秋の風邪
今回、あたしは、もともと体調を崩して体力が落ちてたとこに、さらに風邪を引いちゃったもんだから、その相乗効果で、ものすごいダメージを受けちゃった。「体調を崩して体力が落ちてた」を5ポイントだとして、「風邪を引いちゃった」も5ポイントだとすると、「5+5=10」ってことじゃなくて、「5×5=25」って感じだったワケだ。「だった」って言うか、今もだけど(笑)
それにしても、「風邪」って言えば「冬」ってワケで、俳句でも冬の季語になってる。そして、春に引く風邪は「春の風邪」だし、夏に引く風邪は「夏風邪」だし、この2つもそれぞれの季節の季語になってる。例をあげると、こんな句がある。
【冬】 風邪の身の大和に深く入りにけり 波多野爽波
【春】 どんよりとまんばうのゐる春の風邪 奥坂まや
【夏】 がき大将のふぐり小さし夏の風邪 坂本みどり
ちなみに、最初の波多野爽波の句は、大和(やまと)、つまり、かつての都だった奈良県の中心へと風邪気味の体で向かって行ったってことだ。そして、2番目の奥坂まやの句は、「まんばう」ってのはお魚の「マンボウ」のことで、実際に水族館で巨大なマンボウの泳ぐ姿をボーッと見てたと解釈してもいいし、風邪を引いてベッドで横になってたら、目の前にマンボウが浮かんでるような気がして来たって解釈してもいい。ようするに、本格的な冬の風邪とは違う、頭がボーッとするだけの春の風邪のドンヨリ感を表現してるってワケだ。そして、最後の坂本みどりの句は、「ふぐり」ってのはオチンチンの下についてるオイナリサンのことで、いつもは威張ってるガキ大将のクセに、あんがい可愛らしいオイナリサンなんだな~って感じの今日この頃、皆さん、やっぱオイナリサンは2個で1セットだと思いますか?(笑)
‥‥そんなワケで、競馬好きのシーモネーターで始まっちゃったけど、「風邪」って言えば「冬」で、他にも「春の風邪」と「夏風邪」があって、ちゃんと季語にもなってるのに、「秋の風邪」だけはない。歳時記を見ても、どこにも載ってないし、一般的にも、「秋の風邪」とか「秋風邪」なんて言葉は耳にしない。つまり、「風邪」ってのは、引く人が一番多いのが「冬」で、他に「春」と「夏」にもそれなりに引く人はいるけど、とにかく「秋」は一番少ないってワケだ。それなのに、その「秋」に風邪を引いちゃったあたしって、有袋類みたいな珍獣なのかな?‥‥なんて思ってたら、意外なことに、今、あたしの周りでは、風邪を引いてる人が多い。それも、ほとんどの人が、なかなか治らなくて、1週間も2週間もズルズルと長引いてる。
あたしとおんなじくらいのタイミングで風邪を引いて、あたしとおんなじようにゲホゲホとセキが止まんない症状が続いてて、今もそれが続いてんのが、児島玲子ちゃんだ。玲子ちゃんのオフィシャルサイトの「ダイアリー」にも、風邪なのにムリして釣りのお仕事に行ってるお話が連続してるけど、ついに、玲子ちゃんのお父さんも風邪を引いちゃったみたいだ。玲子ちゃんも玲子パパも風邪引いてたら、プードルのプリンくんは大丈夫だろうか?‥‥なんてことも言ってみつつ、玲子ちゃんの場合は、あたしとは比べ物になんないほど基礎体力があると思うけど、それでも、風邪を引いた状態で、長時間の運転をしたり、船に乗って沖に出たりしてるのは、すごく心配だ。
それで、数日前の玲子ちゃんからのメールには、最後に、「風邪ひいちまってダルダルダルメシアンです( ̄○ ̄;)」って書いてあったから、あたしも何とかおんなじパターンで返そうと思って、必死に考えたんだけど、風邪でボーッとしてる脳みそじゃ、「ダル」で始まる言葉は、巨大な「ふぐり」の持ち主、「ダルビッシュ」しか思いつかなかった。それで、「あたしも風邪でダルダルダルビッシュです」ってのもナンダカナ~?って思ったので、やっぱ、犬には犬で返さなきゃって思って、「あたしも風邪ひいちゃって、ダルダルダックスだよ(T~T)」ってしてみたんだけど、送信してから、「ダメだ、こりゃ!」って思って後悔した。それも、激しく(笑)
‥‥そんなワケで、玲子ちゃんの他にも、あたしの周りの何人かの人たちが風邪を引いてて、みんなセキがひどくて、ゲホゲホやってて、その上、なかなか治らない。だから、あたしだけが特別なんじゃなくて、今、世の中には、風邪が流行ってんのかもしんない。でも、もしもそうだとすると、俳句的にも、一般的にも、四季の中で一番「風邪発生率」が低いハズの秋だってのに、今年は例外なんだろうか?
