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2008.03.10

東京大空襲

今日、3月10日は、「東京大空襲」があった日だ。今から63年前の昭和20年(1945年)3月10日、あたしが今いるこの東京が、その時点では、人類史上最悪の大虐殺の舞台となった。何で「その時点では」なのかっていうと、このあとに、この東京大空襲を超える大虐殺である広島と長崎の原爆投下が起こったからだ。つまり、このニポンは、人類史上最悪の大虐殺のワースト3をすべて受けてる国ってことで、この悪魔のような大量殺人を行なったのは、今でもイラクやアフガンの人たちを虐殺し続け、そして、沖縄や岩国で凶悪犯罪を繰り返している野蛮なアメリカ人どもだ。

あたしのおじいちゃんは戦地で殺されて、おばあちゃんも被災して、あと一歩で、幼かったあたしの母さんも東京大空襲で殺されていた。もしもそうなっていたら、あたしは、今、ここにはいない。

今から63年前のこと。ニポン人など人間じゃない。ニポン人など知能の低い黄色い猿だ。そう思ってるアメリカ軍は、この薄汚い猿どもをマトメて殺すために、ドイツの空爆で大きな実績を上げたカーチス・ルメイ少将に、ニポンの首都である東京を空襲するようにと命じた。東京空襲の最高司令官の座についたカーチス・ルメイは、東京のことをいろいろと調べ、当時のニポンの家屋が、火に弱い「木と紙で造られた家」だということを知る。

そして、この「木と紙で造られた家」にもっともダメージを与える爆弾、着弾とともに大きな炎を上げる「M69油脂焼夷弾(ゆししょういだん)」を開発した。この、長さ50センチ、重さ2.7キロの焼夷弾の中には、ゼリー状に濃縮されたガソリンが詰められていて、38本を1束にして投下する。38本の焼夷弾は、空中で広範囲に広がって行き、民家の屋根瓦を突き破り、室内で爆発し、家や人間を内側から焼き殺す。

それから、カーチス・ルメイは、江戸時代の大火災が春に集中していたことも調べ上げ、これが「春先の強風」が原因だということから、空襲の効果をより高めるために、もっとも強風が吹くと予想された「3月10日」を決行の日と決めた。さらには、東京の地理を詳しく分析して、最初に隅田川や荒川などの堤に沿って焼夷弾を投下する作戦を立てた。こうすれば、火に焼け出された人たちが、隅田川や荒川などに飛び込もうとしても、炎が壁になって川へは近づけなくなるからだ。

そして、昭和20年3月10日の夜、東京の空を埋め尽くすようにやって来た344機ものB29爆撃機は、低空飛行で、民間人の住む住宅街、それも人口密集地を中心に焼夷弾を投下し続けた。燃え上がって行く家屋の間からは、全身を炎に包まれた人たちがのたうちまわりながら転げ出て来て、次々と燃え尽きて行く。生きたまま焼き殺されることが、どれほどの苦しみであろうか。そして、何とか火をのがれて逃げまどう人々には、容赦ない機銃のいっせい掃射を浴びせて射殺し続けたのだ。

32万7000発もの焼夷弾は、わずか2時間で東京を火の海にし、焼け野原に変え、残されたものは、焼けただれた死体の山だけだった。幼い子供を抱いたまま、親子で真っ黒に焼かれている死体。性別も年齢も分からない黒焦げの死体が並び、その中には、あまりの高熱に両手足の先が溶けてしまったものもたくさんあった。これを地獄と呼ばずして、何を地獄と呼べばいいのか‥‥。

ちなみに、この「32万7000発」というのは、あくまでもアメリカ側が発表した数字であって、別のデータには、「投下した焼夷弾の総重量は2000トン」というものもある。そうすると、この「2000トン」を1発の重さの「2.7キロ」で割ると、「74万発」ということになる。アメリカは、ベトナム戦争でも湾岸戦争でも、使用した爆弾の数をものすごく少なく発表してることは周知の事実だから、この辺のことは「推して知るべし」ってことだ。

