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2008.01.18

掛鳥の鮭

今日、1月17日は、阪神淡路大震災が起こってから13年目にあたる日だ。あたしは、徹夜で俳句会の原稿のマトメ作業をしてたので、明け方の5時46分に、1分間の黙祷をした。去年の1月17日の日記、「地震百句」では、震災時に神戸に住んでいた俳人、渡辺夏紀さんの「地震(ない)百句」という手製の句集を紹介したけど、風の便りで聞いたところによると、その渡辺夏紀さんも、去年、お亡くなりになったそうだ。


震災で亡くなられた方々とともに、渡辺夏紀さんのご冥福を心よりお祈りいたします。


‥‥で、いくら俳人の平均年齢が若くなって来たとは言え、やっぱり俳人にはご高齢の方々も多いので、俳句をやってると、たくさんの別れを経験する。そして、自分の俳句仲間だけじゃなく、こっちが一方的に知ってるだけの著名俳人ともなれば、毎年のように、俳壇の重鎮が数人ずつ亡くなって行く。ここ数年を見ただけでも、能村登四郎さん、鈴木真砂女さん、原子公平さん、桂信子さん、飯田龍太さん、鈴木六林男さん、三橋敏雄さん、小川双々子さん、加藤三七子さん、横山房子さん、田中裕明さん、大島民郎さん、成田千空さん、福田甲子雄さん‥‥と、あたしの大好きな俳人が立て続けに亡くなられた。そして、去年は、あたしのもっとも尊敬してた川柳の第一人者、時実新子さんも亡くなられた。

この中には、あたしが実際にお会いしたことのある人も何人かいるけど、それぞれが雲の上の人だっていうだけじゃなくて、昭和の俳壇を支えて来た偉大な人たちだ。そして、俳壇的にマニアックなことを言うと、鈴木六林男さんと三橋敏雄さんが亡くなられたことが大きい。それは、この2人と、故・佐藤鬼房さんの3人が、西東三鬼(さいとうさんき)の流れをくむ大御所だったから、これで、三鬼を師事した三本柱がすべて亡くなってしまったことになるからだ。ちなみに、少しでも俳句をかじってれば、西東三鬼を知らない人はいないけど、俳句に興味がなくて知らなかった人は、次の3句が三鬼の代表句なので、覚えとくとセンター試験で得するかもしれない。


 おそるべき君等の乳房夏来たる  三鬼

 露人ワシコフ叫びて石榴(ざくろ)打ち落す  〃

 水枕ガバリと寒い海がある  〃


‥‥そんなワケで、今日は、亡くなられた人たちのことをマクラにしたから、「いかがお過ごしですか?」は割愛したけど、この西東三鬼の弟子の1人、鈴木六林男(むりお)さんが亡くなられたのは、今から3年前の平成16年12月12日、享年85の大往生だった。


 天上も淋しからんに燕子花(かきつばた)  六林男


そして、年が明けた平成17年の2月、角川の月刊誌、「俳句」の3月号に、茨木和生さんの「年の暮」っていうタイトルの21句が掲載された。鈴木六林男さんと交流のあった茨木和生さんは、この「年の暮」の中で、次の句を詠んでいる。


 煤逃げの呑屋に六林男来てをらず  和生


「煤逃げ」っていうのは、年末の大掃除の「煤払い」をしてる時に、大掃除に加わってないダンナ様とかが、ホコリだらけになる自宅から逃げて、別の場所へ行くことを指す年末の季語だ。つまり、和生
さんは、昼間の早い時間から開いている近所の飲み屋さんを時々利用してて、今まで、そのお店で、六林男さんと何度も顔を合わせていたのだ。だけど、この年は、12月12日に六林男さんが亡くなってしまったから、この日は来てなかった‥‥っていう句だ。

なんて切ない句なんだろう。書かれてる言葉の表面だけをなぞれば、「家で大掃除をしてるから、近くの飲み屋さんに逃げて来たら、いつもいる知り合いが今日は来てなかった」っていうだけの意味しかない。だけど、俳句は、書かれてる17音の言葉を読むんじゃなくて、その17音の向こう側にある世界を感じ取るものなのだ。この句の向こう側には、毎年この時季に顔を合わせてた人と、もう二度とこのお店で顔を合わすことはない、もう二度と会うことができない‥‥っていう、何とも言えない切なさがある。