だけど、「昔っから秋に風邪を引く人は1人もいない」ってことじゃなくて、何人もいたワケだ。「何人も」って言うか、全国的に見れば、きっと、何万人とか何十万人とかいるワケで、単に「他の季節よりは少ない」ってだけのことだと思う。玲子ちゃんの場合も、春から夏の終わりにかけて、ほとんどお休みなしでアチコチを飛び回ってるから、毎年、今ころの時季になると、夏の疲れがドッと出て、風邪を引いちゃったりすることが多いみたいだ。それで、あたしは、「秋の風邪」って季語がない俳句の世界の人たちは、秋に風邪を引いたらどうするんだろう?って思って、ちょっと調べてみたら、こんな句を発見した。
立秋や納戸に捜る葛根湯 寺田寅彦
まあ、この句の場合は「立秋」って言ってんだから、「8月8日ころ」ってワケで、どっちかって言ったら「夏風邪」のハンチューっぽいけど、細かいとこに目をつぶれば、一応は「秋の風邪」ってことになる。で、どこにも「風邪」なんて書いてないのに、何でこの句が風邪の句なのかって言えば、そりゃあ風邪薬の代名詞みたいな「葛根湯」を探してるからで、カタカナで「カッコントー」って書くと、なんか「オッパッピー」みたくなっちゃうけど、ちゃんと漢字で書いてあるから、いかにも風邪に効きそうな雰囲気がマンマンだ。
‥‥そんなワケで、この葛根湯ってのは、「葛(くず)の根の湯」って書いてあるから、「葛の根っこを粉にしたもので、それをお湯に溶かして飲む」って思ってる人もいると思うけど、葛根湯には、葛の根っこを粉にした「葛根(かっこん)」だけじゃなくて、全部で7種類の生薬が入ってる。それは、マオウっていう草を粉末にした「麻黄(まおう)」、肉桂(にっけい)の木の皮を粉末にした「桂皮(けいひ)」、シャクヤクの根っこを粉末にした「芍薬(しゃくやく)」、カンゾウの根っこを粉末にした「甘草(かんぞう)」、ショウガを粉末にした「生姜(しょうきょう)」、ナツメの実を粉末にした「大棗(たいそう)」だ。それで、葛根を6、麻黄を4、桂皮を4、芍薬を3、甘草を2、生姜を1、大棗を3の割合で混ぜたものが「葛根湯」ってワケだ。だから、厳密に言うと、葛根湯の中に「葛根」は、23分の6、つまり、約4分の1しか入ってないワケで、残りの約4分の3は、「その他モロモロ」ってワケだ。
ちなみに、肉桂ってのはニッキのことだから、ニッキ味の飴とかを舐めても効果があると思うし、ショウガはスーパーに売ってるし、甘草はお砂糖の代わりにいろんな食品の甘味料として使われてるし、シャクヤクやナツメも簡単に手に入るから、自分で7種類の材料を集めて、自家製の葛根湯を作ることもできそうだ。メインの葛は多摩川の河原とかにも生えてるし、スーパーとかに行かないで、全種類を山や河原で探して集めたら、なんか、ドラゴンボールを集めるみたいで楽しいかもしんない。
で、この葛根湯は、約1800年前の中国の後漢の時代の医学書、「傷寒論(しょうかんろん)」や「金匱要略(きんきようりゃく)」に、すでに紹介されてる。だから、少なくとも、2000年くらいの歴史があるんだと思う。そして、そんなお薬が、科学の進歩した現代でも日常的に使われてるんだから、古代の人たちの知恵って、ものすごかったんだと思う。それで、この葛根湯ってのは、今じゃ風邪薬の代名詞みたいに言われてるけど、ホントは、もっといろんな病気に効果がある。たとえば、メインの成分の「葛根」は、解熱作用や発汗作用の他に、専門用語で書かれたものを丸写しすると、「内臓平滑筋の収縮・緊張を緩解し、それによる痙攣(けいれん)性疼痛を除く作用」ってのがあって、チョー簡単に言うと、肩こりとかにも効くみたいだ。
そして、他の6種類の生薬にも、それぞれ、風邪以外にも効く作用がある。だから、葛根湯は、風邪以外のいろんな病気にも効果があるし、どこも悪くない人でも、定期的に葛根湯を飲んでれば、グッスリと眠れたり、疲れが溜まらなくなったり、いつもより体調が良くなったりすることもあるワケだ。落語の有名な枕噺(まくらばなし)で、「葛根湯医者」ってのがあって、頭が痛い患者さんにも、お腹が痛い患者さんにも、目が痛い患者さんも、どんな病気の患者さんにも葛根湯を出しちゃう。それで、しまいには、付き添いで来た人にまで葛根湯を薦めちゃうってオチで、この枕噺のお医者さんは、「誰にでも葛根湯しか処方しないヤブ医者」ってことになってる。
