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2008.03.11

本当の加害者と本当の被害者

今日の日記は、まず、「東京大空襲」に関して寄せられたメールを一部、紹介する。


日時: 2008年03月09日
福島みずほ
きっこさん、明日、わたしもちゃんと黙祷しますね。わたしの知り合いの人が裁判の原告になり、杉浦弁護士なども代理人をつとめ、東京大空襲の裁判をしています。この問題も、みんなの身近な問題になるといいと思っています。わたしは、花粉症ですが、予算委員会がんばっていきます。きっこさんもお元気で!みずほ


お名前:WM
コメント:こんにちは。いつも ブログを拝見しています。東京大空襲の話を読み、胸がいっぱいになりました。黙祷をささげました。今の私はこんなことしかできないけど、天国で大切な人に会えますようにと祈りました。黙祷をする機会を与えてくれたきっこさんに感謝します。


お名前:E
コメント:きっこさん、初めてメールさせていただきます。「きっこの日記R」も一冊目二冊目についで読ませていただき、きっこさんがどうしてこれほど「平和」や「反戦」について訴え続けているのか、アメリカの方ばかり向いた自民党の政策に苦言を呈しているのかがよく解りました。今日の日記に書かれていた東京大空襲については、そうした事実があったことだけは学生の時に習いましたが、日本の民間人の家屋を焼き払うために新型の焼夷弾を開発したこと等の詳細については初めて知りました。こうしたことも、沖縄の集団自決や南京の大虐殺を「無かったこと」にしたい一部の保守勢力による情報操作なのでしょうね。明日の夜は日本政府の犠牲になった十万人の人達に黙祷を捧げたいと思います。


お名前:I
コメント:きっこさんはじめまして。私は富山に住むIといいます。本日の東京大空襲の日記を読んで怒りを感じています。私の母親は8月10日富山市の大空襲で焼きだされて故郷に逃げて帰ったと今でも言います。そして8月10日未明の惨劇をあまり語ろうとはしません。ただ呉羽の山上に逃げ延びた時、初めて災に包まれた富山市で多くの人の苦しむ姿を見た事を思い出しただけ言います。落ち着いてみれば、自分だけしか逃げることしかできない時、苦しんでいる人を救えなく見殺しにしてゆく現実の中で母親は苦しんでいました。戦後60年を過ぎて誰もその時代を知らないのが現実です。非戦闘員を戦争という名で堂々と焼き殺し今でも平気で世界の警察を名乗るアメリカ!そのアメリカの為に土地を与え、お金も与え、世界中で殺人、強姦など本能の赴くままに生きているアメリカを支えているこの日本の利権政治家どもを一日でも早く政界から抹殺しなければ第二次世界大戦は終わりません。日本はアメリカの植民地でもなければ51番目の州でもないのです。きっこさんの日記を読み続けて来て色んな事が見えてきました。頑張って下さい、お元気で!


お名前:すばる
コメント:いつも読んでいます。きっこさんが書かれた大虐殺にはさまって、もう一つ、「沖縄」がありますね。3月26日に沖縄の慶良間諸島に米軍が上陸、「集団自決」が起きる。4月1日に沖縄本島へ米軍上陸。このあと戦死や集団自決や相次いで、7月2日に米軍は沖縄作戦の終結を宣言。この間に、日本が戦争を止めると言えば死なないで済んだだろう沖縄の人たちが多く死に、さらに広島、長崎へ続いたのですね。私は終戦時8歳でしたが、今はわかります、そうして亡くなった人たちを楯にして私は生き延びたのだと。


お名前:OT
コメント:きっこさん、はじめまして。貴ブログ愛読者です。ご存知のことと思いますが、この時の防衛大臣(当時は長官)は小泉純一郎の父の小泉純也です。カーチスルメイについては小田実の随論「日本人の精神」に詳しいです。ルメイに勲章を贈ることになったのは、小泉純也と参院議員の源田実が推薦したとのことです。ご健闘を祈ります。


