江戸時代のラブレター
あたしは、メールじゃなくて、ちゃんと便箋に書いてあるラブレターは、今までの人生で2回だけもらったことがある。中学の時と高校の時なんだけど、両方ともクラスメートからだった。高校の時は、それまでもナンダカンダとデートに誘って来たり、フザケ半分ホンキ半分みたいに告白して来たりされてた相手だったから、ラブレターを渡された時も、「今度は手紙作戦なの?」って思った程度だった。だけど、お家に帰ってから読んでみたら、あんまり上手じゃない字で一生懸命に書いてあって、何だか胸がジーンとしちゃった。そして、次の日から、あたしは、ミョ~に意識しちゃって、恥ずかしくて顔も見られなくなっちゃって、しばらく、ギクシャクしちゃったことを覚えてる。言葉で何百回「好きだ」って言われても、こっちにその気がなければ「ウザイな~」で終わっちゃうのに、手紙ってスゴイなと思った。
でも、これは、ラブレターはラブレターだけど、「告白のラブレター」とは違う。その人があたしのことを好きだってことは、前から何度も言葉で言われてたから、「手を変え品を変え」のうちの1つの作戦としてのラブレターってことだ。だけど、中学の時にもらったラブレターは、「告白のラブレター」だった。今じゃ、マンガやドラマでも使われないような形だったんだけど、ある朝、学校の下駄箱の中に入ってたのだ。あたしは、上履きの上に置いてあった手紙にハッとして、心臓がドキドキして、誰にも見られないようにカバンに仕舞った。そして、休み時間にトイレで読んだんだけど、ぜんぜん意識してしてなかった、ほとんど会話したこともなかったクラスメートからだったから、すごく意外だった。そこには、直接的に「好き」とは書いてなかったけど、あたしに好意を持ってるってことがすごく分かる文面で、デートの誘いが書かれてた。
そして、生まれて初めてもらったラブレターに戸惑ったあたしは、トチ狂っちゃって、そのラブレターを母さんに渡したのだ。そこには、「次の日曜日に一緒に映画を見に行きたい。何時にどこそこで待ってるから来て欲しい」ってことが書かれてたんだけど、それを見た母さんは、ヤタラとテンションが高くなっちゃって、まるで自分がデートに誘われたかのように、ノリノリになっちゃった。そして、「何を着てくの?」とか「髪はこうしたほうが可愛いわよ」とか、あたしは、まだ行くかどうか決めてなかったのに、やる気マンマンになっちゃった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、母さんのテンションのオカゲで、何か、それまで普通に生きてた女の子が、急にスポットライトのあたる舞台の真ん中に立たされた‥‥みたいな、それこそ、シンデレラみたいな気分になっちゃった。そして、約束の日曜日が来るまで、学校ではその子をすごく意識しちゃって、授業なんか上の空だったし、仲良しの女友達には、隠し事をしてるのが後ろめたくて、ものすごく複雑でドキドキした日々を送った。そして、ついに、デートの当日がやって来た‥‥ってワケだけど、映画を観て、お茶を飲んで、ゲーセンに行って、たこ焼きを食べてって、ごく普通のデートをした。
だけど、あたしは、生まれて初めてのデートだったし、その男の子も生まれて初めてのデートだったから、2人ともすごく緊張してて、お茶を飲んでる時までは、ほとんど会話ができなかった。でも、ゲーセンに行って、いろんなゲームで遊び始めてからは、緊張も解けて、普通に話したり笑ったりできるようになった。そして、たこ焼きを食べてる時には、次のデートの約束もした。結局、「恋人」って呼べるような付き合いにはならなかったけど、それから卒業までの1年半、仲良く楽しい中学生らしい付き合いをすることができた。
その男の子は、中学卒業と同時に、お父さんの転勤で遠くに引越ししちゃって、しばらくは電話や手紙のやり取りをしてたんだけど、お互いに高校で新しいお友達ができて、自然にフェードアウトしちゃった。だから、縁がなかったっていえば縁がなかったワケなんだけど、それでも、とっても楽しい思い出を作ることができたのは、その男の子が、ラブレターで告白してくれたからだと思う。もしも、直接会って告白されたり、電話で告白されてたとしたら、その子をぜんぜん意識してなかったあたしとしては、たぶん、最初のデートには行かなかったと思う。ましてや、別のお友達に呼び出されて、「○○が君のこと好きみたいだよ」なんて伝言みたいなことをされてたら、逆に、嫌いになってたと思う。
