「軍隊」という暴力、「音楽」という平和
あたしは、面白そうなブログパーツを見つけると、「きっこのブログ」のほうに、試しに設置してみたりしてる。今んとこ、愛する神崎すみれちゃんのパズルを2パターン設置してるんだけど、これは、パズルとしては、簡単すぎて面白くない。だけど、ただ単に、すみれちゃんが可愛いから設置してる。で、これとは別に、ちょっと前には、ニポン地図が描いてあって、ブログにアクセスした人がどこの地域からアクセスしたのかをカウントして、都道府県別にランキングしてくれる「国盗りナントカ」ってのを設置してた。これは、アクセス数によって、地図の横にいる武士みたいなのがだんだん出世してくんだけど、それを楽しみにしてたら、あたしのブログはアクセス数は多いので、たった1日で最高レベルの6まで出世しちゃって、それ以上は育たないから、つまんなくなって外しちゃった。
それから、こないだ設置してみたのは、「おはなしロボット ひこまた」っていうやつで、これは、こっちが「○○」と質問したら「××」と答える、ってふうに言葉を教えると、その通りに答えてくれる学習機能がついてるものだった。それで、最初は、「きっこ」って質問したら「セクシー美人だね」とか、「ビックル一気飲み!」とかって答えるようにして遊んでたんだけど、いろんな言葉を教え始めたら、いくつかのNGワードが設定してあるみたいで、登録できない言葉があることが分かった。
たとえば、「パチンコ」って質問して「確率変動」って答えるように登録しようとしたら、NGワードがあるからって表示されて、登録できなかった。だけど、どの言葉がNGなのかは表示されない。それで、あたしは、「パチンコ」がギャンブルだからダメなのかって思ったんだけど、いろいろとやってみたら、「競馬」も「競輪」も「競艇」も「麻雀」も登録できた。それなのに、なんで「パチンコ」だけがダメなのか理解できなかった。それから、今度は、「フェラーリF2004」って質問して「ミハエル・シューマッハ」って答えるように登録しようとしたら、これまたNGで、あたしは、何がNGなんだか、まったく理解できなかった。
でも、いろんな言葉を試してくうちに、ついに、あたしは、「パチンコ」や「フェラーリF2004」が登録できなかった意味が分かったのだ。NGワードとして設定してあったのが、「チンコ」と「フェラ」だったのだ!(笑)‥‥って、あまりにも「おいおい‥‥」って感じな今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、「チンコ」とか「フェラ」とかをNGワードとして設定すんのはいいけど、そのセイで「パチンコ」や「フェラーリ」が登録できなくなるなんて、片手落ちもいいとこだ。「チンコ」のセイで「パチンコ」までもが登録できないってことは、映画撮影で使う「カチンコ」や、お相撲の「ガチンコ」だってダメだろうし、「フェラ」のセイで「フェラーリ」までもが登録できないってことは、「フェラガモ」だってダメだろう。
「パチンコ」は国民的な娯楽だし、マイケル・ジャクソンなんか、来日するたびに、パチンコ屋さんを1軒まるまる貸切にして遊ぶほどのパチンコ好きなんだから、これほどメジャーなレクリエーションが登録できないってのは痛い。それに、「フェラーリ」や「フェラガモ」は、世界的なブランドなのに、その固有名詞までもが登録できないなんて、あまりにもトホホだ。
それに、あたしが気づいたNGワードは「チンコ」と「フェラ」だけだけど、この2つがダメってことは、他にもたくさんのNGワードがあるハズだし、その単語を含んだ別の言葉は、みんな登録できないってことだろう。たとえば、「ナンキンタマスダレ」もダメだと思うし、「ウルトラマンコスモス」もダメだと思う。まあ、「ナンキンタマスダレ」の場合は、漢字で「南京玉すだれ」って書けば登録できるだろうし、「ウルトラマンコスモス」の場合は、「ウルトラマン・コスモス」って、「マン」と「コ」の間に点を入れれば登録できるだろう。
だけど、「パチンコ」を「派珍子」なんて書くワケには行かないし、「フェラーリ」を「フェ・ラーリ」なんて書くワケにも行かない。「フェラ」をNGワードに設定しても、「フェラーリ」や「フェラガモ」を除外するのって、ものすごく簡単なプログラミングじゃん。こんなの、あたしでもできるレベルのプログラミングなんだから、やっぱ、こういうのは、運営サイドがキチンと対応しとくべきだと思う。