お名前:Rawan
コメント:きっこさま、こんばんは。近年はそうでもないのですが、子供の頃や若い頃には、私も母親から時々は戦中戦後の出来事や空襲で逃げ回った話を聞いたものです。大阪での空襲は計8回に及んでいますが、3月13日の空襲のとき、すでに深夜であったため動いていなかったはずの地下鉄の列車が、心斎橋方面から梅田へ(すなわち南から北へ向かって)乗客を乗せて非難したため、多くの人が助かったという伝説がありました。このことは、大阪市の公式記録(運行したという記録や運転士の所在)として残っておらず、またしっかりとした証言などもなかったため、戦時中のことでもあり、長くその真偽が不明のままで「謎の救援列車」とされていましたが、最近になって新聞での呼びかけをきっかけに、実際に乗った人たちが数多く現れて、その日記や証言により、多くの偶然や幸運が重なったことによる事実であったことが分かり、これらを集約したテレビ放送もされました。最後の空襲は8月14日で、爆撃は、東洋最大の軍需工場だった大阪造兵廟を中心とした一帯でした。今の大阪城公園がこの跡地になりますが、この軍需工場は広大であったため、戦後10年以上も鉄くずの山として殆ど手付かずのままでした。この場所での物語として、梁石日氏の「夜を賭けて」という小説が抜群に面白いのですが、それはさておき、当時日本政府は、広島・長崎の原爆投下後の10日の時点でポツダム宣言受託をほぼ決めていながら、「国体護持」という天皇支配体制の維持を画策するあまりに、なんやかやと難色を示したために、米軍は14日の大阪空襲で更なる脅しをかけたという経緯があります。つまり14日の空襲で亡くなった人々は「すでに終わっていた戦争で日本政府によって殺された」というわけです。侵略と拡大路線で、殺して焼いて奪いつくす戦争を仕掛け、そして大空襲や原爆などによって、殺され焼かれ奪いつくされたのが先の戦争でした。東京空襲関連の番組は、今日、TBSでも放送されます。


お名前:T
コメント:きっこさん、こんにちは。いつも、きっこさんの文章を楽しみにしています、Tと申します。今日(3/9)の東京大空襲の記事も、あらためて感じるものが大きかったです。石田波郷さんは存じ上げなかったので勉強になりました。私はきっこさんと年の近い女性で、きっこさんと同じく、母親一人の家庭です。お母様をとても大切にされるきっこさんに紹介したい記録がありましたのでメール差し上げました。東京大空襲で遺体の処理作業に従事された須田卓雄さんという方の書かれた「花があったら」という記事です。http://www.ihope.jp/tokyo-bomb.htm(すでにご存知でしたらすみません)私は数年前の深夜、NHKラジオの終戦特集でこれを知り、大変な衝撃を受けました。しかし、後になって自分で記事を探し、読み直してみて、不思議な感覚を覚えました。なんとも悲しい内容なのに、読み終わった後、なぜか安堵に似た、静かな気持ちになるのです。多分、ここに書かれた若い母親が、安らかな顔をしていたからだと思います。想像ですが、赤ん坊を怖がらせないために、極限の状態の中でも母親は「○○ちゃん、大丈夫よ、お母さんがついてるから」と優しい声をかけ続けたのでは。そしてその優しい声、表情のまま、亡くなられたのではないかと。最後まで、我が子を怖がらせてなるものか、泣かせてなるものか、という愛情が感じられ、悲しいけれどほっとするのです。私の母親なら、きっとそうする(声をかけ続ける)だろうと思います。きっこさんのお母様もそうなんじゃないかな、と勝手に想像し、今回ご紹介させて頂きました。明日(3/10)はすべての被害者のために黙祷を捧げたいと思います。


‥‥そんなワケで、このTさんがお知らせしてくださった須田卓雄さんの「花があったら」という文章を紹介したいと思う。


「花があったら」 須田卓雄

昭和二十年三月十日の(東京)大空襲から三日目か、四日目であったか、私の脳裏に鮮明に残っている一つの情景がある。

永代橋から深川木場方面の死体取り片付け作業に従事していた私は、無数とも思われる程の遺体に慣れて、一遺体ごとに手を合わせるものの、初めに感じていた異臭にも、焼けただれた皮膚の無惨さにも、さして驚くこともなくなっていた。

午後も夕方近く、路地と見られる所で発見した遺体の異様な姿態に不審を覚えた。

頭髪が焼けこげ、着物が焼けて火傷の皮膚があらわなことはいずれとも変りはなかったが、倒壊物の下敷きになった方の他はうつ伏せか、横かがみ、仰向きがすべてであったのに、その遺体のみは、地面に顔をつけてうずくまっていた。

着衣から女性と見分けられたが、なぜこうした形で死んだのか。

その人は赤ちゃんを抱えていた。
さらに、その下には大きな穴が掘られていた。

母と思われる人の十本の指には血と泥がこびりつき、つめは一つもなかった。

どこからか来て、もはやと覚悟して、指で固い地面を掘り、赤ちゃんを入れ、その上におおいかぶさって、火を防ぎ、わが子の生命を守ろうとしたのであろう。

赤ちゃんの着物はすこしも焼けていなかった。
小さなかわいいきれいな両手が母の乳房の一つをつかんでいた。
だが、煙のためかその赤ちゃんもすでに息をしていなかった。

わたしの周囲には十人余りの友人がいたが、だれも無言であった。
どの顔も涙で汚れゆがんでいた。

一人がそっとその場をはなれ、地面にはう破裂した水道管からちょろちょろこぼれるような水で手ぬぐいをぬらしてきて、母親の黒ずんだ顔を丁寧にふいた。

若い顔がそこに現れた。
ひどい火傷を負いながらも、息の出来ない煙に巻かれながらも、苦痛の表情は見られなかった。

これは、いったいなぜだろう。美しい顔であった。
人間の愛を表現する顔であったのか。

だれかがいった。

「花があったらなあ――」

あたりは、はるか彼方まで、焼け野原が続いていた。
私たちは、数え十九才の学徒兵であった。


‥‥そんなワケで、この「花があったら」を読んで、改めて、人類が生み出した「戦争」という大罪について考えてくれた人たちも多いと思うけど、ここで、また別のメールを紹介したいと思う。