つまり、突然、お手紙をもらって、そこに「入学した時から気になってた」ってことが書かれてたことが、ドアーズの「ライト・マイ・ファイヤー」じゃないけど、何もなかったあたしの心に小さな小さな火をつけたのだ。そして、デートの日までの数日間、ずっとドキドキとした日を過ごしたことで、小さかった火は、どんどん大きくなって行ったのだ。
人それぞれだと思うけど、あたしの場合は、好きな相手から告白されるんなら、別に手紙じゃなくても、言葉でも、電話でも、どんな方法でも嬉しい。だけど、こっちが何とも思ってなかった相手からの場合は、言葉よりも、文字のほうが遥かに嬉しい‥‥っていうか、相手の思いが伝わる。言葉って、確かにインパクトはあるけど、言ったそばから消えてっちゃうものだから、こっちは、その時の感覚だけで反応しちゃう。だけど、文字の場合なら、ボディーブローみたく時間をかけてジワジワと効いて来るから、何とも思ってなかった相手からでも、だんだんとその気になって来て、「とりあえず会ってみようかな」って気持ちになって来るのだ。
‥‥そんなワケで、あたしのこの感覚って、別に特別なものじゃなくて、ニポンの女性の伝統的な感覚なのだ。今でこそ、男女同権だとか何だとか声高に叫び、いろんな分野に女性も進出するようになって来たけど、万葉の時代の女性たちは、「ひたすらに待ち続ける」という生き方をしてた。これは、結婚するまでも、結婚してからも、生涯に渡ってのことだった。
当時は、もちろん一夫多妻だったし、それも、別居が基本だったから、男性は、いろんなところに奥さんや恋人を何人も持って、その日の気分で、会いたいのところへ通ってた。そして、ダンナさんがお金持ちじゃないと、そんなに何人もの奥さんを養えなかったんじゃないの?って思うかもしんないけど、当時は今と正反対だった。何人もの奥さんたちのほうが、それぞれお金を出して、ダンナさんを食わせてやってたのだ。だから、モテる男性は、たくさんの奥さんを持つことができて、その上、お金までたくさん集まるってワケで、男性にとっては、モテるようになることこそが、成功への道だったのだ。
で、結婚するまでは、お互いの顔を見ることさえなかった万葉の時代には、何をもって「モテる」「モテない」が決められてたのかっていうと、それは、和歌の巧さだった。当時の和歌は、今で言うラブレターだったから、直接相手に会うことができなかった男性たちは、ステキな和歌を書いて、それを女性に送ったのだ。そして、女性も歌を返してお返事をしたんだけど、お互いに顔も知らない相手との手紙だけのやり取りだから、その歌や文字から、相手のことを想像して、恋の炎を燃え上がらせていた。
ちなみに、当時の男性の魅力は「歌の巧さ」、女性の魅力は「文字の美しさ」だったから、顔やスタイルのような外見は関係なかった。モテたいと思う男性たちは、セッセと和歌の腕を磨いたし、女性たちはお習字の練習に励んだのだ。そして、お互いに顔も知らない男女が、この和歌というラブレターのやり取り だけで恋に落ちて、男性が女性を気に入ると、女性のところへ「夜這い」に行く。ようするに、セックスをしに行くワケだけど、この「夜這い」ってのが、今で言う「プロポーズ」だったのだ。
そして、暗闇の中で、お互いに顔を知らないカップルがセックスをして、明け方を迎えて、ほんのりと白んで来た夜明けに、男性は初めて女性の顔を見る。それで、男性は帰って来るんだけど、顔を見て、その女性のことを気に入ったら、帰って来てから手紙を送る。そして、奥さんにしたいと思うほど気に入った場合には、それから3日連続で通えば、それが事実上の結婚てことになる。また、結婚するほどじゃないけど、このまま別れるのは惜しいって思った場合には、連続じゃなくて、何日か置きに通う。そうすると、奥さんとしてはイマイチだけど、とりあえず、恋人関係だけは続けて行こうっていう意思表示になる。