この大空襲で殺された人の数は、7万人とも10万人とも言われてて、このあとの5月25日の東京大空襲も入れると、推定で15万人が殺されたって言われてるけど、未だに正確な数など分からない。でも、原爆の被害者は、広島が14万人以上で、被爆による後の死亡も入れると20万人以上、長崎が7万人以上で、被爆による後の死亡も入れる15万人以上だから、東京大空襲の被害がどれほど大きかったのかってことが分かると思う。そして、この3日後の3月13日には大阪を空襲し、3月19日には名古屋を空襲し、それから神戸と、アメリカによる大量虐殺はニポンの各都市を襲い続け、推定で50万人以上もの一般市民が、生きたまま焼き殺されたのだ。

「戦争を早く終わらせる」という大義名分を掲げて、何の罪もない民間人を残酷に焼き殺し続けたアメリカの大犯罪は、このあとの2発の原爆投下によって、一応は終結した。薄汚い黄色い猿どもをマトメて焼き殺し、戦争に勝ったアメリカは、もちろん大喜びした。のちに、当時の国防長官だったロバート・マクナマラは、「たった一晩で10万人もの市民を焼き殺すことに成功したのは、敵のことを正確に分析して、低空飛行で焼夷弾を絨毯(じゅうたん)爆撃するという作戦を考案した功績だ」って得意満面で語った。そして、このロバート・マクナマラに対して、東京大空襲の指揮をとったカーチス・ルメイは、笑いながらこう言ったのだ。


「こんなに殺したんだから、オレたちは大犯罪者だぜ。もしも戦争に負けてたらの話だがな」


そして、この東京大空襲から20年近くが過ぎた1964年、当時の総理大臣だった佐藤栄作は、呆れ返ることに、この、数えきれないほどのニポン人を生きたまま焼き殺したカーチス・ルメイに対して、「勲一等旭日大綬章」を授与したのだ。自国の民間人を何十万人も殺した敵に対して、勲章を贈って表彰するとは、これほどの売国奴は前代未聞だろう。サスガ、天下無敵の売国奴、アベシンゾーのルーツだけのことはある。

この翌年の1965年、アメリカは、北ベトナムと南ベトナムとの戦争に首を突っ込んで、北ベトナムへの爆撃を開始したんだけど、佐藤内閣は、この爆撃を支持したのだ。そして、沖縄のアメリカ軍基地から、数えきれないほどの爆撃機がベトナムへと飛び立ち、沖縄は、ニポンは、「加害者」となったのだ。さらには、この北ベトナムを焼き続けた「ナパーム弾」は、ニポン人を焼き殺すために開発された焼夷弾の改良型だった。

あたしたちは、63年前にあたしたちの家族を焼き殺したヤツラに手を貸して、あたしたちの家族を焼き殺した爆弾の改良型で、何の罪もない他国の人たちを数えきれないほど殺したのだ。沖縄の人たちが、どうして基地に反対してるのか、これで少しは理解できただろう。野蛮なアメリカ兵が少女を襲う。強盗をする。殺人をする。もちろん、こうした日常の凶悪犯罪も絶対に許せないことだ。だけど、沖縄の人たちが基地に反対してるのは、軍隊には出て行って欲しいって叫び続けてるのは、自分たちの住む大切な美しい島が、他国への、他民族への「加害者の島」であり続けることが耐えられないからなのだ。

今日は3月10日だから、今日の日記は東京大空襲のことを書いてるけど、沖縄だって、45万人いた島民のうち、20万人が殺されたんだよ。自分たちがこんなにも酷い目に遭ったからこそ、今、自分たちがアメリカの人殺しに加担してることが、加害者側でいることが耐えられないんだよ。政府は、こんな子供でも分かる理屈が、どうして分からないんだろう? やっぱり、東京大空襲を指揮した殺人鬼に勲章を贈るような神経の持ち主から、連綿と続いて来た売国奴の流れがこの国を支配してるうちは、いつまでもアメリカの人殺しの片棒を担ぎ続けて行くんだろうね。

‥‥そんなワケで、このまま行くと、かつての毒舌キャラに戻っちゃいそうだから、毒舌キャラからの脱皮を目指してるあたしとしては、ここらで方向を変えちゃうけど、戦前から戦後にかけて活躍した俳人の1人に、石田波郷(はきょう)って人がいる。あんまりマニアックなことを書く必要はないと思うんだけど、フランク・ザッパに言うと、あたしが実践してる俳句は、正岡子規→高濱虚子→その他大勢って流れの俳句で、「花鳥諷詠」を基本にしてる。「花鳥諷詠」ってのは、自分の主観を出さないで、草花などの自然を見たままに詠む「客観写生」を主軸にしてる。そして、これに対抗してたのが、自分の主観を出して、生々しい人間の生き方や考え方などを詠む「人間諷詠」で、この石田波郷とか、中村草田男(くさたお)とか、加藤楸邨(しゅうそん)とかに代表される「人間探求派」だ。