お名前:KM
コメント: 東京大空襲についてのコラムを大変興味深く、拝読しました。貴方の書かれたことに対しては概ね賛成します。米国が東京大空襲をはじめたきっかけは、貴方の書かれたように、差別があったことは否定しません。しかし、もう一つのきっかけは、日本軍が中国の戦時首都であった重慶で大空襲をおこなっていたことです。その時のその作戦を受け持った海軍省の井上成美は、重慶の街にある家が「木と紙で造られた家」だということなので、焼夷弾を使うことを決め、実施しました。焼夷弾はいったん発火すると消しにくく、重慶の街を焼き尽くし、多くの死傷者がでました。時は1939年5月3日、4日です。その時、同盟国だった米軍の将校も重慶に降り、日本の家も中国と同様に木と紙でできていることに気が付き、東京大空襲へと発展して行きました。被害だけではなく加害の歴史も見直す必要があると思います。最後に重慶爆撃直後の被害状況を見た、中国の詩人郭沫若が以下のような詩を作り上げた詩を紹介して終ります。 「5月3日と5月4日と、 敵機は連日やってきた。重慶は惨憺たる爆撃を受け、 死者は山のようにつみ重なった。 その中の死骸と見えたもの、 母一人と子供二人だった。 一人の子供は腹の下に横たわり、 もう一人はふところに抱かれていた。 骨と肉とはコークスとなり、 かたくくっついて引き離せない。 ああ、優しい母の心は、 永久に灰にできないのだ。」


‥‥そんなワケで、ニポン軍が中国の重慶を無差別爆撃して、何の罪もない中国の民間人の命を数えきれないほど奪ったことは誰でも知ってると思うし、郭沫若(かく・まつじゃく)のこの詩も有名だから、知ってる人も多いと思う。概要だけを読みとれば、先に挙げた須田卓雄の「花があったら」とおんなじで、読んだだけでホントにつらくなる。戦争の犠牲になった民間人、国の犠牲になった民間人の痛みが伝わって来て、あまりのつらさに言葉も出ない。それも、ホントの意味での「国の犠牲」なんかじゃなくて、それぞれの国のほんのわずかな守銭奴どもの犠牲、戦争ビジネスの犠牲なんだから、マジで言葉もない。

そして、ここで、何よりも重要なことは、国同士の戦争は、決してその国の国民同市の戦争じゃないってことなのだ。ニポンが中国の重慶を空爆したのは、ニポン国民の意思じゃない。一部の企業や権力者と癒着した腐りきった政治家どもが、国民の意思を無視して勝手にやったことなのだ。そして、東京をはじめとしたニポンの都市を空爆したのも、アメリカの民間人たちの意思じゃなくて、アメリカのホンの一部の、軍需産業と癒着してる金の亡者どもがやったことなのだ。

イラクへの自衛隊の派遣、つまり、自衛隊という公的機関にアメリカの石油利権戦争の片棒を担がせたのだって、85%もの国民が反対してたのに、ペテン師のコイズミは「イラクには大量破壊兵器がある」って断言して、これを大義名分として独断で決定した。そして、多くのイラクの民間人を殺しまくった挙句に、大量破壊兵器など見つからなかったのに、未だに謝罪もしていない。史上最悪の殺人鬼のブッシュでさえも、大量破壊兵器がなかったことを認めて謝罪したってのに、卑怯者のコイズミは未だに逃げ続けてるのだ。

これが、すべての戦争の図式なのだ。だって、どこの国の民間人が、戦争なんかやりたがってるのかってことだ。たとえば、このニポンだって、あたしみたいに「武力を放棄した完全なる平和」を望んでる平和主義の人たちも、「他国の侵略に備えた武力保持」や「武力強化」、果ては「核兵器の保有」まで望んでる保守派の人たちも、みんな戦争なんかやりたくないのだ。ただ、保守派って呼ばれてる人たちは、武器を持ってないと「平和」を叫ぶこともできないチキン野郎だってだけで、平和を望む気持ちはみんなおんなじなのだ。

