「地学」の卒業式
あたしがずっと観て来た、NHK高校講座の「地学」が、ゆうべ、最終回を迎えた。だけど、これは、去年放送したものの再放送で、それも、昼間に再放送したものを数日遅れで深夜に流してたから、正確に言えば「再々放送」ってことになる。だから、ホントの意味での最終回は、1年前に放送されてたってワケで、再放送の最終回もリトル前に放送されてたってワケで、あたしが観たのは、あくまでも、深夜の再々放送の最終回ってワケだ。
だけど、深夜の再々放送の最終回でも、ただ観て来た番組ってだけじゃなくて、ちゃんと、1学期、2学期、3学期って、楽しみながら勉強させていただいて来た「地学」だったから、普通の番組の最終回と違って、学校を卒業するような、リトル胸にジーンとする感動があった。この年になって、中学や高校の時の、甘酸っぱいような、切ないような感覚を味わうことができて、とっても懐かしい気持ちになれた。
でも、正直に言うと、あたしは、「ずっと観て来た」って言っても、第1回からじゃなくて、あたしがタマタマ見たのが、5回目か6回目くらいで、それも、他に観るものがないから、最初のころは、ボケーッと流して観てただけだった。それで、「地学」の面白さ‥‥って言うか、平野麻樹子ちゃんと各先生たちとのやりとりの面白さに気づいて、「深夜の娯楽番組」として本格的に観るようになったのは、10回目くらいからだ。
だから、あたしの場合は、「1学期の途中で転校して来た転校生」って感じなんだけど、それでも、42回目の最終回を観終わって、「もう、来週からは授業がないのか‥‥」って思ったら、とってもさみしい気持ちと、1年間、教えてくださった先生方への感謝の気持ちで、胸がいっぱいになった。
安達修子先生、伊藤孝先生、久田健一郎先生、松本直記先生、鈴木文二先生をはじめ、スポットで登場した博物館や研究所の先生方も、本当にどうもありがとうございました! あたしは、先生方のおかげで、無事に卒業することができました♪
そして、1年間、あたしたち生徒の代表として、ずっとがんばってくれた平野麻樹子ちゃん、楽しいナレーションで番組を盛り上げてくれた堀秀行さん、見えないとこで努力してくださったディレクターさんをはじめ、スタッフの方々、本当にありがとうございました!‥‥なんて感じで、あたしなりの感謝を伝えてみた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、転校生の上にデキの悪い生徒だったあたしは、最初にハマッたのが、「地学」っていう学問の面白さじゃなくて、オチャメな安達修子先生と麻樹子ちゃんとの「小芝居の面白さ」だった。2人で千葉県の地層を調べに行った時に、麻樹子ちゃんのファッションチェックをしたんだけど、その流れがサイコーだった。2人は、スタジオから一瞬のうちに千葉県へとワープしたんだけど、いかにも「野外観察をするぞ!」ってスタイルの修子先生に対して、キャミソールにフレアスカート、ヒールのサンダルの麻樹子ちゃんは、ファッションチェックでNGが出ちゃう。
もちろん、オデコには、お約束のバッテンマークをつけられて、さっそく野外観察に適したスタイルに変身!‥‥ってワケで、ただ単に「野外観察の時はこういう服装にしましょう」って教えられるよりも、何倍も楽しかったし、修子先生のオチャメさと麻樹子ちゃんの天然っぷりが、企画の内容を考えられうる最高水準にまで引き上げてた。もちろん、修子先生と麻樹子ちゃんのやりとりは、通常のスタジオでもサイコーで、ヒトコトで言えば、「一拍遅れのボケとツッコミ」って感じだった。
そして、あたしが次にハマッたのが、独特のキャラの伊藤孝先生と、麻樹子ちゃんとの「カミ合ってないやりとり」だった。長身でスタイルが良くて、地学の先生ってよりは体育の先生みたいな外見の伊藤先生は、ビミョ~にアガリ性っぽいのか、時々、カミカミっぽくなったり、前後の文脈がつながらなくなったりした。それなのに、そこに台本通りの麻樹子ちゃんの合いの手が入るもんだから、ピッチャーの投げた球の30cmくらい上を思いっきり空振りしたみたいな空気感が醸し出されて、何とも言えない深夜のヒトトキを提供してくれた。