今、思うと、あまりにも男性中心で、トンデモない恋愛みたく見えるけど、当時は、これが普通だったし、女性のほうは、「待つこと」によって恋心を燃え上がらせてたのだ。そして、何よりも「恋愛こそが人生」っていう時代だったから、男性も女性も、このスタイルの恋愛を謳歌してたのだ。たとえば、結婚に至るまでの和歌のやり取りの過程でも、男性のほうは、あえて相手にヤキモチを焼かせるような歌を詠んでみたり、女性のほうも、ワザとお返事を遅らせて相手をジラしてみたりと、いろんな手法で恋愛を楽しんでいたのだ。
‥‥そんなワケで、万葉の時代には、和歌のやり取り、つまり、ラブレターのやり取りが恋愛の中心だったワケで、すぐに相手と会えたり、たとえ遠く離れてても、電話やメールですぐに連絡がとれる現代の短絡的な恋愛とは、「思い」の深さが違ってた。会えないことは当たり前で、すぐに連絡をとることもできなかったからこそ、その熱い思いを和歌に乗せて相手に送り、送ったあとは、お返事を待つ。ひして、お返事を待ちながら、美しい月を見上げて、「ああ、この瞬間に、かの人もこの月を見上げているのだろう‥‥」なんて思ってたのだ。
で、ここまで聞けば、万葉の時代の恋愛もなかなかじゃん!‥‥なんて思ったかもしんないけど、他人の力を借りないと恋人の1人も作れないような男は、この時代にもたくさんいたワケだし、そうした男たちに目をつけた男もいたワケだ。それが、モテない男たち、つまり、和歌のヘタな男たちのために、代わりにステキな和歌を詠んでくれる代書屋さんだったり、文字がヘタな男たちのために、代わりに達筆で和歌を書いてくれる代書屋だった。
そして、この「代書」って仕事は、それからもいろんな形で受け継がれて行くんだけど、江戸時代になると、「懸想文(けそうぶみ)」を売る「懸想文売り」が現れるようになる。この「懸想文」ってのは、当時のラブレターのことだけど、ようするに、文字の書けない人たちのための「ラブレターの代書屋さん」だ。だけど、そのイデタチが怪しさマンマンで、白い覆面で顔を隠して、烏帽子(えぼし)をかぶって、梅の枝に「懸想文売り」の札をさげてたのだ。何でかっていうと、当時、生活が厳しかった公家たちがバイトとして「懸想文売り」をやってたので、知り合いに顔を見られると恥ずかしいから、覆面で顔を隠してたのだ。
‥‥そんなワケで、あたしは、最初に、ラブレターを「今までの人生で2回だけもらったことがある」って書いたけど、こないだ、人生で3回目のラブレターをもらった。だけど、これは、残念ながら、あたしに対するラブレターじゃなくて、毎年2月2日と3日の節分になると、怪しいイデタチの「懸想文売り」が現れる京都の須賀神社に行った俳句仲間の女性が、あたしのぶんも買ってくれて、プレゼントしてくれたものだ。かつては、ラブレターの代書屋さんだった「懸想文売り」だけど、今では、最初から印刷してある「懸想文」を恋愛成就のお札として売ってるのだ。
他にも、この「懸想文」をタンスに入れとくと、お着物が増えるって言われてる。もちろん、ミスター・マリックの手品みたいにお着物が増えるワケじゃなくて、誰かがプレゼントしてくれたり、何かの懸賞で当たったり、ものすごい格安のバーゲンに遭遇したりって感じで、お洋服が増えて行くって意味だ。で、いただいた「懸想文」は、梅の枝をデザインした台紙の上に、その枝に結んであるような感じに結ばれてて、広げてみたら、こんな歌が書いてあった。
ふりしきる 雪に鎖ざさる 山里に
ひとり待ち侘び 打つ砧(きぬた)
君こふ夜を 重ねきて 澄み渡りたる冬空を
流れる星に願(ね)ぎ奉り こほれる泪 玉の如
あくがれいづる心花 幾夜を堪えて 見上くれば
時の流れも大空に 霞たなびき子(きた)のかた
帰る雁が音(かりがね) 忘られぬ
夢もうつつに 有明の 月影澄みて 鵲(かささぎ)の
かけし浮き橋 渡り行き 胸の埋み火 かきたてて
心は静(しず)に 鹿の声
笛の音清く 響きあひ あけの玉垣眺むれば
白雪の覆ひし野辺も 若草の 萌へる思ひに 梓弓