だけど、これは、「葛根湯がいろんな病気に効く薬」っていう前提のもとに作られた枕噺なんだから、そう考えれば、「葛根湯は風邪薬」っていう一般的な認識のほうが間違ってるってことになる。これは、ちゃんと、医学的にも効果が証明されてるんだけど、葛根湯は、風邪の他にも、肩こり、神経痛、リウマチ、五十肩などから、鼻炎や蓄膿症、そして、じんま疹や湿疹、帯状疱疹(たいじょうほうしん)などにも良く効くそうだ。だから、ワキ腹に帯状疱疹ができて難儀してた柳家小袁冶師匠も、もう全快したそうだから今んとこ必要はないと思うけど、師匠のブログ、「日刊マックニュース」を読むと、ジャイアンツのリーグ優勝で飲みまくってるみたいだから、体調を崩して、またまた帯状疱疹ができちゃうかもしんない。その時には、ぜひ葛根湯を飲んで治してもらって、臨場感あふれるニューバージョンの「葛根湯医者」を披露していただきたい(笑)
‥‥そんなワケで、話はクルリンパと戻って、葛根湯は7種類の生薬で作られてるってことだけど、この「7種類の生薬」って部分で思い出すのが、七味唐辛子だ。実は、この七味唐辛子も、もともとは風邪薬として調合されたもので、江戸時代、寛永2年(1625年)に、江戸は両国の薬研堀(やげんぼり)で、初代の「からしや徳右衛門」が売り出した。この薬研堀の「薬研」てのは、漢方薬の原材料を細かく挽くのに使う器具のことで、この名前からも分かるように、薬研堀ってのは、お医者さまとか生薬の問屋さんとか薬屋さんとかが集まってる町だった。だから、日夜、いろんな薬屋さんが、いろんな生薬を調合して、新しいお薬を開発してた。
それで、発汗作用のある唐辛子をメインにして、そこに、黒ゴマとか、マリファナのタネとか、ケシのタネとか、ニポン人が古来から大切に守って来たニポンの文化を6種類ほどブレンドして出来上がった風邪薬が、七味唐辛子ってワケだ。ちなみに、今でも、七味唐辛子を売る時の口上の中に、「陳皮(ミカンの皮)は江戸時代の風邪薬」ってフレーズが出て来るけど、詳しくは、2004年11月18日の日記、「七味唐辛子売り」に書いてあるので、興味のある人は読んでみてちゃぶだい。あたしの考えた口上もあるし。
で、風邪のことを「カゼ」って呼ぶようになったのも江戸時代あたりからで、それまでは、「シワブキヤミ」って呼ばれてた。「シワブキ」ってのは咳のことで、ゲホゲホと咳が出る病気だから、「咳病」と書いて「シワブキヤミ」って呼ばれてた。「源氏物語」の中にも、咳の出る病気として「しはぶきやみ」って書かれてるし、「風邪」って言葉はまだ出て来ない。だけど、平安時代の歴史書、「増鏡(ますかがみ)」の中には、862年に「しはぶきやみはやりて人多く失せたまふ」って書かれてるから、これは風邪じゃなくてインフルエンザのことだと思う。風邪もインフルエンザも、咳が出たり熱が出たりっていう症状が似てるから、昔は、インフルエンザは「風邪の強力なヤツ」って思われてたんだろう。
風邪のことを「カゼ」って呼ぶようになった江戸時代にも、強力なインフルエンザが大流行して多くの人が亡くなったことが何度かあって、当時は、その病気のことをその時に流行ってたものの名前で呼んだりしてた。たとえば、享保12年(1727年)に、江戸の新材木町の材木商、白子屋庄三郎の養子、又四郎の奥さんの「お熊」が、「忠七」っていう使用人とデキちゃって、ジャマになった自分のダンナの又四郎を2人で殺そうとした事件があった。で、2人は逮捕されて、大岡越前守の裁きを受けて、「町内引き回しの上、獄門」ていう、時代劇そのまんまの結果になっちゃったんだけど、この出来事が、50年後の安永4年(1775年)に、「恋娘昔八丈」っていう浄瑠璃の演目として蘇り、大ヒットしちゃった。もちろん、そのまんまの名前じゃマズイから、「お熊」は「お駒」、「忠七」は「才三」って名前に変えて演じられたので、この演目のことを別名「お駒才三」とも呼んでる。
とにかく、自分のとこの使用人とデキちゃった奥さんが、2人でダンナさんを殺そうと企むなんて、愛欲の果てのドロドロストーリーってワケで、今で言えば、平日の午後1時半からやってるフジテレビの昼ドラみたいなノリで、何度も繰り返して上演されるほど大ヒットした。そして、翌年には狂言にもなって、中村座で上演されて、さらに大ヒットしちゃった。当時の中村座の看板女形、瀬川菊之丞がお駒を演じたため、江戸中が「お駒ブーム」になっちゃったんだけど、この年の2月に、ものすごく強力なインフルエンザが大流行して、多くの人が亡くなった。それで、町の人たちは、この年のインフルエンザのことを「お駒風邪」って呼ぶようになった。