このころのあたしは、カンジンの「地学」の内容よりも、麻樹子ちゃんと各先生とのやりとりを楽しんで観てたから、あたしにとっての「地学」は、「深夜の娯楽番組」っていうポジションだった。だけど、ずっと続けて観てるうちに、だんだんと「地学」そのものにも興味を持つようになって来て、伊藤先生の「プレート」や「マントル対流」のあたりからは、授業の内容のほうがメインになって来た。高校生の時に、ちゃんと習ってたハズだし、中間テストや期末テストでもギリギリ合格点はとってたハズなのに、「地殻」だの「マントル」だのって単語だけは記憶の片隅にあったけど、それが何なのか、それがどうしたのかなんて、ぜんぜん覚えてなかった。だけど、各先生方の授業をずっと聞いて来たら、記憶の片隅にあった単語たちがパズルのように組み合わさって来て、少しずつ1枚の絵になって来た。
‥‥そんなワケで、あたしは、NHK高校講座の「地学」がどれほど楽しいかってことを今年の2月24日の日記、「深夜の娯楽番組」に書いたワケだけど、そしたら、担当のディレクターさんをはじめ、何人かの関係者さんたちからメールが来て、テレビを観てるだけじゃ分かんない裏話やロケでの苦労話を教えていただいたり、さらには、麻樹子ちゃんも「きっこの日記」を読んで喜んでた、なんていう嬉しいお知らせまでしていただいた。
それで、あたしは、ますます「地学」が好きになり、パソコンの壁紙を「柱状節理」にしてみたり‥‥ってのは嘘だけど、本気で「鉱物標本」を買おうとまでした。だけど、インターネットで調べてみたら、ものすごく高かったから、図書館で「鉱物図鑑」を借りて来て、パラパラと眺めたりして物欲を制御した。
そんなこんなで、ずっと楽しく勉強して来た「地学」だったけど、最終回の麻樹子ちゃんは意外とアッサリしてて、これと言って感慨深い様子も見せずに、サラッとお別れのアイサツをした。だけど、きっと、テレビに映ってないとこでは、たくさんの思い出に包まれて、うんと感動してんだろうな‥‥なんて思いながらテレビの画面を観てたら、「地学」のあとの「理科総合 A・B」も最終回で、バレーボールの得意なMCの高松知美ちゃんが、「今日は最後なので、生物と地学のコラボレーションでお送りします」って言って、生物の小林秀明先生と地学の吉永順一先生がそろって登場した。そして、「未来の地球を生物の目と地学の目で見てみよう」っていうワンダホーな展開になった。だから、あたし的には、なんだか「地学」の続きみたいで、嬉しくなった。
「理科総合」は、高松知美ちゃんの他に、「ウサコ」こと中里真美ちゃんがレポーターをやってるんだけど、今回は、前半が「生物の目」、後半が「地学の目」で、それぞれにロケがあったから、真美ちゃんは大活躍だった。最初は、スタジオでの実験で、小林先生の専門分野の藻類の「スイゼンジノリ」が登場して、知美ちゃんが味見をしたあと、その「スイゼンジノリ」のDNAを取り出す実験を行なった。まず、「スイゼンジノリ」に石英を加えて摺ってから、ナントカ液を入れて、湯せんしたり冷やしたり濾したりしつつ、最後にエタノールか何かを入れると、肉眼でも見える白い糸状のモノが浮かんで来て、それがDNAだって言う。
あたしは、顕微鏡じゃないと見えないもんだと思ってたDNAが、肉眼でも見えるんだってことにビックル一気飲みだったけど、これは「地球の未来を生物の目で見る」って実験だったから、このあと、このDNAの遺伝子を顕微鏡で見て、何らかの結論を導き出すんだと思った。だけど、このDNAはそのままホッタラカシにして、小林先生と真美ちゃんは、江ノ島の海に繰り出しちゃった。あたしは、1時間ほど前に、NHK総合テレビで、歌手の杏里が江ノ島をブラブラしてるとこを見てたから、「今夜はヤケに江ノ島づいてるな~」なんて思いつつ、楽しそうに磯釣りをする人たちを尻目に、プランクトンネットを投げて海中のプランクトンを採集する小林先生の「プランクトンネットさばき」に見惚れてた。