ま、あたしの場合は、どっちも好きなので、「チャンプルー諷詠」って感じなんだけど、あたしのことは置いといて、この波郷は、戦後の昭和21年に、奥さんと2才の子供と一緒に、東京の江東(こうとう)区に戻り、12年間、この土地で暮らした。何で「こうとう」って振り仮名を振ったのかって言うと、他府県の人は「えとうく」って読んじゃいそうな気がしたからだ。で、波郷が、江東区に移り住んだ昭和21年は、アメリカ軍の二度にも渡る大空襲によって、東京は、まだ一面の焼け野原だった。そこで、「人間探求派」の波郷は、この焼け野原を詠むことによって、この地で必死に生き抜こうとしてる人たちの姿をとどめておこうと思い立った。そして、この時期の波郷の作品は、「焦土諷詠」と呼ばれて、高く評価された。ちなみに、「北朝鮮など核攻撃で焦土にしてペンペン草1本生えないようにしてやる!」って言ってブーイングの嵐を巻き起こしたのは、現在、コソコソと再チャレンジ中(笑)のアベシンゾーだ。


「焦土諷詠」  石田波郷 (きっこ選20句)


秋草や焼跡は川また運河

焼工場年逝く鳰(にお)をたゞよはす

硝子戸に焼跡ゆがむ野分(のわき)かな

冬薔薇(ふゆそうび)色のあけぼの焼跡に

侘(わび)住めば楪 (ゆずりは)青しやゝ紅し

焼跡の夜火事の雲や押しこぞり

寒の白き馬居り昨夜の焼跡に

寒の鵙(もず)墓犇(ひしめ)きてあるばかり

屋根裏に寒の朝日の黄金(くがね)なす

細雪(ささめゆき)妻に言葉を待たれをり

枯葎(かれむぐら)馬車はいくとせ鉄運ぶ

焼跡の幾日冬日燃えざるや

貨車寒し百千の墓うちふるひ

百方の焼けて年逝く小名木川(おなぎがわ)

なみだしてうちむらさきをむくごとし

束の間や寒雲燃えて金焦土

立春の米こぼれをり葛西橋

はこべらや焦土のいろの雀ども

六月の女すわれる荒筵(あらむしろ)

夏河を電車はためき越ゆるなり


‥‥そんなワケで、石田波郷に興味を持った人は、波郷が住んでた江東区砂町の砂町文化センターの2階に「石田波郷記念館」があるので、お近くに行った時には、覗いてみて欲しい。もちろん、あたしが紹介するんだから、入場は無料だ。そして、今日は、最後に、3つほどリンクをしておく。1つめは、東京大空襲の被害を写真で紹介してるサイトだ。アメリカの鬼畜どもによって生きたまま焼き殺された人たちの姿を見る勇気のある人は、これほどの大犯罪がわずか63年前に起こったということ、そして、これと同じことが、今、他の国で行われていて、今の政府は、アメリカの人殺しのために、あたしたちから巻き上げた莫大な税金を使い続けているという事実と、真剣に向き合ってみて欲しい。それから、2つめは、3月17日(月)と18日(火)に2夜連続で放送される日本テレビのスペシャルドラマ「東京大空襲」のお知らせだ。本を読むことが苦手な人は、ぜひ観て欲しい。そして、3つめは、今までに何度も紹介してるけど、「戦争を語り継ぐ60年目の証言」だ。先日、とても貴重な「アメリカ日系一世・二世の証言集」がアップされたので、まだ読んでいない人は、ぜひ読んで欲しい。いまだかつて、どこにも紹介されていない貴重な証言だ。そして、これらのサイトを見て、「こんな悲劇は二度と繰り返しちゃいけない」って思った人は、今日の夜、たった1分間だけでいいから、黙祷して欲しい。


写真による「東京大空襲」
http://www.kmine.sakura.ne.jp/kusyu/kuusyu.html

スペシャルドラマ「東京大空襲」
http://www.ntv.co.jp/kusyu/#

「戦争を語り継ぐ60年目の証言」
http://www.geocities.jp/shougen60/


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