そして、「フェラ」がNGワードに設定されてるセイで、登録することができなくて困ってる言葉は、「フェラーリ」や「フェラガモ」だけじゃない。ドイツ語で「協会」とか「団体」とかを意味する「Verein(フェライン)」だ。これは、管弦楽団や合唱団などがよく使ってて、たとえば、「東京ムジークフェライン管弦楽団」とか、「名古屋ムジークフェライン管弦楽団」とか、「吹奏楽団 京都ムジークフェライン」とか、全国にたくさんある。だけど、これらの楽団に在籍してるメンバーが、自分の楽団名を登録しようとすると、「フェラ」のセイで登録できないってワケだ。ちなみに、「ムジーク(Musik)」ってのは、もちろん「音楽」って意味で、こうした「ムジークフェライン」の他にも、「スポーツフェライン」とか、いろんなフェラインがある。そして、それらは、ぜんぶ登録できないってワケだ。
‥‥そんなワケで、ブログパーツの運営サイドが、「フェラ」をNGに設定しても、「フェラーリ」や「フェラガモ」や「フェライン」はOKになるようにプログラミングしてくれれば、ここまでの問題は解決される。だけど、そうしてくれたとしても、まだ、困る問題がある。それは、アフロ・ビートの創始者として世界的に有名なミュージシャン、そして、黒人開放運動家の「フェラ・クティ」だ。彼の場合は、名前が「フェラナントカ」じゃなくて「フェラ」そのものなんだから、「フェラ」がNGワードである限り、永遠に登録することができない。つまり、「おはなしロボット ひこまた」に、この世界的な著名人の名前を教えることができないのだ。
そして、それだけじゃなく、フェラ・クティが70年代に率いたバンド、「フェラ・アンド・ナイジェリア70」や「フェラ・アンド・アフリカ70」、80年代に率いたバンド、「フェラ・アンド・エジプト80」などのバンド名も、登録することができない。これは、アフリカン・コンテンポラリー・ミュージックを愛するあたしとしては、とっても悲しいことだし、とっても不本意なことだ。
フェラ・クティは、黒人解放運動家としての側面のほうが強くて、あたしの大好きな他のアフリカのミュージシャンたちとは、一線を画した存在だった。フェラ・クティは、1938年、ナイジェリアに生まれたんだけど、このナイジェリアって国自体が、この地を支配して数え切れないほどの現地の人たちを奴隷として売買してたイギリスの大手企業「ロイヤル・ナイジェー社」の社名からつけられた国名なんだから、これほど気の毒なことはない。その地に住む人々を助けたとか、貢献したとか、そうして企業の名前が国名になったんなら分かるけど、多くの人々を奴隷として、家畜以下の扱いをし続けて来たファッキンなクソ企業の名前をムリヤリに国名にしただなんて、これほど悲しい話はないだろう。
そして、そんなナイジェリアで生まれたフェラ・クティは、ロンドンに留学して音楽を学び、マルコムXから思想的な影響を受けて、政治的なメッセージと土着性のリズムを兼ね備えたアフロ・ビートを生み出すことになる。これは、イギリスの奴隷商人によって、ジャマイカへと売られて行ったアフリカ人たちの血を引く者たちが、アフリカ回帰思想をベースにしてレゲエを生み出した背景ととても良く似ている。ボブ・マーリィの書いたリリックスにも、白人たちが作り出したバビロン・システムに対する強い批判のメッセージが込められてるけど、漠然とした巨悪のイメージを歌い続けたボブ・マーリィと違って、フェラ・クティの書くリリックスは、特定の企業名や人名を挙げるなど、極めて具体的で、目の前の不満や危機を歌い続け、政府やバビロン・システムを攻撃し続けた。つまり、フェラ・クティにとっては、歌うことそのものが、黒人解放運動だったのだ。
そのため、フェラ・クティは、数え切れないほど警察に逮捕され、何度も投獄された。でも、すべてが、高知県のスクールバス事故や、愛媛県のスクーター事故と同様に、悪質極まりない警察によるデッチアゲだった。たとえば、1974年、フェラ・クティは、マリファナ所持と未成年者誘拐で逮捕され、2週間ほど拘留されたんだけど、どこからもマリファナなんか見つからなかったし、未成年者誘拐とされた女性にしても、すでに成人になってた上に、自分の意思でフェラ・クティの家に来てただけで、誘拐でも何でもなかったのだ。ようするに、警察としては、政府を批判する歌を歌い続けてる目障りなミュージシャンを逮捕することが任務であり、その指示は、当然、政府からの命令だったってワケだ。