世界中の他国同士の戦争に首を突っ込み、戦争ビジネスに余念のないアメリカにしたって、民間人の多くは、戦争なんかやりたくないと思ってる。その証拠に、ニポンの何十倍、何百倍の規模の反戦デモが行われてる。だけど、地球の反対側でA国とB国が戦争を始めれば、すぐにすっ飛んでって、その戦争に油を注いで大きくしてから、A国にもB国にも大量の武器を売りつけてるし、これがアメリカの産業の要だってことはみんな知ってる。だから、どこかで戦争が起こるたびに、アメリカの兵器メーカーの「レイセオン」や、ニポンの「三菱重工」の株価が上がるワケだ。そして、こうした事実を見れば、「ブッシュはイラクに大量破壊兵器なんてないことは最初っから知ってた」とか、「ブッシュは戦争を始める口実として9.11テロを自作自演した」とかって言われてるのも、「都市伝説」のヒトコトじゃ片づけられなくなって来る。

‥‥そんなワケで、あたしは、昨日の日記で「東京大空襲」のことを取り上げて、アメリカという最低な国の大罪について言及したけど、これは、「すべてのアメリカ人を憎んでる」ってこととはまったく違う。あたしには、何人ものアメリカ人のお友達もいるし、アメリカの音楽も聴くし、アメリカの文化の中にも好きなものはいっぱいある。あたしが憎んでるのは、アメリカのファッキンな兵器産業や、その利権にまつわりついてるクズ議員ども、そして、石油利権と癒着して世界中の戦争を拡大させてるライスおばちゃんの一味とかであって、一般の民間人を憎んでるワケじゃない。

もちろん、こうしたヤツラを支持してるようなアメリカの民間人はアホだと思うけど、それを言うなら、ニポンにだって、こうしたアメリカの戦争ビジネスに加担してる自民党なんかを支持してるアホがいるんだから、それこそ「目クソ鼻クソ」になっちゃう。「きっこの日記R」の江川紹子さんとの対談を読んでくれた人は、この国の政府、つまり、自民党が、どれほどアメリカの言いなりなのかが分かったと思うけど、こんな腐りきった売国政党に政権をとらせてるような国民であるあたしが、ブッシュを支持してるアメリカの民間人を笑うことはできないってことだ。

そして、今や全国民の8割がブッシュに中指を立ててるアメリカに対して、民間人を憎むのなんて完全にオカド違いってことになる。だから、ニポンが中国の重慶を無差別爆撃したことだって、被害を受けた中国側にしてみれば、「すべてのニポン人が憎い」って感情になるのは理解できるけど、「すべてのアメリカ人の総意で東京を空爆したんじゃない」ってこととおんなじで、すべてのニポン人が重慶への空爆を支持したワケじゃない。ホンの一部の政治家や企業が戦争したがってただけなんだから、中国の人たちも、ニポンの政権与党の政治家や癒着企業を憎むのはいいけど、あたしたち戦争に反対してる民間人まで憎むのはやめて欲しい。

それに、今でこそ、こうして堂々と「戦争反対」なんて発言できるけど、当時の民間人は、自分の意見を言えるような状況じゃなかったワケで、もしも「戦争反対」なんて言葉を口にしてたら、その場で家族や親戚までが逮捕されて、拷問を受けたり、殺されたりしてた。ようするに、かつてのニポンは、今の北朝鮮とおんなじ国だったんだから、そんな状況で、一部のキチガイどもの戦争に付き合わされてた民間人は、すべての国の人たちが「被害者」だったのだ。

‥‥そんなワケで、あたしは、「アメリカ人が加害者でニポン人が被害者」だとか、「ニポン人が加害者で中国人が被害者」だとか、こんな図式で戦争を考えること自体が間違ってると思ってる。戦争ってものは、どこの国のどんな戦争であれ、戦争したがってるのはその国のトップと、そこに癒着してる企業だけで、付き合わされてる民間人はすべてが被害者なのだ。つまり、「東京大空襲」の場合なら、「アメリカ人が加害者でニポン人が被害者」なんじゃなくて、「当時のアメリカのトップとニポンのトップが加害者で、アメリカの民間人もニポンの民間人もすべてが被害者」ってことなのだ。そして、これは、中国の重慶への空爆もおんなじことだ。どの国のどんな民間人だって、誰ひとり戦争なんかしたくないに決まってる。戦争をしたくてたまんないのは、決して自分たちだけは前線に行かなくていい、絶対に安全な場所で指示だけ出してればいい守銭奴どもで、どの国にもいるコイツラこそが、本当の「加害者」なのだ。だから、あたしたち民間人は、マスコミのくだらない情報操作なんかに踊らされずに、本当の元凶である戦争利権や石油利権に絡んだ政治家どもを1日も早く政権の座から引きずり下ろすようにしないと、また、おんなじ悪夢が繰り返されると思う今日この頃なのだ。


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