‥‥そんなワケで、2人は新江ノ島水族館へと向かい、相模湾のお魚たちや海藻類を見てから、スタジオに戻り、採集して来た植物プランクトンと動物プランクトンの顕微鏡写真を見せてくれた。プランクトンは、いろんな形のがいたけど、どれも「エヴァンゲリオン」の使徒みたいだった。で、ここからは後半の「地学の目」に突入したんだけど、前半の「生物の目」で小林先生が所望したキーワードが「スイゼンジノリ」だったのに対して、後半の「地学の目」で吉永先生が所望したキーワードは、鶏の「手羽先」の唐揚げだった。
それで、今度は、吉永先生と真美ちゃんが2人で、「手羽先」を食べてから、上野の国立科学博物館に恐竜の骨格標本を見に行ったんだけど、ここで、小型の恐竜が、「始祖鳥」を経て鳥へと進化したってことの証明として、食べた「手羽先」も「指の骨が3本」、恐竜の前足も「指の骨が3本」てことを照らし合わせてた。
今回の「地学の目」では、2億5000万年前の古生代と中生代の境の「PT境界」に、海の生物の95%が絶滅した生物大量絶滅があったこととか、生き残った生物たちが進化して数を増やしたのに、今度は、6500万年前の中生代と新生代の境の「KT境界」に、直径が10kmもある巨大な隕石が地球に激突して、それで舞い上がった粉塵が何ヶ月間も太陽の光をさえぎっちゃって、またまた数多くの生物が滅びちゃったこととかを教えてくれた。つまり、地球上に生物が誕生してから、今日までの長い長い歴史の中で、2回に渡る生物の大量絶滅があったってことで、今の地球にいる生き物たちは、その2回にも渡る天変地異をかいくぐって、必死に進化して来た生き物の子孫たちってことなのだ。
そう考えると、何千万年もの長い道のりを「命のバトンタッチ」をして来た生き物たち、たとえば、ドードー鳥やステラーカイギュウ、リョコウバトやヒースヘン、オオウミガラスやフクロオオカミ、そして、ニホンアシカをはじめとしたニポン固有の生き物たちが、昨日今日、地球の上にポッと出て来た「人間」なんかによって、アッと言う間に絶滅させられたことは、ホントに悲しいことだと思った。
ちなみに、植物の絶滅はもっと凄くて、1900年から2000年までのたった100年間で、ナナナナナント! 世界中で30万種もの植物が、人間の伐採や環境汚染によって絶滅してるのだ! これは、単純計算で、1日に4種、6時間に1種のスピードで絶滅し続けて来たってことで、もちろん、今も続いてる。だから、今日は地球のどこかに咲いてる花も、明日には絶滅して二度と戻って来ないって種が、4種類もあるってことなのだ。
‥‥そんなワケで、あたしが、今回の「理科総合」の最後の授業で、何よりも感動したのは、動物と植物との相互進化の過程だった。大昔の恐竜の時代の植物は、「裸子(らし)植物」って言って、草食恐竜に食べられるだけの一方通行の関係だったけど、恐竜が鳥へと進化して、昆虫なんかも増えて来た時代になると、植物も「被子(ひし)植物」へと進化して、「蜜を吸わせてあげる代わりに種を運んでもらう」っていう相互協力の関係が出来上がった。そして、次の時代には、小さな哺乳類が登場して、植物は果実をつけるようになり、果実を食べた哺乳類が、遠くに行ってフンをすると、そこから種が芽を出すようになった。つまり、まったく別の進化の過程をたどって来た動物と植物なのに、おんなじ地球上に生まれた「命」として、長い年月をかけて助け合うようになったってワケなのだ。なんて美しい進化なんだろう。自分たち以外の地球上の「命」を自分たちの都合だけで殺し続けて、それでも飽き足らずに、同族同士でも殺し合いをしてるような愚かな「人間」と比べると、道端の1本の雑草のほうが、その雑草にとまってる1匹のバッタのほうが、遥かに賢いように思えて来る今日この頃なのだ。
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