‥‥そんなワケで、安永5年(1776年)の「お駒風邪」から12年後の天明4年(1784年)にも、またまた強力なインフルエンザが大流行して、多くの人が亡くなったんだけど、この時のインフルエンザのことは、「谷風邪」って呼ばれてる。これは、当時の最強の横綱、二代目「谷風」が、「土俵上でワシを倒すことなどできぬ。ワシが横になっているところを見たければ、ワシが風邪を引いた時に見に来い」って言ったことから、この名ゼリフを言った年に大流行したインフルエンザのことを「谷風邪」って呼ぶようになって、それからしばらくは、どんな「風邪」のことでも「谷風邪」って呼ぶようになった。
二代目「谷風」は、身長189cm、体重169kgで、現代でも巨漢だけど、現代より国民の平均身長が10cm以上も低かった江戸時代なんだから、庶民からは大巨人だと思われてただろう。そして、連戦連勝の無敵の強さを誇ってるのに、病気の母親を持つ力士と戦う時には、ワザと負けて相手に懸賞金を与えるっていう心やさしい一面もあったそうだ。もちろん、これだって八百長には変わりないけど、当時の人たちは、今の人たちよりも遥かに義理人情に厚かったから、こうした八百長は、ブーイングどころか、美談として賞賛されたのだ。そして、ただ単に強い横綱ってことじゃなくて、こんな心やさしい一面も持ってたから、多くの人たちから愛され、尊敬されてた。
だから、インフルエンザが大流行してた時に、「ワシを倒せるのは風邪くらいだ」的なことを言ったもんだから、そのセリフも大流行しちゃって、挙句の果てには、風邪のことを「谷風邪」って呼ぶほどになっちゃったのだ。ちなみに、この谷風は、この名ゼリフを言ってから11年後の寛政7年(1795年)、45才で亡くなったんだけど、皮肉なことに、死因は、その年に大流行したインフルエンザ、「御猪狩風邪」だった。
江戸時代には、他にも、「八百屋お七」の小唄が流行した年のインフルエンザのことを「お七風邪」って呼んだり、当時は外国だった沖縄(琉球王国)の使いの人たちが来朝した年のインフルエンザのことを「琉球風邪」って呼んだり、いろんな名前がつけられて来た。だから、普通は風邪なんか引かないハズの「秋」なのに、こんな時季に風邪で具合が悪くなってるあたしとか、玲子ちゃんとか、他にも、今、風邪を引いてる情けない人たちのために、「谷風邪」にあやかって、今の風邪に「時津風邪」って名前をつけようと思うんだけど、どうだろう?(笑)
‥‥そんなワケで、人類の歴史上、最大のインフルエンザって言うと、大正7年(1918年)から翌年にかけて、世界中で大流行した「スペイン風邪」だ。当時の世界の人口は、約10億人だったんだけど、全世界で6億人が感染した。つまり、地球上の人類の半分以上が感染したってワケで、そのうちの約5000万人が死亡した。ニポンは、人口が約5500万人だったうち、約40万人が亡くなったから、人口が2倍以上になった今で言えば、100万人くらいの人が亡くなったことになる。それで、この「スペイン風邪」は、発生したのはアメリカのシカゴなんだけど、武器を売るために世界中で戦争を起こして、世界中に迷惑をかけまくってるアメリカ人のセイで、こんな大惨事になっちゃったのだ。なんでかっていうと、当時のアメリカ軍がヨーロッパ戦線に参加するために大部隊でヨーロッパに遠征して、それをキッカケにして、アメリカ国内だけの病気だったものが、全世界へと拡散しちゃったからだ。サスガ、先住民族のインディオたちからアメリカ大陸を略奪したほどのアングロサクソンは、やることがデッカイ。戦争に行ったついでに、強力な生物兵器まで持ち出して、全世界で5000万人も殺しちゃったんだからね。だけど、今や、このニポンも、そんなアメリカの殺戮行為に、莫大な税金を使って「給油」なんかして加担しちゃってんだから、風邪じゃなくても熱が出て来ちゃいそうな今日この頃なのだ。
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