フェラ・クティは、この拘留から釈放されてから、広い自宅を高さ4mの有刺鉄線で囲んで、自分が入れられていた留置所の名前の「カラクタ」から、「カラクタ共和国」って名づけた。そして、意志を同じくする500人あまりの若者たちと共同生活をしながら、バビロン・システムに支配された政府の悪行を歌という武器で攻撃し続けて行った。でも、これほど悪質な政府なんだから、やることは決まってる。3年後の1977年、「カラクタ共和国」は、武装した1000人もの兵士に襲撃され、ほとんどの人たちがボコボコにされた。フェラ・クティの77才のお母さんは、この時のケガが原因で、翌年、亡くなった。フェラ・クティ自身も、腕の骨を折られ、家には火が放たれて、「カラクタ共和国」は全焼した。
それなのに、ナイジェリアの新聞に発表された記事は、「フェラ・クティの家が電機コードのショートによって火事になった」という事実とはぜんぜん違うもので、政府が1000人もの兵士に襲撃させたことなど、まったく書かれていなかった。そして、ナイジェリア政府は、海外メディアのプレスをすべてシャットアウトして、自分たちの行なった大犯罪が、外部に漏れないようにインペイしたのだ。サスガ、イギリスのファッキンなクソ企業の名前が国名になってる政府だけのことはある。
この、政府によるキチガイ沙汰のような言論封殺事件のあとも、フェラ・クティの演奏が始まるとステージにビンを投げ込んで妨害したり、身に覚えのない罪で逮捕したりと、政府による悪質な妨害が続いて行った。そして、それでも負けずに真実を歌い続けてたフェラ・クティは、1984年、またまた無実の罪で逮捕されて、政府側の関係者だけによる一方的なデタラメ裁判によって、終身刑を言い渡されたのだ。
抑圧され続ける仲間たちを救うための音楽、アフロ・ビートの創始者で、「Black President(黒い大統領)」とも呼ばれてたフェラ・クティは、1997年8月2日、エイズの合併症で、58年という短い生涯を閉じた。だけど、今は、息子のフェミ・クティが、彼の音楽を受け継いで、精力的に活動してる。ニポンでも、フェラ・クティのアルバムはたくさんリリースされてるから、興味を持った人は、ぜひ、リリックスの意味も含めて、聴いて欲しいと思う。
‥‥そんなワケで、ナイジェリアの軍隊を批判したフェラ・クティの代表曲の1つ、「ゾンビ」(1976年)のリリックは、ナイジェリアの軍隊だけでなく、アメリカの軍隊にも、ニポンの自衛隊にも、世界中のすべての軍隊という「政府によって魂を抜かれてしまった人たちの集団」に対してのメッセージだと捉えることができる。
「ゾンビー、オー、ゾンビー。おまえは、動けといわなければ動かない。おまえは、考えろと言わなければ考えない。向きを変えることもない。真っ直ぐならば、そのまんま。殺せといわれれば殺し。死ねと言われれば死ぬだろう。気をつけ!そら、早いマーチ、遅いマーチ。帽子を取れ、敬礼!整列、解散!言われるまま」
この訳は、あたしがいつも読ませていただいてる、吉田敦さんの「アフリカ情報通信」のフェラ・クティに関する記事から引用させていただいたんだけど、素晴らしい記事なので、ぜひ読んで欲しい。
で、あたしは、このリリックから、沖縄の平良夏芽牧師の言葉を思い出した。こないだ、「きっこの裏日記」で紹介した映像で、沖縄の人たちの思いを伝えてる人だけど、あたしは、平良さんの言葉を聞いて、目からウロコが落ちた。「目からウロコが落ちる」って、よく使われる言葉だけど、あたしは、平良さんの言葉を聞いて、ホントに目からウロコが落ちたように、大切なことに気づかされたのだ。
平良さんは、辺野古のオジィやオバァたちを守るため、かけがえのない自然を守るため、そして、沖縄が「加害者の島」でなくなるために、強い意志を持って活動してる。そして、潜水中に空気ボンベのバルブを閉められたり、何度も命に関わるような危険な目に遭ってる。だから、あたしは、こんなに酷いことをする政府側の作業員は、みんな最悪のヤツラだと思ってた。
だけど、去年の5月、潜水中に空気ボンベのバルブを閉められて、殺されるとこだった平良さんは、相手の作業員を「殺人未遂罪」で告発することもできたのに、それをしなかった。それは、平良さんの言葉によると、「彼ら(政府側の作業員たち)も被害者」だからなのだ。辺野古での座り込みは、一貫して「非暴力」を徹底してるけど、相手側からの暴力はすさまじい。今までには、高い足場から突き落とされて、気絶して救急車で運ばれた人や、車で轢かれた人までいる。それでも、平和のための座り込みを続ける人たちは、絶対に手を出さずに耐え続けて来た。以下、去年の7月に平良さんが出した声明文の一部だ。(全文は「きっこの裏日記」の過去ログにあります)
