せたがやたがやせ
日曜日のマレーシアGPで、まだ2戦目だってのに、早々とライコネンが優勝しちゃって、あたし的には激しく嬉しいんだけど、ポールだったチームメイトのマッサは、レース半ばで、コーナリングにミスしてリタイアしちゃった。コースアウトした時の車載カメラの感じからすると、前回のオーストラリアGPの時に書いた「TCSの禁止」が原因ぽい感じだったけど、「TCSの禁止」が原因なら、それはみんなおんなじことなんだから、ようするに「ドライバーのミス」ってことで、誰のことも責められない‥‥ってワケで、マレーシアGPについて書きたかったんだけど、時間がなくて1回サラッと観ただけだから、あんまり深いことも書けない。だから、今日は、ぜんぜん違うことを書くけど、一応は「フェラーリ」からの「赤」のつながりってことで、最近よく耳にする「赤坂サカス」についてだ。
で、あたしは、この「赤坂サカス」って名前を聞くたびに、毎回のように「せたがやたがやせ」が頭に浮かぶ。ちなみに、「せたがやたがやせ」は、セカンドアルバムだったと思うけど、爆風スランプの名曲「大きな玉ねぎの下で」とおんなじアルバムに収録されてる曲で、世田谷区の住民としては、決して避けて通ることのできない迷曲だ。それにしても、「あかさかさかす」と「せたがやたがやせ」は、あまりにも似てると思う。何がって、その言葉の配列のシステムがだ。これは、COCCOとさかなクンが似てるとか、さくらももこと山田花子が似てるとか、そういった「形状の類似」とは違って、方向性っていうか、ノリっていうか、そのスタイルが似てるってことだ。
細かいことを言うと、最後の「セ」が「ス」に変わって「赤坂サカセ」だったら完璧だった。もしくは、「せたがやたがやせ」のほうが「たがやす」だったら完璧だった。だけど、爆風スランプが、20年以上もあとに造られる「赤坂サカス」のことを予知して、自分の曲のタイトルをつけることなど無理だ無理だ無理だ無理だ無理だ!無理無理~~~!ってワケな今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、爆風スランプの曲名のほうは、「せたがや」に対して「たがやせ」だからこそ、「せ・たがや・たがや・せ」という、回文チックな味わいもある上に、最後の「せ」によって、言葉としてのイキオイもあるワケだ。だから、これを「せたがやたがやす」にしちゃったら、味わいもなくなるし、イキオイもなくなる。当時、ステージでもテレビでも大暴れを続けてた爆風スランプとしては、ここはどう考えても「す」じゃなくて「せ」ってワケで、ようするに、パーフェクトなタイトルってことになる。
つまり、問題があるのは、「赤坂サカス」のほうなのだ。「赤坂サカス」は、「あかさか」と「さかす」なんだから、「さか」の部分がベン図の斜線の部分になってるってだけで、それ以外の部分の「あか」や「す」には何の意味もない。だから、創作としての深みってことでも、練りに練られた「せたがやたがやせ」には遠く及ばないってワケだ。
だけど、「練りに練られた」って言っても、これの前のファーストアルバムに、「たいやきやいた」って曲があることから推測するに、サンプラザ中野くんは、そんなに深く考えて「せたがやたがやせ」を作ったワケじゃなくて、ポッと思いついただけなのかもしれない。本人に聞いてみようかとも思ったんだけど、忙しいサンプラザ中野くんに、こんなことをイチイチ聞いたら申し訳ないので、「練りに練られたワンダホーなタイトル」ってことにしとく(笑)
で、「たいやきやいた」は、「たけやぶやけた」と同様の昔からある回文で、上から読んでも下から読んでもおんなじだけど、「せたがやたがやせ」は、回文チックな味わいはあるけど、回文じゃない。真ん中の部分がスライドしてて、最初の文字と最後の文字がおんなじっていう、独特のパターンをしてる。それで、あたしは、これとおんなじパターンの言葉を考えてみたんだけど、タイムリーなものを思いついた。それは、「石原支払い」だ。
「いしはらしはらい」、つまり、「い・しはら・しはら・い」ってワケで、これなら、完璧に「せ・たがや・たがや・せ」とおんなじ形状になってると思う。だから、石原大将軍様は、自分の作った赤字は自分が支払って補填すべきであって、これ以上、あたしたち都民を苦しめるのはやめろ!‥‥なんてことも言ってみつつ、サンプラザ中野くんには、ぜひ、「いしはらしはらい」という新曲を作って欲しい。石原大将軍様のために税金を支払い続け、どんどん生活が苦しくなって行く障害者や難病患者やお年寄りたち、社会的弱者のことを歌って欲しい。
