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2007.09.02

天高く馬肥ゆる秋

暦の上の「立秋」は、8月8日だったけど、ニポン各地で最高気温の新記録を更新しちゃった8月は、サスガに「秋」とは思えなかった。だけど、ここ数日、やっと過ごしやすい気候になって来たし、今日から9月ってことで、ようやく、秋の足音が聞こえて来たって感じがする。それで、「秋の足音」ってどんなのかな?って思うんだけど、「天高く馬肥ゆる秋」って言うくらいだから、やっぱり、「パカラン、パカラン、パカラン、パカラン‥‥」って音だったりして。そして、その馬に乗ってるのが、いつも眠そうな目のピーター・パカラン‥‥じゃなくて、ピーター・バラカンだったりして(笑)

 

で、「秋」って言えば、「新米」「新蕎麦」「新豆腐」「新生姜」「新胡麻」「新小豆」「新大豆」なんて言う俳句の季語があるように、お米も、おそばも、お豆腐も、ショウガも、ゴマも、アズキも、ダイズも、その年の新しいものが収穫されたり作られたりする。そして、他にも、いろんなお野菜や果物が収穫時季を迎えるし、いろんなお魚も水揚げされるから、「食欲の秋」なんて言われたりもする。ちなみに、「新酒」とか「新煙草」も秋の季語になってるけど、ニポン酒の「新酒」は、今は1月から2月にかけて仕込む「寒造り」が主流になったから、秋に「新酒」は出回らない。そして、タバコのほうは、昔みたいな健康的なキセルタバコじゃなくて、今のタバコは添加物だらけの発癌タバコだから、別に、1年中いつ吸ってもおんなじ味だ。

 

だけど、タバコみたいな害も無く、極めて健康的な平和主義者の嗜好品であるマリファナの場合は、去年の秋に収穫されたモノと、その年の秋に収穫された新モノとを比べると、明らかに差がある‥‥そうだ。やっぱり、新モノは、何よりも香りが良く、ノド越しも良く、主成分のTHCも飛んでないから、効き目にも差がある‥‥そうだ。レゲエのリリックに登場するマリファナの描写にも、秋のハーベストの素晴らしさを歌ったものが多いけど、これからは、「新大麻」ってのも秋の季語にして欲しいと思う今日この頃、皆さん、今年の夏は何かステキな思いでができましたか?

 

 

‥‥そんなワケで、「ゆつくりと雲ながれゆく新大麻 きっこ」なんて、さっそく1句詠んじゃったりしつつも、話はノッケからクルリンパと戻るけど、冒頭に書いた「天高く馬肥ゆる秋」ってのは、意味をカン違いしてる人がすごく多い。多くの人が、「秋になると、空も高くなるし、馬も肥えるし‥‥」って感じのホノボノとした牧歌的な風景を思い浮かべる。そして、「食欲の秋」や「実りの秋」なんかともイメージを重ねて、「馬も太るほど食べ物が美味しくなる季節」とか、「馬も太るほど農作物が豊作」とかってふうに感じてる人も多い。だけど、この「天高く馬肥ゆる秋」ってのは、ホントは恐ろしい意味があるのだ。

 

「天高く馬肥ゆる秋」ってのは、もちろん、中国から伝わって来たもので、もともとは、「秋至馬肥(しゅうしばひ)」って言葉だった。つまり、文字通りに読めば、「秋になると馬が肥える」ってことだ。そして、これが、そのうち「秋高馬肥(しゅうこうばひ)」って言葉に変わってニポンに伝わって来て、それがニポン人の感覚に合わせて「天高馬肥(てんこうばひ)」へと変化した。で、「秋至馬肥」にしても「秋高馬肥」にしても「天高馬肥」にしても、この漢字だけを見れば、「天高く馬肥ゆる秋」そのもので、別に深い意味はないように感じると思う。だけど、実際には、中国の北西部の農民たちの間に伝わってたコトワザで、恐ろしい遊牧騎馬民族の反乱を警戒するための言葉だったのだ。

 

紀元前5世紀ころから紀元後5世紀ころまでの約1000年の間、中国の北西部、今のモンゴル地方を中心にして、「匈奴(ふんぬ)」って言う遊牧騎馬民族が一大勢力を誇って支配してた。ちなみに、この「匈奴」ってのも、今の「支那」とおんなじように「差別語」に入れられてんだけど、「支那」に対する「中国」みたいな代替語がないから、仕方なく「匈奴」って言葉を使わせてもらう。あたしは、普通に「中国」って言えばいいものをわざわざ「支那」って言葉を選んで多様してる一部の右側に偏ったクルクルパーどもとは違うから、あたしが「匈奴」って言葉を使うのは、差別することが目的じゃなくて、正しく伝えるための選択だ。

 