はる待ちわびて 天の原
振り放けみれば 春の陽の 昇る光の赤々と
受けて輝く朝雲の 吉兆なりと 喜びて
思い起こせば初春の 子の日は共に 小松引
変わらぬ色を頼りにて 永き年ふりけふの日は
たが里よりか 梅が香の あかぬ香りも昔にて
同じ形見の袖の色 引く糸あかく 尋ぬれば
後会の 契り遣はず 常磐松 軒端の花は咲き初めて
萬代かけて 高砂の 深き契りを叶へむと
神の御心 明らかに この喜びぞ 富士の高嶺に
‥‥そんなワケで、まずは軽いツッコミから行くけど、終わりのほうの「思い起こせば初春の」の「思い」と、「変わらぬ色を頼りにて」の「変わらぬ」は、正しくは「思ひ」「変はらぬ」って表記すべきで、他がすべて歴史的仮名遣いなのに、この2ヶ所だけが現代仮名遣いになってるのは、明らかに制作者のミスだ。あたしは、仮名遣いにはうるさいほうだから、こうした間違いはすごく気になっちゃう。だけど、こんな俳句も詠まれてるくらいだから、「懸想文」の誤字は今に始まったことじゃないみたいだ。
懸想文誤字をかしとも悲しとも 田畑美穂女
で、そうしたことを抜きにして行くと、今まで「きっこの日記」を読んで来た人たちなら、だいたいの意味は理解できると思う。たとえば、中盤の「白雪の覆ひし野辺も 若草の 萌へる思ひに 梓弓 はる待ちわびて 天の原」のクダリなら、「若草が萌える」と「燃える思い」をカケてるワケだし、「はる待ちわびて」は、「弓を張る」と「春」とをカケてるワケだ。そして、全体の流れとしては、「雪」や「冬空」から始まって、「埋み火」で思いを表現しつつ、晩冬から浅春の「帰る雁」、「はる待ちわびる」、そして「梅が香」へと進んで行って、最後はおめでたい結婚だ。だけど、正直、古典が好きなあたしから見ると、かなり「おいおいおいおい‥‥」って内容で、どこで切ればいいのか分かんないし、ツッコミドコロも多い。そして、正岡子規も、あたしとおんなじふうに思ったみたいだ。
懸想文詩か萬葉か催馬樂か 正岡子規
「催馬樂(さいばら)」ってのは、簡単に言えば、平安時代の流行歌だ。ようするに、初めて「懸想文」を見た子規は、「詩なのか和歌なのか流行歌なのか分からない」って感じたワケだ。だけど、何よりも「縁起物」なんだから、あんまりツッコミを入れて御利益がなくなっちゃうのも困るし、おかしな点は各自でチェキして欲しい。とにかく、あたしの場合は、良縁はともかくとしても、欲しいのにガマンしてるお洋服がたくさんあるから、この「懸想文」は、大切にタンスの中に仕舞った。できれば、憧れのパオラフラーニのブルーのカモメみたいな春物のワンピが欲しいので‥‥って、あまりにもピンポイントな物欲だけど、こんな句も思い出した。
懸想文青い鴎(かもめ)がそのなかに 西野文代
10万円近くもするワンピなんて、絶対に自分じゃ買えないから、何らかの他力本願的なラッキーにゆだねるっきゃないんだけど、それにしたって、ただ単に「欲しい~!」って思い続けてるだけよりも、この「懸想文」の御利益にあずかれば、あんがい、ヒョンなことで手に入るかもしんない。ま、高価なお洋服にしても良縁にしても、そうしたチャンスって、懸想文売りのように、足音もなく近づいて来るもんなんだと思う。だから、目の前にそのチャンスが訪れてても、気づかない人は気づかない。
懸想文売の足音なかりけり 茨木和生
‥‥そんなワケで、文章の内容だけじゃなくて、その文字の美しさからも思いが伝わるお手紙って、誰が打ってもおんなじ文字のメールとは違って、ホントに味わい深くて、歴史のある伝達方法だと思う。だから、メールばかり打ってる人は、タマには、お手紙を書くようにしてみたらどうだろう。特に、好きな相手に自分の思いを伝えるラブレターの場合には、まったくおんなじ文面でも、メールだと伝わらない思いが、手書きのお手紙なら伝わることもあると思う。だから、あたしも、これからは、できるだけ手書きのお手紙を書くようにしてみようと思った今日この頃なのだ。
待つだけの女は嫌よ懸想文 きっこ
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