‥‥そんなワケで、回文を作る時には、ものすごく脳みそを使うから大変だけど、このパターンなら、すごく簡単だ。「せたがや」とか「いしはら」みたいな4音くらいの名詞を思い浮かべて、最初の1音を後ろに移動させて並べるだけだ。そして、思いついた言葉をカタッパシからやってけば、「せたがやたがやせ」みたいに、文章として成り立つものが見つかる。
で、あたしは、まずは、地名でいろいろとやってみたんだけど、なかなか面白いのを発見しちゃった。それは、「青山」だ。「あ・おやま・おやま・あ」ってことで、「青山おやまあ」になった(笑)
「お母さま、私はこれからショッピングに行ってくるわ」
「どこへ行くの?」
「青山へ行こうと思うの」
「青山?おやまあ‥‥」
‥‥って感じで、お金持ちのお嬢様とお母様の会話だ。だけど、実際には、「あ」で始まる名詞だと、成功するパターンは少ない。「赤坂」だって、この方式でやったら、「あ・かさか・かさか・あ」になっちゃうから、無理をすれば「赤坂、傘かあ」って言葉にはなるけど、最後が「あ」で終わる文章ってすごく少ない。だから、いろいろと考えるにしても、できる限り確率を高くするためには、最後の言葉が文章になりやすいものを考えてってほうがいいってことになる。たとえば、「○○よ」っていう言い方があるから、「よ」で始まる地名をカタッパシから考えてったほうが、「あ」で始まる地名よりは確率が高くなると思った。
で、あたしは、「よ」で始まる地名を考えてったんだけど、「よこはまこはまよ」「よこすかこすかよ」「よなくになくによ」‥‥って感じで、文章として成り立つものがなかなか見つからない。それ以前に、「よ」で始まる地名がなかなか思いつかない。それで、「困った時には沖縄の地名」ってことで、ちょっと変わった読み方をする沖縄の地名で「よ」で始まるものを考えてみたら、「読谷村(よみたんそん)」を思い出した。
「よみたんみたんよ」
おおっ!「読谷、見たんよ」ができた!‥‥ってことで、ついでに、「よ」とは関係ないけど、「辺野古」でもやってみたら、「へのこのこへ」、つまり、「辺野古の子へ」ってのができた上に、これは回文にもなってることに気がついた! ブラボー、あたし!(笑)
他にも、いろいろと考えてたら、「ながさきがさきな(長崎が先な)」とか、「いしかわしかわい(石川氏可愛い)」とか、いくつか発見できたんだけど、どれも「せたがやたがやせ」の素晴らしさには及ばない。どっちかって言うと、無理があるものばかりだった。だって、「ながさきがさきな」や「いしかわしかわい」がアリなら、あたしか最初にNGを出した「よこすかこすかよ」だって、「横須賀、越すかよ」ってことで、アリになっちゃうからだ。
まあ、こういう遊びは、ある程度の無理は仕方ないと思うけど、回文にしたって、ものすごく美しいものもあれば、あまりにも無理がありすぎるものもある。中には、「濁点はあってもなくてもOK」とか、「小さい『っ』を大きい『つ』にしてもOK」とかってルールのユルユルの回文もある。たとえば、「田楽よく噛んで」って回文は、「でんがくよくかんで」だから、逆から読むと「でんかくよくがんで」で、ホントなら回文にはなってない。「プツリと廃れたストリップ」も、小さい「ッ」と大きい「ツ」を同一としてるから、ホントなら回文にはなってない。あたしは、こういうのは反則だと思うし、何よりも、美しくないと思う。昔、成田闘争が起こった時に作られたって言われてる回文の歴史的な名作、「理解の足りない成田の怒り」の美しさと比べると、こうしたユルユルの回文は、水準が低すぎると思う。
‥‥そんなワケで、「せたがやたがやせ」のパターンを便宜上「スライド回文」て呼ぶことにしてみるけど、この「スライド回文」の場合も、代表作である「せたがやたがやせ」があまりにも美しすぎるから、濁点や促音や拗音の扱いについては、厳しくしたいと思ってる。じゃなかったら、回文と同様に、何でもアリの世界になっちゃうからだ。現在の俳壇に本物の俳人がほとんどいなくなったのも、俳句のルールを無視した亜流がどんどん作られたからで、俳句の本質である「季節へのアイサツ」っていう「心」が失われたからだ。だから、あたしは、この「スライド回文」を芸術の域にまで高めるためにも、決して回文のようなインチキはしないで、ヒタスラに正統派としての王道を突き進んで行きたいと思う今日この頃なのだ(笑)
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