛しい人のことを、懐かしい人のことを、強くオモウから「おもうわよ」なのです。
もう30年も前のこと、荒磯の中の小さな突堤だけの、港とは名ばかりの三宝港での別れのとき、教員のひとりが島人からオモウワヨと言われて、ポッと顔を赤らめた、という美しい勘違いもあったようです。
わたしは、この言葉は、日本の方言の中で、というよりも、弧状列島の中のニッポン諸語の中で最も美しい言葉である、と思っています。

http://www.yoyo.ecnet.jp/SUGATA/UT/UT02/UT021001.html


菅田正昭さんによると、八丈島と青ヶ島の方言のことを「万葉集東歌方言」って命名したのは、国語学者の故・金田一春彦さんで、これは、八丈島と青ヶ島の方言の中に、今も、万葉集の東歌の中の「古代東国方言」の文法が残ってることからの命名だったそうだ。で、この「古代東国方言」は、縄文時代が起源だって言われてるから、もしかしたら、この「おもうわよ」って別れの言葉は、「さようなら」なんかよりも、ずっと昔から使われてた可能性もある。

科学が進歩した現代でも、海が荒れれば何週間も船が欠航して、青ヶ島の人たちは完全に孤立しちゃう。そんな島なんだから、手漕ぎの木造舟しかなかった大昔は、舟に乗って出かけてく人との別れが、二度と会えない永遠の別れになっちゃうことも多かったんだと思う。歩いたり、馬に乗って出かけてく人なら、別れても、すぐにまた会える。忘れ物をしたら、走って届けることもできる。でも、本州から360kmも離れた小さな島の場合は、舟が桟橋を離れたら、それが最後の別れになるかもしれないのだ。

だから、「さようなら」じゃなくて、「おもうわよ」なんだと思う。だから、1万年以上も前の縄文時代の流れをくむ言霊が、今もなお、日常的に使われてるんだと思う。あたしは、この美しい言霊こそが、ホントの意味で、後世へと伝えるべき無形文化財だと思った。

‥‥そんなワケで、2005年8月4日の日記、「フロッピーの割れた日」に詳しく書いてあるけど、マリオネット福田のアテ馬として現在活躍中のフロッピー麻生は、史上最悪のコイズミ政権下で、地方経済を縮小して中央だけが潤うような地域格差を作るために、全国で強引な市町村合併を行なった。そして、その政策の1つとして、この青ヶ島の住民たちを排除して、無人島にするって計画まで練ってたのだ。これは、2004年3月18日の参議院総務委員会でのフロッピー麻生の発言だ。


「御存じのように、東京でいえば八丈島の南七十キロぐらい行ったところに、青ヶ島というところにたしか人口二百人切ったぐらいの今一番小さな村がありますが、そこに人が住んでいる。その住んでいることによって極めて財源としては大きな負担に国としてはなっているとは思います。」


文法がおかしいのは、しゃべった通りに一字一句書き写してる「国会議事録」をコピーしたからで、フロッピー麻生がバカだからなんだけど、もちろん、こんな支離滅裂な大バカ計画は、実現されなかった。だけど、その代わりに、全国で多くの市町村がムリヤリに合併させられて、数え切れないほどの人たちが故郷を失い、かけがえのない地方の文化の多くが失われてしまったのだ。これは、コイズミによる数々の歴史的大罪のうちの1つであり、絶対に許されないことだ。

‥‥そんなワケで、あたしは、国の財産、国民の財産てのは、お金や土地だけじゃなくて、目に見えないものだってたくさんあると思う。何百年、何千年も前から、ニポン人が守って来た数々の伝統的な地方文化や地方言語だって、大切な財産だと思う。そして、そうした目に見えない財産こそが、国家をあげて大切に守ってかなきゃいけないものだと思う。だから、お金のために、平然と地方文化や地方言語を破壊してく今の政府のやり方には大反対だし、ましてや、「国の財源の負担になる」って理由で、小さな村や過疎の村を潰そうとするような自民党の政策には、断固として反対する。お年寄りや障害者を切り捨て、地方の伝統や文化を切り捨て、その反面、アメリカの人殺しには湯水のような税金を投入して加担し続けるなんて、これほど愚かなことはない。あたしは、いつまでも、この国が、別れる相手に「おもうわよ~!」って言い続けられるような国であって欲しいと願う今日この頃なのだ。


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