で、その「匈奴」だけど、毎年、秋の収穫シーズンになると、漢の国の農村を襲撃して、略奪行為を繰り返してた。それで、紀元前100年くらいの時に、当時の漢の国の皇帝が、「匈奴」を討伐するために軍隊を送り込んで、何とか制圧することに成功した。だけど、これは、一時的なもので、この皇帝がが亡くなると、「匈奴」はまた反乱を起こすようになった。それで、また次の皇帝が軍隊を使って「匈奴」を討伐するんだけど、「匈奴」のほうもチャンスを見計らっては反乱を起こしたり、秋の収穫シーズンになると漢の国の農村を襲撃したりすることの繰り返しで、ニポン語で言えば「いたちごっこ」、英語で言えば「ラットレース」、ミスチル語で言えば「シーソーゲーム」ってワケで、なかなか収拾がつかなかった。

 

‥‥そんなワケで、いくら討伐しても、また秋の収穫シーズンになると、「匈奴」が反乱を起こしたり襲撃して来たりするので、それに注意しろって意味で、当時の漢の国の将軍の1人が、「秋に至りて馬肥ゆれば、変、必ず起らん」って言ったのだ。もちろん、「変」て言っても、全裸の上にコートを羽織った変質者が出没するってことじゃなくて、ニポンで言えば、「本能寺の変」とか「桜田門外の変」みたいな「変」、つまり、「反乱」のことだ。それで、この将軍の言葉から「秋至馬肥」ってコトワザが生まれて、「秋になって馬が肥えるころになると、いつ匈奴のヤツラが襲って来るか分かんないから、みんな気をつけろ!」っていう警告の意味として、中国の北西部の農民たちの間で使われるようになったってワケだ。

 

だから、「食欲の秋」で、何でも美味しくて、ついつい食べすぎて太っちゃった女性が、お友達とかに「少し太ったんじゃない?」なんてプチツッコミを入れられちゃった時に、そのイイワケとして、「だって、天高く馬肥ゆる秋って言うでしょ?」なんて言うのは、まったく使い方がおかしいってことになる。そうじゃなくて、その女性が、ついつい食べすぎて太っちゃったことによって、カレシが別の女性と浮気を始めたりして、そっちの女性のほうがカレシの本命になりつつある状態の時とかに、「天高く馬肥ゆる秋って言うくらいだから、敵はすぐ近くまで来てるかもしんないから、あたしもオチオチしてらんない!」とかって使い方をすべきなのだ。

 

だけど、現実には、季節の言葉に敏感じゃなきゃいけない俳人でも、この「天高く馬肥ゆる秋」って言葉のホントの意味を知らずに、ホノボノとした秋の風景のことだと思い込んでる人もいっぱいいる。だから、「馬肥ゆる」って季語を使った著名俳人の句を調べると、その多くが、ノンキな秋の景色を詠んでたり、酷いものになると、「食べ過ぎて自分も太っちゃった」なんて句意のものまで存在してるのだ。季語の本意も知らずに作ったものなど、とても俳句とは呼べない。

 

‥‥そんなワケで、この「天高馬肥」のように、中国から伝わって来たコトワザには「馬」が使われてるものがいくつかあるんだけど、その代表選手みたいなのが、誰でも知ってる「馬耳東風」だろう。だけど、この「馬耳東風」も、中国で最初に作られた時の意味とはリトル変わっちゃって、今のニポンでは、多くの人が、「馬の耳に念仏」や「猫に小判」や「豚に真珠」や「アベシンゾーに正論」とおんなじで、「やってもムダなこと」って意味だと思い込んでる。だけど、これも、完全な間違いじゃないんだけど、最初に作られた時とは、ちょっとニュアンスが違うのだ。

 

で、この「馬耳東風」ってのは、大酒飲みのスーパー詩人、李白(りはく)の次の詩が原典なんだけど、漢字だけじゃ分かんないと思うから、痒いとこに猫の手が届く「きっこ訳」もつけておく。

 

 

 吟詩作賦北窓裏

 

 萬言不直一杯水

 

 世人聞此皆掉頭

 

 有如東風射馬耳

 

 

私のような詩人は、北窓のところで、韻を踏んだ詩を作り続けてる。
でも、どんなに素晴らしい言葉をいくつ重ねても、それは1杯の水にも値しないのだ。
なぜかというと、世の中の人たちに詩を聞かせても、みんな頭を振るだけだからだ。
所詮、世の中の人たちにとっての詩など、馬の耳を春風が抜けて行くようなものなのだ。

 

 

‥‥それで、この詩では、「馬耳東風」じゃなくて「有如東風射馬耳」ってなってるけど、これを元ネタにして「馬耳東風」って言葉を作ったのが、「きっこの日記」ではオナジミの蘇東坡(そとうば)だ。蘇東坡に関しては、2006年3月5日の日記、「春の宵にはぶらんこを」に詳しく書いてあるので、まだ読んでない人で興味のある人は過去ログを読んでもらうとして、ここではサクッと進んじゃうけど、蘇東坡は、李白の詩の言い回しを取り入れて、こんな詩を作った。

 

 

 青山自是絶世

 

 無人誰与為容

 