(前略)大切なことは、辺野古の闘いは「相手との関係性を大事にして来た」ということです。基地建設計画が白紙撤回されたとき、作業をしていた人たちと酒を飲めるような、そんな阻止行動を目指してきました。現実は厳しいもので、なかなかそのようにはいきませんが、目指していたのはそのような関係性です。バルブを閉めた本人は、その責任を負わなければなりません。しかし、必要以上にその個人を責めるのではなく、現場の作業員をそのような精神状態に追い込んでしまった権力にこそ、その矛先を向けて欲しいのです。施設局は、これまで多くの怪我人を出してきました。気を失って救急搬送された仲間もいました。どんなに危険な状況が生じても、一切の責任を負わず、ノルマだけを業者に押しつけ続ける施設局こそが糾弾されるべきです。これが「防衛」という言葉を使っている人々の実態です。現在は現場に責任者もおかず、すべての責任を業者だけに負わせる体制をとっています。全国の皆様、このことをこそ問うてください。絶対に許してはならないことです。(後略)
そして、この平良さんの思いは、先日のアメリカ兵による少女への暴行事件のメッセージでも、おんなじことが語られてた。徹底的に糾弾されて当然の、悪質な犯罪を犯した憎むべきアメリカ兵にも、平良さんは、おんなじ目を向けて、こう言ってる。
「少女を襲った米兵も、本当はやさしいお兄さんだったのだと思います。その青年を少女を襲うようなケダモノにしたのは『軍隊』です」
「人殺しの訓練をして、人を殺すことが当然で、たくさん殺せば殺しただけ勲章がもらえるようなことをしておきながら、何が綱紀粛正(こうきしゅくせい)ですか」
‥‥そんなワケで、この平良さんの言葉を聞いて、あたしは、フェラ・クティの「ゾンビ」のリリックを思い出したってワケだ。
「ゾンビー、オー、ゾンビー。おまえは、動けといわなければ動かない。おまえは、考えろと言わなければ考えない。向きを変えることもない。真っ直ぐならば、そのまんま。殺せといわれれば殺し。死ねと言われれば死ぬだろう。気をつけ!そら、早いマーチ、遅いマーチ。帽子を取れ、敬礼!整列、解散!言われるまま」
あたしは、何の罪もない人たち、それも、女性や子供まで、赤ちゃんを抱いて恐怖に怯える女性まで、何のタメライもなく平然と射殺できるような「兵士」という異常者は、とても血の通ったマトモな人間とは思えない。このリリックの通りで、ホントに「ゾンビ」だと思う。そして、平良さんが言ってるように、「人殺しの訓練をして、人を殺すことが当然で、たくさん殺せば殺しただけ勲章がもらえる」ような「軍隊」なんていうキチガイ集団の中に身を置いてれば、どんなにマトモだった人間でも、オノレの性欲のおもむくままに平然と少女を襲うような狂ったケダモノになってしまうのだ。だから、そんなケダモノどもに対して、「綱紀粛正」なんて言っても、馬の耳に念仏で、何の意味もないってことだ。
でも、平良さんの目は、そこだけには向いていない。平良さんを殺そうとした政府側の作業員も、少女を襲ったアメリカ兵も、その行為自体は絶対に許されるものじゃないし、糾弾されて当然のことだ。だけど、直接の加害者だけに憎しみを向けずに、もっと大きな目で見ると、大義名分を掲げて人殺しを続ける「軍隊」こそが「悪」であり、一部の権力者と一部の大企業のために戦争をビジネスにしてる「政府」こそが諸悪の根源だってことが見えて来る。そして、これらの加害者たちも、実は、「政府」や「軍隊」の被害者だったってことになる。
‥‥そんなワケで、あたしは、カッとすると目の前の敵だけに憎しみが向いちゃうような、単純な思考回路と狭い心を持った人間だから、辺野古の美しい海を破壊し続けてる政府側の作業員たちや、沖縄の人たちを苦しめ続けてるアメリカ兵たちのことをストレートに憎んでた。だけど、平良さんの言葉を聞いて、それじゃダメなんだってことが分かった。悪いのはアメリカ兵1人1人じゃなくて、「基地」であり「軍隊」なんだってことが分かった。そして、辺野古で座り込みを続けてる人たちが、みんな笑顔でいることの意味が分かった。政府側の報道機関や保守的な考え方の人たちが、必死になって、沖縄の基地反対派の人たちのことを「過激な反対派」だと印象づけるための幼稚なネガティブなキャンペーンを繰り返してるけど、そんなことにはまったく動じないで、殴られても、蹴られても、車で轢かれても、空気ボンベのバルブを閉められて殺されかけても、それでも絶対に手を出さずに、暴力を振るう相手にやさしい言葉で語りかけて、平和の大切さやかけがえのない自然の価値を伝え続けてる辺野古の人たちって、本当に素晴らしいと思う今日この頃なのだ。
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