自分の大切な友人や先輩が亡くなった時に、「悲しさ」という人間の感情を丸出しにして歌うのが短歌なら、あくまでも客観的に状況だけを写生して、その言葉の向こう側にある「悲しさ」は、読み手の感性に委ねてしまうのが俳句だ。短歌は、作者の思いをすべて直球で言い尽くしてしまうから、果てしなく悲しい。俳句は、作者の思いは言わずに、読み取れる人にだけ感じてもらうものだから、果てしなく切ない。そして、あたしは、「悲しさ」よりも「切なさ」のほうが好きだから、俳句を選択してる。

‥‥そんなワケで、茨木和生さんの「年の暮」の中には、他にも六林男さんへの追悼句がいくつか含まれてるけど、追悼句ってものは、あんまり他人がアレコレと解説するもんじゃない。だけど、せっかく俳句の話題の日なんだから、ここらでリトル車線変更して、別の一般句を鑑賞してみる。


 鼻曲りゐず掛鳥の鮭どれも  和生


「掛鳥(かけどり)」ってのは、「掛け物」とも呼ばれてて、おん祭(春日若宮祭礼)への奉納品のことだ。おん祭は、祭自体の規模もさることながら、その準備が大掛かりで、12月15日の大宿所の御湯立(みゆだて)からが本番になるんだけど、その1ヶ月以上も前から準備が行なわれる。で、ここでは省略するけど、その「1ヶ月以上も前からの準備」ってのも、ただ単にダダーッて準備すればいいワケじゃなくて、ひとつひとつが古くからの伝統にのっとって行なわれるから、とにかく時間と手間が掛かる。それで、準備期間の終盤には、これだけでもひとつのお祭みたいな規模の盛大なお餅搗きが行なわれる。そして、そのお餅搗きの日から3日間をかけて、色々な奉納品が納められるんだけど、これを「掛鳥」と呼ぶワケだ。

もともとは、大和に所領を持つ領主たちが、おん祭りに奉仕するために、その所領高に応じて、色々な物を奉納してた。江戸時代には、雉(きじ)、狸(たぬき)、兎(うさぎ)の3種類が掛鳥のメインになってて、「郡山藩は雉200羽」ってふうに命令されて、領主は、それなりの掛鳥を納めなくちゃならなかった。もちろん、領主が自分たちで雉狩りや狸狩りをするワケじゃなくて、お金を払って、町の商人に揃えさせたのだ。だから、お金を出す領主も大変だったけど、誰よりも大変だったのは、膨大な数の掛鳥を揃えなくちゃなんなかった商人たちだった。

たとえば、元禄13年には、「雉が1260羽、狸と兎が140匹ずつ」って記録が残ってるんだけど、いくらお金をもらっても、これだけの数を一度に揃えるのは、とても大変だったハズだ。それに、現代みたいに冷凍して保存しとけるなら、何ヶ月も前から狩りをすればいいワケだけど、いくら冬とは言え、冷凍庫なんかなかった時代だから、あんまり早くから狩りを始めると、せっかくの獲物が腐っちゃう。事実、この元禄13年の記録にも、「雉43羽、狸12匹が、腐って使いものにならなかった」ってことが記されてるのだ。

そして、こんなふうにして集められた掛鳥は、大宿所に掛けられたり、大宮、若宮、手向山八幡などに供えられて、祭礼が終わると、他の奉納品と一緒に、奈良奉行所や御師の祢宜(ねぎ)、町人たちへ配ってたそうだ。だから、今の政府みたく、国民から巻き上げた税金を自分たちだけで好き勝手に使いまくって、国民にはほとんど還元しないのと比べたら、ぜんぜんマシだったワケだ。

‥‥そんなワケで、あたしは、現在の掛鳥の状況は知らなかったけど、この和生さんの句から、現在では、雉や狸や兎に代わりに、鮭が納められているってことを知った。そして、「鮭どれも」って描写から、たくさんの鮭が掛けられている様子や、「鼻曲がりゐず」と言う描写から、最高級の新巻鮭じゃなくて、ちょっと小ぶりの鮭を思い浮かべて、自民党の悪政による景気の悪さも感じることができた。

鮭は、産卵のために、毎年9月から翌年の1月にかけて、自分の生まれた川に戻って来るんだけど、この時季、オスの鮭だけが上アゴが曲がっているため、「鼻曲がり」って呼ばれる。この「鼻曲がり」は、「秋味(あきあじ)」とも呼ばれて、川を上る前に、沖合いの定置網で獲れたものが、脂が乗ってて最高級とされてる。鼻の曲がっていないメスは、お腹の卵に栄養を取られちゃうから、そのぶん、身の味が落ちちゃうんだけど、鼻曲がりのオスは、体中に栄養を蓄えているのだ。