 説向市朝公子

 

 何殊馬耳東風

 

 

大自然の山々というものは、何ものにも代えがたい絶世の美しさがある。
でも、いったい誰と一緒にこの美しさを讃えれば良いのだろう。
なぜなら、この美しさを詩にして町の若者たちに語り聞かせたところで、
どうせ馬耳東風なんだから。

 

 

‥‥って、ここで初めて「馬耳東風」って言葉が登場するワケで、さらには、「馬の耳を春風が抜けて行くようなもの」っていう李白のような「言い回し」としてじゃなくて、すでに「馬耳東風」っていう完成した形としての登場なのだ。だから、ものすごくフランク・ザッパに言うと、李白が700年代、蘇東坡が1000年代だから、今から1300年くらい前に元ネタができて、1000年くらい前に「馬耳東風」って言葉が完成したってことになる。

 

で、その意味だけど、李白と蘇東坡の詩の訳を読めば分かるように、「美しいものに目を向けようとしない人々、素晴らしい詩に耳を傾けようとしない人々への嘆き」をベースにしてて、そこから、目を向けようとしない人々のことを「馬の耳に吹く春風」に喩えてるってことが分かると思う。つまり、今、言われてるような、「馬の耳に念仏」や「アベシンゾーに正論」のような「言ってもムダ」って意味ともリトル違うし、「猫に小判」や「豚に真珠」のような「その価値が分からない」って意味ともリトル違う。どっちも、雰囲気としては近いっちゃ近いんだけど、原典に沿って正確に言えば、「最初から興味を持ってない」、つまり、「食わず嫌い」って意味になる。

 

李白の詩を例にして「美しい景色」で言うと、「馬の耳に念仏」ってのは、実際にその「美しい景色」を見せたのに、その眼前の景色が目に入らない「鈍感な人間」てことになる。そして、「猫に小判」ってのは、実際にその「美しい景色」を見せたのに、その景色は見えてるんだけど、その美しさ、素晴らしさが理解できない「価値観の違う人間」てことになる。だから、ビミョ~に違うけど、ほぼおんなじな意味で、何よりの共通点は、その景色を一応は「見て」から反応してるってことだ。

 

だけど、「馬耳東風」の場合は、この「馬耳東風」って言葉だけを単体で見れば、「馬の耳に念仏」と変わんないように思えるけど、李白や蘇東坡の詩の「馬耳東風っていう結論に行き着くまでの流れ」も踏まえて解釈すると、「美しい景色を見ようともしない人間」ていう大前提があった上で、「だから、たとえ見せたとしても、その美しさは理解できないだろう」ってことになる。

 

前にも書いたことがあるけど、「井の中の蛙、大海を知らず」ってコトワザは、狭い井戸の中から出たことのないカエルは、その井戸の中だけが全世界だと思ってて、自分は世の中のことは何でも知ってるんだと思い込んでる。だけど、実際には、まだまだ知らない世界があるんだよ‥‥って意味だと思われてて、ようするに、自分の力を過信してる人や、世間知らずなのにそれに気づいてない人に対して使うコトワザだと思われてる。だけど、実際には、このコトワザには続きがあって、「井の中の蛙、大海を知らず。されど、空の深さを知る」っていうのがモトモトの形なのだ。だから、ホントは、「狭い場所で1つのことだけをしていた人は、それ以外の世界のことは知らないけど、自分の専門の分野に関しては誰よりも詳しい」って意味なのだ。

 

だから、「馬耳東風」も、この部分だけを単体で考えたら「言ってもムダ」ってだけの意味になっちゃうけど、その前提までを踏まえた上で考えると、「言ってもムダだと推測されるほど、その対象に興味を持ってない人」って意味になる。もちろん、この「馬耳東風」って言葉は1人歩きしてて、すでに「馬の耳に念仏」とおんなじ「言ってもムダ」って意味として広く認識されちゃってるから、完全に間違いだってことが明白な「天高く馬肥ゆる秋」のように、厳しくツッコミを入れる必要はない。だけど、常に原典を知って、こうしたビミョ~なニュアンスの違いにコダワリを持つことも、ケッコー大切なことだったりする。

 

‥‥そんなワケで、「天高く馬肥ゆる秋」って言葉が出来たのは、秋になるとモンゴルの恐ろしい騎馬民族が漢の国を襲撃して、荒稼ぎするってことに対する警告だったワケだけど、この言葉が出来てから2000年も経った現代では、モンゴルの恐ろしい出稼ぎ力士がニポンへ荒稼ぎに来て、稼ぐだけ稼いだら、秋には仮病を使ってモンゴルへと帰って行くようになった。だから、現代風に言えば、「天高く朝青龍肥ゆる秋」ってワケで、あれほどニポンをバカにしてる出稼ぎ力士なんかには何を言ったって「馬耳東風」なのに、ニポンの相撲界は、いったいいつまでくだらない茶番劇を続けてるんだろう?‥‥なんて思う今日この頃なのだ。

 

 

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