ちなみに、最近の新巻鮭は、早い時季に獲れた鼻の曲がっていないものを使うことが多く、甘塩で仕上げてあるものが多いので、鮭の旨味が出ていない。やっぱり、脂の乗り切った鼻曲がりに洗塩を擦り込み、寒風に晒して作る「塩引鮭(しおびきざけ)」こそが、本物の味なのだ。だけど、絶対量も少ない上に、一般の新巻鮭の2倍から3倍の値段なので、あたしには手も足も出ない。だから、あたしは、もしも来世、北海道のクマに生まれ変わったら、タップリと食べたいと思う(笑)

で、さっき、「あたしは、現在の掛鳥の状況は知らなかったけど~」って書いたけど、このままじゃ片手落ちなので、春日若宮大社に電話を掛けて、担当の方に、現在の掛鳥の状況を教えていただいた。担当の方が言うには、現在では、狸や兎の掛鳥はなくなったけど、雉だけは、ごく少量、奉納され続けてるそうだ。やっぱり、「掛鳥」って言うくらいだから、「鳥」が入ってないとカッコがつかないんだろう。だけど、和生さんの句に詠まれてる通り、掛鳥の主流は新巻鮭になったそうだ。これは、手に入りやすいって理由だけじゃなくて、「日持ちがして腐らない」とか、「おん祭が終わったあとのお正月に使う」とか、複数の理由によって、少しずつ今の形に変わって来たそうだ。そして、これもあたしの想像した通りで、景気の良かったバブルのころには、鼻曲がりの立派な鮭がずらりと並んでたんだけど、世の中の景気が悪くなるにつれ、鮭の大きさもだんだん小さくなって来たそうだ。


 鼻曲りゐず掛鳥の鮭どれも  和生


こうして、ある程度の知識を得た上で、もう一度、この句を読んでみると、最初に読んだ時の何倍も深く味わうことができたと思う。そして、この描写から、作者自身が、鼻曲がりの立派な鮭がズラーッと並んでたころから、おん祭の掛鳥の様子を見に行ってたことも分かったと思う。つまり、この句を詠んだ時の作者の心には、世の中の不景気を嘆く思いがあったってワケだ。書かれてる文字の上では、ただ単に「掛鳥の鮭に鼻曲がりがいなかった」っていう眼前の事実を淡々と写生してるだけなのに、17音の向こう側まで読めるようになると、こうして、作者の思いが感じられるようになって来る。最初に紹介した「煤逃げ」の句の「悲しさ」や、この「掛鳥」の句の「憂い」は、文字では書かれてない。俳句を読む力のある人にだけ感じられる、作者の「思い」なのだ。

で、この句には、「鮭」っていう秋の季語と、「掛鳥」っていう歳末の季語がある。普通、俳句は、1句に季語は1つって決まってるんだけど、この句のように、「掛鳥が主季語だから季節は歳末」ってことが明確なら、何も問題はない。それに、この句の場合は、「掛鳥」と「鮭」と季語が2つあるって考えるんじゃなくて、「掛鳥の鮭」っていう1つの季語としてとらえるべきパターンになる。たとえば、「水着」は夏の季語だけど、「クリスマスに水着をプレゼントした」って意味の俳句を詠んだら、主季語は「クリスマス」になるから、夏の季語が入ってても、夏の句じゃなくなる。これとおんなじことだ。

だけど、雉や狸や兎を奉納していた時代には、「掛鳥の鮭」ってものは考えられなかったワケだ。つまり、この「掛鳥の鮭」ってのは、何百年もの歴史のある「掛鳥」と、現在の眼前の事実である「鮭」とが融合して生まれたものであり、これは、「新季語」って言うよりも、「真実の季語」ってと言うべきものなのだ。そして、今から100年後、200年後に、この句が読まれた時に、作者の名前を伏せていても、「掛鳥に鮭を使っていて、あまり景気が良くないころ」っていう時代背景が分かるから、この句の詠まれたある程度の年代も推察できるってワケだ。

‥‥そんなワケで、茨木和生さんは、あたしの大好きな俳人なんだけど、特に、季語に対する姿勢が素晴らしくて、おんなじ季語でも、和生さんが詠むと、何倍も広がった世界を見せてくれるのだ。そして、「季題や季語は、目先のことにとらわれず、百年後の人に残していきたいものです」って言ってるんだけど、この「掛鳥」の句なんて、ホントにその通りに詠まれてることが分かると思う。だから、あたしも、季語を大切にして、1句の中で季語が光り輝くような句を詠んで行きたいと思う今日この頃なのだ。


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